今は甘すぎる空想

 ――地下遺跡。またの名を、聖杯ダンジョン。

 古い種族トゥメル人が築き上げたとされ、ヤーナムの地下奥深くに何層にも渡り広がっている。そしてトゥメル人は神秘の知恵を持った人ならぬ人々でもあったとされ、彼らは偉大な上位者と繋がりを得ていたという。
 つまり地下遺跡とは、神の墓地である。

 古い時代にあった特別な代物や古代人の遺骸も数多く眠るその場所を、かつてビルゲンワースは発見した。そしてその深奥にてまみえた特別な聖体を持ち帰った事により、後の時代にて血の医療と医療教会が生まれ、そして古い医療の街ヤーナムとなった。

 つまるところ、ビルゲンワースとは墓暴きの集団だったのだ。

 神をも恐れぬ、盗人の所業。持ち帰った聖体から得たという“特別な血”によって一時は栄えたものの、のちに“獣の病”というおぞましい病気が蔓延したのは至極当然の結末だろう。
 神の墓を暴き、その聖体を持ち出し、神秘の探求と称して冒涜したのだから。

 それでも、地下遺跡、神の墓地には、人知の及ばぬ力が祀られている。
 聖杯と、特別な血を用いた儀式により解かれる封印の先には、そこでしか得る事の叶わない代物が眠る。
 ゆえに、狩人は同じ墓暴きとなり、地下遺跡へ訪れるという。それが獣狩りの夜を終わらす力になり、ひいては悪夢からの解放と信じて――。


◆◇◆


 数多くの狩人が残した聖杯文字の内の一つを使い、地下遺跡の封印を解いて踏み入れた先で――奇妙な代物を発見した。

 いつ来ても暗く陰り、湿った空気と淀んだ匂いに満ちている遺跡の一角、鎮座していた棺を開けたところ、現れた亡骸は何かを大切そうに握り締めていた。
 胸の上で丁寧に組まれた手をのける。転がり出てきたのは――指輪だった。
 血痕が付着した、錆びた銀色の輪。台座にはめ込まれているのは、光を滲ませる白い宝石だ。いや、ただの宝石と呼ぶには躊躇う、静けさと妖しさに満ちている。派手さはなく、絢爛な意匠もない。しかし何故か瞳が奪われる、なんとも言い難い美しさを湛えていた。

(指輪、か。俺には、無縁な代物だ)

 狩りをする者に、価値は見出せない。狩りの役に立つとも、思えなかった。
 だが、この遺骸は、それを大切に握り締めていた。手のひらにしっかりと包み、胸に抱き、朽ちてなお手放さないでいた。男か、女か、定かではないが、それはきっと何か特別な意味が秘められているのだろう。

 古い時代の事を知る人間は、今や存在しない。ビルゲンワースの生き残りも、まともな医療教会の人間も、居ない。
 だから、俺が思いつく限り、これを知っているものが居るとすれば――恐らく、彼女一人だけだろう。



 陰鬱な地下遺跡から離れたその足で、向かった場所は雪が降る地――カインハースト。
 昔、ヤーナムに存在したという、血を嗜む穢れた一族の本拠地である。
 橋は崩れ、人の往来も住人の気配もないその地には古城が佇んでおり、凄惨な末路を辿った一族の気配が今も各所に取り残されている。

 雪が降りしきる古城の頂上、そこには隠された玉座の間があり、今も古城の長が悠然と腰を掛けていた。

 鉄の仮面を被った、華奢な女――カインハーストの女王、アンナリーゼである。

 粛清を受け、城に集った血族は全て根絶やしにされた。謁見する者はもはや存在しない。それでも、女王たる気位の高さと艶然とした美しさは、古城の主と呼ぶに相応しい。

 彼女は、礼儀を重んじる。たとえ“血族”であっても、違える事は許さない。
 ゆえに俺も彼女の足元へ跪き、カインハーストの拝謁の礼と共に頭(こうべ)を垂れた。

「――ああ、貴公、我が血族よ。よくぞ戻った」

 静かな、それでいて撫でるような、蠱惑的な声が玉座の間に響いた。

「また、会えて嬉しいよ……さて、私に何用かな」
「これを、見て貰いたく。たまたま手に入れたものなのだが」
「ほう?」

 懐から、地下遺跡で拾ったあの指輪を取り出す。それを手のひらに乗せ、腕を伸ばしアンナリーゼへと見せる。彼女は僅かに玉座から身を乗り出し、それを視界に入れた。

「ほう、それは……」

 アンナリーゼは、懐かしそうに、声を漏らした。

「貴公、貴公はそれが何か、知っているのかな」
「いいや……。ゆえに女王、貴女へ訊ねに。貴女ならば分かるかもしれない、と」

 素直に告げれば、彼女は細い肩を揺らし、密やかに笑った。

「ふふ、なるほどな……。まあ勿体ぶる必要もあるまい。貴公、その指輪は、婚姻の指輪だよ。人ならぬ上位者たちが、伴侶の証として、必ず娶るという約束として、贈ったものだ」
「な……婚姻の指輪」

