もっとあなたと追いかけたい

「それが噂の、新しいハンター道具?」

 は腰を屈め、座り込んで作業をしていた影丸の手元を覗いた。

「ん? ああ。“スリンガー”っていうやつらしい」
「すりんがー?」

 影丸が持ち上げ、へ見せてくれた物は、無骨な弦を取り付け、巻き取り式のワイヤーを内臓した、小手のような形状をしていた。
 ハンターという稼業に身を置く人が扱う道具はこれまで多く見させてもらったが、そのどれとも当てはまらない形をしている。

「へえ、どうやって使う道具なの?」
「人が言うには、利き手とは反対の方の腕に装着して、楔虫っつー人間の体重くらいは耐える頑丈な虫にワイヤーを射出して空中移動が可能になるんだとよ。高い所に移動したり、モンスターの背中に飛び乗ったり。他にも、装填した石つぶてとか発射したりするらしい」
「なにそれ、すごい!」

 は素直に驚いた。ただその驚きは、道具の性能より、新しい技術を用いて狩猟に挑もうというその情熱に対してのものだった。
 実際、「ようやく調整が終わった」と嬉しそうに笑う影丸ときたら、いつもは捻くれて邪悪な仕草を滲ませているのに、二十代という年相応の、いやそれよりもずっと幼い少年のように、無邪気にはしゃいでいる。
 “スリンガー”という道具を、いそいそと左腕に装着する影丸の横顔を、は笑って見つめた。



 ――“古龍渡り”という現象が起きる、未開の新大陸への調査団派遣。

 今回で五度目になるという公募がハンターズギルドを通じて各地に届けられた時、影丸、セルギス、レイリンの三人はこの調査団に出願し、第五期団所属のハンターとして認められた。
 村つきのハンターから、今度は新大陸を調査するハンターになったというわけだ。

 未解明の新しい土地となれば、地形に気候、築かれた生態系、情報のない新種のモンスターに様々な環境生物と……全てが不明で、非常に過酷かつ危険であるという。ユクモ村やベルナ村、たくさんの狩場といった、様々な土地の経験を持っていようと、それらが役に立つかどうかさえも分からないという。
 しかし“こういう事”に関して、ハンターというものは驚くほど勇気と行動力を発揮させる。
 の側に居た三人のハンターは、全く怖気づかず、未知の世界への好奇心に溢れていた。

 この三人が行くとなれば、当然、彼らのオトモであるヒゲツ、カルト、コウジンも迷わず着いて行く。

 飛び込んだ新しい土地で、どのように彼らは生き生きと活躍するのか。がそう思うのも、至極当然の事で。

「――も行くだろ?」

 当たり前のように彼らから差し出された手を、も恐れず、喜んで掴み取った。

 もちろん、は戦う事など出来ないので、別口であった新大陸での拠点従業員に応募し、新拠点での雑用係として向かう事になる。土地が変わっても、やる事はユクモ村と変わらないのだ。



 ――そしてそれに先駆け、調査団の装備品として、件のスリンガーがやって来たわけである。

「着けた感じも大丈夫そうだし、早速使ってみるか」
「え、いきなり?!」
「だってやってみない事には分かんねえし」

 スリンガーを左腕に装着した影丸は、意気揚々と外に向かって歩き始める。
 本当に、躊躇わないというか、肝が据わっているというか……。
 呆気に捕らわれたであったが、面白そうなので彼の後を追う。

 周囲に人の姿のない場所にまでやって来ると、影丸は手ごろな樹木に当たりをつけ、左腕を持ち上げる。

「うーんと? 射出するとこがここだろ……で、これを取り付ける場所に向けて……」
「大丈夫?」
「分からん。けど、何とかなんだろ。危ないから近寄るなよ」

 は頷き、影丸から距離を取る。やがて彼は、慎重にスリンガーの方向や角度を定め――パシュッと、意外にも軽快な音を立て、ワイヤーを発射した。
 真っ直ぐと宙を駆けたその先端は、影丸の頭上に伸びた枝へ素早く巻き付き――。

