誰だって逢えやしないよ

 召集された討伐班と、多くの防衛班に、信じ続けた心を引き裂く無情な言葉が浴びせられた。
 あの日から、アナグラには大きな穴が空いたまま、決して埋まる事が無くなった。


「――――全員、心して聞くように。そしてこれ以上の詮索は、今後受け付けないものとする。
 一ヵ月ほど前、応援要請の通信が入った直後に腕輪の反応が途絶えていた、第一部隊所属の強襲兵のだが――――本日付で殉職したものとし、捜索を終える事となった。
 の使用していた神機が、当時の受けていた作戦エリア郊外で発見され、またさらにその周辺で、破損し外れた腕輪が見つかった事が理由だ。
 ……腕輪がない以上、神機使いへ投与された偏食因子の暴走は絶望的に免れない事であると、皆知っているだろう。さらに多量な出血の痕跡も見られ、【人間としての】生存確率はほぼゼロに等しい。
 また回収された神機は、適合者が現段階では居ない為、以後格納庫へ永久的な保管となる……全員、辛いだろうが、受け入れるように。以上だ」


 あの日から、もう。

 決して埋まる事は、出来なくなってしまった――――。




 フェンリル極東支部――アナグラの、神機格納庫の一角。現時点では適合者不在で永久的に保管する事となった神機たちが、再び荒ぶる神々を貪る日を待ち眠るエリアがひっそりと存在している。
 殉職した神機使いたちが、神を殺す為に戦場を共にし、そして最期はその神に無残にも殺された最期の記憶を宿したまま、次の担い手を待ち続ける場所。そのエリアには、ある日から人影が絶えないでいた。今日格納庫に現れたのは、アナグラ最強も所属する第一部隊――討伐班の、アリサである。黒のニーハイブーツをカツン、カツン、と鳴らし、進む先には、一つの神機。薄い銀色の髪を揺らす、巨大な換気扇から送られてくる風は涼しく、メンテナンス場特有の工具や油の香りを含んでいる。すっと、細い顎を上げてアリサは見上げた。青い瞳に映る一つの神機は、物言わずただただ佇むばかりである。
 見慣れているのに、拭えない違和感。《彼女》が居なくなって、もう一ヶ月以上も経とうとしているのに。有無を言わさず押し寄せる日常に、耐えきれなくなる。
 何時だって、仲間たちの殉職の知らせは身を引き裂くのに。どうしてそれが、よりにもよって貴方なんですか。
 アリサは、きゅっと唇を噛んだ。

さん……」

 あの日から姿を消した女性の名を、告げて帰ってきてくれるのであれば、何度だって叫んでやるというのに。
 聞こえるのは、轟々と音を立てる施設の雑音だけだなんて。嗚呼、現実は。神機使いの宿命は。


 いつもの日常だった。いつものようにアラガミ討伐の任務が持ちかけられ、手分けしてそれを分散させて、いつものようにそれぞれ任務に当たった。アリサもも含んで、全員が第一部隊の“三つの約束”を胸にしていた。はその時、必ず戻って来るからね、とお姉ちゃんみたいな柔らかい笑みで言っていた。それが最期の言葉だったとは、誰が思ったのだろう。
 任務を終えてぞくぞくと集まる第一部隊の隊員たちに突如告げられたのは、からの緊急応援要請だった。当初受けていた女神サリエル討伐の最中、ヴァジュラ神属の禁忌種である帝王ディアウス・ピター率いるアラガミの大群が発生。一人だけ其処に居合わせたを包囲し、そして直後に……彼女の腕輪に内臓されている信号が、ふつりと途絶えた。
 アナグラ最強でもある第一部隊長イサギを先頭に、アリサ、ソーマ、コウタが当然その大群を迎撃に向かい、救出に尽力したけれど。其処にの姿はなく、倒れ伏したアラガミの亡骸ばかりが視界を埋め尽くした。
 その後、偵察隊などがの捜索に当たったが、当時彼女が受けていた作戦エリア郊外で破壊された腕輪と持ち主の居ない神機が発見される。そしてその周辺で、夥しい量の血痕も確認された。既に古く錆びたその血を後に持ち帰り調べたところ、の遺伝子情報と一致した。
 多くの者たちが帰還を願い続けたが、現実はそれを上回り残酷だった。の捜索は彼女自身の発見に至る事もなく、腕輪と神機を持ち帰っただけの殉職という結末で終わってしまった。一ヶ月、それは長いようで短い捜索期間。彼女の居た日々も、彼女とこれからも過ごすはずだった日々も、捜索打ち切りと共に願いを切り捨てられた。


