あって無いような距離のなか

 ユクモ村居住区の奥まったところに佇む、が暮らす古い民家。少し小高い場所に位置する為、敷かれた道は緩やかな傾斜が多い。アルバイト先の集会浴場や買い物に行く商店通りは、居住区より低地にあるので、歩くだけで否が応でも体力が付く。ヒーヒー言っていた当初を懐かしむ程度には、いつの間にかの両足は健脚へ生まれ変わった。出来れば美脚になってみたかったと思わないでもない。
 そんな緩やかな傾斜を登って下りてと通う景色と、文明の利器はないが心穏やかになるユクモ村で過ごす日々も、ようやくの日常として馴染みつつあった。

 生まれ変わった健脚でさくさくと居住区の傾斜を登るは、この時ご満悦だった。にこにこと、上機嫌な笑みを絶やさずに軽やかに坂を登る。というのもすっかり姉妹のように親しくなったレイリンと一緒に、お菓子を作っていたもので。完璧と言っても過言ではない、素晴らしくふわふわな抹茶入りシフォンケーキが、の手に握られた袋の中に収められている。一家に一人、是非娘さんをうちに、そんなよく出来た彼女と喋りながら料理するのが、の楽しみの一つだ。
 あんなに家事上手で、将来それは素晴らしいお嫁さんになるだろう美少女。なのに、なかなかどうして世の中上手くいかないものだ。プラス要素をマイナスにまで引き下げる、超越したドジっ子スキルがあるなんて。
 抹茶の粉が、小麦粉が、宙を踊り狂ったあの光景は……出来るだけ思い出さないようにする。
 家に着いたら、早速お茶を淹れて食べなきゃ。
 実はレイリン宅でも彼女と一緒にモリモリ食べてきたわけだが、せっかく半分こにしてきたのだから頂かなくては。は片手に握った袋を、何度も覗き込む。

ー!」

 聞き慣れた、元気な声。は呼ばれるままに振り返った。伸びたススキがそよそよ揺れるなだらかな傾斜の下、丁度も通ってきた道から、ぴょこぴょこと跳ねて近付いてくる小さな影。白いボンボンのついた帽子と西洋の衛兵服をモチーフにした、ジャギィネコ装備が今日も可愛いカルトだ。
 よく晴れた今日も、セルギスと共に近場の渓流へ出掛けて、キノコ集めという採集依頼に精を出していたと思ったのだが……もう午後のおやつ時だ、無事に終えて帰還してきたのだろう。

「おかえり、キノコ集めは終わったの?」

 四足を使って駆けあがってくるカルトは、の足元に辿り着くと、ぴょこんといつもの立ち姿になる。意外や大きいアイルーメラルーの獣人族、二本の足で器用に立てばの腰辺りにカルトの頭の天辺が届くから、その体長は想像して貰いたい。

「キノコ集めは直ぐに終わったニャ。旦那さんもオレも勘が良いから、さくさくいけたニャ。で、余った時間は渓流の中をちょっと散策しながら他の採取をして、戻って来たニャ」
「ふふ、そう。良かったね」

 目につく怪我もないし、良かった。は内心で思い、得意げに今日の採集依頼を語るカルトを微笑ましく見下ろす。ついこないだまで野性で暮らしていたはずのベージュ色のアイルーは、もうすっかりハンターに同伴するオトモアイルーの顔つきだ。ピコピコと揺れる三角の耳と尻尾は、実に上機嫌である。

「ところでセルギスさんは?」
「旦那さんは家で、採取した物の整理してるニャ。『特に用事もないから、好きな事して良いぞ』って言われたから、のところに来たニャ」
「そう、じゃあうちに行こっか」

 丁度、お茶菓子もあるしね。は袋を持ち上げ、カルトへ見せた。カルトはふんふんと匂いを嗅ぎ、甘いお菓子である事に気付いて「行く!」とワントーン声を明るくさせる。
 もう数十メートルと歩けば、の家だ。特に急がず、のんびりと上り坂を並んで進む。

「おお、そうニャ。オレ渓流で良い物拾ってきたニャ」
「えッ」
はどんくさいから、オレが獲って来たニャ」

 得意げにカルトは言って、プルプルと尻尾を揺らす。カルトの頭の天辺を見つめ、は声を詰まらせながらも何とか「ありがとう」と返す。
 ……ちなみにそれは、嬉しすぎて声が詰まったのではなく、嫌な予感がヒシヒシとしてそうなったのであって。
 の口角に浮かぶ笑みがじゃっかん引きつった事を、カルトは気付かない。自宅に戻る道すがら、はカルトのお土産に戦々恐々とした。



