君が綴る幾千の情景

 シキの国のとある一角には、遥か天上を穿つが如く聳える山岳――天空山と呼ばれるものが存在している。
 その山の佇まいは、世間一般でよく見かける、或いは山と聞いて思い浮かべるもの等から大きくかけ離れており、訪れる者達を等しく圧倒した。

 まずその山は、一繋がりの山脈ではなく、しかも安定した大地がない。天空山は、幾つにも砕かれた岩などが蔦性の草や樹木の根などによって支えられて地面を形成しており、その姿はさながら浮遊した大地。紙一重の危うさのもと、辛うじて山としての姿を保っているという、非常に特異な景観を有しているのである。またその危うさを体現するように、上空からは絶えず落石があり、パラパラと石が振り続けている。
 見下ろしても大地は遠く、見上げてもまた高すぎる空。其処に吹く風は冷たく厳かで、人智の及ばぬ神聖な領域を彷彿とさせる、摩訶不思議な地帯。天空の山とはよく言ったものだろう。

 そんな天空山は、特異な地形と際立った足場の悪さという点から、人が踏み込める場所はほとんど限られている。この厳かな山岳で過ごす事を許されたのは、足場の悪い大地をものともしない虫や獣、空を飛び回る術を得た竜のみである。
 だが巨大な獣達に守られているように、天空山には非常に良質かつ大量の鉱石が眠っている。この山でしか見られない特殊な鉱石も採掘される為、人間の知勇の象徴――ハンター諸侯の狩場に認定されていた。例え天空山へ踏み入れるには、不安定な揺れる岩盤や解放感溢れる高所に卒倒しない覚悟が必要不可欠だとしても、彼らは勇気を持ち――別の言葉で言えばただの馬鹿なので――その山岳に挑んでいる。


 ……そんな常識が通じない地形を有する天空山だが、不思議なものはそれだけでなく。
 幾つかに分かたれた大地の景観には、砕けてはいるが明らかに人為的に敷き詰められた石畳や、崩れてはいるが名残を感じる遺跡など、かつて何らかの文明が此処にあった事を想起させる要素が至るところで発見された。特に、ハンター達がキャンプを設営する通称《ベースキャンプ》には、気にならずにはいられない存在感を放つものが構えている。
 堅く閉ざされた、厚い厚い巨大な扉。人間どころか、並みの竜すら届かないほどの巨大な扉が聳えていた。
 その表面には不思議な模様が描かれ、まるでこれを封じているようだと言う。扉と言えば、隔てる役目を担っている。何を閉じ込めているのか、何を隔絶し守っているのか、開く気配のない巨大過ぎる扉から判断は不可能だ。
 だが、此処を訪れ扉を見上げたハンター達は皆口を揃えて告げる。天空山には何かが秘匿されている、と――――。

 そしてそれを証明づけるように、天空山に纏わる伝説や伝承が幾つか現代に残されていた。


 ◆◇◆


 一か所に留まらず、海の中から砂の中まで移動する集会場として名高い、堅牢な造りを誇る巨大なギルド船。その内部に設立されているハンターズギルドのクエスト受注カウンターには、行き交うハンター達を見守る年老いた竜人が居る。
 ウエスタンハットを被りパイプを吹かす小さな小さな老人……キャラバンの聖地バルバレにおける、ギルドマスターだ。
 竜人族とは、この世界に暮らす一族の一柱。何処となく不思議な雰囲気を纏う彼らは人間とは異なる存在で、特徴的な相違点はその長い寿命。彼らは齢百を容易に超え、長きに渡りその生を全うするらしい。そして竜人族は、年若い頃は人間と同じ背丈であるが、長く生きて老いてゆくととても小さく縮まるらしい。それこそ、このギルドマスターのような、小学生ほどの背丈にまで。
 だが小さく縮むと言えど、際立って長い生を歩いてきた彼らの貫禄というものは深く。このギルドマスターも、穏やかなご老体ではあるが対峙すると緊張を抱くほどだ。少なくとも荒くれのハンター達を毎日相手にしているのだから、風格というものは表れてくるのだろう。

