乱れて壊れて愛を告ぐ

 最初から、違和感はあった。
 これまでの狩人ときたら、律儀に扉を叩き、が招いてから扉を潜っていた。それなのに、今はノックもせず乱暴に扉を開け、無言のまま乗り込んできたのだ。

「ちょっと、乱暴ね? 狩人さん」

 呼び慣れた呼称と共に、少し眉を顰めてみせる。だが、扉を開け放った狩人から、何の反応もない。乱暴に閉じた扉が立てる、ガンッとけたたましい音だけが耳をついた。

「……狩人さん?」

 窓の向こうから差し込む冷たい月明かりと、室内を照らす仄かなランプの明かりが、狩人の姿を照らし出す。
 広い肩が、ゆら、ゆら、と左右に揺れている。足取りも何処か覚束ない様子で……見慣れたその姿から、不気味な雰囲気が立ち上っていた。

 何か、おかしい。

 あまり良くない予感が、頭の後ろから駆け巡る。は緊張で唾を飲み込みながらも、ソファーから腰を上げ、恐る恐ると狩人の側へ歩み寄る。

「ど、どうしたの……? 何処か、また怪我でもして……――」

 躊躇いながら、指先を伸ばす。きっとこれまでのように、ああと言葉少なく頷くか、あるいは狩りの進捗を話してくれるのではないか、そんな淡い期待を寄せて。

 だが、伸ばした指は、狩人の手に掴み取られてしまった。

 一介の住人の、それも女に向ける力ではない。病に侵され“人”を失った獣を捕らえるような、極めて暴力的な力だ。黒革の手袋の向こうからひしひしと伝わる、予想もしない膂力に、はぎょっと目を見開いた。咄嗟に身を引き、後退しようと試みたけれど、彼の手が外れる事はない。強く、ただただ強く、痛いほどにの手を握りしめている。

「か、狩人さ……ッ?!」

 ぐい、と力任せに腕を引かれる。そのまま床板の上に引き倒されてしまい、全身に衝撃が走ると同時に、視界が大きく回転した。
 打ち付けた肩を手のひらで庇い、顔を起こす。長い夕暮れが終わり、ついに迎えた獣狩りの夜。窓から見える空は暗く、眩しくも冷酷な月明かりが差し込んでいる。それを背にし浮かび上がる狩人の輪郭は、今や見慣れたもののはずなのに、何故だか獣に睥睨されている心地がしてならなかった。
 うつ伏せの恰好で床板に転がり、ぞっと震え上がるに、狩人は声の一つも掛けてくれない。不気味な無言を貫いたまま、の傍らで膝を折ると、その上に覆い被さった。

「や、な、なに……ッやめ……ッ!」

 狩人の大きな手が、の衣服を鷲掴みにする。その直後、悲鳴に酷似した音を立て、ビリビリに引き裂かれていった。目障りなものを排除していくように、容赦なく裂かれ、露わにされゆく肌が恐怖で粟立った。

 一体、今、自分の身に何が起きているのだろう。

 冷静に考える猶予も与えてもらえず、事態を飲み込めないまま押さえ付けられている。だが、目の前にいる狩人が、これまでにはない異常な状況にあるという事だけは、はっきりと分かった。
 浄化と称して街一つが炎に飲まれた、幼い頃の惨たらしい記憶。
 それに勝るとも劣らないだろう光景を間近に見て、は少女のように恐怖で震える他ない。

「か、狩人さんッ! や、やめ、や……ッ!」

 黒い手袋を装着したままの大きな手のひらが、切れ端のようにズタズタにされた衣服の下の肌を、無遠慮に弄る。
 に対する愛しみの感情なんて、欠片ほどもなかった。
 獣狩りの武器と銃を握りしめ、獣を殺していくように、脆弱な女を蹂躙する暴力的な欲望がありありと見えた。
 仰向けの恰好で、は懸命に腕を突っ張り、あるいは狩人の手を掴み、必死に抵抗する。しかし、幾多の狩りを超えてきたのだろう彼の身体はあまりにも頑強で、の力ごときではびくともしない。獣狩りの狩人と家に篭もるしかない住人、さらには男女の違いなど歴然だという事を痛感し、無情にも打ちのめされた気分になった。

