似てるんじゃなくそのものなんだよ

 砂を孕んだ乾いた風が、ヒュウ、と悲鳴に息を吸い込んだような音を鳴らして過ぎ去った。バルバレの中、其処だけがまるで別世界に切り取られ、氷を降らしているようにも見える。
 まったく、この二人は。
 そう思ったのは、恐らくだけではないはずだ。この場に集う、キャラバンの面々も、筆頭ハンター諸侯の面々も、誰かしら思い溜め息をついたはずである。

 かたや、蒼い鎧を身に纏い双剣を背負った、騎士のような男。
 かたや、黒い鎧を身に纏い太刀を背負った、獰猛な獣のような男。

 相対するは、巨大な竜や獣と戦い人間の縄張りを身一つで守り抜く、この世界の英雄職――――ハンター。外見や性質は違えど、二人は互いに同業者だった。だというのに、放つ空気は狩猟の場数を踏んだ者のみが成せる、仕留めるような鋭い威圧が滲み、野で生きる獣でさえたじろいでしまうものが滲んでいる。まるで、彼らがそれぞれ見ているものは、屠るべき敵、退ける竜であるかのように。とても同じ人類が同じ人類に対し向けるべき目つきではなかった。

 オロオロと窺うレイリンや、土竜族の少女、キャラバンの看板娘。
 愉快そうに見守る、このキャラバン隊《我らが団》の団長や、竜人商人、料理屋アイルー。
 仕方なさそうに溜め息をつく、セルギスや、加工屋の竜人の男性。
 筆頭ハンター諸侯も、それぞれ呆れたり慌てたりと忙しくしている。(煩くしているのは主にルーキーであるが)

 まったく、どうしてくれよう。この二人。
 ちなみには、呆れて冷たいジュースを啜っていた。何故か集まっているヒゲツやカルト、コウジンたちを両足に巻きつけて。

 どれほどの沈黙が流れたか、数えてはいないが――――蒼い鎧のハンターが、重い口を開き呟いた。それこそ、忌々しそうな響きを含んで。

「どうにも私は、君のような軽薄で不真面目な者を好む事は出来そうにない。同じハンターという立場の者であってもな」

 ビリ、と震えた空気に、神経が痛覚を訴える。人の里の中であるというのに、まるで冷戦地帯のド真ん中に居るようではないか。
 対して、黒い鎧のハンターは不愉快そうな仕草で笑みを深めた。狩猟の時にしか見る事のない、彼の凶暴な獣性が露わになっている。何とまあ残忍な笑みだろうかと、は背筋を震わせた。

「それは奇遇だな、俺もアンタみたいな上から目線の、しかもギルドに深く関係しているような奴は好きになれない。それが同業者なら尚更だ」

 蒼い鎧のハンターのまなじりが、つり上がる。さらに亀裂が走る空気は、神経をチクチクと突き刺してきた。


 砂の海をも泳ぎきる、巨大なギルド船――――移動する集会場。
 見ての通りに巨大な船の内部に存在するこの集会場は、特定の地理に腰を落ち着かせる事はなく、定期的に移動する事で知られている。そしてその周囲には人々が集まる為、この集会場を囲んで展開される村を《バルバレ》と呼び、キャラバンの聖地ともされた。決して地図に乗る事のない、移動する村なのである。

 現在バルバレは、大砂漠に面した陸地に村を展開させている。砂の匂いに熱い陽射し、眩しい青空の広がる下に行き交う人々は、溌剌と砂の混じる風に撫でられながら笑っている。様々な物品と人が集まる為、中には此処では珍しいユクモノ装備のハンターも見かけられる。さすがは商隊や猟団などが一堂に集う地だと思う。
 ユクモ村とは、趣きも佇まいも全く違う土地、実に心躍らせる素敵な場所ではないか。
 などと、思っていられれば良かったのに、長旅の休憩をするキャラバンでは上記の一触即発の状況に見舞われた。せっかく、旅の途中で知り合ったハンターたちと偶然にも再会したというのに。もっと楽しく、穏便に過ごせないのだろうか。黒い鎧のハンターも、彼と対峙する蒼い鎧のハンターも。

「相性悪いのかな、はあ」
「何だかごめんなさいね……リーダーったら、少しひた向き過ぎなのよ」

 へと近付いたのは、筆頭ガンナーの女性だった。褐色の肌に黒髪を持つ、何処かエキゾチックな妖艶さを持つ人物で、それでいて落ち着きを払った大人の女性の鑑ともいえる人柄と物腰を併せ持っていた。困ったように笑う彼女へ、は首を振った。