 ユクモ村のギルド支所を統括するギルドマネージャーからも、不思議な存在感を感じていたが。は、パイプを咥えた小さなご老体からもそれを見い出していた。

 大砂漠の海を目前にして展開されるバルバレの、今日も暑い陽射しが注ぐ昼下がり。《我らが団》のキャラバンは、現在バルバレに移動し腰を落ち着けていた。
 団長がギルド関係機関に身を置きながら飛び出した異色の書記官の為かギルドマスターとも認知があり、またお抱えの筆頭ハンター諸侯と何故だか交流が密にあるせいか、《我らが団》は数多く存在するキャラバン隊の中でも特に目を掛けて貰っている。おかげでこうして、ギルドマスターとも飲み物と茶菓子を広げて茶飲み話が出来るほどだ。本来ならばハンターやギルド関係者でなければ入れないギルド船へ、が踏み入れてのんびりと話し込んでいられるのも、それのおかげである。

「……ほう、ならば君達はユクモ地方の、あの温泉の村で」
「ギルマスは知っているのか、ユクモ村」
「長く生きているとね、色々な人々と出会う。特にこのキャバンではね。ユクモ村の評判も、よく耳にするよ」

 の隣にはギルドマスターを前にしても特別畏まったり気取ったりしない、ユクモ村専属ハンター改め、我らが団ハンターその1の影丸が並んでいる。カウンターへ片腕を掛ける彼に、ギルドマスターは気にした様子はない。彼からすれば、影丸などヒヨっこのヒヨっこなのだろう。

「気風も文化も、ユクモ村とは違うだろう。どうだ、ようやく慣れたかな。こちらで親しい友人など」
「おかげ様で、特に関わりなんぞ持ちたくなかった筆頭ハンター達とも交流がある」
「それは何よりだ。……リーダーとも、上手くやれているかな」

 影丸は肩を竦めると、素っ気なく「ああ」とだけ呟いてコップを口に近付ける。興味無さそうな、何処か斜に構えた毎度お馴染みのこの姿勢。けれどギルドマスターはうんうんと頷いて「良きかな良きかな」と満足そうだ。もこっそりと笑みを浮かべ、影丸を眺め見上げる。その視線に気付くと、影丸はベチリとの頭を叩く。

 生真面目な筆頭リーダーと、不遜極まりない影丸による、互いに噛みつく言葉の応酬劇。あれは本当に酷かった、今思い浮かべても溜め息しか出ない。
 会うたびに喧嘩腰、目が合えば口喧嘩の開始。蒼い竜と黒い獣を背後に現し、そらもう呆れるほどの不仲であった。その中で、団長自ら止めに掛かる場面も少なくなかった。
 根っこの部分では同じはずなのに、互いに食ってかかったのは正反対な性格のせいだったのか。それとも互いに持つ理念と価値観によるハンターの意地か。彼らの関係は初対面した時から酷いものだったのはもよく覚えている。
 それが今では。
 ふふ、とは笑う。肩を並べて杯を交わした時は、彼らを除いた全員が目を張ったものだ。

「まあ、それは置いといて、だ」

 影丸はカウンターに広げた茶菓子を一つ摘まむと、口へ放り込む。あからさまな話題転換は、彼の照れ隠しだろう。

「本当にこの辺は面白い土地が多いな。特に天空山、あれは面白いところだ。ユクモ地方からは行けなかったからな」
「シキ国にあるんだっけ? よく分からないけど、影丸の故郷なんでしょ?」

 この辺りではそう聞かない名の響きと、黒髪黒目の特徴。シキ国出身というのは、ユクモ村に居た頃にレイリンから聞いていた事だ。恐らく、西洋ではなく東洋の文化を築いた和の国だろうとはも思っている。何分この世界は思った以上に広いので。

「シキの国っつったって、広いからなあ。どの山が何て呼ばれてるとかまでは、全部把握なんかしてない」
「そりゃそっか」
「天空山……あの山は確かに、興味深い事が多数ある」

