どこに触れても忘れられない

「――仕事だ、ガキ共」

 錆付いた格子の向こうで、看守が告げる。
 温かみの欠片ほどもないその声が響くと、“AGE”を収容している檻の中には決まって緊張が走った。

 兄、あるいは姉代わりになってくれている年上のAGE達は皆、神器を持ちアラガミ討伐に出払っている。今、この薄汚い牢獄の中に居るのは、まだ神器を握れない十歳にも満たない幼い子どもばかりだ。その中には、俺も含まれているわけだけど、子どもだからと言って、看守が優しさを見せてくれた事などない。戦う術の無い子どもであっても、AGEというだけで、等しく消耗品扱いをされるのだ。

 ろくにシャワーも浴びれずに汚れた頬には、一様に怯えが浮かぶ。神器を持たされていないのに、アラガミが跋扈する喰い破られた外界へと、“仕事”と称して放り出されるのだ。そのままアラガミに喰われてしまうのも、非情な事に珍しくない。
 次は自分の番かと、恐ろしい未来がこの瞬間に過ぎる。

「……だいじょうぶだ。全員で、生き残るんだ」

 左右一対の腕輪を嵌められた日から、絶対に生きると誓った。どんなに劣悪な環境でも、絶対に生き延びてやる。
 自らへ言い聞かせるように、同じ年頃の奴らの怯える瞳を見つめて告げる。幾度と無く、胸の中でもそう繰り返した。

「おい! さっさとしろ、ガキども!」

 看守の苛立った声が響くと共に、格子の檻が殴られる。解錠された牢獄から出ると、すぐさま看守の手が飛んできた。容赦なく背を叩かれ、よろめきながら看守の横を通り抜ける。

「チッ化け物どもめ……――」

 はっきりと聞こえたその言葉に噛み付いてやりたかったが、他の仲間にまで理不尽な制裁が向かってしまう。歯を食いしばってぐっと堪え、薄汚く暗い通路をひたひたと進んだ。
 左右に並ぶ檻から、他のAGEの不安そうな視線が注がれているのがわかる。
 たぶんきっと、俺もそんな表情をしているのかもしれない。

 怖がるな。絶対に、生き残れ。

 震える両手を握り締め、通路の先の光を睨んだ。


◆◇◆


 ペニーウォートのミナト職員から投げ渡された空のアタッシュケースを抱え、ミナトの外へと踏み出した。
 今日の仕事は、指定された区域での素材集めらしい。ケースと共に渡されたリストには、必要数が記されている。

 対抗適応型ゴッドイーター――AGEとなり、神器に適合しても、身体が小さい内は外の物資回収やごみ拾いなどが主な役目だった。
 子どもだから、という慈愛ではない。悪戯に神器を傷つけたり、いざという時の駒が減ったりするのを、ミナトの連中が嫌うからだ。
 そして十分に神器を握れるまで成長したら、戦線へ投入される。年上のAGE達が命を散らしている、その最前線に。

 否とは言えない。ペニーウォートというミナトに居る以上、誰もがそうなるのだ。俺の隣で怯えている、年下の女の子でさえも。

 監獄の中の不快な空気から離れても、外も変わらぬ地獄。この世界は、優しくなんてない。

『――お前達の行動はこちらで全て監視している。勝手な行動はするなよ』

 無線から響く声が、低く唸り、釘を刺す。先日の仕事の時に、前線に立ってる兄貴や姉貴達のため、作戦範囲外へ向かい医療キットを探した事を咎めているのだろう。
 それに対し返事はせず、拘束状態の腕輪の解放を求めた。

 枷のように固定されていた左右一対の腕輪が、重い音を立て解除される。
 こんな時でしか自由にならないのが、恨めしいな。
 両腕を擦りながら、与えられたノルマをこなすべく仲間と共に荒廃した大地を歩き始めた。



 ペニーウォートの周辺は、木々など自然物が少なく、岩肌の剥き出した荒廃した谷や大地ばかりが続いている。
 アラガミのせい、だけではない。
 地上の全てを支配し、蝕み続けている“灰域”のせいだ。