 ――どうして、こんな事。

 口数はお世辞でも多いとは言えないのに、そのわりには詩人のような事をたまに呟いて。獣狩りの狩人でありながら、意外にも粗野な面を見せた事がなく、ありふれた紅茶を上品に傾けて味わってくれた。
 血の医療を受けヤーナムに来る以前の記憶のほとんどを失った異邦人でありながら、自らを嫌う陰湿な住人にも心を向ける、不思議な人。
 が知り、また好ましく思った狩人は、そんな人物だ。
 間違っても、変わり果てた今の狩人ではない。

 ――それか、私には、こんな仕打ちを受ける理由が、あったのだろうか。
 無口で、でも優しい彼をこんな風にさせてしまう理由を、無意識に作ったのだろうか。

 病の浄化を謳い、油と炎を放たれ、生きたまま焼かれる事を望まれた、あの夜。あれからずうっと、忌々しく、それなのに強烈に心惹かれる何かを、獣狩りの狩人達に抱いてきた。それは、この知り合って間もない彼に対しても、同様だった。良い意味でも、悪い意味でも、彼はいつの間にか心の深い場所に在ったのだ。

 取り戻した信頼を裏切られた、絶望と憎悪の類は無い。ただ、窓辺を照らす淡々とした冷たい月明かりのように、音もなく静かな悲しみが溢れていく。ざらついた手袋に掴まれた胸を乱暴に揉みしだかれ、乱れた髪の掛かる首筋を噛まれる、蹂躙の只中にありながら、の頭の中は相反し静寂で支配されている。


 思い知らされる。ヤーナムは呪われているのだと。
 住人の救い主であるはずの医療教会に見限られ、炎を放たれたあの夜から、ちっとも変わらない。きっと、変わる事はないのだろうな。
 でも、出来るものなら。あんなに物静かな狩人から、獣じみた息遣いと唸り声は、聞きたくはなかった……――。




 ……けもの?




 唐突に浮かび上がった、その言葉。
 諦念を抱いたの心臓が、ドッと音を立て跳ねた。
 覆い被さる狩人の身体の下で、どうにかうつ伏せから仰向けの体勢へと変わり、顔を向かい合わせる。狩人の頭に手を伸ばすと、震える指で帽子を払い落とし、彼の顔の下半分を覆う黒い布をずり下げた。

「狩人、さん」

 硬い頬を、ぐい、と掴み寄せる。冷酷な熱の宿る彼の両目を、深く、覗き込んだ


 ――獣の病を発症した者の瞳は、例外なく、どろどろに蕩ける。


 まさか、もしかして。
 脳裏を過ぎる恐ろしい予感が、どうかただの杞憂であって欲しい。
 そう強く願いながら見つめた、焦点の定まらない彼の瞳は――蕩けては、いなかった。

(ああ、良かった……)

 正気とはけして言えない状態だが、ヤーナムに蔓延する獣の病に侵されたわけではない。
 最も恐れる事態には陥っていないのだと、はこれまでになく深く安堵した。

 となると、狩人の現在の状態は、獣の病ではなく、もっと別の何かが原因という事になる。何故こんな風になってしまったのか、気にはなるが――もう、考えるのは止めた。

 狩人の頬を掴んでいた手のひらを、そっと離し、床板の上に滑り落とす。静かに瞼を下ろし、粛々と覚悟した。これで満足するのなら好きにすればいい、そう思いながら。

 ……だが、いくら待っても、あの喰われそうな暴力は、一向にやって来ない。

 何か変だなと、は瞼を持ち上げ、今一度狩人を見つめる。彼は、に跨った格好のまま、動きを止めていた。広い肩を揺らし、微かにも呻き声をこぼしているというのに、何かで身動きを封じられたようだった。

「狩人、さん……?」

 淡い期待を込め、呼び慣れた名を囁く。けれど、やはり反応はないため、正気に戻ったわけではなさそうだ。
 ただ、焦点の合わない瞳は、の顔をぼんやりと映しているように見えた。

