貴方の隣が好きになりました

激戦区、と各支部より呼ばれているフェンリル極東支部――通称アナグラは。
今日も今日とてアラガミ討伐と居住区防衛の任務で賑わっていた。

アナグラ主戦力とも名高い、アラガミ討伐を主にする討伐班――第一部隊に身を置く、二人目の新型可変式神機使いであるアリサも、例に漏れず課せられた任務を果たし帰還したところであった。
今回の任務はさほど難しいものでは無かったので、昼食に丁度良い時刻に戻って来られたと思う。今では過ごし慣れたアナグラの空気が、荒廃した外界に満ちていた緊張を拭ってゆく。アリサの細い肩は緩やかに下り、自室のある新人区域へと向かった。
いつものようにエレベーターを進め、ガシャリと音を立て開いたシャッターをくぐる。これからまた新しい任務を告げられるかもしれないので、せめてゆっくり休もうと思って自室の前に立ち止まった。
だが、ふと鼻を淡く掠めた香りに、アリサは直ぐに扉を開かなかった。スンスン、と鼻で空気を探り、それが何なのかと小首を傾げる。つい先ほどまで任務に出ていた為か、空いたお腹を刺激する美味しそうな香りだ。
それが、同班に所属する先輩神機使いの私室から漂うものと気付いて、アリサは身を踵を返してその扉の前に進む。インターホンを鳴らし、マイクに向かい声を発する。

さん?」

アリサの呼びかけに、部屋の主は直ぐに答えた。

『アリサ? どうしたの、入って良いよ』

扉の向こうより響く、柔らかな澄んだ声。アリサは開閉ボタンに指を伸ばした。プシュ、と音を立てて扉が左右に割れた途端、微かだった香りがふわっと匂い立った。踏み入れて扉を閉めると、部屋の主は室内に設けられたキッチンに佇んでいるのを直ぐに見つける。
アリサへ向けられている背は、ゆったりと伸び、それでいてしなやかで細い。白いエプロンを付けているらしく、腰には歪な形の蝶々結びが一つ留まっている。水道を捻り手を洗ってから、彼女は振り返った。

「お疲れ様、任務は終わったんだ」

二十歳前後、あるいは二十代前半の柔らかな女性の微笑みが浮かんだ。十五歳の少女ではまだ届かない、落ち着いた笑み。
アリサは頷いて、彼女に近付く。自室とは違って、綺麗に整頓された室内には鈍色の鍋が一つ、コンロの火に掛けられている。

「どうしたの、何かあった?」
「あッ……い、いえ、任務が終わったので……一応、さんにも報告しようと思って」

良い匂いがしたから釣られて、なんて。食い意地が張っているようで、みっともなく思えて恥ずかしいから伏せた。だが、アリサの隣で彼女は「そっか」と、穏やかな笑みを深めている。釣られたのがバレているような気もし、アリサは誤魔化すように尋ねる。

「そ、それで、さんは、何をしていたんですか」
「ん? ああ、食堂の人から、トウモロコシを分けて貰って」

彼女は言いながら、鍋を見下ろす。コトコト、と煮える音が微かに聞こえた。

「コーンスープでも作ってたんだ。ほら、あれ、新しく品種改良されてやたらおっきい」
「あのトウモロコシですか」
「そう、微妙と評判のあれ。こないだ採れ過ぎちゃったんだって。こっそり、二本。……あ、そうだ、アリサ良かったら味見してくれないかな」
「え、良いんですか?」
「良いの良いの。私レシピが無いと料理出来ない女だから、手順はよくても味はどうか分からないし。だから、チェックをしてくれるとありがたいな」

赤い腕輪のついた右腕を持ち上げ、置いていたおたまを取り鍋の蓋を開ける。温かな湯気と共にこぼれる、コーンスープの甘い香り。クルクルとおたまで掻き混ぜるその姿を、アリサはじっと横から見つめた。

――――
アラガミ討伐を主要とする討伐班、第一部隊に所属するショートブレードの旧型神機使い。所謂、同部隊の仲間である。
ゴッドイーターとなって二年だったか三年だったかフェンリル極東支部に従事している、アリサから見れば先輩だ。二、三年ともなれば神機使いの中堅にも入りそうであるが、本人は「まだまだ」と言っているらしい。が、腕については極東支部トップに含まれるとアリサも度々耳にし、彼女も同意している。近々ベテラン区異動するという話題についても、異論はない。
だがその実、柔らかな物腰と優しい気質を持っており、多くの関係者は慕う。サクヤとはまた異なる、さっぱりとした姉のような人だと、アリサは思っている。

……配属したての頃は、が積極的に話しかけてくれたのに「旧型は旧型なりの仕事をすればいい」なんて生意気な啖呵を切って、彼女の優しさを無下に扱った事がある。今も相当恥ずかしくて、思い出しただけで死にたくなる記憶であるが、は変わらず接してくれたし、一時期まともに戦えなくなってしまった自分の事を責めずに背を押してくれた。

あの頃から、アリサの中では、皆と少し違う場所に立っている存在である。

ただそういう穏やかなだから、不意に時々思う。荒廃した世界に立ってアラガミと戦うより、こういう風にキッチンに立って、鍋を掻き混ぜる姿の方がよく似合う、と。
室内に造られた、形だけの窓の向こうには、擬似風景のモニター画像が流れている。爽やかな朝陽に染まる、澄んだ水色の空と雲の景色。これが本物であれば、長閑な家庭の景色そのものなのだろうか。