 ギルドマスターはパイプを吸い込み、吐き出した。と影丸は揃って、年老いた小さな竜人を見つめた。

「気付いているだろうが、あの山の至るところには古い遺跡が数多く残されているだろう」

 ああ、と影丸は頷いた。も彼らの採取ツアーに連れて行って貰い、あの特異な山の姿は目の当たりにした。

 削られた岩と岩が蔦性の植物や樹木の根によって繋がれ、辛うじて山としての姿を保っている、不可思議な地形。天空に留まる山は危うい均衡のもと悠久の風に吹かれ、今日も厳かに生物を抱く。
 神秘的な景観であるけれど、あれは本当にスリリングだとは苦く思う。何せ岩と岩が互いに寄り添って植物に絡まれ、何とか地面が出来ているのだ。しかも周囲は、厚い雲となお高い空。恐る恐る縁から見下ろせば、その下に大地は無い。しかも、上空からは絶えず小石や岩石が降っており、何だ、もう。よくハンター達はそんな場所を飛んだり跳ねたり出来るものだ。初めて踏み入れたは、両隣にレイリンとセルギスを配置して腕をがっしりと組み、足元にはアイルー達を配置し防御態勢を取っていた。まあ其処を後ろから影丸が驚かしてきて、幾久しくマジ切れした記憶は新しい。

 そんな天空山、慣れてからも気付いたが、確かにあれは不思議な山だった。その佇まいもさる事ながら、至る所には其処にかつて文明があった事を色濃く想起させるものが数多く見受けられたのだ。
 まずは、足元。草生す大地もあるが、明らかに人為的に組まれ敷き詰められた石畳の地面もあった。
 さらに、ぐるりと見渡す周囲。寄りかかる巨大な岩石の群集の中に、朽ちて古めかしくはあるがはっきりと形を残す門や建物等の建造物があちらこちらに存在していた。
 天空山には、かつて文明があったという、何よりの証拠だ。もっともそれは、あの古さから大昔だろうとしか想像出来ないけれど。

「ユクモ村に居た時も、色んな土地は見た。渓流、凍土、火山に孤島に水没林。遺跡っぽいのは確かにそこかしこで見たけど、天空山ほど大量の遺跡は見た事がないな」
「おお、何か影丸がそう言うと、凄く賢そう」
「ようやく俺の知的な所に気付いたか、崇め奉れ」

 冗談を交わすと影丸に、ギルドマスターはシワだらけの顔にくしゃりと笑みを浮かべた。

「ギルドの研究機関も、あの山の特異性に目を付けてはいるんだよ。あの遺跡群から察するに、天空山にはその昔文明が築かれていた。それはきっと……大昔に姿を消したと一部の学者が言う古代文明に違いない」
「古代文明……」

 呟いたへ、ギルドマスターは頷いた。
 現代の技術力を容易く凌駕する、様々な叡智と富に溢れていた文明――古代文明。命すら生み出したとも古文書が語る、謎多き古の時代。

「もっとも本当に存在していたのかどうかも怪しいと言われる時代だ。推し量る術はほとんど無いし、興味を抱く者は少ない。それよりも、今日の稼ぎやモンスター被害の方に天秤は傾くものだしね」
「そりゃそうだな」
「もう影丸ってば……。でも、天空山って不思議な場所ですよね」

 その空気というか、雰囲気というか。が何気なくそう呟くと、ギルドマスターはふと穏やかに響いていた声を変えた。

「そうじゃのう、天空山は……伝承やお伽噺が残された場所だからね」
「伝承、ですか」
「そうだねえ……なら一つ、面白い伝承を聞かせてあげよう。若者よ」

 ギルドマスターは佇まいを直すと、その落ち着いた声で朗々と語りだした。
 と影丸はそれに耳を傾け、口を噤む。


 天空山には現在、他には見られないほど数多くの遺跡群が残されている。その遺跡群が、かつて世界に存在していたと囁かれる古代文明の遺物であるとするならば、その文明の地盤にあっただろう天空山がどうしてあのような危うい姿になってしまったのか。
 天空山ではその昔、地殻変動という自然災害に襲われた痕跡があるようで、多くの者は自然の力によってそうなったと口にしている。だがその常識的な世間の見解の影には、それに纏わっているのか、とある興味深い伝承があるそうな。
 伝承では、こう語る。あの山とて昔は、何処にでもある普通の山だったとされている。だが、傷を負った正体不明の長大な長虫が、苦痛のあまりにこの山に巻き付き、山肌を抉り締め付けのたうち回ったと云う。
 そうした結果、山はことごとく砕かれ――――現在の、あの奇妙な危うい姿になったという。