 ありとあらゆる物質を蝕み灰へと変えてしまう“喰灰”によって冒された区域は“灰域”と呼ばれている。その汚染濃度が最も低い値だったとしても、何の対策もしていない人体の場合、十分と待たず塵へと変えられるのだという。
 そして、灰域が何らかの要因により活性化し、津波の如く押し寄せる現象が――“灰嵐”。
 突如現れたというその現象に、人間も含め、多くのものが過去に消失した。
 後にそれは、“厄災”の日と、呼ばれるようになった。

 あれから地上は等しく灰域に支配され、対抗物質の投与がなければ生身での活動は不可能となった。
 そんな灰域に順応していくのが“AGE”だが――世間は冷たく、救世主ではなく化け物と蔑まれている。
 一体、自分達が何をしたというのか、今でも何度も思う。正規のゴッドイーターと、大差ないはずなのに。

 いつか、こんな境遇から、抜け出してやる。大手を振って、堂々と――。



「ハーブ、集まったよ」
「こっちも」

 手分けをして拾い集めた資源を、アタッシュケースへ仕舞う。

「よし、数もいいみたいだ。ノルマ達成だな」

 途端に、安堵の溜め息が方々からこぼれた。
 無理もない、ミナトの連中のせいで神器は持てないのだ。アラガミに出くわす事が、今は何よりも恐ろしい。
 もちろん、俺も。

「早く帰ろう。もう怖いよ」
「ああ、そうだな。よい、しょ」

 しっかりと止め具を掛け、ケースを抱える。

「仕事、終わったぞ。これからミナトに戻る」
『……ふん、良いだろう』

 ミナトの連中の声はつまらなそうで、労いの一つも寄越さない。それも、いつもの事だ。

「さあ、早く帰ろう」
「うん!」

 アラガミと遭遇してしまわない内に、さっさと帰還しよう。誰もがそう思いながら、ミナトへ戻ろうとした――その時だった。
 何処からか、獣の低い唸り声が響いた。
 一瞬のうちに、空気が凍り付く。岩陰から、のそり、のそりと、アラガミが姿を現した。斧のような二本の角と、頑強な躯体のそれは、小型アラガミのアックスレイダーである。だが、小型といってもその躯体は子どもなどより遥かに大きく、その上、複数個体による群れを形成している。

「ヒッ?!」
「ア、アラガミだ!」

 瞬く間に恐慌状態にへと陥った仲間の中で、俺は声を出せなかった。
 アラガミは、普通の兵器では殺せない。同じオラクル細胞に基づいた兵器でなければ、決して殺せない。
 今の俺たちに――あのアラガミを退ける力は、ない。

『ははは! アラガミが出たか、これは大変だ!』

 無線から聞こえた声に、子ども達は一斉に縋るように助けを求める。けれど、ペニーウォートの連中が、救いを見せてくれるはずもない。無線越しに聞こえる奴らの声は、何処までも冷酷で――腐っていた。

『未来の狂犬だろう。生き延びて見せろ。そうしたら、ミナトにまた迎えてやる』
「そ、そんなぁ……!」
「じ、神器なんて、ないのに!」
『ははははは!』

 厭らしい笑い声が聞こえ、それっきり、ぶつりと無線は途絶えた。
 雄叫びをあげたアラガミが突進してくるのは、それと同時だった。

「ッ走れ! 早く! ミナトまで走るんだ!」

 凍りつく足を叱咤し、その場から逃げ出す。それに続くように、仲間もようやく走り出した。

 アラガミの足音が、背後を追いかけてくる。獰猛な唸り声も、息遣いも、全部、全部聞こえる。
 恐怖で足が何度ももつれ、転びそうになる。生き延びたい、ただその一心で、死に物狂いで駆けていた。

「――あッ!」

 仲間の一人が、地面へに倒れこんだ。ここに来る前から、酷く怯えていた女の子だった。
 起き上がれない彼女を狙い、アックスレイダーが角を振りかざし突進する。彼女の怯えきった表情が見えてしまい、止せばいいのに、俺はその辺に転がっていた鉄パイプを拾い上げていた。

「うあァァァァ!」

 横から、鉄パイプを放り投げる。大した威力もないだろうが、僅かにアラガミを怯ませた。そして、次に狙いをつけたのは――俺だった。

「これ頼む! 早く行け!」

 アタッシュケースを放り投げ、別の道へと飛び込む。後ろから仲間の声が聞こえた気がするけれど、アラガミの足音に掻き消されてしまった。
 何をやっているんだろうと、思わず、笑ってしまう。

 かっこつけたかった、わけじゃないんだけどな。

 小型アラガミは、幸か不幸か、俺を狙っている。仲間たちから離れ、俺だけを追いかけている。
 全身が、ガクガクと震えていた。もうすでに、両足は限界だった。
 最悪だ、本当に。
 けれど、あいつらが生き延びれたのなら幸運だとも、何処かで思えたのだ。


 ――キュイイイイイイ!!


