痛みの次に光があった

若き第一部隊長イサギから、緊急任務の連絡があった。

ちょうど自室の掃除をしていたは、通信機を取りハッと目を見開いた。掃除機をフロアに放り投げ、黒のロングコートを引っ掴み羽織る。素早くロックを掛け、召集のかかったエントランスへ向かった。
その区画移動用エレベーター前で偶然にもソーマとはち合い、どうやら彼にも召集の連絡が通信機に入ったらしく、共に乗り込んだ。

緊急任務……不測の事態が発生した場合に、そう呼ぶのだが。
特に第一部隊へ届けられる任務は、アラガミ討伐が主体。長年の経験から、恐らく危険なアラガミが現れたのではないかと、は予想している。

数秒の後、エレベーターの扉が左右に割れる。ゴゥゥン、と重い音を立てた先の、見慣れたエントランスはにわかなざわつきが感じられた。はソーマと並び、足早にカウンターへと向かう。階段を下りる途中から、リーダーであり同部隊の仲間であるイサギの姿を見つけ、足早に駆け寄る。彼のそばには、第一部隊の担当教官である雨宮ツバキの、毅然と佇む姿もあった。
手短に敬礼をすると、直ぐさま緊急任務についてのブリーフィングが開始された。ツバキはらを順に見た後、手元のファイルを開き、その厳格な声音で告げた。

「旧港湾地区の航空母艦跡……別称【愚者の空母】に、ヴァジュラ二頭が出没したという報告と応援要請があった。応援要請を入れたのは、要撃したとある防衛隊の新兵とその上官複数名。実地訓練の最中に運悪く遭遇し、現在空母で交戦中だ。残念ながら、指揮官一名が新兵を庇い、殉職したという知らせも入っている」
「新兵二名、下士官一名が善戦しているらしい。が、そのヴァジュラ二頭は、フェンリル規定の難易度では【九】に相当する個体で、非常に危険な状況だ。
今任務の無かった神機使いが、とソーマだから通達を入れた……任務同行を、頼みたいんだけど」

ツバキに続いて、イサギがそう口を開く。とソーマは、考えるまでもなく頷いた。

「勿論よ、イサギ。ね、ソーマ」
「……ああ」

イサギが、微かに安堵したように見えた。
そんなの気にしなくたって、喜んでお供するのに。それが彼の性格なのだろうが、とは内心で呟く。

「では、イサギ、、ソーマの第一部隊所属三名は直ちに旧港湾地区へ急行。敵側面より突入し、ヴァジュラ二頭を駆逐、制圧してくれ。
ヘリの準備は、既に出来て待機中だ。全員、注意し任務に当たるように……分かったな?」

ツバキの言葉に、も含む三人は「了解」と敬礼した。




「――――指揮官が殉職、か……」

は呟き、間もなく到着する任務地を窓から覗いた。
ヘリコプターが進行するその真下、神に喰い尽くされて穴だらけになった街の残骸と大地の名残が取り残されている。真横から照らす、美しい夕焼けに染まる様は、皮肉にもこの地で愚かな争いがあった事を鎮めているようでもあった。

「残された新兵と下士官は、今も戦っているんだろうな……」

座っていたイサギが立ち上がり、の隣へと佇んだ。揺れるヘリに気をつけ、壁に手を重ねバランスを取る。

「イサギが新人の頃の、リンドウさんの事思い出すね?」
「ああ……プリティヴィ・マータが大量発生してリンドウさんが教会に取り残された、あれか。今はリンドウさん戻ってきたけど、あれは辛いな……」
「……その防衛班の指揮官は、戻ってはこないんだろうけど。せめて残された人たちが、無事だと良いね」

ああ、と呟いたイサギの横顔は、ほんの少しだけ過去を思い出しているようでもあった。が、冷静な面持ちを直ぐに取り戻し、瞳を細めた。
彼の視線の先にも、赤い夕焼けの中海原を背にした巨大な陰影が見える。今や何の手助けにもならない、旧世界の兵器だ。