 は関心し、へえ、と聞き惚れていた。ギルドマスターの老齢な声も相まって、とても興味深い。それこそお伽噺を楽しむ子どものような心境に近い。
 のだが、夢のない人間が、此処に約一名。

「長大な長虫ィ? ないない、素直に自然災害と言った方がよっぽど説得力がある」

 雰囲気ぶち壊しな影丸の無神経さときたら。
 は影丸の足ごと床板を踏み抜く勢いで片足を叩き付けた。
 軟弱な現代っ子と思う事なかれ、ハンター達と世界の非常識さに揉まれると逞しくならざるを得ない。
 現役のハンターに呻き声を上げさせる渾身の足技は、水面下で綺麗に決まった。だが、ギルドマスターは楽しそうに笑っており、水を差す影丸にちっとも怒っていなかった。

「ほっほほ、実に分かりやすい反応だ。そういう潔さは嫌いではないよ」
「う、ぐ……ッ足の小指にめっちゃ入った……ッ」
「でも……伝承っていうのは、わりと実際にあった事を脚色していたりもしますよね」

 影丸は放っておき、は尋ねる。ギルドマスターはパイプを咥え直して言った。

「そうだねえ。実際にあった事かもしれないし、空想のお伽噺かもしれない。どちらなのか、ワシも未だ知るところではない」

 けれど、そうやって追い求める事に、疑問の答えを探す事に意味があると思うよ。ギルドマスターはそうへ笑った。

「ワシね、こういうお伽噺や伝承を調べたりするのが好きで、昔は集めて回ったものだよ。これでも若い頃は、キャバンの団長でもあったんだ。探すにはうってつけだよね。だがやはり、古代文明も多くの学者はそもそも存在しないと言っているし、このお伽噺だって単なる空想だと切って捨てる者だって多い。  ……けれど、それではつまらないと思わないかい。未知を知り、未知に挑み、世界にあまねく存在する人智及ばぬ不思議な部分に触れる。それこそが最高の醍醐味だというのに」

 そもそも、一つの疑問に対する答えなど、人の数だけそれぞれ存在するもの。己だけの回答を得るのも、それもまた重要ではないだろうか。
 楽しそうに身体を揺らす、ギルドマスター。人とは異なる、長命な竜人の笑みは、不思議な深みが感じさせた。二十年そこそこの娘が、それこそ及ぶ事ではないのだろう。

「いつかこの、天空山を締め付けたという長大な長虫の正体が分かる日を、楽しみにしているのだ。ワシの中に長年住み続けている、積年の疑問だからね」
「居るのか、そんなものが本当に」
「どうだろうね。仮にその正体が本当に長大な生物がいたとして……君ならどうするかな、若きハンターよ」

 ギルドマスターの静かな眼差しが、影丸に注がれた。一瞬煌めいた鋭さに、の方がドキリとした。けれど影丸は、対峙してもなお普段と変わらぬ面持ちをしていて。

「――――ぶっ倒す。それだけだ」

 簡潔的過ぎる返答。だがそれが、迷う余地が常に見当たらない影丸らしくもあった。潔い横顔に、も一瞬心臓を鳴らす。

「――――だからワシ達は、君達人間に、君達ハンターに、興味と尊敬と感謝が尽きないのだ」

 一転しギルドマスターは、シワだらけの顔にさらにシワを作り出し、にっこりと笑った。

「ちなみに、長虫という言葉の意味だがね――――これは、蛇の異称だよ」
「へび、ですか」
「そう……山に巻き付き、山肌を抉り、削り取ってしまうほどの長大な蛇。伝承が本当だとすれば、一体どれほどの大きさで、どのような姿をしているのだろうね」

