そう告げた彼の方が、よほど素敵だった

まさか、何かの間違いだろうか。

は、何度もその疑問を廻らせた。
相手が真剣である事は、察するに容易で、失礼に値する行いだ。だが、しがない一端の事務官のが、そう思ってもおかしくはないだろう。

なにせ相手が、相手なのだから。

「――――― 殿、その、私と交際を、して頂けないだろうか」

呆然とするの真正面で、彼はそう言った。
三十歳前後の、落ち着きを持っているがピンと芯も持っている、低い声音。それに似合い、言葉遣いも粗暴さはなく、むしろ規律正しく響き、身に纏う軍服にも乱れがなく、腰に差した二本の剣も埃一つ付いていない。踵を合わせて佇んだ姿勢の良い事……薄ぼんやりとするよりも、何十倍も美しい。
やや青みがかった、銀にも近い灰色の毛並みも、フサフサの尻尾も、ピンと立った耳も、くっと顎を引いて鼻筋の通っている顔立ちも。いや、正確には、犬の顔だが。
恵まれた身の丈に、がっしりとした体躯、青灰色の犬獣人は、じっとを見下ろしている。ただ、緊張しているのか、低い声の中には震えが混じっているように思う。

「あ、の……」

だがそれ以上に、の方が驚愕していた。狼狽えた声しか出せず、向けられている彼の眼差しが突き刺さる。
事務官や武官が働く、王宮の一角の、その広々とした中庭に、奇妙な沈黙が流れる。
ひとしきり押し黙った後、はようやく口を開いた。その間、目の前の犬獣人は、根気よく待っていた。

「交際……?」
「ああ」
「えーと、友情的な………」
「……それは私の種族にも、聞いた事はないが。付け加えてもよいのなら、男女交際でお願いしたい」

冷静に、返される。
は、またもポカンと呆けた。
目の前の犬獣人の男性は、へ今一度告げる。

「――――― 私、カリフォス直属軍部隊の第三隊長、シュバリオ=ダレフは、貴方、初級事務官へ……将来を見据え真剣な男女交際を望む」

……ええ、貴方の名は、知っておりますとも。
この国で、国直属の戦闘部隊で、若くして隊長を勤める双剣の名手と名高いですから。

だからこそ狼狽えているの頭上で、ピヨピヨと間抜けに鳴く小鳥が、飛び去っていった。



「―――――という事が、ありまして」

正午の休憩時間、は早速友人に報告と相談をした。
同じ人間の種であり、気心知れた同僚のラナ。彼女は、の話を聞くや否や、盛大に紅茶を吹き出した。遠慮なく、正面に居たの顔に吹きかけて。
ラナは事務室のマドンナなんて言われるくらいに、顔立ちすっきりスタイル抜群の美人で影では有名だ。少し焼けた肌に、亜麻色の艶やかな髪。豊かな長いその髪を、普段は綺麗に束ねて結い上げている。だがその実、かなり大雑把でさっぱりした性格。マドンナとはかけ離れているが、の自慢の友人には変わらない。
……まあ、紅茶吹き出して人の顔に掛けるという、なかなか失礼な事をやってのけてくれるが。
影ではマドンナでも、同じ位の事務官たちはラナの中身を知っているので、今も休憩室でラナが何をしようと驚く事はないし、気にする様子もない。

「は?! アンタ、ダレフ隊長に?」
「うん」
「……ッダレフ隊長……ッちょっと、どういう趣味してるのよ……ッ」

まあ酷い、と顔を吹きながら呟くの前で、ラナは肩を震わせて笑い始めた。そして仕舞いには、それが大爆笑へ変わる。近くの席の同僚から「ラナーうるさいぞー」と呑気な注意が掛かる。彼女はひらひらと手を振ると、ようやく笑い声を静めて、へと視線を合わせた。

「だって、ダレフ隊長って言ったら、元は小貴族だけど武力で成り上がって今じゃ良いとこのお家柄じゃない」
「そうね、知ってる」
「第三部隊の隊長してるし」
「うん」
「それが、何でなのかしら」

甚だ、自分も疑問だ。
は顔を拭き終えると、ズズッと紅茶を口に含んだ。


――――― シュバリオ=ダレフ
青灰色の毛色の、犬獣人の男性。ピンと立った耳と長毛な尻尾を持ち、その顔立ちも鋭さが宿り輪郭はっきりとしている。年齢は……三十歳前後であったか? そこは定かでないが、ともかくその若さでカリフォスの軍部隊の第三部隊を任されている隊長で、大陸本土と同じく形容するのなら、いわゆる将軍である。
元は小さな貴族であったが、過去戦いの功績を讃えられてのし上がったとか、覚えも宜しい。
ただ、とても真面目な性格で非常に忠義に厚いと、良くも悪くも冷静だという評価もある。