座礁したまま朽ちた、巨大な航空母艦。アラガミが発生した初期、かつてこの地には多くの兵器が集まっていたという。荒ぶる神――アラガミを駆逐しようとした、旧世代の人々によるものだった。
だが、座礁した空母を強奪しようとした人々と、空母を根城に立てこもった人々が、愚かにも人間同士で争いを始めてしまい、結局大挙したアラガミに両者は疲弊し壊滅された。その兵器のほとんどはアラガミに捕喰され消滅、挙句クアドリガのようにミサイルポッド等の兵器を形成したアラガミの、新たな進化を果たした起因にもなっている。
正しく、【愚者】。愚かの極みだろう。

海風が吹き込む港湾地区は、過去の人間の行いを笑うように、空母がその姿を残し。アラガミは今なお、人間の遺物を喰べ続けている。

「……そいつらも神機使いだ、覚悟はしているだろう。それより、作戦は」

バースターブレード――純白のイーブルワンを肩に寄りかからせ、ソーマが告げる。イサギは振り返り、しばし思案した後に返答した。

「そうだな……その戦っている防衛班を、優先的に避難させるか。俺とソーマでヴァジュラを止めるから、は防衛班の退避とヘリの援護、てところか」
「ん、了解。ヘリを守っていればいいんだね?」
「ああ、他のアラガミが現れる可能性もある。ヴァジュラがすり抜けてくかもしれないしな。の判断に任せるから、臨機応変に対応して欲しい。
とりあえず、討伐は――――十分以内を目安に」

あっさり言ってのけるイサギの、若い青年の年齢に反し涼しげな顔には、アナグラ最強の新型神機使いの風格があった。上位の接触禁忌種である、帝王と女王を相手にしてきた彼には、ヴァジュラなんてもうきっと子猫同然なのかもしれない。
頼もしい、隊長の眼差し。彼が新人の頃、そして第一部隊長を任命された当初の頃を思うと、本当に頼もしく成長したものだ。
はその当時の光景を思い出し、少しだけ目を細めた。

「十分以内、か。大きく出たな」
「多分、大丈夫だろう。ソーマも一緒だしな。何なら、五分以内でも良いぞ」
「……ふん、言ってろ、ヘマはするなよ」

言葉こそは素っ気ないが、ソーマの声音には笑みが滲んでいた。
は彼らのやり取りに微笑み、あっと声を漏らす。

「見えてきたね」

【愚者の空母】の着地点、そして……今回の任務の討伐対象、虎を模した巨大な獣型アラガミ――――獣神ヴァジュラの姿も。

「……行くか」

各々が操る神機を、静かに握りしめ持ち上げる。

付けられた任務名は――――【サイド・カー】
どういう意図かはさておき、ヘリコプターから降りると同時に、任務は開始された。


その後、部隊長イサギの指揮のもと、討伐班はヴァジュラ二頭を駆逐。コアもしっかりと剥離し回収して、素早くアナグラへ帰投した。
ヴァジュラ二頭を抑えていた、防衛班の新兵と下士官は、限界まで戦い心身が疲弊している状態だった。ヴァジュラの巨体が崩れ落ちると共に、彼らも糸が切れたように倒れ込み、アナグラへ戻る間ヘリコプターの中で眠っていたのだが。
傷だらけの若い新兵の頬には、まなじりから水滴が伝い落ちた痕跡が、確かにあった。
は、そっと毛布を掛け直してあげる。眠る意識の中、彼らが見ているものは何なのか、には察する事しか出来ない。

ヴァジュラ討伐時間は、部隊長の想定した十分以内で、きっかり終わっていた。



「――――任務、お疲れ」

自室で休憩していたのもとへ訪れたのは、先刻前にも任務で共に出撃したイサギであった。
扉を開けて出迎えると、「うん、イサギもお疲れ様」と笑い、中へ招き入れる。彼は慣れた足取りでソファーへ向かって腰かけると、背を凭れ掛けて息を吐き出した。
は、いつもの黒いロングコートを適当にソファーへ脱いで置き、室内に備え付けされている水盤へ背を向けて立つ。小さめのケトルを取り、水を入れながら背後へ声を掛けた。