「良いんですよ、大体当たってますから。影丸って普段からあんな姿ですし、リーダーさんが言いたくなるのも分かります。こちらこそ、申し訳ないです」

 まあ、多少は極端な見解だが、軽薄で不真面目という評価は……全て否定しきれないがいた。セルギスとレイリンも否定出来ないから、苦笑したり慌てたりと見守っているのだ。
 彼らの冷戦はさて置いといて、自身はその他の筆頭ハンターたちとの関係は良好だと思っている。同じ女性という事から、とりわけ筆頭ガンナーとは親しい。だから余計に、目の前の蒼い鎧のハンター――筆頭リーダーと、黒い鎧のハンター――影丸のこの毎回のやり取りに呆れてしまうのだけれど。今も変わらず睨み合う二人に、はもう一度溜め息をついた。



 大砂漠を渡る長旅の末に、やって来た新天地。初めて足を踏み入れてから、もう何ヶ月が経過しただろうか。
 まだ見ぬ土地とモンスターへの楽しみに賑わう、ユクモ村お馴染みのハンター三人、セルギス、影丸、レイリンと彼らのオトモアイルーたちは砂上船の旅を謳歌していた。その傍らのはというと、絶賛船酔いにダウンしていたのだが、何とその時砂上船が古龍に襲われる事態に遭遇した。大砂漠を泳ぐ、鯨の似姿を宿す巨大な龍――――豪山龍ダレン・モーラン。たちの土地で見聞きした峯山龍ジエン・モーランとよく似た姿の、巨大な龍である。ただ、ジエン・モーランとは違い、こちらの方が知性ではなく獰猛性を感じさせた。
 人間どころか、船よりも巨大な生き物を見たら、普通はどうするだろうか。考えるまでもなく、まず恐れ戦き逃げる。もしくは、逃げ遅れ腰を抜かしてガタガタ震える。なのにハンターという職業の人間は、デカければデカいだけ高揚し、それが古龍と名付けられる一頭で天災を引き起こす生き物にもなれば嬉々とし勇んで飛び出していってしまう。この時も例に漏れず、ヒャハー!とはしゃいで行ってしまった。彼らのその精神構造が、未だに理解出来ない。は勿論、船酔いもあって船の奥に大人しく引っ込んでいたわけだが、むしろ信じられなかったのは飛び出していったハンターの中に居た、影丸だった。何が信じられないって、あろう事か影丸はその時「暑い邪魔」という子どもみたいな理由で持参して身に着けてきたナルガ装備を全て脱いでしまっていた。原因は、時間潰しに飲んでいた酒のせいなのだが(こいつ本当最低だな)、飛び出していった影丸の恰好は……思い出したくもない。


 酔っ払い状態の。

 足元がふらふらの。

 鎧も身に着けず、見た通りのパンツ一丁インナー姿のまま。

 豪山龍と称えられる古龍に、立ち向かっていってしまった。


 あいつ馬鹿。本当に馬鹿と、は衝撃を受けて茫然とした。思わず船酔いも何処かへ消えてしまったほどである。
 さすがに影丸の愚行をセルギスとレイリンは悲鳴を上げて止めようとしていたけれど、酔っ払い影丸はそのまま甲板へ出るや手慣れた手順でバリスタと大砲、大銅鑼の設備を使い応戦を始めたらしい。……パンツ一丁で。しかも、丁度居合わせた壮年の男性の帽子がダレン・モーランの背中に飛んで行ってしまったとかで、取りにまで行ってしまった。……パンツ一丁で。
 かくして、目的地バルバレに向かう他の船の力もあり、見事ダレン・モーランを追い払って線路上にあったバルバレを影丸は守ったわけだが。

 その後、セルギスの怒りが見事沸点を超えて大爆発。鬼教官と化した彼から、かつてない雷が凄まじい怒号と共に落とされた。あの影丸がユクモ村に来るまで、さすがは一人で村を守っていたハンターと言おうか。影丸が何だかんだ頭の上がらない、逆らえきれない相手と言おうか。凄まじい剣幕でパンツ一丁の影丸を正座させ説教する彼の顔からは、在りし日の、最大金冠サイズの無双の王者……手負いの雷狼竜ジンオウガを想起させ、非のないやレイリンまでも震えあがった。オトモアイルーのヒゲツだけは「随分懐かしいニャ」と過去もあったらしいその光景に笑っていたけれど、カルトとコウジンはその恐怖に耐えきれず、次の瞬間には白目を剥いて気絶した。
 影丸に鍛えられた(苛め抜かれた)レイリンがその時の事を、「師匠の師匠の方が何十倍も怖いですね……」と今も呟くので、よほどの事であったと思う。普段は物静かで穏やかなセルギスの豹変であったからこそ。