 意識のない霞みがかった眼差しでも、私の顔を判別する事は出来ているのだろうか。
 暴力的に組み伏せたい衝動を持ちながら、本心では手荒く扱いたくはない――そんな感情が彼の潜在意識にあるのだと、都合よく、思ってみても良いのだろうか。

 呆然とするの口元へ、微かな微笑みが浮かぶ。仰向けになっていた上体を起こし、動かない狩人に顔を近づけた。

「……狩人さん」
「ウ、ゥウ……」
「大丈夫。手袋、外しましょ。これじゃ、痛いわ」

 彼の視界に入るよう、眼差しを交わしながら囁く。

 ――獣の病でもなく、彼の意識でもなく、血に酔ったわけでもない。こうする事で、彼を救えるというのならば。

 胸に宿ったそれは、綺麗な善意と献身ばかりではない。自身の、下心でもあるのだ。ヤーナムの血と医療を拒んだとて、人間の、あるいは女の劣情は、にも宿っているのだから。

 ふっと視線を下げ、映り込んだ彼の両手を包む黒革の手袋。手首から肘に掛けては金属の籠手のようなものでがっちりと固定されているようだが、どうやって外すのだろう。
 と、思っていると、狩人自身がその手袋を、緩慢な動作で外し始めた。
 目を合わせている分には、いくらかの言葉も届くようだ。

(今までとは、何だか全然違う。でも、少し、不思議な気分)

 大人の男性であり、また獣達を殺す狩人であるのに。
 一介の女に促されるまま動く幼い仕草は、劣情まみれの心を疼かせてくる。

 狩人に言うべき言葉ではないが――きっと、可愛いと、思っているのだ。

 この状態の狩人であれば、恐ろしくはない。
 狩人が手袋を外しているその間、は呼吸を整えた後、目に入る武器などを取り外す作業へと移り、帽子と共に脇へ慎重に置いた。
 指先が震えていたのは、獣狩りの狩人が用いる得物に初めて触れた緊張だけではないと、熱が灯る自らの頬で知った。

 やがて、黒革の手袋が外され、その下にあった彼の手がの前に現れた。ごつごつと筋張った、男性らしい大きな手。その表面には細かい傷跡が、うっすらと浮かんでいる。
 この手で、何匹――いや、“何人”の獣を殺したのだろう。
 そんな無意味な感慨を思い浮かべながら、は黒いロングコートへと手を伸ばす。肩から滑り落とし、革のベスト、白いシャツと順番に緩めていく。
 その間、狩人は僅かに呻き声をこぼしながら、身体を揺すっていた。まるで、我慢できないと訴えるように。

 ――獣みたい。

 もう少し待って、とあやしながら、は脱衣に格闘する。やがて、目の前にがっしりとした胸板と割れた腹筋が現れ、は息を飲み見惚れる。長い夕暮れに、獣となった自警団の住人達から追い掛け回されていた事が、何かの幻だったよう。鍛えられた身体つきは、狩りを続ける内にそうなったのだろう。は無意識に、胸板から腹部へと、指先を滑らせていた。

 けれど、まだ、脱がしていないところがある。

 は、腹部からさらに下へと、視線を下げた。
 長い足を覆う黒いズボン、その向こうで主張している、窮屈そうな膨らみ。
 これも、緩めてあげないと、ならないだろう。心臓の鼓動を激しく鳴らしながら、意を決して指先を下半身へ向かわせる。微かに震えながら、男物のズボンを捕らえ、前の方を寛げた。

「ッきゃ?!」

 留め具などを外し、前側を開いたと同時だった。
 窮屈に押し込まれていた硬く隆起したものが、勢いよく飛び出し、の手を叩いた。
 反射的に手を退けたが、一瞬触れた熱さと硬さに、どうしようもなく魅かれ、は再び恐る恐ると指先を伸ばす。割れた腹筋にくっつきそうなくらいに反り返った男性器は、生々しい逞しさに満ちていた。赤みも帯び、触れても大丈夫なのだろうかと案じながら、そうっと裏側から触れてみる。