 仮にもし居たとすれば。それはもう、人と獣ではなく――――神の領域なのだろうな。

 ギルドマスターのそんな言葉を締めくくりにし、と影丸は我らが団キャラバンへ戻る事となった。
 その帰り際になって、影丸はギルドマスターへ思わぬ事を尋ねた。

「ギルマス、アンタ確か伝承とかお伽噺とか、そういうの集めてたんだろ? ならさ」

 影丸の精悍なかんばせに、ニヤリと浮かぶ意地の悪い笑み。妙に嫌な予感がして、は怪訝に隣を眺め見上げた。

「――――例えば、モンスターの言葉を聞く人間の話、なんてのはあるのか?」

 ギルドマスターはきょとりとした。バルバレを取り締まる顔が一瞬吹き飛んで、吃驚させられたご老体そのものに素っ頓狂に目を丸くする。それと同様に集会場の空気からも、何処か生温い、不思議がる感情が透けて見えた。
 実際、影丸が口にした言葉は与太話。酒の席でたびたび流れる、ハンター達の間で笑い話になっているネタだ。助けて貰ったモンスターが人になって恩返しを果たすだとか、人に惚れてしまったモンスターが人の姿になって求婚しに来るだとか、そんな夢物語の類。そんな事あるわけがないと、笑われるだけだ。この場の空気が、正にそれを証明している。

 ――――その夢物語を体現してしまっている者が此処にいるなんて、誰も。微塵も思っちゃいないだろう。

 ただ一人、だけがギョッとなって目を剥く。別にそんな話、誰も信じるわけがなく慌てる必要もないのに、心が乱されたのはやはり秘めた事を明るみにされた動揺か。は思わず、影丸の腕をつんと引いた。を見下ろした男の顔を見て、直ぐに察した。足を踏みつけられた意趣返しらしい。こいつ、とは眉を上げた。

「モンスターの声を聞く人間、か。君は面白い事を言うね」
「ハンターの間じゃあ、嘘か本当か分からない話なんかごまんと存在してるしな。そういう話も、もしかしたらお伽噺になってるんじゃないかなってな」
「なるほど、そういう事か。まあ君の言う通りに、その手のお伽噺は確かに存在がするね」

 ギルドマスターは、何処か飄々とした仕草で笑った。影丸は肩を竦めるだけで、特に返答へ噛みつく事もない。に対する意趣返しの目的は、十分果たしたので。
 けれど、ギルドマスターは不意に声音を変えると、静かに影丸へ問いかけた。

「――――仮にもし、そんな存在があったとして」

 と影丸は、小さな竜人へ振り返った。

「一体何の目的で、モンスターの声を聞くのだろうね。人と獣、共存していながら時に命を懸け戦う、この世界で」

 その時、ギルドマスターはを見た。何かを意図したわけではないはずなのに、心の奥深くを透かすようなその静けさに、はドキリとする。けれど、ギルドマスターは直ぐに微笑みを浮かべると、パイプを咥え直した。

「人も竜人も及ばぬ不思議な事は、世界にあまねく存在するものだ。だからワシは、それを探し読み解くのが好きなのだよ」

 そしてその未知に挑み切り拓いてきたのは――――やはり、君達人間であり、ハンターだ。

 にこやかなギルドマスターに見送られ、今度こそと影丸はギルド船から出た。外は乾いた風が吹き上げ、陽射しが注いでいる。キャラバンの聖地たる事を表すように、大地は荷駄を引く人々がひしめき、目映い空には幾つもの飛行船、そして遥か先まで熱砂の海が続いている。

「もう、吃驚した。急にあんな事言うなんて」
「誰も信じやしない。与太話か何かだと、今頃もう忘れてる」
「そうだけどさあ……」

 はもう、それ以上言うのを止めた。どうせこの底意地の悪い邪悪な笑みが、聞く事も無いだろう。
 と影丸は肩を並べ、のんびりと歩を進める。

「でも……ちょっと安心したような、寂しいような感じがする」

 影丸は不思議そうにし、の頭を見下ろした。
 モンスターの言葉が聞こえるなんて、自身も全く分からない事なのだ。桜色のアイルーだった時から現在までの間、原因の核心に近付く事すら無く、放っておくしかなかった。今だって横切った荷駄を引いているガーグァが「喉渇いたー!」と叫んでいた。当然誰も気付いていない。
 にとっての日常は、人々にとっては与太話なのだ。別に大声で言いたいわけではないから、事情を知る者以外には普段秘密にしている。けれど、笑われたら笑われたで少しショックを受けるのは、我がままだろうか。
 しょんぼりとするの頭を、影丸はしばし見つめて。ぽんぽんと手のひらを落とした。

