不器用な貴方の下手な笑み

――――― が桜色アイルーの姿であった時。
影丸やレイリンが渓流に踏み入れジンオウガと相対した以前に、ユクモ村にて一悶着があったという事は、後になって聞いた事だった。
ユクモ村に偶然足を運んだという、新人ハンターの二人の青年。アオアシラの件と共にも覚えがあったが、何でもジンオウガ――セルギスに手痛く追い返されユクモ村に戻って行き、影丸にその際叱責されたとか。その時、はレイリンやセルギスなどと渓流でアオアシラを弔っており、影丸もまた急ぎ渓流に向かっていた最中で、そのハンターらがその後どうなったのかはあまり見聞きしなかった。

その事について、影丸が言うには。
青年たちの姿は無かったから、恐らく村を去ったのでは無いのか。経験のない新人が、ジンオウガ……ましてハンターとの戦い方を当然熟知しているセルギスと相対して、辛うじて逃げ出せただけでも奇跡だ。ハンターを辞めたか或いは療養しているかは知らん、むしろたったあれだけで辞める程度の覚悟ならば今後続く訳がないから、むしろラッキーだろう。
影丸は、淡々と言い放った。
そんな素っ気無い、と思うところだろうが、それは命の危機に自ら飛び込んでいかないものの浅はかさなのだろう。人ならざる、巨大なモンスターという動物から、人間の暮らしを守る或いは自らの力を試すハンターという職はそれだけ厳しい考えでなければ続かない。生き抜く事は、出来ない。少なくともは、淡々としながらも告げた影丸の眼差しから、それを感じ取った。

……あの青年たちがどうなったのか、気遣われる事であるけれど。
正直なところ、には面と向かって彼らを案じるほどの余裕は、無い。
いくらあの時、自分がアイルーの姿であったとしても、彼らにとってアオアシラが腕試しであり職業柄当然の行いをしたと分かっていても。
あんなに幼い子を、わざわざ選ぶ必要だって無かったはずだ。殴られた事は、別に構わない。レイリンからも一度殴られているし、肉体の痛みなどいつか忘れる。
だが、アオアシラの件だけは……別だ。あの二人のハンターに、復讐したいと思うほどの恨みは抱いてないが、胸に引っかき傷をカリカリと刻まれる不愉快さは今も明確なのである。

影丸がそれを分かっているかはさておき、彼の声は感心なく告げるばかりであった。

だが、それからしばらく経った後の事だ。
がユクモ村の生活にも慣れてきた頃には、セルギスや影丸、レイリンなどともすっかり親しくなっており、彼らの農場へお邪魔するのが常であった。その日は影丸のもとへと向かい、何故か虫カゴの前に蹲って採取活動を手伝っていたのだが、普段と異なったのは以外の来訪者が現れた事だった。

「旦那、お客様が見えられたぞ」
「旦那様をご指名だニャ」

影丸のオトモアイルーたちが、駆け寄りながら呼ぶ。
の身体へ虫を誘き寄せるお香を吹き掛けるという地味に迷惑な嫌がらせを仕掛けていた彼と、逃げ回っていたは、動きを止めて顔をアイルーたちへと向き直した。
そして、同時に映り込む、農場の入り口に佇んでいる二人の青年の姿。
二人とも十八歳程度の若い青年で、セルギスと比べればまだまだ幼く成長途中の身体つきと顔立ち、影丸と比べれば狩猟者の鋭さは少なく頼りない。だが、身を包んだ鱗を繕って製作した防具や、硬質な衣服は、モンスターと対峙する狩猟者である事は明瞭である。の素人目でも、彼らが武器持たぬ一般人とは異なると、見て取れた。
ちらり、とは視線をずらし影丸を密かに見る。彼はじっと、青年たちを見つめている。その横顔には普段の意地の悪さなど無く、珍しく神妙な顔つきをしていた。だがそれを、は笑う事も無かったし、その表情を納得もしていた。というのも、その青年たちには覚えがあったのだ。
は声が漏れそうになったけれど、それをぐっと堪えて彼らを窺う。ほどなくし、影丸の面倒そうに首を掻く仕草を発端とし、二人の青年が頭を下げる。彼らの眼差しは、しっかりと影丸を捉えている。

「あ、あの、私あっちに居るね」は下がろうとしたが、影丸は縫い止めるように「いい、此処に居ろ」という言葉を放つ。駆け寄ってきたアイルーらに手を握られながら、本当に居ても良いのだろうかという一抹の不安も抱きながらも、口を噤んだ。
影丸は、虫寄せの香をカゴの側に置くと、身体の土埃を払いつつ、入り口に佇んだままの青年らに声をかけた。