「わ……ッ」

 熱い。それに、ずっしりとした重みもある。
 こんな風に、至近距離から男性器をまじまじと見た事も無ければ、直接触れた事も無い。けれど、好ましく思う狩人の一部であるからか、目を背け、あるいは払いのけたくなる嫌悪感は、全く感じなかった。それどころか、別の生き物のように熱を帯び熱くピクピクと跳ねる様子に、心臓が疼いた。

(これが、狩人さんの……)

 自然と溜め息を溢れさせ、は指先を滑らせる。するり、するり、とぎこちなく撫で擦った時、途端に狩人からくっと吐息を噛む音がこぼれた。
 こうすると、気持ちが良いのだろうか。
 思い切って、手のひらで包み込み、上下に撫でる。びくりと跳ねる脈動が、手のひらを通じて伝わってきた。見上げると、幾多の狩りで鍛えられた狩人の身体が、もどかしそうに揺れ、獣の呻き声を一段と深く鳴らしていた。

「き、気持ち良い……? 狩人さん……」
「ウ、ウゥ……ッ」

 人間らしい言葉は、返ってこない。
 けれど、その代わりに、狩人の腕がの後ろに回る。腰の後ろから臀部に掛け、大きな手のひらを這わせてきた。

「あ、狩人さ……ッん……!」

 引っかかるように残っていた衣服を、下着ごと乱暴に剥ぎ取り、双臀を鷲掴みにする。ぎゅ、ぎゅ、と何度も気忙しく掴まれ、太い指先を肌に埋められ、は息を跳ねさせる。
 手袋越しでは得られなかった、狩人の手の感触。武骨な指が、直接、この身に触れている。
 その事実だけでも、の頭の奥は、熱で染まるようだった。

 言葉こそ無いけれど、彼の強く掴む手と唸り声が、もっと、と強請っているような気がした。
 物静かで、紅茶を嗜む、あの狩人が。こんな、正気を失って、肉欲に支配されるなんて。
 頬を染めて驚きながら、一方で、欲深く心臓が高鳴る。の下腹部の奥に、甘やかな疼きが滲んだ。

(潔癖のように振る舞って、結局、私もただの女だ……――)

 虚ろな瞳に宿る獣性をまざまざと見せられ、吐息も熱くなる。隆起したものから手を離せば、途端に不満げな唸り声が狩人から上がったけれど、それをあやしながら彼の逞しい胸を押す。そうして、は後ろに倒れ、床板の上に寝転がった。

「えっと、じゃあ、どうぞ……」

 羞恥心をぐっとこらえ、両腕を広げる。何処からでも食べられるように、大きく。
 だが、狩人は声を唸らせるばかりで、座った格好のまま動かない。
 いや――近付きたいが、それ以上傍らへ寄る事が出来ない。そんな風に見えた。

(まったく、この人は)

 は不格好に頬を緩めると、仰向けの身体をうつ伏せの体勢に変える。後ろを向き、両腕を床板に立て、四つん這いの恰好になってみせた。
 そうすると、思った通りに、狩人は動き出した。の腰を強く掴み、力任せに引き寄せる。ただあまりにもその力が強いため、の上体は倒れ、床板に肘をつき、下半身を突き出したような恰好になってしまった。の抱く羞恥心とは正反対に、狩人は歓喜するように唸り声を深め、がっしりと尻の肉を掴む。

「ちょ、ちょっと、そんな、乱暴すぎ……ッ?!」

 ごつごつした指が、無遠慮に臀部へ埋まる。割って開くような仕草に、届かないとしてもさすがに文句の言葉がこぼれたけれど。
 強引に暴かれた秘所に、熱い塊が触れた時、は身体をぎくりと跳ねさせた。
 湿った感触と共に、上下に擦り付けられるそれ。下半身から伝わる熱は何なのか、はすぐに理解した。

「か、狩人、さん……ッ」

 荒い息遣いが、うなじに落ちてくる。後ろを振り返ると、月明かりを背にし爛々と両目を光らせる狩人が居て――ああ、この人も獣のような姿を見せる事があるのかと、場違いな気付きと感心を覚えた。

