恋は猫の眼

 対アラガミの最前線。
 人類の砦。
 神機使いの楽園――――フェンリル極東支部。

 もう何十年と前の事、四季美しい国と呼ばれていた旧日本の、現極東地域は、今ではあらゆるものを捕喰する荒ぶる神《アラガミ》の最前線であり、この業界では上記のような認識が共通である。
 どういう訳か、極東支部におけるアラガミ出現率はどの支部より桁違いに高く、その上小型種から大型種など隔てなく非常に強固。他支部のやり方は、恐らく極東支部では通じないほどだろう。その良い例が、オウガテイル一匹の討伐で英雄扱いされるとある支部とは違い、極東支部では大型アラガミのヴァジュラを倒して一人前扱いされる、というところか。
 そんなアラガミ討伐事情を抱える極東は、計らずも討伐成績は全支部において年間トップの独走状態。また極東支部に籍を置く神機使いたちも、軒並み実力が高く、接触禁忌種のアラガミと遭遇してもなお生きて帰って来るほどだ。というより、望まなくても生きていたければ戦うしかない場所というのもあるけれど。
 また、各部隊を率いる隊長クラスの神機使いの、統率力と判断力、実力が共に高い事も起因しているだろう。

 そんな極東支部では、特に討伐における実績の高い部隊が存在している。
 地域巡察と追跡調査の任務を請け負う、偵察班。
 アラガミ装甲壁の防衛と住民の保護任務を請け負う、防衛班。
 それら各部隊の中で、花形とも言える全神機使いの憧れの部隊が――――討伐班。正式名称、第一部隊。
 此処の歴代隊長は軒並み実力者であるが、三年ほど前に就いていた第二世代神機を操るとある隊長は、《極東支部にその人あり》と言わしめたほどだ。簡潔的に表現すれば、超がつくほどの有名人なのである。

 噂は色んなものがついて回るというが、とにもかくにも極東支部の神機使いたちはとんでもない環境で日々戦って。花形の討伐班ともなれば、口にするのも恐ろしくなるものばかりを相手にしているという事だけは、一オペレーターである彼女自身も理解していた。

 ただ、少し予想外だったのは……。


「極東支部、独立支援部隊《クレイドル》所属のだ。と言っても、討伐班歴の方が長いか。少しの間だが、そこの騎士道馬鹿と共にこのフライアに世話になる。
――――なんて、堅いのはあまり好きじゃなくてな、まあ宜しく頼むよ」


 静かな笑みを浮かべたその男性は、一オペレーターのフランにも友好的な態度を取った。
 すらりと伸びた四肢に背丈、戦場に立ち続けるしなやかな肉体、不思議な貫禄をその姿に見出したが決して近寄り難いという訳でもない。
 フランは、先ずそう感じた。

 そもそも彼がフライアに足を運んだ理由というのが、「暴走騎士道のエミールという馬鹿神機使いを抑える為」との事だった。
 そういえばが挨拶にやって来る前、オペレーターとしてカウンターに立っていたフランの正面で、ブラッド所属の隊員二名が何やらオーバーリアクションな見慣れぬ神機使いに絡まれていた。騎士とか何とか……その後、階段を転げ落ちていったけれど。むしろそっちのインパクトが大変強い。ああ彼か、とフランが思い浮かべると、も苦く笑い、ああそれだ、と頷いた。
 「まあそんな感じで、あれのお守り役と思ってくれて構わない。それと他支部ではあるが、何か手伝える事があれば遠慮なく言ってくれ」はそう言って、フランに右手を上げ背を向けた。真新しい光沢はない、赤い腕輪が照明に照らされる。クレイドルという部隊の制服だろうか、フェンリルの紋章を担いだ白いジャケットが階段を下っていった。
 フランのその時の印象は、あの極東支部の神機使いなのか、という何処となく拍子抜けしたものだった。