 ユクモ村の村長であり、集会浴場の女将である竜人族女性の好意によってタダで貸してくれた民家は、ようやく住み慣れた家である。
 建物自体は少し古いらしいのだが、老朽は感じさせず、不備や脆さもない。もともと居住区でも奥まったところにあるせいで、なかなか人手が付かなかった空き家物件らしい。だから味のある古さの中に小奇麗さもあるのだろうなとは思っている。
 玄関には扉ではなく、布地の厚い長い暖簾が垂れており、それを押し上げて中へと入る。一応は引き戸があったりするのだが(でないと雨の日や風の強い日は悲惨である)、もっぱらこの暖簾が仕様だ。カルトは勝手知ったるなんとやら、慣れたようにトコトコと入ると言わずとも手を洗う。もそれに続いて手を洗うも、気がかりなのはカルトの腰のポーチの中身である。
 何だ、一体、何の土産を拾ってきた。
 膨らんだポーチを見て、はごくりと唾を飲む。せっかくの抹茶シフォンケーキのほくほく感が、じきに開かれるパンドラの土産に支配されつつあった。


 カルトは、義理難い性格だ。渓流時代からの面倒を見に来てくれたし、ポーチを作ってくれたりすり鉢探しに同行してくれたりと、意外にもとても人情深いアイルーだとは以前から知っている。ただ運動方面に向かうと途端に体育会系になって、初心者のに過度な無茶ぶりを仕掛けてくるが。
 それらはが、桜色アイルーから人に戻った現在も変わらず、親しい関係を続けられて嬉しいのだけれど。
 カルトはオトモアイルーになってから、へと出掛けた先々で拾ったものをお土産として差し出すようになった。そりゃあ嬉しいとも、「にやるニャ」とか言われたら飛びあがるくらいには嬉しい。事実、最初手放しで喜んだ。だが彼はそもそも野性暮らしの長いアイルー、人間の女が喜ぶものを披露してはくれなかった。思い出すだけでも、鳥肌が走る。


 もしも砂原へ行けば。

、何かの木の実いっぱい取ってきたニャ!」
「あれ、今木の実の中から……いったァァァ中身がァァァァ?!
(カクサンの実が勢いよく破裂)


 もしも水没林へ行けば。

、ドスヘラクレス取って来たニャ!」
「ちょ、そのカブトムシ大きすぎない? さっきから凄い迫力で角向けて……怖い怖い怖い近付けないで!


 極めつけの、凍土に行った際は。

、何かの繭拾ったニャー」
「……え、凍土に虫の繭なんてあったの……気持ち悪いサイズねー」
「…………おい、待て開けるな、それ……!」←居合わせた影丸
「ヒィィィ中からギィギが!」
「いやァァァァァァ!!!!」

「ゴラァ、ギギネブラの卵なんか持って来るんじゃねえ!」


 ……こんな感じに、持ち帰るものが高確率でキワモノ。【7:3】の割合で、変なものばかりをのところへ持ってきてくれる。
 こないだのギィギの繭事件は、本当にもう……。ナイフで開けた瞬間、うぞうぞ出てくる小さなギィギ。蓋をしたはずの記憶が蘇り、は頭を振る。さすがにあの時は主にヒゲツに叱られ、懲りてくれたとは思うのだが……。
 あの得意げな様子を見ると、また変なものを持ってきてはいまいかと勘繰ってしまうがいた。木のテーブルの上でシフォンケーキを大きめの皿へ移して切り分ける作業を、カルトは椅子に飛び乗り待ちわびるように見つめている。

「緑色っぽいニャ。薬草でも入ってるのかニャ」
「そんな草の味はしませんー。抹茶が入ってるの、美味しいよ」

 ひょいひょい、と小皿にシフォンケーキを二切れ乗せ、小さなフォークと一緒に渡す。カルトはちょこんと椅子に座り、猫の手を丸くすぼめてフォークを握る。も同じように小皿に取り分け、フォークで口に運ぶ。うん、ほんのり甘くて抹茶の香り、ふわっふわの口当たり。もふもふと口を動かすを見て、カルトも真似てフォークを突き刺し、大きく開いた口に収めた。途端、アーモンドの形をした目が見開かれ、パアッと明るく緩まる。子どもみたいで可愛いわね、とはニコニコし、シフォンケーキを貪るカルトを目の前から見つめた。そう言えばカルトは、いつぞやの社会見学の時にも思ったが食欲が旺盛というか、食べ物に目がないといった節がある。こんな風に食べて貰えると、なかなか嬉しく感じた。まあ大部分は、レイリンの素晴らしい技術の賜物であるが。
 あっという間に大皿は空になり、ヒゲや口の周りに付けたカスをゴシゴシと取るカルトはとても満足そうな様子だ。温めの湯で淹れたお茶を差し出し、まったりと心を落ち着かせたところで。