「おー上手くいった……ん゛な゛ァッ!!」

 ――自動でワイヤーを巻き取ると、影丸の身体を勢いよく引っ張り上げた。

 何の予備動作もなく、宙へ吹っ飛んでゆく、腕利きハンターの影丸。
 傍らで見守っていたは、その思わぬ姿に唇から空気を噴き出した。

 彼は悲鳴に似た声を響かせながら、地面から離れた樹木の上にまで飛んでゆくと、そこで一旦静止し――地面へと垂直に落下した。グシャリと、けっこうな良い音を鳴らして。

「か、影丸?! だ、大丈夫?」

 強靱なモンスターたちの肉体から作られる防具を着ているから、怪我はないと思うが、念のため影丸の背中を揺らす。うつ伏せに倒れた彼は、ゆっくりと上半身を起こした。

「……とりあえず、どういうヤツなのかは、よく分かった」
「うわ、本当に無傷。それにしても、今のすごい飛んだね。まさか影丸の身体が、あ、あんな豪快に……ッ」
「なあおい、、今笑ってる?」
「ぜ、全然……ッふふ」

 影丸の平手が、の頭の天辺へ飛んできた。

「まあいい。新大陸に渡る前に、ぜってえ使いこなしてやる。今に見てろよスリンガー」

 影丸は意気込みを改めると、さっさと立ち上がり、スリンガーの練習を開始した。
 はじんじんと痛む頭を擦りながら、影丸の背を見上げる。見事なまでの垂直落下を決めていたのに、へこたれた様子は微塵も感じられない。むしろ、先ほど以上に、闘争心が燃え盛っているようだ。

(まったく、楽しそうだなあ)

 いや、きっと、楽しいのだろう。気が逸って、もう仕方ないのだろう。
 初めて踏む大地と、初めて対峙する竜や獣たち。挑むものが困難であればあるほど、心躍らさずにいられない。それが、自らの知恵と力のみで狩りに臨む狩人たちであり、彼の心にも宿る情熱なのだ。
 少年のような輝きに目を細め、は小さく微笑む。

(そういう顔を、もっと普段から見せればいいのに。そっちの方が、ずっと可愛げがあるのに)

 なんて、そんな事を言えば影丸の事だから、しかめっ面になるか皮肉るような笑みを浮かべるかし、可愛くない顔をするに違いない。
 今のうちだけなのだと、はじっと影丸を見つめる。彼は再びスリンガーを構え、勢いよく宙へ飛び上がり――そして、枝を掴み損ね、颯爽と落下した。


◆◇◆


 ――影丸がひたすらスリンガーと向き合い、数日が経過した。

 今ではすっかりスリンガーを使いこなすようになり、自由自在に宙を飛んでいる。何十回と落下した事が経験となったようで、地上から樹木の枝へ飛び上がるだけでなく、宙に浮いている状態からさらに別の枝へ移動したりする事も出来るようになってしまった。
 ハンターどころか、人間の域を超えている。いや、地上にいる時から大概、人外じみた存在ではあったが。

(なんかあんな風に、宙を飛び回って巨人と戦う漫画とかなかったっけ……)

 は素直に感心し、両手を叩いて影丸を賞賛した。

「すっかり使いこなしてるねー影丸ー」
「ふ、恐れ入ったか……ブフォッ!」
「前見ないと危ないよー」

 影丸は勢いよく岩壁に激突したが、やはり普通に無傷だった。
 やがて彼はスリンガーを緩め、空中から地上へと降り立ち、の前へ戻ってくる。

 でも、あんな風に飛び回って、空中を移動して……。

「いいなあ、面白そう」

 ぽつりと、無意識の内に呟きをこぼしていた。
 それを拾った影丸は、へと視線を移動させ、事も無げに告げる。

「ん? じゃ、お前も行ってみるか?」
「へっ?!」

 いや、確かにあんな風に飛べたらさぞや楽しそうだとは思うが、実際に飛んでみたいかと問われれば――と、が返すよりも、影丸の行動は俊敏だった。
 彼はの隣へ並ぶと、右腕を腰へ回し、ぎゅっとしっかり抱きしめる。