「正直、俺も未だにピンと来るもんじゃないけどな。けどまあ、俺にとっては別に何だって良いわ」
「別にって……」
「ハンターとして、やるべき事をやる事の方が重要だ。お前やセルギスの件が……現実だったのか夢だったのか正直今も不思議なんだけど、何にせよ俺がやる事は変わらない」

 お前もそうだろう、と。影丸の眼差しが告げる。
 精悍な顔に浮かんだ笑みは邪悪なのに、迷いの無い強かさ。現実をしかと受け止める彼の強靭な精神を、その笑みから感じた。
 本当、これだから影丸は。少し悔しく感じながら、もようやく口元を綻ばせる。己と周囲が何であれ、のやる事は変わらない。彼らとの関係が変わる事もない。首に下げた、小さな青熊獣の爪の首飾りがきらりと視界の端で光って揺れた。それもそうだね、とが返すと、影丸の笑みが深まった。

 ――――けれど。

 はふと、ギルドマスターの言葉を思い起こす。モンスターの声を聞く人間の、お伽噺。作ったものか伝承が由来したのか定かでないが、の現状とほぼ同じだろうその物語については、少しだけ気になった。それに、あの話も。

「天空山に巻き付いて抉った、長大な長虫、かあ……」

 は、ぽつりと呟く。影丸はやはり、嘘か本当かあまり興味は無さそうだった。だが、人の常識が及ばない自然を最も近くで見て、その脅威を命の危機も天秤に差し出し見てきたのも彼である。
 興味がない、というよりは、事実だろうと虚偽だろうと彼が貫く志を狂わすものではない、という事なのかもしれない。

「居るのかなあ、そんな大きな蛇」
「さあな、けど伝承っつうのは色んなところにあるもんだしな。ユクモ地方にだって確かあるぞ」
「そうなの?」

 影丸は一つ頷いた。何でも、村の老人方の間ではまことしやかに伝わる話らしく、影丸も幾度か耳にしたようだ。その内容は。

「その昔、渓流にあった村々をたった一晩で飲み込んだ嵐の話、とかな」
「……嵐?」
「突然訪れた大規模な嵐が、村を一晩で壊滅させたんだと。大災害として語り継がれてるんだが、何かを示してるんだか知らないがユクモ地方の空には飛行船は出せないんだ」

 ギルドの観測船も、キャラバンの船も、ユクモ地方の空には決して飛ぶ事がないらしい。というのも、浮かびあがると例外なく全て空から叩き落とされるとの事だ。
 一体何が船の侵入を拒んでいるのか長年謎であるが、ユクモ地方では空は決して踏み入れてはならない不可侵の領域と信じられている。あの空には、神が居ると囁く者だって存在している。

「一晩で村を飲み込んだ嵐は置いといて、少なくとも空が飛べない理由は神様じゃないだろうな」
「どうして?」
「ハンターの勘だ」

 本当、彼らの勘というやつは。は小さく笑うが、影丸の目には何か確信めいたものがある。

「世の中には、其処に存在したり動いたりするだけで災害を起こす生き物がいる。ジエンやダレンだってそうだ、温厚な性格らしいんだが動く災害の代表格だろう」
「う、確かに……」
「それに、色んな生き物が次々に確認されてんのがこの末端の大陸だ。常識は、あってないようなもんだしなあ」

 そうだろう、少なくとも隣の男と彼も就く職業には、常識が無い。
 は、ふう、と息を吐いた。ジリジリと注ぐ、暑い陽射し。人波と陽炎の向こうに、熱砂の大海原が見える。

「居てもおかしくないのかな、そんな生物」
「居るかもしれないし、居ないかもしれない」
「本当、不思議な事ばっかりだね。世の中」

 全くだと、と影丸は揃って吹き出し笑った。
 そしてそんな未知の世界に挑み、切り拓くのが、この世界の人々なのだ。もしかしたら、ギルドマスターが追いかける伝承の、その長大な長虫とやらの正体が判明する日が……いつか、来るのかもしれない。