 突然、甲高い咆哮が響く。鳥のようなその声は、別のアラガミのものだと、すぐに分かった。

 追いかけてくるアックスレイダーの真上に、声の主が躍り出る。容易く踏み潰したそれは、しなやかな輪郭を持つ、黒いアラガミであった。

 データベースで、見た事がある。
 黒い鴉を髣髴とさせる鳥の頭部と足、そして翼を持った、半人半鳥の姿のアラガミ――ネヴァン。
 騎士の甲冑を模した装甲で上半身を包む二足歩行のアラガミで、両腕には剣のように生えた爪が伸び、頭部の後ろに生えた黒い翼を羽ばたかせ俊敏に迫る、中型種だったか。
 データベースを見ながら、年上のAGEたちがそう教えてくれた。

 俺の足で、逃げ切れる相手じゃないか。

 いかにも素早そうな躯体と腕の剣だ。これはいよいよ、先行きが怪しくなってきたが――死ぬつもりは、微塵も無かった。
 AGEになってから、身体能力などは軒並み上がっている。血反吐を吐いてでも、ミナトにまで絶対戻ってやる。“あいつら”と、そう約束してきた。

(絶対に、死んでたまるか――!)

 ネヴィアの下半身に備わったブースターが、赤く光る。身を低くし、両腕の爪を構えると、真っ直ぐと突進を繰り出した。
 土埃を上げるネヴァンは、瞬く間に距離を詰めてくる。俺の背後を取ると、その爪を振り上げ――その格好のまま、突如、真横へ吹き飛んだ。

「え……?」

 激しい轟音を立て、岩壁へと叩き付けられる、血鴉の騎士。
 一体、何が起きたのかと、呆然と見つめる視界の片隅に、孔雀色が映り込んだ。

 ふわりと宙に浮いていたのは、光沢を帯びた青緑色に染まるドレスを纏う、美しいアラガミだった。
 荒々しさのない静けさと、しなやかな躯体の嫣然さ。あまりにも場違いなほどに美しい鮮やかさに――一瞬、恐怖を忘れ、見惚れてしまった自分がいた。

 “女神”の名を与えられたアラガミ――サリエル。

 たおやかな肢体を宙に浮かせたそのアラガミは、見間違いか、ネヴァンを弾き飛ばしたように映った。

 やがて、吹き飛ばされたネヴァンが体勢を立て直し、甲高く咆哮を上げた。乱入したサリエルへと狙いを移すと、両腕の爪を振りかざし、俊敏に跳躍する。
 だが、サリエルの纏う孔雀色のドレスは、並みの金属よりも剛健で、外側からの攻撃には非常に打たれ強い。閉じたスカートを柔らかく翻し、踊りのステップを刻むような動作で、ネヴァンの爪を容易く受け止めた。
 そこで逃げればいいのに、何故だかその戦い方から、目を離せなかった。
 オラクル細胞の集合体、人類の天敵であるのに、サリエルのその挙動はまるで、熟練の武芸者のような――。

 サリエルはその正面から、金色の光球を宙に生み出し、無数の光線を放つ。虚無からの攻撃に、ネヴァンは防ぐ間もなく、躯体を貫かれた。
 ぐらりと崩れ、両腕が地につく。サリエルは両腕を広げネヴァンを抱擁すると、七色に輝くオーラを放ち、ネヴァンにとどめの一撃を繰り出した。

 サリエルの抱擁が解かれると、ネヴァンは既に力を失っており、どうっと地面へ横たわった。

「すげ……」

 アラガミとは思えない鮮やかな手並みに、思わずそう呟いてしまった。
 すると、サリエルは顔を上げ、俺へと視線を向けた。ばちりと、視線がはっきりとぶつかる。
 忘れていた恐怖と緊張が蘇り、身体が強張った。