 それと同時に、熱と痛みの衝撃が、へと押し寄せる。

「あ、ぐ……ッ! い、う、う……ッ!」

 狭い洞穴を強引にこじ開けていくような、狩人の硬い杭。床板へ齧り付き、必死に耐えるの耳を、狩人の昂った吐息が舐めた。
 暴きながら進む先端が、内側の一番深い場所にまで押し込まれる。初めて味わう苦く痛烈な充足感に、呼吸を整える余裕もない。
 狩人は、手を緩める事もなく、腰を僅かに引かせ――再び、力任せに突き込んだ。

「は、あ……ッ?!」

 ずりゅ、ずりゅ、と前後する動きは、への気遣いなどない。欲望の衝動のまま貪る、獣の動きだ。頭中にまで響くような激しさに、は四つん這いに伏せたまま必死に耐える。耐えるしか、ない。まなじりに浮かぶ涙が頬を滑り、顎から床板へこぼれ落ちても、奥歯を噛み締めて耐えるのだ。


 何であれ、望んだのは他ならぬ、私。
 この狩人が、これで正気に戻るというのならば、構わない。


 単調に、けれどしたたかに、引き締まった腰が前後に動く。ごつごつと抉る激しさに、快楽を見出すのは理性のない狩人のみだ。今もの耳に届く彼の呻き声と息遣いは、これまでの狩人からは想像もつかないほどに荒々しく響いている。

 やがて、を貪るその動きが速まり、急き立てられるように奥深くを貫いた。の腰を腰を掴む手のひらと指先にも、力が増していく。
 きっと、終わりが近いのだ。
 床板に齧り付きながらも、その予感が鮮明に過ぎった。熱と痛みに支配される身体が、責め苦から解放される安堵ではなく、浅ましい歓喜で疼いた。

「あッあ! 狩人さんッ! 狩人さん!」

 激しさが増す律動。目の前が、ガクガクと揺れる。
 の呼び声が届いたのかどうか、定かではないが――その時、初めて、狩人の手が背中を撫でた。
 都合のいいように捉えているだけなのかもしれないけれど、そうやって触れてくれた事が、とても嬉しかった。

 狩人の身体が、の背に倒れる。鍛えられた分厚い胸と細い背が折り重なった時、ようやくは狩人の存在を感じられた。
 汗ばんだ熱い肌、躍動するような筋肉、激しく鳴る鼓動。
 血と、獣と、硝煙の匂い――ああ、本当にあの物静かな狩人に抱かれている。
 痛みと苦々しさばかりで蝕まれる身体に、ほんの少し、甘やかな喜びが滲んだ。

 狩人が、大きく息を吐く。の腰を強く掴み、奥深くに欲望を押し込み、動きを止めた。
 躊躇なく、の中を満たしていく奔流。
 痛みしか与えられなかったはずの胎内が、ぞくぞくと戦慄いた。

「あ、あ……ッ!」

 狩人の手が、かじかむように震えている。それを後ろ手で、ぎゅっと掴んだの指も同じだった。

 トク、トク、と注がれる間、静けさが舞い戻っていた。けれど、二人分の激しい息遣い繰り返し響き、人の営みから外れた獣の衝動の余韻は未だ熱を持っている。の身体も、ふるふると震えたまま治まらないでいた。

(あ……狩人さんは……)

 無事に、正気に戻っただろうか。
 思い出したは、息を乱したまま力なく振り返ろうとする――その時。
 狩人の逞しい腕が、の倒れた上体に回り、力強く抱き起した。
 その拍子に、埋められたままの狩人のものが、深く沈み、ぐりっと内壁を抉る。

「ひ、あ……ッ?!」

 驚いて飛び跳ねた身体を、狩人はけして手放さず、そのまま律動を再開した。
 膝立ちの恰好にされたへ、またもあの衝動が襲い掛かる。

「あ、あ! そ、そこ、いま、ァ……ッ!」

 がくがくと全身を揺さぶられながら、はたまらず縋るような声をこぼした。
 焼け焦げそうで、苦しいのに――頭の中から、身体の深いところまで、疼くような熱が巡っている。
 痛みばかりではない、それまでにはなかった未知の感覚に、困惑が止まらない。きっとそれは、不快なのではなくて……――。