 けれど、これがきっかけとなり、影丸は甲板に居た壮年の男性から《我らが団》と名付けられたキャラバンの専属ハンターに誘われる事となった。どうやらこの男性はキャラバンの団長であったらしく、パンツ一丁でダレン・モーランに立ち向かう影丸を気に入ったらしい。曰く、パンツ一丁で戦うとは実に剛毅、気に入ったとの事。この団長の方こそ、そんなパンツ一丁の非常識なハンターを雇う気になるなんて大分剛毅な性格であると思うのだが……慣れぬ新天地では願ってもいない事だと、誘いを受けた。その影丸繋がりで、たちもそのキャラバンに迎え入れられたわけだ。
 影丸はこの時正気に戻って二日酔いの頭を支えていたのだが、酔っ払う中で起こした自身の行動をかなりうろ覚えでしか記憶にないとのたまった。その後、今度はレイリンとの雷が落ちた。
 そしてこの出来事は、多くの人々に《パンツ一丁であのダレン・モーランを追い払ったハンター》として知れ渡る事になり、語られている。今はさすがに影丸も「もう黒歴史は許してくれ」と嘆いているけれど、自業自得なのでもあえて傷口を抉り塩を塗り込むように言ってやっている。キャラバンの看板娘……通称お嬢がギルドへ提出するという豪山龍の資料に描かれた、パンツ一丁の影丸のイラストも見せながら。

 迎え入れられたキャラバンでの暮らしは、中々に楽しいものであった。団長の持つ、白く輝く謎のアイテムの正体を追いかけつつ、仲間が増え、各地を巡り、体験した事のないキャラバン生活をも謳歌した。当然戦えないので、もっぱらキャラバンでの雑事をしているのだが、狩猟を楽しむ影丸たちや、相変わらず可愛いオトモアイルーたちを見ているだけで十分だった。
 そんな生活の中で出会ったのが、《筆頭ハンター》と呼ばれるギルドからの公にされない重要任務を遂行する腕利きハンターたちだった。ギルドと深く関わりを持つ、精鋭部隊というところだろうか。団長はどうやら彼らと交流があったようで、我らが団も度々彼らと出会う場面があった。
 筆頭などと厳かな単語が付属するけれど、皆それぞれは良い人たちだとは感じていた。彼らのリーダーの立場にある、あの蒼い鎧の双剣使いなハンターも、言葉は厳しいが生真面目な性格なだけで決して悪い人ではないと思ってはいる。が、筆頭リーダーの何かに障ったのか、それとも先に影丸が嫌悪したのかは定かでないが、二人は会うたびに喧嘩腰であった。言い合いの内容自体は子どもじみてはいるのだけれど、その顔と空気がこれから一戦勃発しそうな緊張があるので、毎度毎度気が気でない。
 何だって、あんなに仲が悪いのか。
 その理由が分からないまま、改善される事なく今日も続く二人の応酬である。



「君のような振る舞いが許せる業界ではなかったはずだが、嘆かわしい限りだな。ハンターの品位を疑いたくなる」
「ハッ笑えるな、ハンターは正義のヒーローじゃねえ。世の為人の為と英雄を目指す純粋さを否定はしないがな、だからって清く正しいハンター像を俺に押しつけるな。迷惑でしかない」
「ギルドに登録する以上は、ギルドの命に従わなければならない。君のその態度は、万が一の際周囲に支障をきたすのではないのか。人々の安全を確保するのも、我々の役目だろう」
「ハンターは慈善事業じゃねえんだ、自分の為にやって何が悪い。お優しい心で食っていけるんなら十にも満たないガキにだって今頃出来ている。だが心だけで務まるもんじゃねえから、ハンターランクなんてものが作られているんだろう。上から目線で善意を説くな、虫唾が走る」

 影丸と筆頭リーダーの交差した眼差しが、鋭さを増した。火花を散らす二人の間に、更なる冷風が吹き荒ぶ。

「……呆れてものが言えないな。人の営みを守るハンターが、人の命を軽んじるというのか。そんな姿勢でハンターを続けられるとはな、こちらこそ虫唾が走る」

 筆頭リーダーの告げた言葉は、影丸の逆鱗に触れようとし。

「……その命を軽んじているのは、何処のどいつだ。俺たちも真っ当じゃねえが、粛清と体裁の為なら幾らでも斬って捨てるギルドの連中に命の重さを語られたくはない」

 影丸の言葉は、筆頭リーダーの逆鱗に触れようとしていた。
 其処でようやく、止めに入る声がずいっと割り込んだ。

「――――ほれほれ、そこまでだお前さん方。ちょいと、熱くなり過ぎじゃないのか」

 いよいよ空気が険悪になろうとしたところを、団長の低い声が寸でのところで食い止めた。白い無精ひげを生やしホークハットを被った壮年の男性の顔は、いつもの朗らかな笑みに真剣さを混ぜていた。行き過ぎた二人の言葉を咎めているのだろう。団長の飼い慣らしている猛禽の白鷹も、それに同意するように甲高く鳴いた。
 影丸と筆頭リーダーは、互いに顔をそらすと口を閉ざして黙りこくった。バツが悪そうにしているものの、双方共に謝るつもりはないらしい。が、ようやく不穏な言い合いが終わって、見守っていた周囲も安堵の息を吐く。その場にも再び砂を孕んだ生温い風と賑わう声が戻って来て、キャラバンに暑い陽射しがジリジリと注いだ。