 数多の空と大地を、廻り巡って故郷へと帰る、あの竜との邂逅のように。



 ◆◇◆



 クエスト受注カウンターに座っていたギルドマスターは、一度奥の部屋へと戻っていた。
 机の上にはギルド職員からの報告書や、古龍観測所からの近況報告――特に、キャラバンの宿敵たる豪山龍の出現情報や移動経路――が積まれている。それらを見下ろしながらも、ギルドマスターの溜め息と眼差しは机の上には向かっていない。
 数多くのキャラバン隊の中でも、《我らが団》は非常に繋がりが厚い隊だ。ギルドの関係機関から飛び出した書記官、忌まわしき大災害の根幹に導く鱗、筆頭ハンター達から信頼を獲得したキャバンハンター。中々面白い縁で繋がっていると、ギルドマスターも常思っているのだが。
 天空山に纏わる伝承をつい語ってしまったのは、それのせいだろうか。
 バルバレのギルドマスターは、若い頃キャバンの団長をしていた。その傍らでは、様々な伝承やお伽噺を集める事に熱意を込めていて、彼ら――と影丸へ語った事は、今も彼の興味を引いているものだった。

 傷を負った苦痛のあまり、山に巻き付いて締め上げ抉った、正体不明の長大な長虫。

 天空山を現在のあの形にしたと語られる伝承を、ギルドマスターは単なる空想とも思えないでいるのだ。長い歳月が経過した、今もなお。得てして伝承とは、という名の人間が言ったように、事実に基づいて脚色したものが多い。或いは、そのものか。
 それに長虫の正体もさる事ながら、天空山自体にも疑問が残る。

 一つ、天空山に残る遺跡群。
 あの山に文明があった事は紛れもない事実であるが、そもそもこの文明は何なのか。一体どうしてそれが現在のように風化したものか。
 その昔、天空山には大規模な地殻変動があったと推測されている。合理的に考えるならば自然の力によって滅んだとすれば良いが……看過出来ないのが、一部の学者の間で囁かれる古代文明の存在だ。繁栄を極め、命を生み出す業をも手に入れた古の文明。永遠に栄えるはずだった時代は、とある一つの大国の崩落をきっかけにし、天変地異とも言える大規模な戦争によって滅んだと言われている。
 一般では語られる事が滅多にない、人と竜の忌まわしき大戦争――――竜大戦時代。
 多くがありもしない時代だと捨てているが、ギルドマスターという地位である以上、彼も秘匿された真実を知る機会は何度もあったわけで。
 古代文明は、人と竜――奪う者と奪われ続けた者――の戦いによって滅んだ。それこそ、文明の技術や風景など大部分が失われるほどの、天変地異とも言える戦いだったと語られている。
 そうなれば、天空山に築かれていた文明の崩落の原因は、地殻変動とも言い換えられる何かだ。もしやそれは……。

 それをふまえた上で。二つ、伝承で伝えられる謎の長虫。
 長虫とは、つまりは蛇の異称。山をも引き裂いた長大な蛇が存在する事になるが、それが本当に存在する生き物であるかはさておいて。この長大な蛇は、傷を負いその苦痛によってのたうち回り、結果として山を裂いたという。
 ならばそれほど長大な生き物が、柔な構造をしているはずがない。であれば、一体《何が》この生き物に苦痛を感じさせる傷を負わせたのか。
 ……伝承が発祥した時代も、どれほど昔の事であるかも定かでないけれど、この生き物が存在しても可笑しくはない時代がかの古代文明。竜大戦時代の事とすれば、その蛇に傷を負わせたのは間違いなく――――。

 そして、最後の、三つ。
 これは、や影丸はもちろん、多くの者達には未だ言えぬ事であった。最近の、天空山の不可解な現象である。


 ギルドマスターは、シワだらけの小さな手で、一枚の羊皮紙を持ち上げた。それを顔の前に広げ、神妙にパイプの煙を吹き出す。

「……何が起きようとしているのだ」

 ギルドマスターは小さな声で呟きを漏らす。ギルド職員を派遣して行っている、天空山周辺の視察の報告なのだが、近頃気になる事が増えているのだ。
 天空山は不安定な姿をしている為に、上空から絶えず小石が降り、落石 が発生している。訪れる者も未だ気に留めていないだろうが、この落石現象が顕著に目撃されていた。地鳴りや揺れがたびたび起きているのでそれによる弊害だろうが、その回数が増え規模が広がっているとなると見逃す訳にはいかない。