「いつまでも其処に居ないで、こっちに来い。何か用があるんだろう」

影丸は、肩を竦めて、軽い声音でそう言った。
青年たちは、顔を見合わせると、再度頭を下げ歩み寄って来る。の存在にも気づいて、彼女に向かっても会釈すると、影丸をすっと見つめた。

「……久しぶり、です」

拙い敬語が、若い青年の声に乗せられ響く。
影丸は表情を変えなかったが、「ああ」と返した声は穏やかで気にしている様子は無いことが滲んでいる。
彼が見たところ、あの散々に破壊された防具や武器は、綺麗に修復されたかあるいは新調されたかで傷一つ無い。打ち身の痕と切り傷だらけだった頬など目に付く肌もそう酷い傷跡を残してはいない。絆創膏を付けているのは、ハンターにとって傷の部類には入らないのだ。ともあれ、こうしてハンターの格好をしているという事は……。

「ふうん……辞めなかったのか、ハンター」

影丸は、はっきりと言った。視界の隅っこに映るが、目を見開いたのが見えたが、影丸はそれを止めようとはしない。

「あんだけボコボコにされても、立ち上がるだけの根性は少しくらいあったんだな。ま、それも出来ないようじゃあハンターなんざ長くは続かないが」

相手を貶す訳ではなく、かといって気遣う訳でもなく。
影丸の声は、良くも悪くもはっきりと通っていく。それが彼の性格でもあるが、二人の青年にはグサリと突き刺さるのではないか。は一抹の不安を覚えた。
だが、影丸の前に佇んだ彼らは、表情を微かに動かしただけで、怒り狂ったりはしなかった。むしろ、そんな事をしたってこの影丸が早々頭を下げるとも、思っていないのかもしれない。

しばし沈黙が流れたが、二人の青年のうちの、ジャギィ装備の彼が口を開いた。

「あの後、村で少し休んで、別の村に居ました。防具とか、武器も手直しして……」
「そうか」
「……情けない話、俺はアンタの言う通りだった」

ギュ、と青年の手が握りしめられる。

「ドスジャギィとドスファンゴで、英雄になった気分だった。あいつらを倒すだけの力があるって、有頂天になってて。だから、村でアンタに会った時に、ああジンオウガを倒した英雄はこんなものかって……正直、思っていました。俺達だって、直ぐに到達出来るんじゃないかって」

影丸は、静かに耳を傾ける。その横顔を、はただじっと見るしかなかった。

「……でも、違った。俺には、俺たちには、全然到達出来るもんじゃなかった。思い知らされ、ました」

青年は、影丸を見やる。その真っ直ぐな瞳に、影丸が叱咤した時の青ざめた絶望感は無い。

「その、何か、上手く言えないけど、ハンターに必要なのは英雄とか勲章とか、そういうもんじゃないって、あの時分かりました」

少し気恥ずかしそうに頭を掻いて、二人は揃って頭をバッと下げた。

「その……ありがとう、ございましたッ」

は、微かに目を見開く。
じっと見ていた影丸の横顔が、その瞬間酷く驚いたように表情を変えていた。薄く開いた唇から、普段の気まぐれな言葉は出てこず、声を失ったようでもある。
その様子が、あまりも普段の彼とはかけ離れているものだから、も、彼のオトモアイルーたちも、からかう事が出来なかった。

「……ありがとう、か」

影丸が、小さく呟く。青年らは、そろりと顔を上げると不思議そうに見つめた。

「別に、お前らの為に言ったわけじゃない。自分の為だ」

彼の声は、やはりはっきりと響く強さがあったが。
ふ、と浮かんだ口元の笑みは、穏やかでもあった。

「……だがまあ、多少は見所のある坊主が立ち直ったなら、俺に感謝するのも悪かないか」

影丸の皮肉めいた言葉を、青年たちは今は笑って受け止めていた。

まだ少しはユクモ村に居るので、また来ます。
青年らはそう告げると、一度影丸に礼をし農場を去っていった。その背を見送った影丸との間に、静かな空気が流れていく。そよそよ、と揺れる木の葉の音が耳に心地よく響いた。

「……ありがとう、か」

影丸は呟いて、可笑しそうに頭の後ろを掻いた。

「俺は別に、あいつらの為に言ったわけじゃあないんだけどな」

彼は言いながら、へ振り向いた。笑っている彼からは、微かに戸惑いも混ざっているように、思える。

「今の今までも、俺は自分の為にしかハンターやって来なかったってのに」

今も、脳裏に焼き付いている、あの光景。
英雄気取りになって一人でジンオウガに挑んで、みっともなく負けたばかりか、大切な友人までも失った。
おめおめと村へ戻ってきた自分に与えられたのは、ジンオウガを退けた《英雄》の名であった。
罰が欲しかった。いっそ身を切り裂いてくれるほどの、罰が。
それでも生き延びた未熟な自分が出来る事といえば、ハンターとして腕を磨く事だけだった。一人で村を守ってきた友人のように、もっと強く、強くと、狂人のように狩猟依頼にばかり赴いた。
あいつはついに狂ったのか、と実際言われたのも知っている。
ああそれで構わない、いっそ狂っても構わない。
青臭い名声も正義も必要ない、納得出来る強さが得られるのであれば、自ら人を捨てて獣になってやろう。

