はじめの一歩

戦闘部隊の第三部隊長が、王宮隅っこの初級事務官と、最近親しくしている。
そんな話題は、一瞬にして王宮を駆け巡っていった。
何せ相手は部隊長であるし、初級事務官であるし、面白がるには恰好のネタだったのだろう。
ただ、どういう訳か当事者の職場では特に変化は起きず。あえて言うなれば、武官の執務室にやたらと運び物をさせられるようになったくらいだった。あんな怖いところに行く必要がなくなった、ラッキー、とでも皆思っているのだろう。

少し焼けた肌に亜麻色の髪の美人、友人ラナにシュバリオとの事を報告したも、噂はさすがに耳に入ってくるけれど気にした様子はない。 そんな彼女を、ラナは呆れたように見ていたが、ふっと笑みを浮かべる。

「……まあ、お付き合いが始まったなら、良かったわ」
「うん、ありがとう。ラナ」
「……ッて、素直に喜べもしないけどねえ」
「どうして?」
「アンタの友達としてはね」

なんてラナが言うものだから、は友情にうっかり感涙した。

「ラナ……! でも大丈夫よ、シュバリオさ……ダレフ隊長、優しい人だもの」
「いや人柄は、折り紙付きだけどね?」

ズズーッと、ラナは紅茶を音を立てて啜る。この見目麗しい外見に反してかなり大雑把な仕草は、さすがである。
だがしかし、まるで何か問題があるような口振りに、は首を傾げる。

「何か他に……あ、やっぱり、お立場が違う事? それとも、外見の事? そりゃ私も、ちょっとは戸惑ったけど」
「いやそこじゃないわよ、もうッ。立場なんかどうだっていいじゃない、大体現国王と王妃がすでにチグハグ夫婦なんだから」
「じゃあ、何よ」

ラナは頭をガリガリと掻いて、カップを置く。いざ告げようとした時、休憩室の入り口より「ラナー、何か室長呼んでるぞー」と同僚の男性より声をかけられ、彼女は仕方なく席を立った。

「……まあ、いっか。本人たちが、頑張れば」
「ええ? 何よラナ、気になるじゃない」
「後で話してあげるわー、じゃ、呼ばれたから行くわね!」

高く結い上げた亜麻色の髪が、ふわりと軽やかに舞う。そこから香る、甘い香りに女であるもときめいてしまいそうになる。

「……何だろう、他に何か、あったかしら。問題なんて」

やっぱり、立場が違う事と、今ひっきりなしに盛り上がっている噂の事だろうか……。
人の噂も何十日とよく言うだろうから、それについて本人は無頓着であったが、立場ともなればよくよく考えなければならない。
だが、シュバリオと居るのは、楽しいと思う。
それだけでは駄目という事を、ラナは言いたかったのかもしれないが。
ラナの方が、よりも明らかに色恋も豊富そうだ……今度、ちゃんと教えてもらおう。はそう思いながら、紅茶を全て飲み干すと自身も席を立った。さて仕事仕事、とは背伸びしつつ執務室へ戻った。



――――― だからさあ、こんなの頼む室長もどうかしてるっての。

胸中でぼやくは、およそ三十センチの書類綴りを二つ抱えて、長い回廊を突き進んでいた。事務官の建物と武官の建物を繋ぐ唯一の架け橋であるが、その長さと横広な事……今は、多少恨めしくもある。
よいせ、よいせ、と両手で持ち上げて、少し横着して胸で支えてみたりするが重いもんは重い。
一番分かりやすい変化は、の上司である。
、これおねがーい」なんて良い年したおっさんが、ごつい書類をドッサドッサと置いていくのだから、恐らく武官のところには極力行きたくないのだろう。確かに事務官と武官は立場の違う事から、空気の質も違い苦手意識を持つ者も多く居るけれど……何もこれをに渡す事もないだろうに。
ちなみにこれのお駄賃は、最近売り込みにくるパン屋のチョコクリームサンドである。仕方ないので、それで手を打った。