「さっきの任務の、報告も終わった?」
「ああ……回収した防衛班も、医務室で少し休んでいるらしい」
「……そっか」

カチ、カチ、と数回コンロのノブを捻る。ボッと火が付き、その上へケトルを置いた後、ティーカップとソーサーの用意を始める。

「……休めば治る傷だそうだ。だけど……」

背後で聞こえるイサギの声が、僅かに濁る。は振り返り、ソファーを見る。そこに座る第一部隊長は、陰った横顔をやや伏せて視線を下げていた。

「……指揮官が、目の前で死んだんだ。しばらくは、精神の方が参ってるだろうな」
「……そうだね」

アラガミを唯一殺せる者である神機使いは、言うほど華やかな存在ではない。常に人の生き死にを目の当たりにしながら、多くの人々から過剰な期待、やっかみ、罵倒を受け、それでもなお決して立ち止まらず戦い続ける事以外を許されていない。今回の防衛班に限らず、ほとんどの神機使いたちがその非情な現実を目の当たりにしている。アナグラ主戦力の討伐班だなんて言われる、イサギやも同様だ。これまで、何人の死を見てきたか、数え切れない。
いつまでも慣れる事はない誰かの死、けれどその死を託されて生き残る神機使いは、兵器を振るい続ける。
あの新兵たちも、その責務をまた一つ背負う事になったが、いつかきっと……乗り越えられるだろう。は、そう思う。いや、願う。

「……ところで、ヘリの中で」
「うん?」
「どうして急に、リンドウさんの事を言ったんだ」

行きの途中で口にした、教会での昔の出来事。は振り返っていた身体を戻し、支度を再開する。

「特に理由はないけど、急に思い出したから、かな」
「思い出す?」
「さっきの任務と、よく似てるなーっていうのとか。その頃の、イサギの事とか」

が告げると、後ろで言い詰まる気配がした。何となく気づきはしたが、はそのまま続ける。

「すっかり部隊長が板について、成長したなって。悪い意味じゃないよ、本当に純粋にそう思うだけ」
「そう、か」
「怒った?」

尋ね、肩越しに振り返る。イサギは首をゆっくり横に振った。

「新人の頃は、本当に右も左も分からなかったし……それを思えば、成長しているなら安心する」
「君はもう立派な部隊長だよ、イサギ。謙遜しなくて良いのに」

は、少しだけ笑った。イサギの目も微かに緩んだが、下がったままの視線に笑みはあまり浮かんでいないようであった。

「……けど、俺が今そうして立派な部隊長になっているのなら、それはアンタのおかげだ」
「そうかな」
「間違いなく」

伏せがちだったイサギの目が、その時持ち上がった。不意にぶつかった眼差しは、二十歳に満たない青年のわりに大人びた気配があるが、真っすぐと見つめ返す強さは年相応であるように思う。年上のが圧されて、ほんの僅かだけ胸が跳ねる。

「リンドウさんが居なくなって、いきなり第一部隊がバラバラになりそうで、そんな時に俺がいきなり部隊長に任命されて。
新型だからとかの陰口も言われるようになって、隊長に課せられる秘匿主義も急に湧いて。あの頃は、わりと辛いもんがたくさんあった。
――――覚えてるだろ、任命された当初、完全に駄目になった事があったのを」

少しばかり自嘲したイサギに、はごく小さな声で「うん」と呟く。それが記憶に色濃く残っているからこそ、現在はよく乗り越えたなと思っているのだけれど。



若干十代にして、しかも入隊しゴッドイーター歴もまだまだ少ない新人であったイサギに与えられた地位は、討伐班――第一部隊の隊長の座。
決して軽いものではない、むしろ、重すぎるくらいだ。
リンドウが殉職し、歪な第一部隊の中で与えられたものの重み。そして隊長クラスがゆえの、誰にも言えぬ秘匿主義。詳しく知らないにしろ、察するのは容易だ。
唐突に振りかかる出来事の目まぐるしさに、あの頃のイサギがついていける訳が無かったのだ。を含む皆の前では、努めて冷静を装っていたようだったが、その日を境に彼は極端に調子が悪くなった。アリサのように、上手く神機を持てなくなったのだ。それが気になったは、ある時彼の自室を訪ねた。リンドウが使っていた、ベテラン区にある部屋だ。

