つまるところ、君が好き

最初は、あの桜色のアイルーが人間であると言った事も、その、何だ……別世界から来たなんていう言葉も、当然信用しちゃいなかった。
今だから、言える事だけれど。



村長の好意で、無事にユクモ村の住人として受け入れられた。その最初の仕事は、村長が紹介してくれた空き家の掃除であった。
市場通りの喧噪から離れた、いわゆる民家の立ち並ぶさらながら住宅街の、さらに奥に佇んでいる。が想像していた家屋よりも、ずっと綺麗で、外装も何ら汚れてはいなかった。ただ中は、さすがは人が住まずに何年と経過したらしい、年季の入った埃や蜘蛛の巣で床や天井一面を覆っている。
根気がいる作業になりそうだ、今日一日でも終わるかどうか……。
は魂が抜け出すような脱力感に見舞われたものの、頬を叩き掃除セットを玄関に置いた。
この空き家の掃除に、レイリンも手伝いたいと申し出てくれたが、彼女もハンターの生活があるだろうし、影丸やヒゲツは急な依頼をギルドに言い渡されたとグチグチ小言を漏らしていたし、セルギスはまだまだ静養中。
結論を出し、これも最初の一歩だとは一人意気込んだ。
……のだが、カルトが手伝うと名乗りをあげてくれて、今は玄関から中をうかがっている。

「酷い埃ニャー。セルギスの家より凄いニャー」
「なかなか、やりがいのある家ね。頑張りましょう」

が手を出すと、カルトはニッと笑い、その手をパチリと叩いて合わせた。
手始めに、窓を全て開け空気を入れ換える事から開始した。
顔には、カルトと共に埃対策の防布を巻き付けて、ホウキで天井や床など豪快に掃き出す。使い方を教えると、彼は面白がって天井を払い始め、勢いよく空気に汚れを落とす。……勢いが強すぎて、空気が目に見えて真っ白だったが、やる気になっているという事で何も言わない。
かつていた現代社会のように、玄関、居間、リビング、和室……などなど小分けにされた部屋がなく、入ってすぐに台所があり、囲炉裏のついた小上がりが鎮座する。大人が一人通ってギリギリな木の階段の上には、畳およそ八畳ほどの割と広い寝室がある。一人で暮らすには十分な広さだが、掃除には最適な造りである。
まともな空気を吸えるようになる頃には、埃の掃き出しも完了していた。
まだ振り回し足りないカルトからホウキは取り上げ、水を溜めた桶と雑巾を見せる。家屋の付近には共同で使用出来る井戸があると、挨拶に出た近所の人の良さそうな女性が教えてくれたのだ。透き通り冷たい水に浸した雑巾を絞り、手分けして拭き掃除に移行する。一日では終わらないかもしれないと考慮し、寝室を先に行う事にしたのだが、これがなかなか腰にくる……。仕方ない、終わらなかったらレイリンに頼み込んで一晩寝させてもらおう、とが悶々と考えるその背を。
カルトが、妙にじっと見つめていた。

「……どうしたの、カルト」
「……うーニャ」

ごし、と机を拭き、カルトは曖昧な表情を浮かべる。

「なんか、そうしてるとは本当に人間ニャ」

……ああ、まあ、彼とは随分とアイルーの姿で接してきたから。そう想うのも、無理はないか。

「やっぱり変よね?」

は笑って、キュッキュッと窓周りを拭いていく。
その手つきは手馴れ、不格好な自分よりもずっと上手だとカルトなりに思う。アイルーの姿であった時も、彼女は野生のアイルーの雌とは異なる不思議な空気があった。だから彼は、彼女と過ごす事がこの上なく楽しくて、仕方なかった。朝も、昼も、夜も、彼女と過ごすあの渓流の日々は今も脳裏に浮かぶように、鮮やかな記憶となっている。
けれどその光景は、今現在の目の前にある光景とは……幾らか、異なる。

「……変というか、まだピンと来ないニャ」
「ふふ、そう?」

それでも、はそうやって笑う。その仕草は、あの頃と同じ、妙に大人びた微笑みだ。人間の世界では、彼女はもう十分に適例となった女性である事は、勉強不足なカルトでも分かる。ともあれ、姿形は随分と変わってしまったけれど、渓流で共に過ごしたあの桜色のアイルーと重なる部分は多くある。だから、がアイルーのであると、彼の頭でも理解している。