「全くお前さん方は、会えば直ぐそれだ。たまにゃ仲良く酒でも飲んでみないか。ん?」
「断る、団長殿。何処ぞのハンターのように醜態は晒したくない」
「断る、こんないかにも下戸な奴と飲んだって楽しくもない」

 再び、筆頭リーダーと影丸の間に亀裂が。ガルルル、と獣の唸り声が聞こえてきそうな空気に、団長は二人の間に手刀を落としてそれを断つ。

「喧嘩は結構だが、言葉ってものを選んでやれ。分かりあう為のものならまだしも、猛スピードで遠ざかってるじゃないか。折角お前さん方、どっちも良い腕を持つハンターだってのに、勿体無い」

 暗に協力し合ってくれないかと漂わす団長の言葉を、二人は声を揃えて「断固拒否する」と顔を背けた。こういう時ばかりは息の合う犬猿のハンターだから、余計に苦笑いを誘うのである。さっさと背を向けて離れてゆく影丸と筆頭リーダーの顔や身体、空気からは、明瞭な拒絶の意思が透けており、当分は団長の言葉など聞きもしないのだろうとその場に居る誰もが思った。

「影丸のお兄ちゃんも、リーダーのお兄ちゃんも、仲良くすれば良いのに!」
「そうですね、付き合いの短い私たちだって影丸さんもリーダーさんも、良い人だって分かりますし」
「なのに、あんな、あんな怖い顔……ッうわぁーん! 泣いてない!」

 ごしごしと顔を擦る土竜族の少女を、キャラバン看板娘がよしよしと慰める。ああ、和む……ではなくて。は、反対方向に歩いてゆく影丸と筆頭リーダーの背を見やり、溜め息をついた。

「本当、仲悪いんだから」
「はっは! 若いってのはそれだけで血の気が多い。まして男は、譲れないものがあると頑なに動こうとしないもんだ」

 俺も若い時は、今のあいつらのやり取りに覚えがある。笑う団長は頼もしいのだけれど、あの二人ときたら。はますます溜め息を深めた。

「まあ、どっちの言い分が正しくて間違っているという事は、絶対にない。あいつらなりに、譲れない信念があるんだろうな」
「信念、ですか」
「ハンターやってる奴ってのは、大概これだけは絶対曲げないっていうものを持っている。身一つで狩猟に挑むんだ、並みの覚悟ではやっていけないのだろう」

 団長は、ホークハットのツバをくっと引き被り直す。

「それがあいつらの場合は、人命と、強さの限界。対極にあって隣り合わせ、どっちも大事だ。だから尚更互いに退けなくなる。結構な事だ、信念のぶつかり合いなんて、若い内にはやっといた方が良い!」

 まあ願わくは、肩を組んで酒を飲んで貰いたいんだがな。団長はの肩を叩くと、片手を上げて側を離れていった。
 ……信念か。そう言われたら、には何も言えなくなる。確かにハンターという職業につく者は、何かしらの強い想いを抱いている。それを、も間近で何度も見てきて、思い知らされている。
 レイリンは、人の為に。セルギスは、自らの欲した世界で生きる為に。そして、あの影丸は……最も苛烈で、最も険しい覚悟。甘ったれた理想を全て捨て、己が納得出来る強さを得る為。
 誰よりも冷酷で、誰よりも厳しく現実的で。けれど、誰よりも自らを責めて、誰よりも人の死を恐れている、ある意味愚直過ぎる不器用な彼の想い。その強さを、は知っている。いつかの渓流で、《手負いのジンオウガ》と《ユクモ村の英雄》が戦っていたように。
 ともすれば、筆頭リーダーの信念とやらも、影丸に匹敵する重さがあるのだろう。少なくとも、あの影丸に対してあれだけ真っ向から挑み掛かるくらいなのだから、察する事は出来る。

 だが、しかし。
 あの時も思ったけど。

 男という生き物は、つくづく面倒だ。

 はやはり呆れた。良く言えば理想が高く、悪く言えばただの強情。言えるわけがないが、いつか手を取り合うような日が来れば良いのに。それくらい願うのは、構わないだろう。



 その日の晩は、バルバレの港へ止めた《イサナ船》の甲板で皆で食事を取った。筆頭ハンターたちも共に食べないかと誘ったのだが、彼らはギルドに用があるらしく食事の前に別れる事になった。ギルドから直接密命を受ける彼らだ、敢えて内容を尋ねる事などしないけれど、何処までも気の合わない我らが団ハンターの影丸と筆頭リーダーの険悪な空気は……実に悩ましい。
 キャラバンのおふくろこと料理屋アイルーの、今日も美味しい夕餉に、甲板へ直に座り角灯を囲んで食べる賑やかな夜の風景。この中に筆頭ハンターたちの姿もあれば、さらに楽しいだろうに……。