イサギはベッドの上で、立てた片膝を両腕で抱えて蹲っていた。
扉にロックもかけず、電気も付けず、真っ暗な広い部屋の中で無防備に縮こまって。

その姿に、は自らを恥じた。とにかく恥じ入った。
剣形態と銃形態の二通りを操る、可変式神機の使い手?
極東支部――アナグラ初の、新型神機の適合者?
若き部隊長?
……馬鹿だ、彼はまだ二十歳にも満たない、男の子だ。それを安易に、おめでとう、なんて。浅はかな言葉を口にした自分は、なんて愚かだったのだろう。彼の心にも気づけないで、何が先輩だ。ギュ、と一度手のひらを握りしめて、それからゆっくり振り解く。

「イサギくん、入るよ」

は小さく声を掛け、部屋へ踏み入れる。開け放った扉から入り込む、廊下の照明が辛うじて部屋を仄かに明るくしているが、扉を閉めると途端に暗くなった。電気を探り、パチリとスイッチを押す。メインランプではなく、小さな橙色のルームランプが点いてしまったが、まあ良いだろう。視界の明かりを確保して、はそっと足を進める。その先は、イサギが片膝を抱えるベッドである。
彼は僅かに肩を動かしたものの、伏せた顔は変わらずだ。の声も聞こえているだろうし、人が近づいた気配も感じ取っているはず。それでも尚伏せたままでいる姿勢から、彼の閉じこもった心が見えた気がした。

「イサギくん」

は、今一度呼ぶ。先ほどよりは、大きな声で。だが強く命令するのではなく、優しく、それこそ泣いている子どもをあやすような声音で。
ベッドの縁から片方だけ投げ出された彼の足へ、自らの膝を寄せる。ぐ、とイサギの肩が狭まったのが見える。の存在には、気づいているだろう。は少しだけ眉を下げ、呟く。

「……ごめんね。おめでとう、なんて、簡単に言っちゃ駄目だったね」

ルームランプの小さな明かりが灯る、ぼんやり薄暗い部隊長の部屋に、の声はよく響いた。ひしめく沈黙が、緊張を伴って宙を漂っていたせいだろう。
少し動いた頭の天辺を見下ろし、両腕を持ち上げた。イサギの肩をゆっくり撫で、手のひらをキュッとすぼめる。年下といえど、よりも広いそれは、一瞬跳びはねた。

「色んな事が一気に起きて、怖くもなるよね。誰だって」

よしよし、と上下にその肩を撫でる。
強張っていたイサギの肩が、不意に緩まっていくのを手のひらで感じた。こんなに広い部屋で小さく縮こまって、それこそ周囲から逃げるように、あるいは閉ざすように張った力が、薄れたように思った。
片膝を抱いていたイサギの腕が、視界の隅っこで解ける。はそれを見るべく、視線を下げる。だが彼のその二本の腕は、の腰へと素早く伸びていた。
回り込み掴まったその強さに、おっとっと、とバランスが崩れ、の足は咄嗟にベッドの上に膝をつく。そうすると、とイサギの間に空間が潰れ、身体がボスッとぶつかり合う。驚きはしたが、直ぐに立ち上がろうとはしなかった。イサギがギュウギュウと縋ってくるものだから、振り払えなかったのもあるが、そうして見下ろした彼の姿が本当に小さくて、部隊長の重責を背負うには頼りない。
情けないだとか、みっともないだとか、思わなかった。
胸の下、鳩尾辺りに頭を押しつけてくるイサギを、はしばらくの間何も言わずにそうさせた。広い肩に重ねた手を後ろへ滑らせ、背中に置く。腕輪がはまる右手は、痛くならないよう少し浮かせる。ぽんぽん、と指先を弾ませて叩くと、腰にしがみ付く力が増した。

張り詰めた沈黙が、幾らか心地よい静寂に変わる頃。
腰にしがみついたままのイサギが、ようやく口を開いた。

「――――どうして、俺なんだ」

ありったけの疑問と困惑があるだろうに、力無い声だった。彼は普段から物静かな印象を受けるそれであるけれど、此処まで感情味のない声は初めて聞いた。悩み抜いて、もう考える気力さえない。そんな力の無さを感じさせる。それが、誰にも聞かせる事が出来ずにいた、今のイサギの状態なのだろう。

