吉日の惨劇

 さすがに思った。此処までだな、と。
 廃寺での、猿神コンゴウ一体の討伐。普段通りに当たれば、問題のない敵であった。だが、近くにコンゴウの群れが潜んでいたらしく、戦えば戦うだけその戦闘音を発達した聴覚で拾い、押し寄せて来る。三体までは数えていたが、もう何体相手にしたのか定かでないし、さすがに疲労も積もってきた。
 目の前に現れたコンゴウ通常種をアサルトガンで倒した瞬間、極地対応の青い猿神――コンゴウ堕天が飛びかかってきた。咄嗟に構えたは良いが、オラクル弾が切れたらしく、神機の引き金を引いても意味は無かった。振りかぶられた逞しい腕に、呆気なく寺院の床へ叩きつけられ、激痛の中意識が沈んでゆくのを覚えた。そして、これが最期か、とらしくもなく自嘲する。せっかく、あんだけ倒したのにな……。

 細く狭まる己の視界の中、コンゴウ堕天が吼え腕を持ち上げる。其処で意識が一瞬途絶えたけれど、重く降りてゆく瞼の向こうで、何かが飛び込んできたような気がした。鮮やかな、蒼い何かが。


――――無茶、したら駄目だよ、カレル


――――命は大切にしないと、駄目なんだから


 酩酊感にも似たものが漂う意識に、誰かの声が聞こえた。誰であったか、聞き覚えがあって、耳にすると酷く懐かしくて込み上げるものがあって。喉元まで出ているはずなのだが、思考が回らず、それ以上は叶わなかった。
 一瞬沈んだ意識が、再び浮上する。何故か目を覆われていたが、振り払う力も無くそのままにした。近くに居合わせた、神機使いだろうか。何を言ってもだんまりで、冷たいし硬いし人間離れした抱擁をされる身としては不気味極まりなかったけれど。
 奇妙な、安心感があった。
 撫でさすられる肩に、抱えられる背に、冷たいが柔らかい何かを押しつけられる頬に、この喰い破られ荒廃した世界には不釣り合いな。
 変な、奴。呟いて、今度こそ意識が深くへ落ちた。


 後になって、どうしようもなく己を恨んだ。あの時、何故無理にでも目を開けず確認しなかったのか、と。




「――――カレル、おい、カレル!」

 混濁していた意識が、耳元で響く強烈な声によって一気に引き上げられた。思わず顔を顰めながら瞼を開いたカレルの前には、白い天井があった。鈍色の空ではない、雪も降っていない、屋内の天井。しばらく呆然とし瞬きを繰り返すと、ぐいっと視界に誰かが乗り上げて映り込んだ。同部隊の、シュンだ。強烈な声は、そういえばこいつのものではなかったかと、カレルは眉を寄せたままシュンへと視線を移す。

「……耳元で叫ぶな、うるさい」

 カレルは不機嫌にそう告げる。その仕草がカレルらしくもあって、シュンは安堵に口元を緩め、解けた緊張を長い長い溜め息に乗せた。良かった、と呟きも含んで。
 カレルの傍らに両手をついて、シュンは身体を少し引っ込める。その後ろから、そっと別の人物が顔を覗かせる。同じく同部隊の、ジーナだ。普段から冷静な面持ちをする彼女も、今はほっと安堵の色を浮かべている。
 廃寺に居たはずだが、此処は一体。カレルが尋ねると、二人は口を揃えアナグラの病室だと言った。改めて、カレルは周囲を見渡す。薬品の香り、糊の効いたシーツ、清潔重視の他人行儀なベッド、確かにアナグラの病室だと納得した。

 ベッドに横たわったまま、カレルは意識を失っていた間の事など、経緯を聞かされた。

「貴方が廃寺に行ってから、もう半日以上過ぎてるわ。今はもう、とっくに夕方になってる」
「お前戻ってくんのが遅いから、通信機に連絡入れてみても返ってこねえし、ちょっと心配してたんだぞ。で、行ってみた方が良いかって話てた時、お前の帰還要請があって、拾いに行った」
「もう何時間も前よ。今まで貴方は、病室で眠っていたの」

