世界で一番酷い刑

少し、身の上話をしようと思う。突然で、誰が聞くという訳でも、ないけれど。
独り言でもそうしていないと、常に苛むこの孤独と寂しさと、惨い仕打ちに、どうにかなりそうなのだ。


世界は、突如現れ増殖した謎の生物によって、荒廃した。
人間が築いた無機物な建物も、施設も、数多の兵器も、全て喰い尽くされて世界は瞬く間に見るも無残な現在の姿になったという。
あらゆる兵器が効かない、不死の謎の生物。人間は支配した大地を追われ追われながら、その生物を八百万の神々に例えて――【アラガミ】と呼んだ。

さて、そんなアラガミの肉体を引き裂く事に成功したのが、現在各地で支部を構えている【フェンリル】だ。
アラガミの肉体を造る細胞をもって生み出された、神機という兵器を使いコアを引きずり出す事で、不死のアラガミの活動を停止させる事が出来る。
その兵器に適合する人間は限りなく少数で、意思とは関係なくフェンリルに所属する事を義務付けられる。彼らを、神機使い――ゴッドイーターと呼んだ。神を恐れず貪る者、と。

私はつい最近、そこに居た。恐らく、だが。いや、今では昔かもしれない。

居住区で暮らしていた私は、ゴッドイーターとなってアラガミと戦っていた。その日々の記憶は、今も色濃く覚えている。
だが残念な事に、ゴッドイーターは無敵ではない。呆気なく喰い殺されるなんて珍しくないし、生死の情報の行き交いは日常的だ。そして神機を扱う人間は、その時点で既に人間ではない。アラガミの細胞を投与されているのだ、肉体強化の為に。
まあ……そんな面倒な話は置いておくが、つまりゴッドイーターとはいつアラガミ化しても可笑しくは無い、アラガミ予備軍なのである。

一重にそれを阻止しているのが、その細胞を押さえ込む偏食因子の定期的投与である。

さて、ここから、私の独り言の本題だ。

私は、ゴッドイーターとしてある任務に就いていた。とあるアラガミの討伐任務だ。
宝石にも近い妖しいほどに輝く金色の魔眼を額に持ち、冴えた鮮やかな孔雀色のドレスを纏う、妖艶な美しい女神。青ビードロの美しさと、白磁器の滑らかさを併せ持つ、それはとても美しいアラガミだ。
討伐自体は難しくは無かった。けれど、新たな別のアラガミが小型の群れを引き連れ乱入し、私は乱戦の状況に陥った。さすがに二体は楽でない、しかも乱入者が帝王と来た。とても容易に太刀打ち出来るものでない。何とか分断して帝王は討伐したものの、肝心の女神と対面した時、私は既に全身傷だらけだった。結局、相討ちになった。救難信号と生命反応の意味も兼ねた腕輪も破壊され、出血多量、わりに合わない相討ちだ。
笑えてくる、同時に泣けてもくる。これが神機使い、ゴッドイーターの大部分の末路か。恨めしさに歯を食い縛るより、過ぎる仲間たちの面影に謝罪をしたくなってきた。気をつけて、そう声を掛けられて、大丈夫、と答えたのに。
倒れた身体を無理矢理起こし、真っ赤な身をよろめかせて這い蹲るように歩き始める。口の中が、鉄の生臭い液体で重い。喉の奥を下ってゆくまま、こくりと飲み込みながら、その場を離れた。支部に戻りたい、そう思いながら、だ。戻れない事くらい、分かっていたのに。

此処が何処であるのかも分からない状況になって、足が折れ、肉体が崩れ落ちて、ようやく私は動く事を放棄した。あの騒がしく、心身共に激務に追われる職場。慢性的な人員不足で、誰もが毎日クタクタになっている。けれど、誰もが必死になって戦う場所。戻りたいと願った心を、捨てたのだ。
仰向けで見上げた世界は、何処までも汚れて無残な姿をしていて、きっとこれに似つかわしい姿をしているのだろうと自らで思った。