「やらなきゃならないのは、分かっている。やるかやらないかじゃなくて、やるしかないんだって事くらい」
「うん」
「けど、ようやく生活に慣れた矢先に、リンドウさんが居なくなって。経験だって足りない、実力だってさんやサクヤさん、ソーマに及ばない、新人ならコウタやアリサだって居るのにどうして俺が。新型だからか、メディカル検査の結果が良かったからか」
「うん」
「抜擢された理由だって自分でも分からないのに、おめでとうだとか、凄いとか、やっかみを受けたりとか。
第一部隊がバラバラになりそうになっていて、分かるんだよ、リンドウさんが居なくなった穴の大きさがどれくらいかって」

ぐぐ、と腕がきつく締まる。息が詰まる苦しさもあったけれど、は口に出さず耐えた。それくらい、耐えきるのは簡単だった。

「それを、俺が、どうやって埋めるっていうんだよ……ッ」

吐き捨てるように告げて、イサギは口を閉ざす。にしがみつく青年の身体は、気付けば震え始めていた。頭の天辺ばかりしか見えないけれど、腹部に埋めた彼の表情がどうなっているか、何故か分かったような気がした。
その顔を少し見たかったが、イサギは決して上げようとしない。それは彼の意地だろうか。突っ張って、女と男って何かと相違があるなと思うも、大人びた彼の弱さを見て、安堵もした。
は、数秒の空白を作ってから、彼に小さく言った。

「悪い事だと、思ってるのかな。そういう風に悩む事が」

縋るイサギの腕が、ピクリと跳ねた。

「……いっぱいさ、悩んでおきなよ。いっぱい悩んで、いっぱい考えて、それでイサギくんなりの速さで解決していこうか」
「……けど、俺は」
「――――ただ、勘違いしちゃいけないよ」

背を叩いていた指を止め、肩を掴む。打って変わり、身体を引き起こす強さで背を真っすぐにさせられ、イサギの顔は繕う間も無くの眼下にようやく映った。辛うじて涙は堪えた、けれど滲む瞳。橙色のルームランプに照らされた顔は、年相応の空気がある。それを、は笑わない。

「君が、厄介事を全部一人で背負うなんて事、しなくて良いんだから。
勿論、部隊長ゆえの秘匿主義っていうのはあると思うけど、それでも、頼れるところは隊や仲間に頼る。問題事は、皆で話し合って、皆で解決して、皆でよくしていくの。
――――じゃなきゃ、第一部隊はもっとバラバラになる。今以上にね」

イサギの口元が、強張った。脅しに聞こえたかもしれないが、事実そうであるとは思っている。勿論、そこにの責も当然ながら存在しているのだ。

「……だから、さ。つまり私が言いたいのは、無理しちゃ駄目だよ、って事。
色んな人から、色んな事を言われた、今の君には多分誰が敵か味方かも正直分からないと思う。
――――けど、私は絶対に、イサギくんの味方だよ」

は笑みを浮かべ、イサギの顔を見下ろす。少し驚いたような表情をする彼は、を真っ直ぐと見ている。
直球過ぎる言葉だっただろうか、と恥ずかしくもなったが、イサギの暗い面持ちが浮上したのを見ると、彼くらいの年齢の子には丁度良かったかもしれない。は笑みを深める。

「……さ、湿っぽい話は、これで終わりにしよ?」

ぽふぽふ、とイサギの肩を軽く叩く。離れようと身体を引いたが、イサギの腕はまるで拒むようにグッと力を込めた。おや、とが小首を傾げると、イサギはやや顔を伏せて額を鳩尾に軽く当てた。先ほどの怯えて縋る強さはないものの、を引きとめるには十分だ。

「……あの、さ」
「うん?」
「アンタは、俺が部隊長になって……何にも思わないのか」

勇気を振り絞ったような、ぎこちない言葉。恐らく彼が、今まで最も尋ねたくて、けれど恐れて言えなかった疑問だろう。
しかしは、そんな疑問を笑うように、あっさりと返す。「思わないよ」
あんまりにもあっさりし過ぎていたせいか、イサギの声に、困惑が増す。

「どうして……」
「どうしてだろうね、私は君がリンドウさんの立場を引き継ぐ事になったって聞いた時、妙に納得したの。ああ、やっぱり、この子は隊長になるんだって。だから、おめでとう、なんて言っちゃったけど」
「……俺に、なれると思うか。リンドウさんみたいな、部隊長に」