 それから、数日経過した。
 は此処最近、この業界で有名になった特殊部隊ブラッドと親しくなっていた。新たな神機と新たな偏食因子の能力、同じ神機使いとして興味を向けるのは当然だった。ただ彼は、ブラッド隊員だからと彼らを無駄に褒めそやさず、神機使い同士としての交流と情報交換を楽しんでいるようだった。外見に寄らず、とても気さくらしい。
 彼は、第一世代の神機の適合者だった。第二、第三と現れる中、肩身は狭くないかなどとロミオが言ってしまい、何やら他隊員から咎められたりしている光景を垣間見たが、本人は特に気にした風もなく、静かに笑うだけだった。

「旧型は旧型なりに、全力でやるだけだ。それに結構、旧型も気に入ってるんでね」

 若い隊員ばかりなブラッドの面子の中では、彼の発言は誰よりも達観していた。実年齢が高い事もあるのだろうが、それだけでなく、神機使いの貫禄というものが滲んでいるのだろう。ただ、エミールのオーバーリアクションにはたまに耐えられずキレて、無言の威圧をもって黙らせている姿は度々見せた。
 穏やかな口調ではあるけれど、相応の鋭利さも持ち合わせている。フランの初期の印象へ、新たにそれが加わった。
 そう言えば彼は、任務外は何をしているのだろう。



 に対するフランの印象が一転したのは、それから間もなくの事であった。
 アラガミ討伐の任務へブラッド隊員を送りだした後の事だ。移動要塞フライア後方にて、新たなアラガミの群れが確認されたと偵察班から伝達を受けた。それも、中型種と大型種の入り乱れる、大規模な群れ。中には神属の中でも特に協力な、接触禁忌種まで居た。不幸中の幸いだったのが、最近存在を確認された感応種が居なかった事と、不治の病を植え付ける赤乱雲が出現していなかった事だ。とはいえその時オペレーター担当をしていたのはフランで、伝達を受けた際慌ててしまった。ブラッド隊員や他の神機使いは任務に当たっていて、対応に向かえる神機使いが運悪くもフライア内部に居なかったのである。
 直ぐにブラッド隊へ連絡を、何とか応援要請をしなければ。
 コンピューターを操作し震える手でインカムを取ると、目の前に人影が落ちた。白い手袋をはめたフランの手は、上から大きな手で掴まれ覆われる。

、さん……」

 真っ直ぐと、彼の目がフランを見下ろした。

「つい今しがた、任務から戻って来た。状況は通信で聞いた、俺がこのまま出る」

 フランのライトグリーンに染まった瞳が見開く。カウンターを挟み正面に佇んだの目は、笑うように細められた。震えたフランの手を下げると、カウンターテーブルへそうっと置く。

「安心しろ、何も死ぬつもりはない。一応、応援要請は入れてくれ、それまでは耐えるさ」
「そんな、無茶な……!」

 悲鳴じみた声を漏らしたが、は彼女が普段見ていた落ち着き払った姿勢を崩さなかった。身を翻し、ターミナルで携帯品を確認しながら、「単独のミッション受注と神機の整備を至急頼む」と淡々と告げる。その背を見つめるフランは、手を宙に泳がせた。困惑する様子を横目に見たは、準備を終えて再びカウンターへ戻る。そして両腕をつくと、フランと視線を合わせて告げた。

「サポートをするのが、オペレーターなんだろう。戦場の後始末は俺が引き受けるから、お前はお前の職務を全うしろ」
「あ……ッ」
「心配するな、いつも通りに行けばこなせないものじゃない。それに、ブラッド諸君も確かに強いけれど」

 は不意に、フランへ不敵な笑みを浮かべてみせた。物静かな穏やかな彼の表情が、一変し、挑発的に煌めく。年上の男の、鋭い眼差し。或いは、神を喰らう為人間を捨てた者の眼光。フランは別の意味で驚いて、息を飲み込んだ。