コツコツ、と進むの脇を、他部署の事務官や武官などがすれ違っていく。後ろ頭に視線を感じたが、強烈というほどでもない。嫌悪などは混ざっていないし、まあ良いとしよう。

「もう、これ届けたら……早くお昼ご飯にしたい」

ふう、ふう、と息を吐くの目指す場所は、まだ遠いが。

「――――― ?」

今となっては、聞き慣れた声。落ち着きある低いそれに、は足を止めてキョロリと見渡した。コツコツ、と足早に歩み寄ってくる音は背後から近づいて、彼女はぐにっと首を振り向かせる。その拍子にバランスを崩し、「わっ」と声を漏らしずり落ちていく書類綴りを何とか支えようとする。
結局それは、灰色の大きな手が阻止し、の腕から一つ持ち去っていく。ふわ、と軽くなった両腕に安堵の吐息を漏らしつつ、顔を上げにこりと笑う。

「シュバリオさん、こんにちは」
「ああ。……随分な量だな、どうしたのだ」

シュバリオは、今日も今日とて非常にスッと背筋が伸びている。丈の長いコート状の軍服を完璧に纏い、素敵な長毛の尻尾が揺れている。

「上司から、頼まれたものです。届けに行くところでした」
「そうか、一つ持とう」
「え、そんな……忙しいんじゃ」
「気にする必要はない、私も執務室へ戻るところだった」

それに、と彼は付け足し、声を僅かに潜める。

「……貴方に、会いたいと思っていた」

ふい、と顔を逸らして告げた彼に、はやはりドキリとしていた。

「……じゃあ、一つだけ、お願いします」

が微笑んで告げると、シュバリオは「ああ」と短く返したけれど、青灰色の長毛な尻尾は嬉しそうに踊っている。
分かりやすい、とっても。
とシュバリオは隣り合って歩き出す。向けられていた眼差しが、奇妙にも微笑ましさを増しているように感じた。

「……その、
「はい?」
「申し訳ない、同僚の武官たちが……面白がって貴方を見ているようで」

前を見つめている横顔は、普段通りにも見えるけれど、心なしか表情が曇っている。ピンと立った耳も、やや垂れて下がっている。
「いえ、シュバリオさんが気にする事は」とは笑うと、自分も事務官たちから微笑ましく見守られてますからと返す。

「すまない、武官であればもっと、噂に左右されないほどの心を持つべきだろうに」
「良いんですよ、私は。それよりも、シュバリオさんは大丈夫でしたか?」

が尋ねれば、彼は不思議そうに顔を向けた。

「その、相手が……初級事務官で、何か嫌味とか……」

ぼそぼそと呟いた時、シュバリオの低い声が「」と名を呼び遮る。

「そのような事はないし、仮にあったとしても、私が望んで貴方が受け入れてくただけの事……嫌味などというものがあれば、全力で払う」

シュバリオは迷い無く告げた。は、胸のわだかまりが薄れていくような、軽やかな気分を覚える。

「そうですか」
「ああ」

言葉少ない会話だけれど、ひどく安らいだ空気であった。

「あ、そうだ。シュバリオさん」
「何だ」
「良ければ、今日、一緒に昼食はどうですか?」

お時間があれば、ですけれど。私はいつも、中庭で食べてたりするので。
シュバリオは兵をまとめる立場にある……そう暇な身分ではないはずだけれど、の言葉に仰々しく頷き「喜んで」と言ってくれる。それだけでも、シュバリオの静けさの奥に存在する穏やかさを、感じ取れた。

「忙しかったら、いいですからね。いつも中庭にいたり、夕方は庭園に居たりするので、もし時間があったらで大丈夫ですから。探したりするのも、会う事も、仕事中は難しいですから」
「いや、ありがとう……そう言ってもらえるだけで、十分だ」
「良かった」

ふふ、と笑うの頭上で、シュバリオは目を細めた。眩しそうに、くすぐったそうに。

コツ、コツ。
二人分の足音が、静かに重なって回廊へ響く。


「はい」
「嬉しい」
「私もですよ」

そんなのんびりと会話する二人を、すれ違う人々は微笑ましく見つめていた。
存外この組み合わせは和やかであるのかもしれないと周囲の人々は思う、昼食休憩前の出来事であった。



お付き合いは始めたけど、お弁当仲間みたくなりそうな二人(笑)
そういう、ふわっとしたのがいいよね。ふわっと、ゆるっと、それがテーマなシリーズなので。気楽に読める感じに。
そこからシュバリオが頑張れば、恋人っぽいのも書けるのですが……。

尻尾サンバな彼とでは、まだ先ですね。

2012.07.16