 サリエルはネヴァンから離れ、俺のもとへと歩み寄ってくる。ドレスから覗く青白い足は、俺の正面で立ち止まると、おもむろにしゃがむ。逃げ出そうと身構える俺に対し、サリエルは――柔らかく微笑んだ。敵意など全く感じさせない、穏やかな仕草で。
 口を半分開き、唖然とした。

 アラガミが、笑った。
 人間に対して、笑ってみせた。

 思ってもいない行動に動揺していると、孔雀色の袖から白磁器のような青がかった手が伸びてくる。ほっそりとした人差し指を立て、笑みを浮かべる唇へと重ねた。しい、と吐息をこぼしたその仕草はまるで、静かに、と告げるようだった。
 そして、二つの手をそれぞれ、腕輪と耳に取り付けた小型無線機へ伸ばし、とんっと軽く触れる。
 途端、ザザザッとノイズが走る。回線も不安定になり、ジャミングさせられたのだと知った。

「――こうした方が、いいと思うの。お互いに、ね」

 弾かれたように顔を起こし、目を大きく見開く。

 喋った、アラガミが。人類の天敵である化け物が、人類の言葉を。

 茫然と座り込む俺に、孔雀色の女神は変わらず微笑んでいた。


◆◇◆


 ――……で、何でこんな状況に。

「君のミナトは、こっちだよね。きっともうすぐだよ」

 人の言葉を放ったアラガミ――謎のサリエルは、今、俺の隣を歩いている。子ども一人じゃ危ないからミナトまで護衛するよ、なんて朗らかに笑い、俺の意見はまったく聞かずに。

 可笑しいだろ、AGEがアラガミに護衛されるなんて。

 俺の胸中を見透かしているだろうに、当のサリエルは気にも留めずに先導している。

「警戒しないで。取って食ったり、傷つけたりしないから」
「……アラガミは、人間を食うんだろ」
「あら、こんな風にのんきに喋ってるアラガミも、あまりいないと思うよ」

 それは、まあ、そうなんだけど……というか、喋るアラガミなんて、早々居ない。

 孔雀色のドレスを身に纏った、女性の姿を宿す美しいアラガミ、サリエル。けれど人間に近しいだけで、その実態は世界を喰い破ったアラガミと何一つ変わらないはずだ。それなのに、年上の女性と話しているような不可解な気分に陥るのは、何故なのだろうか。
 ターミナルからアクセスできるアラガミのデータベースでは、サリエルとは冷たく無機質な美貌を持ち、“女神”と称されるに相応しい華奢な外見をしている。だが、その美しさを裏切り、攻撃手段は凶悪の一言に尽きる。様々な状態異常を引き起こす手法を得意とし、弱ったところを遠距離攻撃で削っていくという、実に厭らしいアラガミだった。
 しかし、隣をのんびりと歩いているこのサリエルは、何かが違う。喋るだけでなく表情もよく動くし、剣撃をも弾く硬質なスカートから覗く両足は、細い金属の棒ではなく、俺と変わらない人間の足の形をしている。それに仕草も、表現が豊かだ。こんな姿のサリエルは、記録に無かった。新しい進化をした、サリエルだろうか。

「食べるつもりだったら、もうとっくに食べちゃってるよ。君の事」

 頭から、ガブッて。サリエルは冗談めいた口調で言い、クスクスと笑う。アラガミである事を忘れてしまうくらいに自然で、むしろ人間にしか見えなくなってくる。
 一体、何なのだろう。こいつは。
 疑念は深まるばかりだった。

「でも、それくらい注意深い方が良いけどね。アラガミはみんな危ないもの。さっきのアラガミみたいにね」
「アラガミが、アラガミの危険を説くのかよ。変な話だな」
「あらま、本当」

 何が面白いのか、うふふ、うふふ、とサリエルは上機嫌に笑みをこぼす。
 肌の色は青がかって冷たく無機質なものに見えるのに、その表情は柔らかく、ついこっちまで笑ってしまった。
 なんだかなあ……調子が狂う。

「……いてっ」

 気が緩んでしまったせいか、今になって身体のあちこちが痛み出した。

「大変、怪我をしたの?」
「みんなを逃がしてる時に……どっか痛めたかな」
「みんな?」
「物資集めに出てた、俺の仲間。同じくらいの年齢の」

 サリエルは、絶句していた。アラガミだけど、そういう表情も出来るのかと、俺は妙な関心を覚えた。

「信じらんない。子どもだけで外に出して、神器も持たせず仕事をさせるなんて。それなのに、助けに来てくれないなんて」
「ミナトの連中は、みんなそういうもんだろ。たぶん、何処も似たようなものだ。俺達AGEは、大人だろうが子どもだろうが、みんな犬扱いだ」