「――――絶対にごめんだな、そんな夕飯」

 水を差すのは、決まって影丸だ。酒を注いだコップを一気に煽る彼の姿を、はじとりと見やる。

「直ぐそういう事言うんだから」
「他の奴は置いといて、だ。リーダーは確実に隣で文句を言うだろう。冗談じゃないな」

 言われる言動をしているのは、少なからず影丸の普段の姿のせいでもあるのだが。其処は棚にあげる辺りが、実に影丸らしい。

「お前の普段の言動が、そうさせているようなものだ。少しは省みたらどうだ」

 セルギスは迷わずに告げると、焼いたアプトノスの肉を一欠片口へ放り込み、咀嚼する。唯一逆らえきれないセルギスが言っても、影丸は不満を露わにしたままである。

「合う合わないはあるんだ、仕方ない」
「真っ当な事を言ってるようだが、最たる原因はお前がダレン・モーランを酔っ払いながらパンツ一丁で追い払ったせいだろう」

 影丸の肩が揺れる。「……もうその話は止めてくれ」と呟いた彼の声は、一気に酔いが醒めた冷静さが滲んでいた。セルギスは笑い、空になった皿を足元へ置いた。

「……とはいえ、さすがに今日のは肝が冷えた」

 厳しい声音ではないけれど、暗にセルギスは咎めていた。影丸は何も言い返さない。さすがに反省はしているのだろうか。
 影丸の手は下げられ、甲板へコップを直接置く。

「……あれを見ていると、どうにも思えてならないんだろうな」
「思うって……?」
「――――俺がもしもあの時、ジンオウガに挑まず青臭い性格のままこの年齢になっていたら、どうなっていたんだろうな、とか」

 ジリジリ、と角灯の炎が揺れる。照らされる影丸の横顔には、昼間の件の腹立たしさや憎らしさは見当たらない。その代わり、忘れ物をしたっきり無くしてしまった時の、憔悴とした気配のようなものを匂わせた。彼にしては、珍しい表情だった。

「リーダーの言い分はな、まるっきり同じなんだよ。人の為であれ、ハンターの鑑であれ。何で腹が立つのかようやく分かった、あいつはもう随分と昔の――――ただのガキだった頃の俺だ」

 影丸は、くつくつと笑い肩を揺らす。

「俺もああなっていたのかな、手痛くギルドの連中に裏切られていなければ」
「影丸」
「ああなりたいと、思った事なんか一度だってない。だがリーダーは、あの青臭さを貫いてきたんだろうな。顔見りゃ分かる、ありゃあどんな不当な扱い受けようと正義を貫く馬鹿の顔だ。それをつき通せるなんて……羨ましい限りだな」

 影丸は立ち上がった。酒を取りに行くのだろう。とセルギスは彼の背を見送った。心なしか、少し寂しそうにも見えた。

「難儀な奴だな、あいつも」
「え?」
「俺が思うに、影丸も、筆頭リーダーも、どちらも馬鹿だ。馬鹿正直に、自分の思う狩人のやり方を貫いている。お互いが憎くて、羨ましいんだろう。無いもの強請りってやつかもしれないな」

 セルギスは、を見た。彼の赤銅色の髪が、角灯の明かりで鮮やかに浮かび上がっており、普段よりも存在感を放っている。

「似た者同士、そんな気がする」
「似た者同士……そうですね……きっと、そうなんですね」

 言われて見れば、酷く納得した。影丸と筆頭リーダーは、双方共に言葉は少ないが、その分態度と瞳で雄弁に語る。影丸は自らの弱さを捨てる為、筆頭リーダーはギルドと人々の為、脇目も振らずにその覚悟を貫き、険しい道を自ら敷いて進む。似ているというか、同じだ。そして同時に、相反する場所にも立っている。
 似ているから、殊更反発してしまうのだろうか。

「もしくは、心配してるのかもな」
「心配……ですか」

 釈然としない声を出してしまった。素直過ぎるの反応を、セルギスは笑って流した。

「くく、俺もそう思うけどな。あいつは捻くれているから、言いやしないだろう。あの実直で真面目な性格のリーダーが、いつかギルドに裏切られて自分のようになるんじゃないのか、なんて」

 は、あっと目を丸くした。セルギスは笑みを深め、何事も無かったように飲み物を口に含む。
 こういうところが、影丸とセルギスの縁の深さを改めて感じ入る場面なのだろう。