は、数回目を瞬かせる。そして、肩を掴んでいた手を浮かせ、イサギの頭をグシャグシャにかき混ぜた。批難じみた声が聞こえたが、構わず髪の毛をボッサボッサにしてやった。

「リンドウさんになるんじゃない、君のやり方で、君がリーダーになるんだ」
「ッその、根拠は」
「君はきっと、リンドウさんとは違う、リンドウさんを超える、リーダーになるよ。きっとなれる――――まあ、女のカンだけど」

でも女のカンを舐めちゃいけないよ、と笑うと、ようやくイサギにも笑みが浮かんだようだった。理由になってない、と呟く彼の声は、確かに緩んでいたようにには聞こえた。
自惚れて良いなら、その翌日から彼は調子を取り戻し初め、が思った通りにその才を発揮した。
その後、イサギは多くの任務と事件を解決に導き、若き中尉となって、アナグラ最強のゴッドイーターとなるが……この頃はまだ、思ってもない事であった。

そういえば、あの時を境にしていただろうか。
それまで【イサギくん】と呼んでいた彼を、【イサギ】と呼ぶようになったのは。



「――――だから、やっぱりアンタのおかげだ」
「ふふ、どうかな。私は特別な事はしていないよ」

ケトルから、蒸気が微かに立ち昇る。おっと、そろそろ良いかな。はコンロの火を止めようと、右手を伸ばした。
だが、その指の先で、のものではない手がノブを戻して火を止める。あっと、は声を漏らす。そしてその手が、宙に浮いたの手を取り、指を滑り込ませる。は身を引いたのだけれど、その背はトンッと何かにぶつかり、それ以上の身動きは遮られた。
はつい、と顎を上げて振り返る。背後に佇むイサギの身体が、を包んでいた。いつの間に、ソファーから立ち上がっていたやら。
右手だけでなく、左手も取られる。の両手を取ったイサギの手が、のお腹の上に重ねられる。そうして背と胸がくっつき、ゆったりと互いを抱く体勢になった。

の右手首には、赤い腕輪。後ろから伸びるイサギの右手首にも、赤い腕輪。
カツン、と時折音を立てて二つの腕輪がぶつかるが、痛みはない。

「紅茶は? もう、すぐ準備できるよ?」
「もうしばらくは、これで。……なあ、俺の事、まだ子ども扱いしてるのか」

のそ、とイサギの頭が横へ移動する。耳の後ろに口元を寄せる振動が伝わり、は笑い声を少し漏らして肩を竦める。

「してないよ」
「……本当に」
「もちろん」

お腹に重なった手から、じんわりと温かさが広がる。背を寄りかからせると、イサギの手が一瞬跳ねて、それから緩く抱きしめた。
神機を握り続け、硬くなった大きな手。くらい寄りかかっても、びくともしない胸。頭が一つ分伸びた背丈。数歳、彼の方が年下といえど、男女差は顕著だ。もっと月日が経てば、彼は今以上に逞しくなり、今以上に男性の匂いを纏うのだろう。

「子ども扱いはしていない。でも私にとっては、部隊長じゃなくてイサギっていう個人のイメージがあるから……それのせい?」
「……勘弁してくれ、昔の事は」
「ふふ、昔があってこその今だよ。それに、子ども扱いしていない事は……気付いてるでしょう」

黒のロングコートを脱いでいる今、が身に着けているのは薄い白のシャツだ。恐らく、彼にも伝わっているはずだ。手のひらに響く、少女みたいな忙しない心臓の鼓動が。
は顔を横に向け、直ぐ隣にあるイサギの顔を見つめた。大人びて冷静な、青年の瞳が、を同じように見ていた。カツン、と腕輪同士が一度ぶつかり、大きさも感触も異なる手が指を絡めて密着する。
イサギの顔が、覗き込むように近づく。薄く開いた彼の唇が、降り注ごうとしている。は目を細め、意図を察し静かに待った。