「……あ、にお土産渡すニャ!」

 きた。
 は思わず、ゴクリと音を立てて茶を飲み込んだ。カルトは小さなポーチを外し、テーブルの上へと置く。ごそごそ、と中身を探る彼の様子をはじっと見守る。何が、何が出てくるだろうか。渓流だから、もしかしたら大きな虫が出てくるかもしれない。覚悟めいた面持ちをするに、カルトの手がポーチからすぽっと出てくる。
 とん、と机に置いたものに、は悲鳴を上げる……事は、無かった。
 琥珀色の、とろりとした液体が入ったビン。
 こじんまりとした存在感のそれを、はきょとりとし見下ろす。

「え、これ……」
「旦那さんのビンを分けて貰って、ハチミツ採って来たニャ。これやるニャ」

 ああ、そういえばセルギスさんは弓を使っていたっけ……じゃなくて。はハチミツとカルトを物珍しく見比べて、思わず呟いた。

「いつもと、少し違うね」
「ニャ? 虫の方が良いのかニャ?」

 は慌てて首を横へ振る。これは失礼だったかと内心思うも、カルトは気にした様子なく、猫の手でビンを揺らす。

「まあ、何となくニャ。何となく、今日はこれにしただけニャ」

 何となく、という部分を強めるカルトに、は小首を傾げつつも「そう」と漏らす。

「嬉しくないのかニャ」

 窺うような、カルトの目。は小さく笑い、首を振る。

「嬉しいよ」
「ニャ」
「ありがとうね」
「ニャ!」

 いつもの調子で、カルトは笑った。

 は、この時は未だ知らないが。
 以前のギィギの繭騒動の際、カルトはこんこんとヒゲツに叱られたわけだが、「を喜ばせたいならもうちょっとよく考えろ」と最終的には説かれた。アイルー的には嬉しいものだけれど、人間的には嬉しくはないものだった。そう気付いたカルトは、わりと真剣に考えた。その結果、今回ハチミツに行き着いたのである。
 渓流で暮らしていた、あの頃。ボロのワンピースを着た桜色アイルーの隣に必ず居た、彼女曰くナスビみたいな丸いお尻と体型をした小さな青い熊と、頻繁に食べていたものに思い至った事は……しばらくは、へは秘密である。

 それを知らぬではあるが、何だかんだ嬉しくなってほだされるのだ。多分きっと、また虫なり石なり持ってこられても、結局叱れなくて貰うに違いない。今までもそうだったのだから。姿形も、互いの立場も変わってしまったけれど、渓流に居た頃のように変わらず親しく在りたいと今も願っている。
 まあ、一番の要因は、獣人族と言えど猫という性質を思えばこそであるが。猫がネズミや蛇を持って来るのは、褒めて貰いたいのと、狩りが出来ないお前の代わりに捕って来てやったぜという意味も大きいというのは、元の世界での友人談である。
 それは置いといて。はハチミツのビンをそっと取り、椅子から立ち上がる。調味料などの入った戸棚へとそれを大事そうに入れて、カルトへ振り返った。

「カルト、これから暇?」
「ニャ? 時間はあるけど何だニャ」
「温泉に入りに行かない? ちょっと早いけど、夕飯前に」

 が誘うと、彼は仕方なさそうに笑って「しょうがない、付き合ってやるニャ」と椅子から飛び下りた。こういうところが、カルトである。
 ほぼ毎日温泉に入りに行く為、タオルやクシなどの持参品を詰め込んだ入浴セットの鞄と、小銭入れを取り、カルトと共に家を出る。

「お礼にカルトの背中を流してあげるよ。そして丁寧にブラッシングしてあげる」
「えー別に良いニャ、そんなの」
「だーめ、絶対ノミの一匹や二匹連れて帰ってきてるはずだもの」
「ウニャ……」

 爪先を揃え、のんびりとした速度で足を進める。
 緩やかな傾斜の居住区の坂。背の高いススキと、赤い葉を茂らす樹木。その向こうには、ユクモ村の玄関である大きな朱色の門や、主要施設が集まる商店通り、特に目立つ大きな建築物の集会浴場などが見える。
 まだまだ陽は高く、夕暮れはもう少し待って迎える事になるだろう。こういう何気ない日がこれからも続けば良いなと、とカルトは涼やかな風吹かれながら思った。



こういう日常の一コマが好きです。
夢主とカルトは、やっぱり仲良しさん。
そんな一人と一匹の知らぬところで、こっそりと良い仕事をしたヒゲツに誰か拍手を。

(お題借用:sonia 様)


2014.04.28