 カレルは、小さく息を吐き出す。半日以上、もう夕方という事は……。

「くそ……せっかくの任務だったってのに。金を無駄にした」
「言うに事欠いてそれかよ……」

 呆れながらも、シュンの顔には笑みがあった。

「ねえカレル、貴方、任務中の事は覚えているかしら」

 不意にそう尋ねられ、カレルはどういう事かと視線をジーナへやった。

「いえ、ね、おかしな事があって。貴方の通信機から帰還要請があったのだけれど、それを受け取ったのはヘリの操縦者だったの。オペレーターではなくて」
「ヘリ……?」
「そうそう、しかも入れたのが、女の声だったって。でもあの時、廃寺にはお前以外の神機使いは居なかったんだってよ。偵察部隊じゃないかって言われたけど、やっぱりそんな要請した奴は居ないって」

 変だよなあ、とシュンは天井を仰ぎ見ながら、頭の後ろで両腕を組む。
 カレルは口を閉ざし、しばし思案する。

「まあ、ともかくアナグラでも、その謎の女性の声については調べているらしいわ。明日以降、ツバキ教官やサカキ博士が貴方に話を聞きたいとも言っていたし」
「ま、生きて戻ってこれて良かったな! コンゴウの群れに遭遇とか不運過ぎ」
「うるせえな」

 シュンはカレルを弄った後、先に病室を退室した。何だよアイツ、とカレルが眉を寄せていると、ジーナが笑みをこぼす。あれでとても心配していたのよ、と彼女の物静かな声が告げる。

の件があるから……少し神経質になっているのよ、シュンは。貴方を拾いに廃寺に着いた時、シュン、泣きそうな顔していたのだから」
「ハッ……気持ち悪ぃ」

 カレルは憎まれ口を叩いたけれど、ジーナは薄い笑みを浮かべたままである。それが捻くれたカレルの、照れ隠しである事を知っているからだ。
 今日はゆっくり休んでなさい、と最後に告げて、彼女も病室を後にした。
 しん、となった病室で一人、カレルは息を吐く。任務中の事は、記憶が断片化している。討伐対象を見つけたは良いがその直後、コンゴウの群れが現れるなんて不運としか確かに言いようがないが、無我夢中で倒していたのは確かだ。其処までは、覚えている。極地対応型のコンゴウ堕天に殴られた辺りから……うろ覚えだった。
 誰かが、居た気がする。何かを告げられた気もする。抱えられ、ずっと、守られ庇われた気もする。
 なのに、肝心な部分の記憶が、靄を掛けられている。
 やや痛みの残す身体を、ベッドの中で動かして、カレルは静かに瞼を下ろす。助けてくれたのは、帰還要請を入れてくれたのは、一体誰だったのだろうか。閉ざした視界に、美しい蒼が浮かぶのに、あれは果たして。



 防衛班第三部隊所属のカレル・シュナイダー負傷帰還の件は、彼と交流のある者たちに瞬く間に広がってざわつかせた。つい先日、縁ある女性の神機使いが殉職通達があっただけに、そういった話題には神経質になっていたせいもあるのだろう。神機使いに怪我の一つや二つ付き物だが、普段以上に気がかりになるのは、まだ《彼女》の喪失が埋められていないせいか。
 が、カレルは打撲擦り傷大多数でも、命に関わるものではない事が直ぐに判明し、安堵の空気が流れた。