 ばちん、ばちん、と音を立て汗ばんだ肌がぶつかる。繋がった場所からは、粘着いた音色がいやらしく響く。それまでは感じていなかったものを、はようやく全身で気付き、そうしていっそう甘く涙を流した。

 震えるを、知ってか知らずか、狩人は衝動のままに弄ぶ。首筋を噛み、肩を舐め上げ、喉を唸らせて腰を振り立てる。
 本当に、獣になってしまったようだ。これでは、人と人の営みではなく、獣同士のまぐわいと言った方が正しい。
 そう思うの口からも、言葉になれない涙声が切なげにこぼれるばかりであった。


 まだ、続くのか。獣欲任せの交わりは。


 頭も身体も、狩人で支配されつつあるのに、それでもなお注がれる彼の熱。これ以上続けてしまってはどうなるのか、本当に分からない。
 そんな恐怖を確かに抱いているのに――この狩人に求められる事が、浅ましくも嬉しくて仕方なかった。

「わ、わたし、に、逃げない、から。たくさん、好きなように、して」

 いつもの貴方が戻ってくるまで、何度でも、何度でも。

 の耳に届いたのは、獣のような唸り声だった。







(――ああ、何だ、これは)

 ヤーナムに漂う暗い夜霧が掛かったような、混濁した意識。
 けれど、全身の熱さと気怠さ、下半身からせり上がる心地好さが、いやに鮮明に纏わりついている。
 獣達の身体に腕をねじ込み、内臓を引き摺り出す、今では慣れてしまった狩りの業の中では得られない、あまりにも甘く危うい感覚だ。引き裂かれる痛みや、食い千切られる痛みなどなく、包み込むように温かく、忘れていた幸福感が呼び起こされる。

「――どうしたの、狩人さん。まだ、治まらない?」

 薄い光の届く視界は、滲むようにぼやけている。だが、何かが自らの下にある事は朧気に感じ取り、腕を動かしてみる。暗闇を探るように伸ばした手に触れたのは、しっとりと柔らかい感触だった。狩人達が使う、仕掛け武器のそれではない。まるで、生きた女の、匂い立つ温かい肌のような……――。

「――あ、んッ! 狩人さん、く、くすぐったい……ッ」

 微かに聞こえていたその声が、ようやくはっきりと聞こえた。
 ヤーナムに溢れる陰湿な気配を拭う、凛とした女の声。ここにやって来てから正気でいられる、唯一のその声は。

「む……か。どうし……な、あッ??!!」

 言いかけた言葉は、ほとんど絶叫に近い悲鳴へ変わった。
 なにせ、曖昧にぼやけていた風景が鮮明に広がったと思ったら、唐突に裸のが飛び込んできたのだから。

 細切れになった衣服の残骸を下に敷いた肢体が、全てを晒すように横たわり、肌を染めている。その時点で既に意味が分からないのに、そんなを何故か己が組み敷き、隙間なく腰を押し付けているものだから、更なる混乱を呼び寄せる。
 先ほどから纏わりつくこの感触は……なんという事だ。の熱くぬかるんだ、内壁のものだった。きつく抱きしめるような肉の抱擁を自覚した途端、背骨にまで甘美な心地好さが響いてきた。
 困惑に暮れながら見下ろした色づくの肢体には、鬱血した赤い痕や、手のひらと指の痕、そして白く濁った粘液が注がれたように散らばっている。恐ろしささえある絶景――いや、凄まじい光景だった。

「きッ貴公、こ、これは、一体」
「……え?」

 白濁を浴びた胸を激しく上下させ、陶然としたの面持ちが、素っ頓狂なものへと変わる。両目を見開かせたかと思うと、すぐさま汚れた裸体を起こし、俺の顔を覗き込んでくる。

「狩人さん、私の事、分かる?」
「あ、ああ。いや、それより、これは――」

 の顔が、泣き出しそうな表情を浮かべる。そうして、まったく状況が分からず狼狽えるばかりの俺に、正面からしがみついてきた。

「ああ、良かった……ッ! 狩人さん、ようやく、意識が」
「な、何が、あったんだ。これは、一体」
「いいから。もう少し、このまま」

 良かった、良かった、と譫言のように繰り返すが、胸元に縋る。
 安堵しきる彼女の震えた身体をどうすべきか分からず、俺は情けなく両手をさまよわせるしかなかった。


◆◇◆


「……すまない、なんという事をしたんだ。俺は」

 正気に戻ってからというもの、狩人は床に座り込み、顔を手のひらで覆い隠し猛省を繰り返している。
 まあ、そうだと思う。まさか意識が混濁している間に女を抱いているなんて、信じがたい事だろう。しかも相手が知人となれば、なおさらだ。