 捜索打ち切りの知らせを聞いた日から、アリサたちの幾度に渡る再捜索願いは、フェンリルに受け入れられる事も無く。訪れた薄暗い喪失感を湛える日常は、未だ多くの人々を飲み込んだままだ。
 誰かのせいではない。誰かを恨む理由はない。言うなればこれは、神機使い、ゴッドイーター、神を喰らう者の末路。誰もが、それを様々な場面で目の当たりにしてきた。それでも、あれから空気は変わった。勿論、悪い意味でだ。殉職者の神機の前に居るアリサが、良い例だろう。仲間を失っても課せられる戦いの宿命、人々の為と命を削り続ける神機使いたちの行き着く終焉を見せられながらも、立ち止まる事など許されない現実。が姿を消してからも繰り返されるその現実は、何時かにあった痛みと同じだった。かつてアリサの心に植え付けられたアラガミへの恐怖と催眠で、前第一部隊長を閉じ込めた罪。あの時に感じた痛みが、アリサの中に再びあった。
 けれど、ギリギリのところで、下降する空気が底辺にまで落ちていないのは、を想う人々が彼女の生存を信じているからで。

 リンドウが帰還した時のように、生きていてくれればと願う。いや、生きている。

 そう信じながら、穴の空いたアナグラは今日も戦いの日々を送る。だって、それはきっと――――。

さんなら、そう思いますよね」

 アリサは泣き出しそうな顔に笑みを無理やり浮かべ、物言わぬ彼女の神機へ呟く。優しかった、けれど、現実もきちんと知っていた彼女だ。何処かできっと、私がいなくても頑張るんだよ、とお姉ちゃんの笑顔で言うのだろう。そういう人物であると、彼女を慕っていたアリサはよく分かっていた。

 ……けれど。
 例え、それでも。そうであっても。

 アリサは、くしゃりと顔を歪める。崩れた笑みの下から、自然な泣き顔が現れ、アリサの白い頬に涙が伝った。

さん……ッ会いたいよぉ……ッ」

 ついにはその場にしゃがみ込み、アリサは華奢な肩を揺らして、嗚咽を響かせた。その姿は神を屠る神機使いではなく、親愛の人を亡くして悲しむただの少女そのものであった。


 アリサの涙滲む声を、格納庫の入り口に身を隠して窺う人影が二つ佇んでいた。第一部隊長である若き中尉イサギと、職務の関係上足を運んだメンテナンス担当のリッカである。啜り泣くアリサの声が、格納庫にしんしんと響いて、二人の耳を悲しく撫でる。
 普段は弱音を吐かない彼女でも、やはり一人になると堪え切れないものがあるのだ。ただ一言、会いたいと、に会いたいと、漏らしたその言葉がアリサの本心の全てだ。不躾に其処へ入るほど、まだ人間は捨てていない。イサギは自らの用事は後回しにし、入り口へ背中を預ける。

「……さんが居なくなってから、皆調子悪いね」

 呟いたリッカは、力なく肩を落とす。翳る表情に涙はないが、堪えている事は明確だ。それでも普段通りに振る舞うのは、リッカなりの気遣いと、強がりだ。

「リンドウさんが居なくなった時みたいだな、この感じ」
「……そうだね」

 リッカは、ぱっと表情を明るくさせた。「戻って来るよ、大丈夫」イサギを見上げる小柄な少女は、油で汚れた頬に懸命な笑みを浮かべる。

「私の仕事は、君たちをサポートする事。そして、君たちの“相棒”を常に万全の状態にする事。さんが戻って来たら……絶対に、最高のコンディションで手渡すって決めてるんだから」

 イサギは不器用げに笑みを浮かべ、頷いた。

「……君も」
「ん……?」
「無理、したら駄目だよ」

 リッカの眼差しの意味を知りながら、イサギは気付かないふりをし笑う。壁に寄り掛からせた背を正し、リッカの肩をぽんと軽く叩いた後、イサギは踵を返し区画移動用エレベーターへ戻る。遠ざかるアリサの啜り泣く音は、イサギの耳に付いて離れない。リッカの眼差しが、自らの背中を追いかけているのが感じられる。それでも。イサギは、響きもしない小さな溜め息を漏らした。
 まだ、無理をしてはいない。彼女が殉職してから任務の数が激増したが、無理をしているとは思っていない。それに自分は隊長で、日々舞い込む依頼を蔑ろには出来ない。
 などと、尤もらしい理由を付け、この頃のイサギは誰がどう見ても“異常”なほど戦いに身を投じている。リッカが言いたいところは、其処なのだろうが、それでもイサギはそれを止めようとは思わない。

