今もこの場所から動けずに居るのです

――――― 寝台に横たわったセルギスは、少し小さく見えた。
写真の彼はもっと若かったし、記憶の中の彼も強さを纏ったような空気があった。あの頃の記憶が、影丸を現在に至らせたようなものだったが、目の前でシーツに身体を埋める様子は予想外でもある。
七年という時間は、決して短いものではない。感慨深いものはあるが、同時に奇妙な違和感があったのも事実である。影丸が、七年もの間、死んだと思いそして追い続けてきた面影が、目の前にある為なのか否か……。
まじまじと見たセルギスの、年齢を増し一層盛りとなった狩猟者の凄みと 記憶と多少の異なる穏やかさに、影丸はしばし捕らわれた。

「――――― まるで、死人を見つけたような顔だな」

ハッと、影丸は意識を戻した。寝台に横たわるセルギスは、いつの間にか瞳を影丸へ向けていた。穏やかな悪戯も含んだ眼差しであるが、あの頃と同じだと思った。

「死んだとも、途中から思っていたくらいだ。仕方ない」
「それでも当初は、俺を殉職扱いするなと言っていたのだろう? 農場も何とか残そうとしてくれたらしいじゃないか……中々、可愛げのある事をする」

……いつの間に、それを聞いた。
影丸の表情が僅かにひきつるが、村長やギルドマネージャーなどがセルギスの元へ足を運んでいるのだから、その昔話が伝わっても可笑しくはないと思い至る。
あれだ、若かりし頃の何とかっていうやつだ、と影丸は口を開きかけたが、セルギスは笑みを浮かべたまま「すまないな」と呟いた為、全て出る事無く途絶える。

「迷惑を掛けた。ジンオウガ討伐が、七年前らしいが、あの頃から随分と無理をしていたのだろう」
「別に、俺は」
「……分からないと、思うか」

セルギスの笑みに、苦笑いが混ざる。

「武器と防具を見れば、大体予想出来る……だがその生活を辛かったかどうかは、俺が言う事でも尋ねるべき事でもない。それがハンターという仕事だ。だが……随分、見違えたな」

影丸は、ぴくりと肩を揺らした。
セルギスの声には、満足、あるいは期待、あるいは何かの、感情が含まれ、影丸の鼓膜を撫でる。それが、友人であり師であった彼に認められたという事実を表しているはずであるのに、影丸の神経をざわつかせた。カリカリ、とささくれた部分が引っかかれるような、違和感。

「無理をした点はあまり褒められないが、あれから七年も経てば、ハンターとしての技術は上がるものだし、其処に関してはすっかり立派になった」
「――――― 違う」

飛び出した影丸の声は、思いのほか大きく、セルギスの目を僅かに見開かせた。

……立派? いや、違う。
あの時から俺が求めていたのは、そういう褒め称えられるものではない。
影丸の手に、無意識の力が込められる。それを視界の片隅で見つめながら、セルギスは彼を見上げていた。じっと、影丸が話すのを待つように。
開け放たれた窓辺から、温泉の匂いを微かに孕んだ風が流れ、静けさを彩る。

「俺は、アンタがあの時……ジンオウガと一緒に落ちた時、情けなさで死にそうになった。俺はただ、アンタに近付きたかっただけだ」

喧嘩も強くて、ハンターとしても腕が立って、村人から頼りにされて、それでもそれを鼻にかけない人柄で。
要するに、セルギスの背をただひたすらに追いかけていた、それだけだ。
まるで大志のように抱き続けた、モンスターへの激情と、亡き彼への想い。その根本にあるのは、あの頃青い感情に振り回された少年が追いかけた、友人への羨望。

あの時俺に力があれば、上位ハンターのアンタに無様な失態を演じさせる事も無かった。オトモアイルーたちを失意の中、ユクモ村から立ち去らせる事も無かった。
あれから確かに、力を求めて実力は身につけたものの、影丸のその覚悟は茶番であったようにも思えてならなかった。

「……俺は、アンタを二度も殺そうとするところだった」

吐き出した言葉は、床へ落ちる。
ハンターなどの間でよく噂される、モンスターが人になったとか、人がモンスターになったとか、世迷い言に等しいそれに立ち会った事があるはずが無いのだから、あの最大金冠サイズのジンオウガをセルギスと思うわけが無いにしても……。
自身で恐れた事態を招こうとしていたのを、思い知らされ、酷い醜態に羞恥心すら起きない。

そんな影丸の様子を、寝台の上から見上げたセルギスは、小さく息を吐き出した。

「……全く、七年もの間で技術は俺を超えただろうに。中身は、昔からちっとも変わらないな」

影丸の絞り出した声音とは、まるで正反対な笑みを含んだ低いそれ。影丸の吐息が、ヒュッと吸い込まれる。

「背が伸びて、身体つきも良くなって、ハンターの風格も出たというのにな。一つの事にしか目がいかないのが治らないんじゃあ、せっかくの経歴が霞むな」

三十歳前後の年齢を益した面持ちは、悪戯に満ちている。《自由》過ぎる環境で獣とし暮らしていた為か、以前の彼より幾らか奔放な性格になったように感じた。

「ヒゲツのあの装備、確か覇竜の端材から作られているんだろう。行った事はあるが、装備を作れるほど覇竜と戦った事はない。
それに、理由は何であれ、お前はハンターが目指す最高ランクから二番目になっていると聞く。弟子まで取ったらしいじゃないか、あの娘も上位ハンターであるらしいし、お前が育てたのだろう?
十分な、功績だ。それらの、一体何処に、卑下する理由がある?」