 夕餉の後は、それぞれの自由時間へと移った。明日の予定を確認する者、身支度を整える者、既にさっさと眠った者(ちなみにこれは飲み過ぎた団長と影丸である)と居る中、はカルトを連れてバルバレの港の片隅に伸びた桟橋に座っていた。これといった理由はなく、夜の涼やかな海風に吹かれてのんびりとしたかったのである。ちなみに側に居るカルトは、桟橋から下の暗い海面を覗き込んでいる。月明かりがあるとはいえ、何も見えないだろうに。
 ザアア、ザアア。寄せて返す、小波の音色。昼間に聞くよりも、ずっと静かで心地よい響きを孕んでいる。
 そう言えば、しばらくは海上生活になると皆で夕餉の時間に話をしていた。団長の持つ白く輝く謎の品の正体を探す為、海を渡って別の村を探してみる事になったのだ。少しの間は、バルバレともお別れだ。

「……ニャ?」

 カルトが声を漏らす。視界の片隅で、お尻を突き出して桟橋の下を見ていたアイルーが何かを見つけたらしい。サシミウオでも跳ねたのだろうかと笑っていると。

「……殿、か?」

 落ち着きを払った低い声が、不意にの背へ掛けられた。ゆるりと下げていた瞼をパチッと開き、肩ごと振り返る。隣に居たカルトは、ぴょこんと立ち上がった。
 炎が灯った角灯を手に、誰かが近付いてくる。ギシリ、ギシリ、桟橋の板が微かに音を鳴らす。月明かりの注ぐ夜の港に浮かび上がったのは、色の薄いプラチナの髪であった。

「リーダーさん」

 直ぐに察して、は立ち上がった。日中に見た蒼い鎧のハンター、筆頭リーダーが静かに佇んでいた。太陽が沈み月が現れる時刻のせいか、鎧の蒼は少し色濃く影を纏い、けれど浮かび上がった髪は月明かりによって銀色にも見える。彼は軽く頭を傾げ、へと近付く。

「こんばんは、休憩ですか?」
「ああ……明日の明朝には立つ事になった。少し長旅になるから、最後の休憩だ」

 筆頭ハンターの任務だろう。彼らも長旅になるのか。は、そうですか、と少し笑った。

「……君は、こんな時間に何をしている」
「え、ああ、寝る前に夜風に当たろうかと思って」
「……もう少し、危機感を持つべきだろうに。人の多いところは、夜も得てして危険が伴う」

 筆頭リーダーの面持ちは、昼間と同じ仏頂面だ。生真面目な彼らしい言葉と声音であるが、は肩を竦め「すみません」と謝る。すると、足元のカルトがピョンピョンと跳びはねて、騒がしく言い始めた。

「オレが居るから平気ニャ! オレだって戦えるニャ!」
「あ、ああ……そうだな、すまない」

 腕を組んでふんぞり返るカルトの頭を、はぺちりと上から叩く。筆頭ハンターとカルトの実力差なんてどれほどあると思っているのだ、という言葉は胸の内に留めておく。

「カルトは気にしないで下さい。……それより、昼間はうちの影丸が失礼な事言ってすみませんでした」

 どうせあいつは謝らないだろうからと、が代わりに代弁を果たす。筆頭リーダーは怒る様子もなく、ややかぶりを振ってみせた。

「……いや、此方こそ見苦しいものを見せてしまった。申し訳ない」
「いえ、そんな。良いんですよ」
「……どうにも、彼の顔を見ていると、つい我を忘れてしまう。性格の合う合わないがあるのだろうな」

 は、笑いそうになってしまった。影丸と、ほぼ同じ事を言っている。セルギスの言う通りに、彼らはどうしようもなく似た者同士なのだろう。

「仕方ないですよ、影丸は結構ズバズバ言う性格ですし、狩猟以外の事は意外に無頓着だったりするので」
「そうか……」
「それに」

 ふふ、とは声を漏らして微笑む。筆頭リーダーは不思議そうにを見下ろした。

「影丸って、本当に嫌いな人や話したくない人には、口一つだってきかないんですよ」

 筆頭リーダーの精悍な顔立ちが、やや驚いたように変わる。そして、どう反応すれば良いか躊躇うように、困惑へと移り変わる。は小さく微笑み、すっと人差し指を立てて自らの唇へ押しつける。影丸には内緒ですよ、と付け加えて。筆頭リーダーはそれを一度見て、静かに顔を逸らした。鎧に包まれた肉体をそっと海へと向き直らせ、黙する。
 ザアア、ザアア。小波の音色が、無音を彩る。