「……

 だってそうしないと、彼女を無くして塞がらない穴が広がり続けて、何時か発狂に至るのではないかと思えるから。
 人の生き死にに、慣れる事など無い。まして、それが自らの隊で起きた事ならば、尚更。彼女は、イサギにとって――――。
 乗り込んだエレベーターの中で、イサギは冷たい壁に拳を押しつける。無事を信じ続けながらも、同時に覚悟している現実。一人目はリンドウ、起きないようにと願い続けたのに、二人目が。リンドウの奇跡が、起きるとも限らない。シオはもう、地球には居ない。だとすれば、次に覚悟すべきは、彼女の神機を握ってアラガミとなった彼女を討つかもしれない現実だ。
 ならば、願うだろう。あの女性は優しいが、それ以上に神機使いの職務を理解していた。だからきっと、アラガミになる事以上に、余計な尻ぬぐいを嫌う。そして、共に戦ってきた仲間を喰らうくらいならば、進んで自らの神機をその身に穿つだろうという事も。は、そういう女性だ。

 だから、願い続ける。彼女を討つ現実など、見たくない。

 イサギは、握り拳を壁に叩き付けた。鈍く響いた音と、手に感じる痛み。此処が現実なのだと、やはり打ちひしがれた。



 何か新しい任務にでも出よう、そう思いながらエントランスへと到着したイサギを出迎えたのは。
 甲高い悲鳴と、激しく言い合う怒声であった。
 明らかに普段とは異なる空気に、イサギはエレベーターの扉が開くと同時に目を丸くした。

「コ、コウタさん、落ち着いて下さい!」
「おい止せ、シュン! 止めろって!」

 実に聞き慣れた声たちが張り上げられる空気の中を、イサギはさっと踏み出して進んだ。ミッション受注カウンターを見下ろすように、駆け降りた階段の半ばでその足を一度止める。
 カウンターの前には、人だかりがあった。アナグラで協力し合い共に戦っている、防衛班の神機使い顔ぶれが揃って輪を作っており、その中には……イサギ率いる討伐班の隊員の姿も確認出来る。明瞭な怒りを感じさせる喧騒に、何事かと思いながらイサギは足早にカウンターへ近付き、途方に暮れるオペレーターの竹田ヒバリへ尋ねる。オロオロとするヒバリの言葉を聞きながら、イサギの目は、喧騒の中心を見ている。
 頬を殴られたらしいソーマと、彼を背に庇い激怒するコウタ。彼らと対峙し、怒りを見せるシュンと、それを背後から抱えるように押さえるタツミ。宥めるカノンやブレンダン、額を抑えるジーナやカレル、その他大勢の視線も集め、実に派手な剣幕だった。

 ヒバリ曰く、事の発端はソーマとシュンの会話であったという。
 新しい任務を受けに来たソーマのもとへ、たまたまロビーのソファーで寛いでいたシュンが声をかけた。お前はが居なくなって平気なのか、どうしてそう淡々と任務に行けるのだ。そういった言葉を、もっと思いやりを引き抜いて無神経な響きで告げたらしい。要約すると、ソーマの態度が気に入らなかったのだろう。が消えて、捜索も打ち切りになって、殉職して終わった、この一ヶ月と数週間の喪失の中、淡々と任務をこなすその姿が。
 そしてソーマはその言葉に反論するでもなく、静かに聞き、そしてシュンへ告げた。が消えたところでアラガミが減るわけじゃない、神機使いのやる事は一つだけだ、と。
 の喪失は、どうでもいいのかと。シュンの怒りが此処で爆発した。彼はソーマの襟を掴み寄せると、その頬を渾身の力で殴りつけたという。
 さらに居合わせたコウタがこれに激怒しシュンを殴り返し、シュンが再び腕を振りかぶったところでタツミが割って入り制止を掛ける。

 そして、現在。

 多くを言われずとも事態を瞬時に把握し、イサギは睨み合うコウタとシュンの間に突き進んだ。彼らはイサギの姿を見留め、ほんの一瞬目を見開いたが、直ぐ様臨戦状態へと戻って再び怒声を張り上げる。

「テメエは、が居なくなったって、そんなかよ! リンドウさんの時もそうだ、テメエは、誰が死んだってお構いなしか! ああ?!」
「止めろってシュン!」
「うるせえ馬鹿タツミ!」