――――ピピピッピピピッ


が、割り込んだ音は、色気のない電子音だった。

ビタ、と固まるイサギに抱えられ、も目を丸く開く。
部屋内に鳴り響くその音は、丁度イサギのズボンからで。

「……出て良いよ?」
「……悪い」

若干、拗ねたような仕草を見せるイサギへ、は小さく笑う。イサギの右手は離れ、自らのズボンのポケットへと突っ込まれる。携帯用通信機を持ち上げ、数秒操作し画面を見下ろすと、やや眉を寄せた。

「任務?」

尋ねると、イサギは顔を横へ振る。右手に持った通信機をの前へと差し出し、画面を見せた。どうやらメールが来たらしい。差出人は……コウタだった。

「『アリサがさんのところに行こうとしてる! 注意!』……だとさ」
「あら……って事は、私の方にも来るかな」

呟いた矢先、今度はの通信機が音を鳴らす。ソファーに掛けた、ロングコートからだ。とイサギの視線がそれへ集まると、渋々、といった風にイサギが離れる。は苦笑いを浮かべながら、コートに近づきポケットを探る。同じように操作をすると、新着メールが一通あった。

「任務か?」

今度は、イサギがそう尋ねてきた。は、首を横へ振る。

「アリサから。『カノンさんからお菓子を分けて貰ったから、さんの部屋で食べて良いですか』だって」
「……何での部屋で……」

雰囲気もなにも、あったもんじゃない。イサギの横顔は、邪魔された事が不満なのか不機嫌になりつつある。
ぺとり、と背中に張り付いてくる彼の頭を、ぽんぽんと軽く撫でては笑みをこぼす。ぎゅむ、とお腹へ回された彼の腕が、子どものように抱きすくめてくる。

「懐いてくれてるの、アリサ、よく部屋に来るんだよ」
「何もこのタイミングで……って、今度は何だ」

再び喧しく鳴り響く、イサギの通信機。ボタンを押す彼の指先も、何処か乱暴である。ボタンがそのままめり込み壊れそうなほどの勢いだ。
イサギは通信機を見下ろしたが、途端に、表情を歪めた。これがきっと、恐らく……。

「今度こそ、任務?」
「……ああ、悪い」
「怒ってないよ、隊長は忙しいもの」

の背から、イサギが離れる。溜め息を吐き出す彼の口は、「せっかく紅茶も用意してもらったのに」と申し訳なさそうに呟いた。
は首を振り、笑って見せる。「お茶はいくらでも飲めるし。さあさ、行ってらっしゃい」
イサギの手を取り、部屋の入り口へ引っ張る。若干の不満は滲んでいたが、任務ともなればその横顔も兵士の鋭さへ直ぐに変わっていく。左右に割れた扉の向こうへ、イサギは踏み出た。
だが、それをは思い出したように声を漏らし、引きとめる。

「イサギ、ちょっと」

片足を廊下に出し、イサギが肩越しに振り返る。何だ、と視線が告げる彼の顔へ、は爪先立ちになって近づく。無防備に横を向いている頬へ、彼が先ほど欲しがった唇を重ねた。
ほんの一瞬の事であったが、イサギは目を丸くしてを見下ろす。

「頑張ってね、また後で――――」

待ってるから、と言おうとしたが。
振り返ったイサギに抱きすくめられ、今度は彼から唇を重ねられた。

だからきっと、激戦地極東の最強ゴッドイーターになって、立派な部隊長になった今も、にとってのイサギは昔と変わらず【イサギ】個人のままなのだろう。

歯がぶつかる勢いで唇を塞がれ、熱心に求められる中、は小さく微笑む。
ほら、早く行かないと駄目だよリーダー。



当サイトにおける、フェンリル極東支部の最強戦力。第一部隊――討伐班リーダーのイサギ。
【夢主≠部隊長】なので、お得意のオリジナルキャラになって頂きました。
まだ特定の容姿は持っていないですが、【ボイスは15】辺りを想像。クールと思いきやコウタにも負けぬお茶目さん。そんな感じ。
(※赤ちゃん話参照)

夢主が部隊長設定でないのは、これがしたかったからという。
突然任された部隊長就任の重責に、耐えられなくなりそうになってる彼を励ましたかった。
そっちの方がロマン広がり、うまうま。

部隊長な夢主も良いけど、支える夢主も良いと思うんだ。
という訳で今後も増えてゆくオリジナル部隊長夢。よろしくお願いします。

(お題借用:不在証明 様)

2013.08.28