そう刻み続けた、影丸の決意の中に。
誰かの為という優しさなんて、これっぽっちも無かった。

青年たちを厳しく叱咤したのも、かつての自分を見ているようだったから。相手を思った訳ではない、自分の為だ。

半ば我欲の為だけにハンターをしてきた影丸にとって、感謝の言葉なんて思ってもないものだった。

「馬鹿弟子といい、あいつらといい……何で俺を構うもんかねえ」

影丸の心底不思議そうな顔が、妙に可笑しかった。は笑みをこぼすと、側にいた彼のオトモアイルーらを撫でながら言った。

「影丸はそう思っていても、周りはそうじゃないって事ね」

影丸の瞳が、丸くなる。思いも寄らぬ言葉を聞いた、とでもいうようなそれに、は笑みを深める。

「ちゃんと、影丸の事を評価してるのよ。人としても、ハンターとしても」

だから、レイリンちゃんは貴方に弟子入りしたいって言って、あの二人もわざわざお礼を言いに来たんでしょう?
は和やかに告げたけれど、影丸は釈然としない様子で、面倒くさそうに表情をしかめる。
「俺は別に、評価が欲しい訳じゃないんだけどな」彼はそう言って、畑のウネに向かって歩き始める。けれどその背がいかにも「気恥ずかしいです」と照れているのが読みとれて、の笑みは深まるばかりだった。

「……私も」

影丸が、ふと肩越しに振り返る。

「影丸は、自分で言うほど酷い人じゃないと、思うよ」

なんてが言っても、彼はやっぱり目をしかめて「馬鹿」と呟く。
酷い悪態のつき方だが、その声音は妙に優しく、細めたまなじりは僅かに緩んでいた。

彼は確かに、他人の為にハンターをやってはいない。
彼が求めるものはあまりにも厳しく、そしてその選んだ道のりはあまりにも険しい。
全て、自分の為。七年前の自分が選んだ道を今も突き進む為に、彼は一切の迷いがない。

それを、は《強い》と思う。
英雄の名など興味のない、現実を見据えた意志は正しく鋼と言っても良いだろう。
それでも、その鋼のような心は……決して、血と肉が通っていないという事はない。むしろ、表面は冷静でも開けてみればきっと熱い。でなければ、多くの人が彼を信頼し村の防衛を一任する事はないし、レイリンや青年たちが厳しく言われながらも慕う事はない。

皮肉めいた口調と、はっきりと告げる声の真っ直ぐさ。
その向こうにある影丸の姿を、また少し理解したような気がする、昼下がりであった―――――。



余談であるが、この日の夜。
影丸やレイリン、セルギス、がいつものように集まって集会浴場の二階の食事処で夕飯を囲んでいると、この青年たちがやって来て、影丸に頭を下げた。また昼間の事か、気にしていない、と彼は面倒そうに返したけれど、どうやらそうではなく。

「あの、俺たちも弟子入りさせて下さい!」
「お願いします!」

その言葉が放たれた瞬間。
テーブルの一角からは、笑うような驚いたような、ブハッと吹き出す音が漏れた。
セルギスはくつくつと楽しそうに笑い、レイリンは酷く狼狽えてオロオロと挙動不審に陥っていた。
言われた影丸本人も、たっぷりの空白を取った後に「面倒だ」と呟く。
それで引き下がる彼らでなかったらしく、「じゃあ今度一緒に狩猟依頼に連れてって下さい!」「良いって言うまで帰らねえから!」とまで言い始め、影丸は頭を抱える。

さて、その中ではと言うと。
不思議と抱いていた嫌悪感は無くなっており、微笑ましく彼らを見守っていた。



本編に出てきたモブっぽいハンターたちを出して、アフターストリー。
人とは抜きんでた存在感あるいは力を持つ人の周囲には、必ず人が集まるものです。
影丸はこの話で一番の現実の象徴なので、きつい性格でもあると思うのですが( 何せ悪役っぽいポジションが似合うし )、彼の周囲にはおのずと人が集まってくるように思います。

しかしこの青年がたびたび出るとしたら、レイリンちゃんが落ち着かないですね(笑)


2012.07.01