「……殿、彼は」

 筆頭リーダーが呟く。は彼の横顔を見上げた。西洋の精悍な顔立ちは、東洋の造作である影丸とは違う空気を放つものの、年齢は恐らくとも近い。腕利きハンターのパーティーを纏めるリーダーたる立場ゆえに、若くして厳格な立ち振る舞いを見せ、理念と信義を背負い険しい面持ちを張り付かせる事が多い彼も、今はそれらがほんの僅か抜けているように見えた。

「……その、確か、ずっと遠くの、ユクモ地方という場所から、君たちは来ているのだろう」
「そうですね」
「彼は、其処で……その、小耳に挟んだ。とても腕の立つ村つきのハンターであったと」

 口下手であるはずなのに、懸命に言葉を選んでくれるのが嬉しかった。は頷き、彼の隣にそっと並んだ。間に挟まれたカルトは、しばしキョロキョロと見て、桟橋に静かに座り込んだ。

「ええ、今はキャラバンのハンターですけれどね」
「……腕が立つというのならば、相応の立ち振る舞いをするべきだろうに。彼は、そうするだけの資格と実力を持っているはずだ。実際にその姿は未だ見た事はないが、それくらいは私とて気付く」
「そうですね、きっと」
「……何故、そうしないのだ。私があれだけ言っても、彼は一度として改めない」

 は、少し考える。そうだな、影丸はこれまでも言われてきたが、一度として直そうとした試しはない。筆頭リーダーは、きっと咎めているのではないのだ。純然たる疑問と、困惑を影丸へ見いだしている。言葉が厳しくなりがちであるが、彼なりに、影丸を評価はしている。だからこそ余計に、影丸の普段の姿が引っかかるのかもしれない。そうだろう、彼は生真面目で厳格な性質であるらしいから。

「……そうですね、これは私の勝手な想像ですが。私が思うに、彼は怖がっているんですよ」
「……怖がる?」

 思ってもない単語を聞いてしまったという風に、筆頭リーダーの顔が歪んだ。

「彼、昔はそれこそリーダーさんのように、誰かの為に戦って、強くなって、英雄になりたいって思っていたそうですよ」
「英雄に、か……」
「ただ、その気持ちがある時を境にへし折られ、それから彼は決めたらしいんです。誰かの為にと夢を追いかけるハンターではなく、自分の為の現実的なハンターになると。自分が守れなかったものを今度こそ守れるように、夢と理想より現実を選んだ。怖いんですよきっと、理想を口にしてまえば何かを失う、自分の選んだものを持ち続ける為に彼は……ああやって、振る舞っているのかもしれません。
影丸は、そうですね……言うなれば」

 は、少し声を潜めて呟いた。

「リーダーさんが貫こうとしているものを捨てざるを得なかったハンター、なんでしょうね」

 詳しい事は言えませんけど、これも影丸には内緒でお願いしますね。それを添えて、は口を閉ざした。

「……そうか」

 筆頭リーダーは、それ以上尋ねはしなかった。

「今のは、聞かなかった事にしておく」
「そうですか」
「……いつか彼の口から、聞けるのであれば、それまでは忘れておこう」

 見上げた彼の顔は、まだ困惑を浮かべていたが、眼差しは……真っ直ぐと前を見ている。不器用な筆頭リーダーらしい言葉に、はもう一度笑った。

「……我々、筆頭ハンターは、ギルドの息が直接掛かるハンターだ。公にされない任務を請け負い遂行する。陰で活動する我々を、全てのハンターから受け入れられているとは思ってはいない。私は彼を、羨んでいるのかもしれないな……ああいう風に、堂々と出来るのであれば、と」
「リーダーさん」

 筆頭リーダーは、眉間に刻まれたシワを解き、ふっと小さな息を吐く。

「後悔はしていないのも、事実だが。誰に何と言おうと、私はこの立場を、今後も守り通すだけだ」

 月明かりに浮かぶ、彼の精悍な顔立ち。はっきりと伺える強い想い、覚悟は、も見て取れる。嗚呼、これは影丸と同じだ。周囲が案じても、止めても、はばからず貫き通すであろう光景が、筆頭リーダーにも予兆のように見える。

 同じなのに。いや、同じだからこそ。
 彼らはきっと、明日以降だって、喧嘩をするのだろうな。

 やっぱりそう思えて、は僅かな呆れと、そうやって自らの意志を持ち続ける精神の強さに敬服した。

「……殿は、不思議な人だな」
「え?」

 は、目を丸くし筆頭リーダーを見つめた。ばちり、とぶつかった互いの眼差し。彼は途端に狼狽え、口ごもった。

「い、いや、すまない急に」
「い、いえ」

 何故か一緒になっても慌ててしまう。ほんの数秒、居心地の悪い沈黙が流れた。たった数秒であったはずなのに、酷い息苦しさを覚えるほどの、だ。

「……なんだ、その、殿には、不思議な存在感があると言おうか。我々ハンターとは違う、不思議な空気があると言おうか」
「そ、そう、でしょうか」
「ああ……決して、悪い事ではないぞ。誓って」