 何かの儀式道具かと思っていたが、婚姻の指輪だとは。さすがにそれは、思わなかった。

「ふふ、私に見せるとは何事かと思ったが……よい、一夜の戯れとして許そう」
「……寛大な御心に、感謝申し上げる」
「ふふ……しかし、その反応からして貴公、好いた相手がいるようだ」

 くつくつと、アンナリーゼは愉快そうに笑っている。

「言わずともよい。想いを暴くなど、不躾な真似は私とて好まぬ。ゆえに貴公、その指輪は、忘れてしまった方がいい」
「……忘れる……?」

 アンナリーゼは、酷くゆったりと、頷いた。まるで、俺に念を押すように。

「婚姻の証は、同時に、呪われた符牒にもなろう。上位者が娶るという事は、伴侶に選ばれるという事は、人が想像するより遥かに重い意味が伴うのだから」

 そう呟いたアンナリーゼが、鉄の仮面の向こうでどのような表情を浮かべていたのか、俺には分からない。けれど、物静かな彼女は珍しく、多くの言葉を紡いだ。

 穢れた血族の長にして、カインハーストの凄惨な記憶を司る生き残り――血の女王、アンナリーゼ。
 医療教会のローゲリウス率いる処刑隊により、穢れた血族は全て虐殺された。しかし、とうのアンナリーゼには、医療教会へ復讐する意思は無いように見える。血の赤子を抱く事を切望されていたらしいが――俺がこの事実を知っているのはきっと誰かの遺志だろう――もしかしたらアンナリーゼにとっても、この指輪は何か特別なものだったのかもしれない。



 ――結局、この指輪について、それ以上の事は分からなかった。
 ただ、この面妖な美しさの理由は、少しだけ理解した。
 人ならぬ上位者が、婚姻の証、伴侶の印として授けたという指輪。やむ事のない雪が降る寒々しく暗い空へかざせば、それは淡く光り、白い輝きをこぼした。

 ……それにしても、婚姻の証に、指輪を贈るとは。

 触手や多腕、軟体生物といった名状しがたい外見を有する、あの上位者たちが、指輪とは。古の彼らは意外にも、情緒に訴える、情熱的な手法を好むのだろうか。
 それとも、古代トゥメル人たちにも理解出来る形で、伴侶の証を刻んだのか。

(婚姻の指輪、か)

 ふと過ぎったのは、の横顔だった。
 しかめっ面で、眉をひそめて、不器用げに身を案じる、美しい女。門戸をかたく閉ざすヤーナムの住人とは違い、招き入れてくれて、血ではなく紅茶を振る舞ってくれる彼女は、悪夢を終わらせる理由となった。
 それは、何度この獣狩りの夜を繰り返しても、ただの一度も変わらない。
 きっとこの指輪は、の白く細い指に、きっと似合う。血を落とし、磨いて、それらしい体裁を整えれば、彼女という存在を引き立てるに違いない。

 とはいえ、婚姻の指輪と知ってしまったら、軽々しく差し出せる代物ではない。にとっては、ただの古びた指輪だとしても。

 これは……狩りが終わり、悪夢から解放されたら、彼女に贈ろう。

 その時は、彼女は笑って、受け取ってくれるだろうか。いつものように、仕方なさそうに微笑んで、気の利いた言葉くらい言いなさいな、なんて困った風にはにかんで。

(――ああ、いいな、それは)

 そんな夜明けを、迎えたいものだ。“最初”の悪夢から胸に在り続ける、共に夜明けを迎えるという約束。それを果たした時、きっとこの指輪は、素晴らしい意味を持つだろう。
 未だ狩りは終わらず、求める夜明けは程遠いが、そうやって取り留めのない夢想を描けばまた少しこの悪夢を歩き続ける力になった。

 ――に、会いに行ってみようか。彼女の顔を見て、それから、また狩りへ戻ろう。

 愛しい女を脳裏に描きながら、使者の灯りに跪き、手を伸ばした。



『婚姻の指輪』

上位者と呼ばれる人ならぬ何者か
彼らが特別な意味を込めた婚姻の指輪

古い上位者の時代、婚姻は血の誓約であり
特別な赤子を抱く者たちにのみ許されていた

◆◇◆

実はきちんと実装されていて、しかし聖杯ダンジョンに挑まぬ狩人はけして巡り合う事のない、ちょっと特別な隠しアイテムです。
しかもそれは、聖杯ダンジョンの(不吉なる)トゥメル=イルの汎聖杯からしか手に入らない。
通常聖杯ではなくアトランダムの汎聖杯からというのもポイント。そしてトゥメル=イルとは、女王ヤーナムが幽閉された場所でもあります。
何らかの意味があるのかもしれませんね。

指輪の所持も、きっと後々、この狩人に特別な分岐を生み出すのでしょう。
この指輪はきっと、人の想像とは全く異なる役割があるはずですから。


2021.06.11