「――――激戦地、極東支部の元討伐班の底力、見せてやろうかな」

 彼は低い声で呟き、フランの肩を叩くと背を向け駆け出す。移動用エスカレーターに乗り込んで神機を取りに向かう白いジャケットとフェンリルの紋章を背負うその後ろ姿を、しばらく薄ぼんやりと眺めていたフランだが、慌てて彼女も動き出した。コンピューターを再び操作し、神機格納庫の整備班へ連絡を入れる。の神機は急ぎ準備され、彼がそれを携え出撃したのは直ぐの事であった。
 サポートの為に彼の通信機に音声接続したフランであったが、彼女はミッション開始と同時に、彼が極東の神機使いであるという事実を確認した。
 フライア後方、現れたアラガミの群れに対し単身飛び込んだ彼は、第一世代の近接式神機で群れと戦闘を始め、ものの数十分で殲滅制圧してしまった。中型種から接触禁忌種のアラガミまでも、全て。オラクル細胞という、あらゆる無機質、物体を捕喰し続け凄まじい速さで進化と適応を繰り返す不死の細胞から成る神を、等しく切り裂いて喰い尽くした彼は、まごう事無き《ゴッドイーター》であった。

「――――特筆すべき点はなしか。さて、帰ったらコーヒーでも淹れて、読書の続きとするかな」

 耳に掛けたインカムから、の穏やかな声が聞こえる。そうして、彼はフランへと言った。「お疲れ様、サポートありがとう」
 フランの手の震えは、いつの間にか止まっていた。


 対アラガミ最前線の極東で、討伐を主とした任務を請け負う部隊の、元一員。
 神機の性能が神機使いの実力ではないと、誰かが言っていた気がするが。本当にその通りなのだと、恥ずかしながらフランは改めて理解した。




 その日の夜、フランはフライア内部に設立されたラウンジに居た。
 世界で蔓延し恐れられている《赤い雨》の中をも移動する要塞も、光のない暗闇の中を動く無謀な事はせず、運行を中止しひっそりと夜明けを待っている。いつ何時、何が起こるか分からない為、夜勤の職員たちが今は警備と監視に当たっている。
 日中のシフトでオペレーターとし働いていたフランは、翌日の朝まで自由時間で、一人静かにテーブルについていた。光を抑えた照明が夜のラウンジを仄かに照らし、何処となく妖しさの浮かぶ雰囲気を生み出すけれど、フランの表情は憂いが強い。切り揃えたブロンドのショートヘアも、心なしか輝きが抑えられている。
 注文したカフェオレは、フランの手元で、もう温くなっていた。

 フランの肩が叩かれたのは、溜め息を一つこぼした時だった。

「――――お疲れ様、仕事は上がりか」

 顔を上げると、誰かの身体が側に佇んでいた。伸びやかな背丈に恵まれた、男性の肉体。少し屈んだ胸を伝って首筋へ上がった先に、の顔があった。湯気の立ち昇るマグカップを片手に持ち、静かな笑みをフランへ浮かべている。
 あ、と声を漏らして、フランは軽く頭を下げる。

「お疲れ様です」
「ああ……一人か?」
「はい」
「そうか、隣良いかな」

 フランは努めて普段通りを装い、どうぞ、と椅子を差し出す。は一度マグカップに口を付け、椅子に腰かけた。
 フランとの肩が、隣り合い並ぶ。少し横目に盗み見た彼の横顔は、テーブルの明かりに照らされて普段とはまた異なる印象を感じさせた。落ち着き払う静けさの中に、緊張を解いた柔らかさ。そういえば、クレイドルの制服らしき白いジャケットを着ていない。任務外だからだろう、黒のシャツとスボンのシンプルな身なりもそう見せている要因かもしれない。フランは、まだオペレーターの制服のままだが。

「――――フライヤってのは凄いな」

 呟いたが、フランへと顔を向ける。ばちりと視線が合わさり、フランは細い肩を跳びはねさせて慌ててそれを外した。

「す、凄い、というのは」
「さすが技術開発局、というのかな。移動要塞というくらいだから造りもしっかりしていて、機能も果たしている。極東支部は言っちゃなんだが真新しくはないからな。
庭園、あれも良いな、憩いの場として最高だ」