 そして、カレルが病室で休んでいる、夕方のその頃。
 にわかに神機使い諸侯をざわつかせているのが、カレルの件に含まれたある事だ。彼の通信機から極東支部のヘリコプター操縦者へ帰還要請の連絡があったらしいが、それはカレル本人からではなく、誰のものとも知れない声であったという。
 操縦者からオペレーターへと通達され、直ぐ様救援に向かった同部隊所属のシュンとジーナが向かった時、カレルは廃寺最奥で気を失っていた。周辺に第三者の姿は無く、代わりにアラガミの亡骸が多数転がっていたらしい。それはまるで、カレルを守っていたようだったと、彼らは告げる。
 当時、廃寺周辺には出動した神機使いは居らず、偵察班にも覚えはなく。これについて極東支部の上層部では調査が行われているものの、神機使いたちの間ではまことしやかに囁かれている。カレルを救ったのは一体誰であったのか、と。


「――――幽霊だったりしてな」

 夕食を取る極東支部従事者の姿が増えつつある、食堂。
 笑いながら言ったタツミに、周囲は目を丸くする。

「そんなまさかー」

 真っ先にそう言ったのは、コウタである。カチャカチャと忙しなくスプーンを動かし料理を口に運ぶ彼に、多くの者が賛同しているが、タツミは「いやまあ実際」と改めて話す。

「帰還要請入れたのって、誰だったんだろうなあ。通信機の使い方とカレルの事を知っているなんて、どう考えたって極東支部の奴だろ?」
「それは、確かにそうですけど」

 ぱくり、とカノンはスプーンを口に運んだ。

「だが、カレルが無事で……良かった。誰かは知らないが、助けて貰ってありがたいな」

 イサギの声は淡々としたが、その口角には笑みがあった。

「今調べてるって話だし、その内分かる事だな」

 プレートの料理を口にかき込んで、タツミは椅子から立ち上がる。

「さーて、装甲壁の補修作業護衛、行ってくるか」
「これから仕事か」
「まあな」

 空のプレートを手にし、タツミは白い歯を覗かせ笑った。

「今やれる事、全力でやらないとな。立ち止まってばかりじゃいられない、死ぬまで防衛班するからな俺は」

 タツミは軽やかに食堂を後にする。最後に、「カノン、お前も出動だからな」と付け加えて。
 カノンは其処でようやく思い出したのか、慌てて食べ終えるとタツミを追いかけていった。

 そうだな、立ち止まってばかりじゃ、いられないな。

 その場に居合わせた誰もが、そう思った。が殉職し二ヵ月が過ぎようとしている……諦めではなくて、彼女の分も改めて現実と戦っていかなければならないという、新たな使命感が各々の中にはあった。仲間同士で揉め事を起こしていたけれど、改めて極東を共に守らなければ。それがきっと彼女の願いだろうと、最初から分かっていた。




 ――――極東支部に従事する神機使いたちが、ようやく喪失感を乗り越えようとしていたその時。

 極東支部の役員区画、支部長室。
 支部長でもあり、《スターゲイザー》の異名を取る有数の技術者、ペイラー・榊は、椅子に腰かけ困惑を露わにしていた。
 数時間前、謎の人物からの帰還要請により負傷したカレル・シュナイダーを無事に救出した件を、彼と、雨宮ツバキの方で調査をしていたのだが。

「まさか、こんな事が……」

 通信記録。
 周辺情報。
 声紋分析。

 憶測の域から未だ抜け出せないが、しかし、これは、十中八九。
 調べれば調べるだけ、真実味を帯びてくる。眼鏡の向こうで、細めた彼の瞳が薄く開いた。彼の前に置かれたコンピューターからは、ヘリコプター操縦者へ要請を入れた第三者の女性の声が流れている。淡々とし抑揚は無い、一方的で言葉も短い。だが分かる者が聞けば、直ぐに察するだろう。特に、第一、第二、第三部隊は。

 何故、このような事が。

君、君は……」

 サカキの呟きは、誰に聞かれる事もなく、空気に解けて消えてしまった。



気付き始める、一つの可能性。

(お題借用:スカルド 様)

2014.6.14