いや、本人の噂と評価は、さほど問題ではない。
この時の、の問題は……。

「私、ダレフ隊長と話した事も、面と向かって会った事もないんだけど」

初級事務官、つまりは一般事務担当のが、やもすれば国のトップでもある武官と面識なんかこれっぽっちもない。小間使いを命じられて、たまーに武官の執務室にちょこっと顔を覗かせる程度であるし、もちろんダレフ隊長と話したことは……ない。

は、そもそも一般事務担当であるように、特に覚えのいい家柄でもなく、カリフォスに含まれる島々の内の一つの、ごくごく普通の一般家庭で生まれ育った。たまたま受けたこの初級事務官の試験に運良く合格し、カリフォスの中心島であるこの地へ渡って一人暮らししつつ王宮の隅っこに出入りを許されている、そんな目立ったものもない身だ。
ラナが大爆笑するのも、そこなのだろうが。は二十代半ばにもなって、着飾ったり、ばっちり綺麗な化粧をしたりと、女を楽しんでいる素振りが普段から全くない。私服もこざっぱりしているし、化粧もそこまでする事はなく、今だって檜皮色な丈の長いコート状の事務官制服に……存在が馴染んでしまっている。むしろ、埋もれかかっている。
ラナが着れば、パリッと素敵なファッションにすら見えるのに。

「何が良いのかしらねえ、これの」
「さあ……」
「でもアンタ、事務官としては評判良いものね」
「……さあ……うん? そうなの?」

は、目を丸くさせた。「あれ、アンタ知らないの?」とラナは言うと、茶菓子を一つ掴んで袋を開ける。

「アンタに仕事頼むと、大体断られないし、すぐにやってくれるって」
「……それ仕事の有能さとかじゃないね」
「仕事も速いって、言ってるわよ? まあ、それにしたって、を選ぶ理由は……よく分からないけど」

ラナは、バリッとビスケットを割ると、口へ放り込みながら「それで、どうすんの」と尋ねる。
「どうするって……」が歯切れ悪く呟くと、彼女は言った。

「高物件よ。家柄よし、覚えもよし、人柄もよし……、アンタ人生に数回しかないモテ期かもよ」
「もう、ラナってば面白がって……」
「あはは、まあそれも半分はあるけど、もう半分はちゃんとアンタを心配してるわよ。ダレフ隊長は……絶対、冗談で言わない人だし」

……だからこそ、こうして悩んでいるのだ。

は、ため息をついて、カップの中の紅茶を全て飲み干した。終わろうとする休憩時間の中で、結局考えがまとまる事もなく、ただひたすらにシュバリオ=ダレフの背筋の伸びた姿だけは過ぎる。

「……あ、でもアンタ、顔とか身体とか、悪くないと思うよ」
「……ラナ、それ、慰め? それとも、褒めてるの?」
「褒めてるんじゃない。私が言うんだから、間違いないでしょ?」

自信満々なラナ。さっぱりした性格な彼女が言うと、決して嫌みにも聞こえないのだから不思議だ。
彼女は「まあ、考えてみなさいよ」とだけ言うと、席を立つ。午後の部門も頑張りましょうー、と笑うお気楽な声がじゃっかん恨めしくも思えたが、は仕方なくその背を追って休憩室を後にする。

……悪い人でない事くらい、理解している。

だが、彼は……組織の中でトップクラスに属している。一般人なとは、天と地ほどもあるのだ。その彼が、何故自分に、あのような言葉を口にしたのか……分からないのも事実である。

獣人と人間、という種族意識は無いつもりであったが、実際立たされると考えてしまうのは仕方ない。
午後の職務時間になり、にわかに空気が張りつめる渡り廊下を、はひたすら進んだ。


「――――― 将来を見据え真剣な男女交際を望む」


冗談を言う人物でない事は、普段聞く話から想像も出来たし。
何より―――を見つめた眼差しの真摯さと、緊張に佇んだ姿と、ピンとそばだった耳と尻尾が、冗談を告げるにはあまりに真剣過ぎた。

……とんと、そんな色っぽい出来事に巡り会って来なかったせいだろう。
こんなに、どうすれば良いか分からなくなるなど、初めてかもしれない。


「――――― ダレフ隊長、どうしましたか」

軍部隊に所属する、若い青年が、振り返る。カリフォスの軍部隊に身を置く者が纏う制服である、鈍い緑の混じった青《錆浅葱》色の軍服が、海の国らしさをシンプルに表現する。
その青年の声を掛けた先には、彼とは異なり丈の長いコート状の軍服を纏う、犬獣人が佇んでいた。が、彼の視線は隣り合った建物の長い回廊を見つめている。

「……いや、何でもない」

彼はそう低い声で呟くと、再び足を動かし、青年の隣に立った。
腰に装着した、番の剣が涼やかな音を立て揺れる。



軍隊、とまではいかないけど割と立派な戦闘部隊。そんな感じ。アバウトなのはいつもの事。
そこの第三部隊長のシュバリオ=ダレフさん、犬獣人のルートでございます。

真面目な人は、好きですか?
私は、好きですよ。 ( 誰も聞いてねえ )

2012.07.14