ごめん、ね


偏食因子の投与が無ければ、どの道この身体はアラガミの細胞に捕喰される。化け物になるのが早いか、死ぬのが早いか。どちらにしてもこの自我は無くなるのだ、どう転がったって構わない。

嗚呼、でも出来れば。
仲間たちを悲しませたり、怒らせたり、迷惑かけない方が良いな。
小さく呟いて、私は、この世から去る覚悟を決めた。


――――面白い事に。
私自身に、変化をきたしたのは、その直後であった。




――――パタリ、と古めかしい薄汚れた手帳を閉じる。
記憶を託した文字をそっと視界から除くと、自らの周囲は再び静寂が押し寄せた。
手帳を膝の上に置き、そっと手で押さえる。顔を上げると、鈍色の空から降りてくる、真白の雪が頬を掠めた。
今日はそれでも、世界が荒廃してからも煌く太陽が雲間から見えているので、冷徹な沈黙の白銀世界は陽の光のもとに浮かび上がっている。
世界が喰われた数十年前から、天候異常が各地で起こり、この近隣は夏場でも常に残雪が大地を覆う。山地や、周辺の木々の群集は白を纏い、大気は凍えている。それを見渡し視線を下げれば、点在する無人の木造建築物や、捨て去られ荒れた寺院の屋根が見える。この周辺も、昔は神仏への信仰厚い居住区であったらしいが、その姿は既にない。在るとすれば、人間を追いやった不死の荒神だけだ。果てに広がる海も、その上に浮かんでいる半壊した人工島も、きっと人の姿はありはしない。

人の気配のない、生き物の気配のない、寒々しい世界。
なのに美しく見える、残酷な景観。

はあ、と息を吐く。その呼気は白く立ち上り、冷え切った空気へ音と共に吸い込まれた。我が身は凍えていないのに、吐息に熱があるというのは不思議な感覚だった。
一際背の高い、一本の樹木の天辺。足を投げ出し座ったまま、古い手帳を肩に掛けていた鞄へと仕舞い、別の手帳を取り出す。ページの間にペンを挟み込んだそれは、日記帳のようなサイズだ。ぱらり、と開き、ペンを取る。前回の続きから、静かに文字を書き入れる。

「……鎮魂の廃寺、郊外。今日は、比較的に晴れ」

呟きながら、カリカリ、とペン先を紙面に走らす。

「今日はまだ、どのアラガミとも遭遇していない。出来ればそのままでありたいが、この後きっと遭うのだろう。
えっと……最近、その辺に実ってた何かの実を食べたら、わりと美味しくてお腹が満たされた。人間の名残りが偏食因子になったのだろうか、自然の食物以外を食べられないようで、ありがたい傾向だ。
……けど……」

順調に進んだペンが、途端に速度を落とす。

「……人間なのかアラガミなのか、私は今日も分からない。何時まで経っても、自我を失う傾向が見えない。私はどうしたのだろう」

どうして私は、自我を失わないのだろう。

――――こんな姿に、なってまで。


パン、と水面を打ちつけたような音を立て、日記帳を閉ざす。
大きく息を吐き、しばらく瞼を下ろした。数秒の間、暗闇を見つめ、再び瞼を開ける。日記帳を押さえる手は、蒼がかった白磁器の色をしていた。僅か一点の曇りさえ無い、無機質な滑らかさ。二の腕から伸びている、既に肉体の一部でもある冴えた鮮やかな孔雀色の柔らかなベールの袖から、五本の指が覗いている。指先を彩るのは、透き通った悲哀の蒼だ。
雪を従えた冷たい風に晒される身体は、ベールの袖と同じ色彩のドレスが纏われている。人間の纏う布の服ではなく、これもまた肉体の一部のようなものだ。曇りのない白磁器な女体を包む、さながら夜会の艶やかなドレス。胸の柔らかな輪郭と谷間の陰影がはっきり窺えるほどに、浅く覆うやたら恥ずかしい衣装だ。その下、腰周りは肌を露出しており、次いで下腹部から下の下半身は波を刻む大きく膨らんだスカートで包まれていた。
金属の硬質の輝きを孕む、翡翠の妖しさ。今は閉ざされた、頭部の金色の魔眼。全て見るまでもない、一瞬見ただけで、誰もが理解する。