 ――でも。
 ぎゅっと、両手を握りしめる。

「命だけは、あいつらの好き勝手にはさせない。絶対、生き延びてやるんだ」

 同じ日に腕輪をつけた奴と、そう、約束したのだ。
 それが今の俺の原動力であり――この優しくない世界での、寄る辺でもあった。

 その時、不意に頬へ、何かが触れた。
 ひやりと冷たい、無機質で滑らかなそれは、サリエルの手であった。
 本来あるべき温度も、感触も、その手には一つもなく、彼女が人間ではなくアラガミであるという事を明瞭に物語っている。
 けれど――。

「逞しい子だね、君は。それに、とっても仲間想い」

 青白いかんばせに浮かぶ柔らかい微笑みが、目の前に広がる。頬に重なった手のひらは、汚れを拭うように、優しく動く。

「君は強い子だよ。でも――自分の事も、気遣わないと、ね」

 優しかった。目の前にいるのは、アラガミなのに。
 左右一対の腕輪を嵌めらてからも、それ以前でも、他人からそんな風にされた事があっただろうか。
 同じ境遇のAGEを抜いて、人間からも、正規のゴッドイーターからも、そんな裏表のない微笑を向けられた事なんて、ただの一度も無かった。しかもそれが、アラガミなんて。
 嫌悪感ではない。劣等感ではない。これはきっと、純粋な困惑と――心地好さだ。
 あんまりにもあったかくて、優しくて、どうしようもなく気恥ずかしい気分になる。心臓が激しく鳴るのを隠し、慌ててサリエルの手を押しのけた。

「ふふ、照れてるの?」
「うるさい」
「ごめんごめん、怒らないで。もうお兄ちゃんだもんね、子ども扱いは駄目だよね」
「だから、そうじゃない!」

 口を尖らせ、そっぽを向く。サリエルは口では謝りながら、そのかんばせに楽しそうな笑みを浮かべている。
 それを見ると、ますます心臓が落ち着かなくなってしまう。みっともなく火照る頬からは、サリエルの手の感触が、まったく消えてくれなかった。




「――あ、ほら! 建物が見てきたよ」

 無骨な岩肌に囲まれた道のりが、ようやく終わりを迎える。
 狭まれた視界が開け、荒野のような風景の中に、見慣れた建造物が遠くに見える。
 ペニーウォートのミナトだ。

「みんな、無事に着いたかな」
「きっとね。みんな、君の帰りを待ってるよ」

 俺は顔を跳ね上げ、サリエルを見つめた。青白いかんばせには、静けさを帯びた微笑が浮かんでいる。

「ここまで来れば、あとは真っ直ぐ行くだけ。さあ」

 サリエルは、俺の背を優しく押してくる。
 彼女の足は、そこから、一歩も動かないでいた。

「サリエル、あんたは」
「心配しないで。君がミナトに辿り着くまで、ここで他のアラガミが来ないか、ちゃんと見張っているから」

 違う。
 俺が言いたかったのは、そういう事ではない。聞きたかったのは、そういう事ではないのだ。

 けれど、言葉が見つからず、上手く言い直す事も出来なければ、彼女を引き留める言葉も思いつかなかった。
 悔しさが込み上げ、たまらず唇を噛む。離れがたくなっているのはどちらかなんて、考えるまでもなかった。