セルギスは、赤銅色の髪を揺らして、顔を傾けた。
伸び放題だった髪は、今は綺麗に整えられ、首筋へ軽く掛かる程度の長さにまで短くなった。前髪も眉の下ほどの丈になり、彼の瞳がよく見える。
だがそれによって、点在する古傷の痕跡が陽の下に晒された。その中には、影丸が浴びせた傷も多く残っているはずだ。全身に刻みつけながらも、セルギスはまるで気にしていないのか落ち着いた笑みを崩さずに言い放つ。

「――――― だから、胸を張れ。堂々と誇れ。俺はお前を容易に超えた、と」

セルギスの手が、キルティングの掛布からもそりと出され、影丸に伸びる。
差し出された手のひらは広く、指もすらりと長い。

「俺は当分は、このザマだ。だから、お前が村を守れよ。英雄」

影丸はその手を、握って良いのかと迷った。
迷いの理由なんて、思い当たるものは多い彼を知ってか知らずか、セルギスは三十歳前後の男性らしい静かな笑みを崩さない。
……いや、多分知っているだろうな。知っているからこそ、こうやって改めて告げているのだ。セルギスは、そういう男だ。昔から。

影丸は、強張った頬の緊張を解き、差し出された手をパンッと音を立てて手のひらを合わせた。

「……アンタ、老けたしな。とても直ぐに、ハンター職に戻れそうじゃねえし」
「老けたのは不要だ、若造。減らず口を叩く前に中身も大人にならないと、俺が昔話を全部バラすからな」

……じゃっかんの悪意すら含んだ笑みに、影丸はピキリと肩を硬直させる。それを見てセルギスは満足げに瞳を細めていた。

……追いかけたセルギスは、まだまだ影丸が及べない場所にいるらしい。
苦々しくも、納得した影丸は改めてセルギスという一人の男の存在感に、気を引き締めた。



「……ところで、セルギス」
「ん?」
「お前、ジンオウガだった時に桜色アイルーの……あー、に会ったんだろ?」

セルギスは、そうだが、と事も無げに頷いて告げると、影丸は頭を掻きながら尋ねる。

「……アイツは、もしかしてだが、ジンオウガだったアンタの言葉を理解していたのか」

まさかな、と冗談混じりであるが、セルギスは否定する訳もなく、「ああ」と言った。
……マジか、と影丸の口が半開きになる。

「あの時は珍しいアイルーだとも思ったが……何らかの原因でアイルーの姿に変わったと言うなら、何が起きても不思議ではない。現に俺が、まさかモンスターになっているなんて阿呆みたいな事も起きたしな」
「モンスターの言葉が、分かる、か……」
「あんな体験した後じゃあ、俺はもう何があろうと驚く事は無いがな。お前はどうかは知らないけれど、」

セルギスは、そこで一度呼吸を落ち着かせた。

「……ドキドキノコを食べてこの姿に戻ったが、ジンオウガだった時の傷跡やその記憶は残っている。完全には、人間の感覚には戻してくれ無かったしな。となれば、恐らくは、今も……モンスターの言葉を理解しているかもしれない」

それが何かを起こす訳ではないけれど、と彼は付け足す。
影丸は、自分で尋ねておきながら、言葉を無くした。

「……何を言いたいかは大凡分かるぞ」

セルギスの眼差しに、僅かな真剣さが混じる。

「信じるか信じないかはお前に任せるし、俺たちの職業はモンスターを討つ事が大前提だ。それとはある意味、相反する事でもある。言葉を聞くという事は、情が湧くという事にも繋がるが……は恐らく、理解しているぞ」

あの残酷過ぎる《自然》という世界で、アイルーの身で生き延びて来たのだから、ハンターの職業を理解している。其処に私情は持ち込まないだろう。
セルギスの言葉が、まるで影丸を諭すようでもあり、思わず首を振る。

「別に、そうじゃねえよ」
「ん、そうか」
「ただ、モンスターの言葉が分かるのであれば……」

俺にはとても、耐えられるものではないな、と思っただけだ。
むしろ、言葉なんて分からなくて大いに結構、死にいくモンスターの恨み言なんて、聞きたくはない。
そう告げる影丸を、セルギスは「お前らしいな」と笑った。

「……やっぱり、アンタ変わったな」
「まあ、あんな姿になって、あんな場所で同じハンターと争っていれば、多少は価値観も変わるさ」

たが、あの渓流に足を運び、同じ境遇であり言葉を理解してくれるに会えた事は、今でも幸運であったと思う。
セルギスは低い声で付け加え、其処で口を閉ざした。

そのセルギスの横顔を、影丸はじっと見つめた。まるで何年かぶりの古い友人に出会えたような、はたまた想い人に出会えたような、奇妙な優しさがあった。
それが影丸を落ち着かせる事なくざわつかせたのは、何が要因かは知らない。



セルギスと影丸の、この話は入れとかなきゃ! と書いた結果、夢主出ない事に気づいた。
遅い。

( タイトル借用:ロストブルー 様 )


2012.02.18