 あそこで本を読むのなんか、実に良い。そう笑うは上機嫌で、任務中のあの捕喰者の眼も仕草も無かったが、彼もこういう顔をして笑うのだとフランは少し驚いた。

「他支部を見る事は少ない、騎士道馬鹿のお守りとはいえ有意義な時間を過ごさせて貰った。今日の任務で、多少は役に立てたかな」

  はマグカップに口を付け、テーブルへ置いた。
 その言葉を聞いて、フランは思い出す。エミールとが、極東支部へ戻るのはもう明日の事であったのだと。日中の任務の件の方が大きく、記憶の隅っこにまで押しやられていたが、思い出してフランは首を振った。ブロンドのショートヘアの毛先が、力なく揺れる。

「もう明日には、極東支部へ帰還されるんでしたね。最後のミッションだったのに、本日は情けないところをお見せしてしまいました」

 フランが告げると、は驚いたように一度目を見開かせ、それから直ぐに「まさか」と首を振る。

「まあ、あんなの見たら誰だってうろたえるだろうな。それでもサポート担当として職務をこなし、今は無事にこうして茶を飲める。それで良いんだ、俺の方は」
「いえ、しかし……」

 オペレーターとして、みっともない事を。フランがそう食い下がろうとすると、は「それに」と付け加える。

「あの時俺が出ようとして直ぐに頷けなかったのは、俺が信用ならなかったという事だろう? これは俺の落ち度だ、以後は反省して直さなきゃなと思ったよ」
「あ、あれは」

 否定しようとしたが、完全にそうとも言えない彼女が居た。信用していない、というより、見くびっていた、というおこまがしさ。極東支部の討伐班というのだから、もっとギラギラして神を殺す事に飢えているような、そんな印象があったのは看過しきれない。当初のへの印象もあり、フランは視線を泳がせる。
 は苦く笑い、それも当然だな、と頷いている。それはそれで語弊があると、フランは「違いますからね」と彼に向き直った。

「案じていたのも事実です、お間違えのないように。……それに、任務に出る神機使いを自信をもって送り出せなかったのはオペレーターの過失です。だから」

 勢い込んで話をしてしまった事に、フランは其処であっと声を噤む。隣に座るの顔が、呆気に捕らわれたような面持ちになっていたのにも気付き、気恥ずかしくなってくる。「すみません」と告げる声は細く小さく響いた。

「……じゃあ、つまりは……お互い様、という事なんだな」

 は頬杖をついて、微かに笑う。フランを嘲る事のない、穏やかな仕草だった。フランはぎこちなく視線を合わせ、そして、釣られるように笑みをこぼす。

「……そうですね。お互い様という事にしましょう」

 静かなラウンジに、フランとの、二人分の笑い声が微かに響く。

「……時間を見て、また来るとするよ」
「ええ、ありがとうございます。何時でも、歓迎致します」

 その時、フランの前にの手が差し出された。大きな、広い手のひら。伸びた指は筋張っており、指先はフランへ向いている。他意のない、友好の証だ。
 理解し、フランも自らの手を差し出した。そっと手のひらを合わせると、の手は力強く握り返した。見た目以上に堅く、容易くフロンの手を覆ってしまう大きさだった。指の長さも太さも、感触も強さも、女のフランには程遠い存在に思えるまでに。幸いだったのが、彼女が手袋をしていた事である。もし直接、肌を合わせる握手であったなら、自らの熱さがきっと伝わってしまうだろうから。

「必ず、また」
さん」
「その時も――――サポートを、宜しく頼む」

 笑みを返して頷いたフランは、自らの心臓がこの時震えていた事を、微塵も知られぬよう必死に願っていた。
 思えばそれは、一オペレーターのフランと、極東支部の実力者のの、最初の邂逅であり、開始地点に立った瞬間であった。


 その翌日、フランは改めてフェンリルの公開情報データベースへアクセスした。極東支部の神機使い……について、公開されている情報に目を通した。この時は単純な興味であったが、以後フライヤと極東支部が密な関係になってゆく過程でフランの意識も変化してゆく事になる。のだけれど、職務に追われる彼女が予想する事はその時まで決してないだろう。


(そういえばあの人、何時も何の本を読んでいたのだろうか)



オペレーターのフランが可愛いと思う。真剣に。
あと彼女の本名を見るたび、何だか柔らかくて美味しそうと思っている私です。

(お題借用:alkalism 様)

2014.01.31