はい、とから差し出された小皿を受け取る。ちょこんと垂らされたコーンスープを、そうっと口に含んだ。

「……美味しいです!」
「そう? 良かった」

は上機嫌に笑って、火を止めた。鼻歌をこぼす横顔を見つめて、今はもう居ない在りし日の母の姿を、アリサは想起する。

さんって」
「うん?」
「お母さんみたいですよね」

ぽつり、とそんな言葉がこぼれる。直後にアリサはあっと口を塞いだが、既にの耳には届いてしまっている。丸くなったの瞳が、パチパチと瞬く。
笑われるだろうかと、アリサは妙な居心地の悪さを勝手に抱く。けれどは、ふっと眦を緩めて。

「お母さんか。恥ずかしいけど、何だか悪くないね。そう言われるのも」

色んな段階を、すっ飛ばしちゃってるけど。
悪戯っぽく言いながらも、細めた瞳は楽しそうにして、満更でもなさそうである。
アリサはホッとし、小皿をへ渡した。

「でも実際、あのソーマもさんの言う事は、何だかんだちゃんと聞きますよね」
「基本的に、凄く不器用なだけで、良い子だと思うよ。ただ何でもかんでもまず最初に『断る』って言うけど。さっきだって味見してくれって言ったら、『断る』だもの」

味見くらい良いじゃないねえ、とは肩を竦めてぼやきを漏らす。
だがアリサが思うに、恐らく恥ずかしかったのではないかと予想した。

「……さんくらいじゃないですか。ソーマに良い子なんて言うの」
「そうかな。あーでも言ったらきっと怒るから、本人には言えないけどね」
「その方が良いと思います」

他でもないにそんな事されたら、嬉しいやら悲しいやら腹立たしいやらで、確実に機嫌が墜落するのが目に見えている。
……とは、思っても口に出して言ってはやらないし、そこまでフォローは入れたくない。そう思ってしまったアリスも、ソーマの事を笑えないくらいにに懐いているようだと感じた。

「ソーマもそうだけど、アリサも、無理しなくて良いからね。私で良ければ、甘えていいからね」
「……本当に、お母さんみたいです」
「嫌だった?」

特別、とびきり優しい訳でもなく。
変に、意図して発した訳でもなく。
彼女らしい、こざっぱりして清々しい、穏やかな微笑みに乗せられた声。
アリサの部屋の、作り物な窓に流れる風景映像――陽射しに向かう黄色い花を揺らす、心地良い風のような。
無意識の内に見惚れてしまっていて、アリサは顔を背け視線を落とす。

「……か、考えて、みます」

ようやく呟いた言葉は、それだった。たった短い、一言だけ。
だがは「うん」と頷いて、笑っている。
抑えきれずに溢れた笑みも、妙に熱い頬の色も、きっとばれてしまっているのだろう。上機嫌な様子が、アリサ気恥ずかしさを煽ってくる。

「アリサ、これからお昼ご飯でしょ?」
「あ、はい」
「良かったら、一緒に食べない? よく考えたらこれ、一人で消費出来る量じゃないしね」

貴重な食べ物は、漏れなく食べ尽くさないと。は言いながら、歪な形の蝶々結びを解いて、エプロンを外した。その下には白いシャツと黒いズボンが着込まれていて、いつもの彼女の姿――神機使いの彼女の姿があった。

本来彼女が立つのは、アリサと同じ、荒廃した世界。
数十年前、ある日突然沸いた不可思議な生物に、動植物も、土も、無機物である建物も全て瞬く間に食い尽くされた、この歪な世界だ。
この極東支部の構える地も、かつては桜という美しい花が咲いていた、日本と呼ばれていた場所。今では、その面影は何処にも見当たらないが。
通常のあらゆる兵器の効かないその生物は、後の現在で八百万の神々と畏怖され《アラガミ》と呼ばれるようになった。
人類は、かつて支配した大地をアラガミに奪われ、過酷な日々を今なお送っている。
だが人類は、彼らアラガミの肉体を調べ研究を重ね、オラクル細胞と呼ばれる特殊な細胞を探り出す。唯一、アラガミの傷つけられなかった肉体を切り裂く兵器――神機を生み出し、オラクル細胞を投与され操る者を、ゴッドイーター……神を喰う者と称した。
無論、その中に、アリサや、も含まれる。
爆発的に増殖し、進化し、多種多様な姿と性質を持って増え続けるアラガミ。古の神の姿を模し、神と恐れられた化け物たちの、牙の届く眼前。巨大な竜と獣、悪魔たちと繰り返す、命のやり取り。この穏やかな横顔が、戦いともなれば研ぎ澄まされ、恐れを捨て神を喰い千切り貪る兵器から舞い上がる血飛沫に、頬も服も染まる事を知っている。
その姿を、人は美しいと言って、勇ましいとも讃えた。アラガミ討伐の第一部隊。激戦区の主戦力。ショートブレードの、女神機使い。

――――それでも。
アリサの中でのというのは、こんな風にのんびりとして、気付けばコーンスープを大量に作ってしまう、柔らかな女性で。
そんな彼女の側に居るのが、何よりもアリサの心を落ち着かせた。

「――――はい、喜んで!」

嬉しそうに微笑んだに、アリサも笑みを返した。

彼女の側で、いつかに犯してしまった罪を超える為に戦い続けるのも苦でないが。
一緒に食事をするのも、悪くはないと思うこの頃である。



ていう、懐くアリサも可愛いと思うんだ。
管理人はアリサ大好きです。とても十五歳とは思えないプロポーション……じゅるり

2013.05.09