美しい女体であるが、人間ではない、と。

我が身の事は、自分自身がよく分かる。今どんな状況にあるのか、そして、この姿が何であるのか。
手に持った日記帳を鞄へ入れ、肩に掛け直す。絶えず舞い降りる雪を薄ぼんやりと見上げながら、両手のひらで座る枝を掴む。それをそっと押して身を乗り出すと、宙へと投げ出された身体は、落下する事なくふわりと大気に浮かび上がる。
花の蕾のように膨らんているスカート部分から、一部分を引き剥がす。否、それは花弁が開花してゆくように解け、翼となって大きく広げられた。
音を立てずに羽ばたいて、白い世界を舞うその姿は正しく――――皮肉だが、文字通りの女神であったのだろう。
他人事のようだが。

「……今日も私の自我は、残ったままなのかな」

淡い桜色な唇が、独り言を紡いだ。それを聞く者は、当然居ない。




――――面白い事に。
私自身に、変化をきたしたのは、その直後であった。


私はこの世界から消える覚悟をしたのに、再び意識を取り戻した。なんだ死後の世界か、なんて夢見がちな事を考えたが、直ぐに自身を見下ろして理解した。慌てて、水溜りを覗き込む。二重の否定を受けた。これならもしかしたら、いっそ死んでしまっていた方が良かったかもしれない。
私の姿は、あの美しい女神の姿になっていたのだ。そして驚く事に、自我は、私の記憶は、しっかり残っていて。昨日の事も、支部で食べた夕飯の事も覚えている。
いつか消えるのかもしれないが、それにしたって何もこんな姿にしなくても。
それに、記憶にある女神とは、何処となく相違がある。腕のヒラヒラからはちゃんと五本の指を持つ手があるし、スカートの下には二本の素足があった。記憶が正しければ、足は本来金属の棒だったはずだ。それに顔立ち……これは、自分自身のものだった。
一体どうしてかは、さっぱり分からない。アラガミの細胞を取り込んだ人間がアラガミ化すると、何でも複雑化してしまうとは耳に聞いたが、それの関係だろうか。ただどちらにしても、私は既に人間ではない。これだけは、確かだ。

いつかもしかしたら、私の自我が無くなるのかもしれない。仲間に迷惑を掛けたくは無いが、アラガミ化したゴッドイーターを殺すには本人が用いた神機が有効、私は彼らに殺されるかもしれない。
とても、恐ろしい。けれど、自分じゃいられなくなる事の方が、酷く怖い。

だから、忘れないよう書いておこう。これは独り言、誰も知らない。もしも手帳を落として誰か拾って、それがフェンリル関係者なら役立てて欲しい……とは思っていないけど、私が私であった証にしたい。

私の名前は、
激戦区、フェンリル極東支部の第一部隊強襲兵。

任務対象、女神――サリエルと相打ち後、自我を持ちながらそのサリエルの姿になった、ゴッドイーターだ。
理由は、不明。

もしもこれを拾った人が居たら、どうか直ぐに燃やして欲しい。けれど、覚えていて欲しい。私は一度たりとも同僚を襲っていないし、人間を喰べようとした事もない。
自我が残っている間は、今も、これからも――――。



ゴッドイーターの末路。
その中でも、特異な変化をしたオラクル細胞の結果。

みたいな、そういう話も考えてみたのですが、どう足掻いても何だか苦々しい話ばかりが出来上がりそうです。
サリエルはアラガミ美しさ部門でトップだと思います。サリエルふつくしい!

オラクル細胞は多種多様で、特に人間と結びつくと複雑化するといわれています。こういう事態も、きっとあるんじゃないかなって……。大体夢見がちはいつもの事。
ともあれ、アラガミとの共生する可能性を、私は信じています。

2013.05.21