 やけに必死に繕うので、は圧されがちになりながらも頷いた。筆頭リーダーは一つ頭を頷かせ、満足そうに息を吐く。

「……君は、戦いはしないがキャラバンの全員から信頼が厚い。あの彼とて、君を信頼している事が窺える」
「私こそ、そんな大したものじゃないですよ」

 モンスターたちの声が聞こえるだけの、ただの人間の女です――――なんて、それは流石に言えなかったけれど。

「出来れば、仲の良いリーダーさんと影丸が見てみたいと思っているだけの、ただの女ですから」

 あえてにっこりと笑って告げると、リーダーの声がぐっと詰まり、眉間にシワが再び戻ってくる。

「……期待に添えるよう、努力はしてみる」
「ふふ、是非。そうしたら、キャラバンの皆で、ご飯食べましょうね。勿論、影丸とリーダーさんを隣に置いて」

 ますます深まった仏頂面に、はついに声を出して笑ってしまった。響きわたる自らの笑い声に慌てて口を閉じたけれど、引き結ぶ唇の端から堪えきれない笑みが溢れてしまっている。

、そろそろ戻るニャ。明日に備えるニャ」

 カルトの声が下から割り込んだのは、その時だった。
 そうだ、彼とて朝早くに出航すると言っていた。引き留めてしまっては大変ではないか。は改めて筆頭リーダーへ向き直り、頭を下げた。

「ごめんなさい、つい話し込んでしまって」
「いや……その、私の方こそ失礼した。戻るというのなら……直ぐ其処とは言え、船まで送ろう」
「え、そんな。悪いですよ」
「いや、それは私の理念に反する。さあ、冷える前に戻ろう」

 角灯を片手に、筆頭リーダーは背を向け歩き出す。肩越しに振り返った瞳は、どうした、と語っているので、は小走りに駆け寄る。こういった頑なな意志を匂わすところは、やはり影丸ともよく似ていると、は静かに思った。

「……? カルト、ほら行こう」

 自分で言ったくせに、そのカルトは妙に不満げな表情をしていた。アーモンドの形をした目は細められ、ヒゲが不愉快そうに震えている。何故急に機嫌が悪くなっているのだろうか、彼は。もう一度呼ぶと、カルトはぶすっとしながらもの後ろについて、トコトコと歩く。気にはなりながらも、は筆頭リーダーの斜め後ろを着いて行き、自らもその足を進ませた。
 船へと戻るその途中に言葉は無かったけれど、決して居心地の悪い沈黙ではなかった。数歩先を行く筆頭リーダーの背中は、真っ直ぐと伸びており、広く逞しい。一般人のには到底及ぶ事の出来ない場所に、彼も居るという事をふと思う。その背の迷いの無さは、も別の誰かから見ている。願わくはその人物が――――同じくらいに自らに厳しい彼が、もしも並んでくれたらどれだけ素敵な事だろうかと、は胸の内で浮かべた。
 今はそれが、どれほど夢想の想いであったとしても。




 ――――けれどはこの時、思ってもみなかった。

 この翌日、航海へ出立したイサナ船は、広大な海上で突如嵐に見舞われ、とあるモンスターの襲撃を受ける事になる。灰色の荒れた空と渦巻く白波を横切った、漆黒の鱗粉を撒き散らす盲目の黒竜。ハンターの強靱な肉体を蝕む、不可思議な病魔を放つその竜を退けるべく奮戦した影丸たちの前に、筆頭ハンターたちは現れた。
 彼らが極秘で請け負った任務が、正しくその盲目の黒竜であった事を知るのは……迷子の村へ遭難し辿り着いた時であった。

 キャラバンと筆頭ハンター、いや、影丸と筆頭リーダーの邂逅が思ってもいない形で始まる事を、まだこの時は、知らなかった。



MH4の話で、影丸と筆頭リーダーと夢主の話。
無茶をしてでも愛でてみようと思った結果です。

影丸と筆頭リーダーの、頭の固さとか頑なさとか、そっくりだと個人的に思ったので形にしてみました。対極の位置にありながら、根っこはほぼ同じだと思うのです。

でゴア・マガラ討伐を経て、中盤ムービーのあの、リーダーとキャラバンハンターの握手に繋がる……そう思ったら心躍る執筆者でした。
道中は非常に険しいですが。

ちなみに影丸の怒りとセルギスの怒りは別次元の怖さだと思ってます。
影丸の怒号は、イビルジョー。セルギスのマジギレした怒号は、アカムトルム。そんな風に思う節があります。
ちなみにレイリンちゃんの怒りは、ケルビ。(良心の痛み的な意味で)

(お題借用:as far as I know 様)

2014.01.31