「――ごめんね」

 俯いていた俺の頬に、サリエルの手が触れた。

「すぐに助けられたらいいんだけど……今の私じゃ、まだ、何にも出来ない。もどかしいなあ」

 愁然と伏せる瞳は、心からの憂いが見えた。世界を喰い荒らすアラガミとは思えないほどに、優しくて、綺麗な――。

「でもね、未来を、悲観しないでいてね。悪い事ばかりじゃ、ないからね」
「あんた……」

「え?」
「ふふ、私の名前。不思議でしょ、アラガミに名前があるなんて」

 サリエルは微笑むと、俺の前にしゃがみ、真っ直ぐと視線を合わせた。

「もう少し、まだもう少しだけ、時間が掛かる。でもいつか、後ろめたさも何もなく堂々と歩ける時には、私が君の手助けをするからね」

 サリエルは、おもむろに小指を差し出した。その仕草を不思議に見つめていると、彼女は悪戯っぽく笑い、俺の手を取る。
 青白い小指と、俺の小指が、柔らかく繋がった。

「東の果てにある、小さな島国の、約束のおまじない」
「おまじない……?」
「そう。また、会おうね」
「……本当に、会える?」

 縋るように問えば、サリエルは目を細めて笑い、迷わずに頷いた。

「君もそう、望んでくれるな。そしたら、今度は君の名前を教えてね」

 ――約束よ。

 美しく微笑んだサリエルの背後に、小型のアラガミが姿を現す。

「ジャミングを外すよ――さあ、走って!」

 背を押され、もつれながら走り出した俺が最後に見たのは、小型のアラガミたちと踊るように戦う、孔雀色の後ろ姿だった。





 ペニーウォートのミナトに着いた後すぐ、牢獄の中に設置されたターミナルで、サリエルについて調べた。
 けれど、どのデータベースを漁ってみても、あのサリエルらしき情報は何処にも見当たらなかった。年上のAGE達にも、人間のように言葉を用いるサリエルに出会った事はあるかと尋ねてみたが、首を傾げられてしまった。

 結局、それらしい噂話の一つも掴む事は出来ず、真実は有耶無耶になってしまった。
 “厄災の日”に、大半の資源や情報は灰域に飲まれてしまった上に、自由が許されないAGEでは不都合が多い。ならば直接会って話すしかないと思い、物資集めの任務に出るたび探してみても、会う事は無かった。

 使いっ走りの子どもから、ついに神器を握れるまで成長し、実戦投入されるようになってからも。

 と名乗ったあのサリエルと、再会する事は叶わなかった。

 そのうち、年上のAGE達は戦場で死に、同年代の仲間も少しずつ姿を消していった。あれからもう十年近く、気付けば俺が年長者の一人になっている。相変わらずペニーウォートのミナトの連中はクソみたいに陰湿で、任務に失敗しようが成功しようが狂犬扱いは変わらない。小さな子ども達が牢獄へ押し込められ、あの頃の俺のように物資集めやごみ拾いのために、神器を持たされずその身一つで外へ放り出されている。

 何も、変わらない現状。本当に、未来は悪い事ばかりではないのか、疑わしい。
 ただ、あの時助けてくれたサリエルは、今も記憶にはっきりと刻まれている。孔雀色のイブニングドレスを纏った、青白い肌の女性。嘲りや蔑みなど一切なく、俺を心配し、大丈夫だと笑ってくれた彼女を、未だに忘れられない。

 人の言葉を話すという、好奇心だけではない。仲間には青臭くてとても言えないが、彼女は初めて優しくしてくれた存在だった。たぶんもう一度、頬を撫で、大丈夫だと言って欲しいのだ。


――君もそう、望んでくれるな。そしたら、今度は君の名前を教えてね


 ミナトの外に出るたび、今もあのサリエルの姿を探している。仲間は皆、そんなサリエルはもう居ないと言うが、願うくらいは自由だろう。

 もう一度出会えたら、何を言うかは決めてある。
 俺の名前はユウゴだと、彼女に教えてやるんだ。それと、もう護衛されるほど弱くはない、と。

「だからいい加減、出てこいよ。

 東の果てのおまじないだと言って繋いだ、小指の約束は――そろそろ、果たすべきだ。



懐かしい、アラガミ化設定夢主による、【ゴッドイーター3】の話でした。
チビユウゴが可愛かったからいつか書いてやろうと思っていたので、満足です。
前の流れはいきなりぶった切ってますが、ご了承下さいませ。

たぶんこの後、ダスティーミラーのアインと会って、夢主と再会するのでしょうね。
あと、フェンリル本部奪還の後の情報のサルベージの際、夢主の情報も出てきそう。

3の世界ではゴッドイーターのアラガミ化は珍しいものではなくなってしまっているそうですが、十数年前(1~2の世界)ではアラガミ化はタブー中のタブーで、基本的に秘密裏に処理されるしけっして表に出す事の出来ないスキャンダルでした。
フェンリルの威光にかかわるんでしょうね。

賛否両論のゴッドイーターですが、私はとても好きですよ。楽しい!


(お題借用:sprinklamp, 様)

2019.02.23