「その、元に戻って、良かった」
「……すまない」

 狩人は、同じ言葉の謝罪を、重く繰り返した。顔を隠し項垂れているが、彼の両耳は真っ赤に染まっている。ランプの明かりでも分かるくらいに、だ。大きく引き締まった背中が、心なしかこれまでよりも小さく見える。

 狩人が正気に戻ってから、惨状と変わり果てた部屋を片し、獣の交尾と呼ぶべき行為で汚れた身体を互いに清めた。狩人は肌の上に黒いコートを羽織り、はブランケットを羽織っている。ちなみにはソファーに座っており、狩人にもそうするよう勧めたのだけれど、彼は頑なに床板へ座り動かない。

 本来の狩人は、やはり、こういう人物なのだ。
 本当に、あの獣のような彼は、何だったのだろう。

「と、ところで、狩人さん。意識が吹っ飛ぶような事に、心当たりはあるのかしら」

 沈痛な空気が流れてしまいそうだったため、はあえて普段通りの声を努めて訊ねた。
 狩人は、顔を覆い隠していた手のひらをゆっくり剥がすと、しばし考え込んだ。

「直前の記憶は……獣狩りの、最中だった。あの時、確か……ああ、そうだ、あれを飲んだのだ。まさか、あれのせいか……」
「あれ?」
「まあ……薬のようなものだ」

 狩人は苦々しく呟いた。首を傾げたへ、狩人は何も言わない。
 というより、言えなかった。


 ――獣血の丸薬。
 獣血を固めたといわれる巨大な丸薬で、飲んだ者を一時の獣性に導く。

 故は分からず、医療教会は禁忌として関わりを否定しているが、ともあれそれは狩人の狩りを彩るものでもある。
 獣性は、攻撃により傷つき裂ける肉と返り血によって高まり、それを続ける事によって更なる力と快楽を使用者にもたらす。
 つまり、一次的に獣化させる事で、その膂力は獣じみたものとなるのだ。
 自らの身体が裂ける痛みと浴びる血により、ある種の恍惚状態にあったのだろう。そうとしか思えない。何度も多用し獣を殺した代償として、その余韻に一時的に呑まれてしまったか。
 いずれにせよ、恥ずべき失態だ。
 しかも、無意識のまま足を運んだ先が、の元であったとは。


 ――獣性を一時的に引き起こすとしても……ヤーナムで唯一正気を保てる存在であるを、欲望のまま散々に抱くとは。
 人が誰しも持つという獣性。血の医療を受けた時、夢現に現れた獣を退け、それで月の使者に見出されたが……俺の中には、そんな浅ましい獣欲があるのか。


 深く項垂れてしまった狩人へ、はというと「ふうん」と声を漏らすだけである。
 詳細は不明だが、つまりは狩りのせいだったのだ。今夜の狩りは異常なのだ、狩人にも不測の事態は起きるだろう。あるいは、それほどの獣と対峙していたのかもしれない。

「ともかく、正気に戻って良かったわ。もちろん、貴方が無事である事も、ね」
「……すまない」

 もはや謝罪しか出来ない。狩人の背中は、いかにもそう物語っていた。あまりの分かりやすさに、は少し笑ってしまう。
 ずっしりと重い身体を動かし、ソファーから立ち上がる。床の上に座る狩人の隣へ移動すると、その横顔を見つめながら問いかける。

「……ねえ、狩人さんは、覚えているの?」

 私を抱いてた、その間の記憶を。
 途端に、狩人はぐっと声を詰まらせ、首を小さく横へ振った。

「その……全く、記憶にない。さっきようやく、意識が戻ったくらいだから」
「何回したのかも、覚えていないの?」
「……何故、そんな事を訊く。いや、貴公が怒るのも、当然か」