 考えるまでも無く、これはもう、予兆だろう。
 その昔にあったという、地殻変動を想起させる、予兆。

 ギルドマスターは小さく息を吐く。長虫、地殻変動、古代文明の崩壊。全て憶測の域を未だ越えていないが、何かが起きようとしている気配を、彼は最近特に覚えた。だからなのか、《我らが団》の者達に伝承を聞かせたのは。

 何も起きなければそれで良い、だが。
 ギルドマスターは不穏な気配を嗅ぎ取りながら、伝承の続きを垣間見れるやもしれない予感も抱く。今の段階ではまだ何も言えないけれど、近い将来もしかしたら、彼が長年追いかけてきた《長虫》の正体が浮き上がるかもしれない。

 ……ギルドマスターは、羊皮紙を置いた。それはさておいて、もう一つ気になる事が。

「……影丸、まさか何処かで《あの本》の存在を知ったのか?」

 ハンター達の間で、酒の席の話題の定番であるが、あの時の影丸の目は。一瞬ではあるが、冗談の類を全て消し去って本気で尋ねていたように思う。


 ――――例えば、モンスターの言葉を聞く人間の話、なんてのはあるのか?


 あの場で、真に受ける者など居なかっただろう。このギルドマスター以外は。それで良かったと、安堵しているが。
 モンスターの言葉を聞く、人間の話。お伽噺と咄嗟に言って笑ったが、驚いていたのも事実だ。あれは……ギルドの奥深くで厳重に保管されているはずの、あの蔵書への問いかけに聞こえた。

 栄華を極めた古代文明の傍らに製造されたという、とある兵器。
 それは、数多くの竜の素材によって生み出された兵器《竜機兵》とは異なる、特異な力を授けられた人の姿をした兵器だったと記述されている。
 その特異な力とは、破壊ではなく……声を聞く事だと。

 名の知らぬ研究者が残した、古びた著書に書かれた兵器の存在を、一介のハンターが知るはずがない。あれは単なる思いつきだろうとは思っている。だが、何故あのような事を問いかけてこれたのか。ギルドマスターは不思議で仕方なかった。
 伝承とお伽噺を集める者として、彼もあの兵器……《精霊の声》持つ者の存在は、非常に興味深い。が、あれこそ全く未知の存在で手がかりなどなく、目下資料集が続いている。

 ギルドマスターは首を傾げて唸ってはいたが、不意に、小さく笑ってそれを払った。人智及ばぬ崇高な領域、決して計る事の出来ない万物の世界。それに挑んでこその我々であると。
 ギルドマスターはその後、引き続き天空山の調査と偵察を行った。追いかけ続けたある一つの伝承が、動き出しそうな気配を色濃く感じ取りながら、彼は地を歩む者として今日も挑むのである。

 これだから、この世界は面白いのだ。



バルバレのギルドマスターは、昔キャラバンの団長をやっていて、伝承やお伽噺を集めていた。
というのを確か上位集会場で喋った気がするので、いつか書いてみたかった話。

主に盛大なネタバレと、管理人の考察、そしてこのサイトにおける設定の引用がしたかっただけです(笑)
長虫の正体は、きっとMH4をプレイした方ならば知っているでしょうが、もう一つの兵器については完全にこのサイトオリジナルなので余所で話したら恥ずかしいぞ! 主に私が!

多分あのギルドマスターならば、これくらいの事は語りそう、という私の想像。

エキストラ参戦したユクモ地方の話。覚えている方は覚えていらっしゃるでしょうか。そういえばユクモ村の空には、飛行船の類は飛ばないんですよ。その理由は……古龍の中で1、2を荒そうほどに縄張り意識の高いかの竜のせいだそうな。

山に巻き付いて締め上げ、抉り取ったという長虫。気になった方は是非検索!
長虫を傷つけたものは、個人的には多分人間じゃないかなあと思ってます。もしくは、古代文明に居たハンターさん(笑)
あいつら高度何百メートルから落ちたって炎に焼かれたって死なない不死身んだぜ、長虫くらい余裕だろ。
(しかもその通りというのがまた)

(お題借用:スカルド様)

2014.11.01