 此処一ヶ月と数週間の間の積もり積もった感情も、爆発しているのだろう。シュンの口は、普段以上に悪い。タツミが懸命に背後から抱えて待ったを掛けるも、怒りが静まる気配もないようで、ソーマを睨みつけている。
 ……シュンは、年若い年齢でまだ精神も成熟していないし、外部居住区の所謂《悪い奴ら》とつるんで企み事をしている少年だ。度々注意されてはいるのに中々治らない悪い癖の持ち主であるけれど、そんな彼は意外にも、討伐班のに懐いていた。年上で先輩で、けれどわざとらしく大人ぶったりしない、アリサ曰く“お姉ちゃん”なの人当たりを、シュンも気に入っていたのだろう。生意気な態度は治らなかったし、彼が直接その好意を口にした事は無いが、懐いていたのは誰が見ても明確な事実だった。思えばの捜索が打ち切られ殉職通知が出された時、いち早く食って掛かった者たちの中に、シュンの姿があった気がする。
 心情を吐露するシュンが、悪い訳ではない。けれど口にする言葉は選びようがあったはず。それは、恐らくコウタの怒りに触れたのだろう。

「いい加減にしろよ、シュン! ソーマが辛くないなんて、本気で思ってんのかよ!」
「ココ、コウタさん、おち、落ち着いて……!」

 顔を赤くして怒鳴るコウタを、カノンが懸命に宥めようとするが効果は薄い。イサギは、小さく溜め息をつく。どちらの言い分も、彼個人としては理解出来るし受け入れたいところなのだが、これ以上の騒ぎを起こすのは宜しくない。人目というものがある。イサギは少々威圧を込めて彼らの間に立とうとした、が、それを沈黙していたソーマが遮った。藍色のコートから伸びる褐色の腕が、コウタの肩を掴んで横へ押す。気勢が削がれたように、コウタはわっと声を漏らしながら退いた。
 前へと踏み出すソーマは、僅か数十センチだけ距離を作って、シュンと対峙する。タツミの制止が無ければ、楽々殴れる距離だ。空気が、しんと張り詰める。

「……殴りたきゃ殴れよ」

 ソーマは低く告げ、シュンの腕を取る。それを、自らの頬に押し付けた。ギョッと目を剥いたのはタツミだけではない。

「テメエ……ッ」

 シュンの瞳の中、ただでさえ燃え盛る激情が一層勢いを増した。タツミに押さえ付けられながらも握り拳を作るシュンに、誰かが息を飲み込む。

「――――殴ってが戻って来るなら、幾らでも殴られてやるよ」

 呟いたソーマの一言に、シュンの瞳から炎が消えた。険呑な空気が、水を浴びたようだった。
 一片の冷静さを取り戻したシュンは、其処でようやくソーマの目を見た。

「それともテメエは、が居ない事から逃げ回って神機使いの本分を忘れるのか。テメエだって覚えてんだろ、アイツが最期まで討伐対象だったサリエルを追いかけていた事は。喚き散らして放棄して、最期まで任務を果たそうとしたアイツは……それで喜ぶと思うのか」

 シュンの握り拳から、力が抜けてゆく。ソーマはその手を下ろすと、尚も続けた。

「……戻って来るかどうかは知らねえ。このままアイツが戻らなくても、戻って来ても、テメエは……アイツに、に、顔向け出来んのか」

 多くは言わない寡黙な性質のソーマは、淡々と言った。けれど彼の目には、シュンの激情にも匹敵する深い悲しみと、それでいて前を向こうと必死に振る舞う危うげな意志が抱かれ、強く射抜いた。
 シュンの唇が噛み締められる。瞼を震わすものは、悲しみか、羞恥か。悔しげに何も言わないけれど、理解はした。ソーマとて、何も言わない分自らの中で願いと現実の間を行ったり来たりし葛藤しているのだ、と。
 でなければ、あのソーマが、耐えるように歪める表情を隠さないなど。

 言い難い沈黙に支配されたエントランスに立ち尽くした誰もが、再確認した。が居ないという現実を。がこれほどまで、人の心を支えていたという事を。

 その後、騒ぎを耳にし現れた雨宮ツバキによって、騒動の中心となったソーマとシュン、コウタは数日間謹慎処分となった。監督不行きとして、イサギ、そして別部隊ながら強く願い出たタツミも同じく同処分となった。

 の姿が無いだけで、アナグラはこんなに殺伐していただろうかと、その日から再び誰もが気を落とすようになる。無論、捜索打ち切りと殉職を通達した雨宮ツバキも、例外でない。



喪失の後の、極東支部。


2014.6.14