「ねえ、そう言えば」

に急に尋ねられ、カルトは慌てて返事をしつつ「何だニャ」と机の拭き掃除に力を入れる。

「オトモアイルーになるって言って、ネコバアに申請書出したじゃない?」
「ニャ、そうだけど……それが何だニャ」
「オトモアイルーって事は、ハンターのお手伝いをする訳だ。この人っていう、ハンターが居るの?」

それとも、もう決まってるのかしら。やっぱり影丸? ヒゲツも居るし。
は笑みを浮かべたままそう言った。予想では、きっとカルトは首に振るのだろうと、思っていたのだ。だが、彼は予想に反し首を横に振って見せた為に、の表情が微かに驚いて目を丸くする。カルトは、少し考え込むように言葉をゆっくりとさせて呟く。

「それは、ちょっと考えたのニャ。でも……なんか、違うのニャ」
「違う……?」
「ヒゲツの兄貴と一緒に居たいのもあるけど、影丸が主人になるとか……何か、こう、悩むのニャ。オレに選ぶ事が、出来るか分からない事だけど」

カルトは言いながら、机を拭き終えると今度は椅子に向き直り、それに雑巾を押し当てる。

「じゃあ、ハンターはまだ決まっていないのね」
「そう、とも言うかもしれないニャ……」

曖昧な言い方。こう言っているが、きっと彼は、もしかしたらこの人に着いて行きたいというハンターを実は描いているのかもしれない。は微笑ましくも感じて、それ以上追求はしなかった。
だが、カルトの口から、「でも」と呟かれ、再び彼を見つめる。

「オレはオトモアイルーになっても、ドン臭いが心配だから、手伝ってやるのニャ。あと危なくなったら、守ってやるのニャ。これは、絶対に揺るがないところなのニャ」

彼は、自慢げに言う、のではなく。
少年の声に、真摯な決意を込めて、一言一言を噛みしめるように告げた。

は、アイルーの時も人間の時も、あんま変わらないのニャ。だから、多分オレが居ないと駄目なのニャー」

打って変わり、ふふんと笑うカルトに、はハッとなる。
ドキリとした事は隠し、「頼りにしているわ」とは同じように悪戯っぽい笑みを返してやる。

それから、しばし時間を掛け寝室をピッカピカに床まで磨き上げたところで、休憩をしにまだまだ手の掛かる空き家を一旦去る事にした。空の陽射しは穏やかに天辺から注いで、心地よい暖かさが汗ばんだ肌を撫でる。
何か飲み物を口にし、それから一階部分の掃除を行おう。そうして、賑やかな市場通りへ向け緩やかな傾斜な坂道を、とカルトは並んで歩き始めたのだが。

「ね、カルト。手、繋がない?」
「何だニャ、突然」
「良いじゃない、渓流に居た時もよくしていたわ」

は笑い、手を差し出す。
それを見つめて、全く仕方ないニャ、とカルトは肩を竦めるように笑い、幾らか高い位置にある彼女のその手を掴んだ。
あの頃は、丁度良く、同じ高さで手を握って、同じ視線で笑い合えたが、今では自分の方が小さくて、背も彼女の方がずっと高い。そして何より、握り合った手と手の感触は、とても同じとは言い難い。
それが何とも言えず、悔しいような気もして、不思議な感覚ではあったのだけれど……。

「全く、はオトナのはずなのにドン臭いのニャ。オレがちゃんと側に居てやるのニャ」

カルトはそう言って、の白いほっそりとした指を強く掴んだ。
「そうね、頼りにしてるわ」と、渓流で過ごした頃と同じ笑顔で告げるが、やはりカルトにとっては何ら変わる事がない部分を占めているのである。それを彼女は、気付いて居ないのだろうが。

例え、彼女の姿があの頃と変わっても。
彼女に対する感情も、何一つ―――――。

種族を越えた感情を、変わらず抱き続けるカルトの手には、無意識の内に力が込められた。



成長し、やけに男前になる空気をまとうカルト。
それは、恋愛であるとか親愛であるとか、定義する必要のない感情。
当初の彼に比べると、本当に成長したのではないかと思います。

まあつまり、私はアイルーが大好きであるという事です( 関係ない )


2012.02.05