 責められていると、思ってしまったのだろう。狩人の身体が強張った。しかし、としては、怒りなどあるはずもない。

(まあ、確かに身体は重いし、あちこちが痛むし、何だかまだ身体の芯がぼうっと熱を灯しているけれど)

 正気に戻るまで繰り返した獣じみた交わりは、多大な労苦を被ったと言えるが……怒りも恨みも、これっぽちもない。献身だけではない下心で望んだのは、他ならぬなのだ。

 ただ、あるとすれば――不満だ。

「……三回よ」

 三回も激しく抱いたのに、覚えていないなんて。
 私の身体の事を、覚えてはくれていないなんて。
 そんなの、切ないじゃあないか。

 は狩人の視界に入るよう正面へ移動すると、床に置かれた大きな手を取る。左手と右手、それぞれの手を引き寄せ、自らの腰に導いた。僅かに震えた手のひらを腰のくびれに置き、彼の筋張った手の甲を自身の手のひらで撫で、離れないよう押さえる。

「ほら、ここに残ってる手の痕。こうやって、思いっきり両手で掴んで」

「三回もしたのに、私しか、知らないなんて」

 私は、知っている。腰を掴んだ手のひらの大きさも、逃がさないよう閉じ込める腕の力も、どういう顔をし汗を滴らせ喉を唸らせたのかも。
 全て、身をもって、知っている。
 だが、叶うならば、狩人もそうであって欲しい。
 そう思うのは――過ぎた願いだろうか。

「……なんて、ね。その、責めるわけじゃ、なくて……私……」

 何を口走っているのかと、は頬を赤らめる。もっと恥ずかしい事をされたくせに、今更、そんな少女みたいな事。
 誤魔化すように顔を逸らすと、腰に置いた狩人の手に力が篭もった。

「狩人さん」

 ごつごつした手のひらが、肌をなぞりながら上り、背中へと回る。その不器用げな仕草が、くすぐったくて、燻ぶっている熱に再び火を注がれたような心地がした。
 が顔を戻すと、狩人の面持ちが視界へ広がった。先ほどまでとは違う、意志の宿る瞳がじっと見下ろしている。
 獣狩りの狩人ではなく――熱を浮かべた、男性の目つき。
 ぞわり、との肌が粟立った。

「……俺が、望んでも、良いのか」
「あ、貴方なら、いくらでも」
「――それなら、今度こそ、貴公を覚えているよう、許される限り」

 低い声でこいねがう言葉に、眩暈がした。年端もいかない少女みたいに、うっとりと微笑んでしまったのが、自覚出来た。

 交わした眼差しと、触れ合った手の間に宿る愛しさが、酷く気恥ずかしい。先ほどまで、獣のようにまぐわっていたというのに――今更、初めて愛し合うような、くすぐったい空気が流れた。

 狩人は距離を詰め、の身体を引き寄せる。その腕に逆らわず、はらりと落ちたブランケットの上に身体を横たえた。ベッドやソファーには行かず、結局、獣のようではあるが――これくらいが、記憶に残っていいかもしれない。

「今度は、その、力任せに掴んだり、しないでね」
「……ああ、もちろん。絶対に」

 狩人は黒いロングコートを肩から滑り落とすと、折り重なるようにの上に被さった。
 近付いてくる狩人の精悍な顔を見上げ、ふと、気付いた。

 ああ、そっか。ようやく、彼と口付けも出来るのか――。

 少女みたいな喜びを胸に宿し、は瞼を薄く閉じる。
 そっと開いた唇に重なった狩人の唇は、あまりにも温かく、胸を満たしていった。



【獣血の丸薬】に思いを馳せた、月の狩人相手の18禁でした。

ブラボの世界では、プレイヤーが口にするのは血と薬のみ(しかもヤベー効果のものばかり)。
そんなもの多用していたら、何処かで絶対変な副作用が出てきてもおかしくはないよね、という作者の妄想です。
いくら月の狩人とはいえ、そんな時もあるはずだ。あってくれ、頼む。

(お題借用:スカルド 様)


2019.06.28