「ちょ、ちょ、ちょっと、影丸?!」

 影丸の身体を密着しながら、は言い募る。しかしその影丸は、すでに左腕のスリンガーを宙に向け構えており。

「ちゃんと首に掴まれよ。行くぞ」
「ま、待って、待って――きゃあ?!」

 スリンガーを射出し、数メートル先の木の枝へ飛び上がった。
 影丸の腕に抱えられたも、彼と共に地上から引き離され、突然の浮遊感に襲われる羽目となった。

「いやァァァ! お、おろ、おろしてェェエェ!」
「はっはっは! こうなっちゃ止まるのは無理だ! いざ行かん空の彼方へ!」
「あんた一人で行けよォォ!!」

 しかし悲鳴を漏らすなどお構いなしに、影丸はスリンガーを器用に操り、枝から枝へと移動してゆく。
 日常生活でまず味わうことのない不安定な浮遊感と、どんどん昇ってゆく視線の高さに、の心の中は恐怖で一杯に満たされる。

 あとで覚えとけよ、影丸――!

 彼の首に全力でしがみつき、この恐怖の空中散歩が早く終わるよう、祈るしかなかった。



「よっと、到着」

 トン、と軽やかな音を立て、ようやく影丸は静止した。
 時間にして十数秒、いや数秒かもしれない。しかしその短時間の間で、は二回ほど死んだと思った。足場を得て安心したが……心臓はバクバクと飛び跳ねている。

「や、やっと、と、止まった……ッ」

 呟いた声は、自身でも驚くほどに震えていた。実際、膝から下はふわふわとし、すっかり力が抜けてしまっている。
 そんな風にが青ざめているというのに、空中散歩へ連れ込んだ張本人はというと、くつくつと低い声で笑っていた。

「どーよ感想は」
「二回くらい死んだ!」
「ふは、そりゃあ良い経験が出来たな」

 ぎェェェェこいつー!
 普段から皮肉めいた言動の多い男だが、今ほど憎たらしく見える事はないだろう。
 は持てる力の全てで目の前にある影丸の胸を叩くが、まるで効いていない。渾身の力は彼に届かず、防具に吸い取られているような気がする。これだから、モンスター由来の装備は。

「大体、よく考えたら、命綱が影丸の腕一本ってやばくない?! 落ちなくて良かった……!」

 青ざめながら無事の生還を噛みしめるが、影丸は「アホか」と言い放つ。

「まさか俺が、お前を落とすわけねえだろ」

 口調は軽快なのに、静観な面に浮かぶのは自信に満ちた笑み。
 冗談と悪ふざけで出来たような奴だが、時たま、こんな風に笑うから困る。はぐっと言葉を詰まらせる。

「まあ、落ちる時は落ちるけどな」
「んなッ」
「それよりも、ほれ、前見てみ」

 はムスッとしながら、言われるがままに、顔を正面へ向ける。

 ――その時ようやく、自らの居る場所に気付いた。

 豊かに茂る木々の葉の中から、空を臨むように開けた視界。その先に、遙か遠く、果てなく広がる山河と緑の雄大な風景――。

 いつの間にか、木々の天辺へ移動していたようだ。
 涼やかな風が、力強く横切ってゆく。一時の憎たらしさなんか、あっという間に攫われ、消えてしまった。
 見慣れているはずなのに、ユクモ地方の美しさを改めては感じ入る。

「綺麗……」

 頭上で、影丸が小さく笑う気配がした。

「……新大陸は、どういう風景なんだろうな。たぶんきっと、こことは違うんだろうけど」

 は静かに顔を上げる。喉仏が浮き出た首筋の先にある影丸の横顔は、何処か無邪気で――そして、ぎらついた輝きを確かに放っていた。

「海を渡り、遠い遠い大陸へと向かう、古龍の渡り。そして、古龍たちが辿り着く、新大陸。噂は俺も聞いていたが、やっぱり良いもんだな。ハンターの血が騒ぐ」

 その言葉を聞くと、いつも、は思う。
 私とは違うと。私では、遠く及ばないと。

 巨大な竜や獣が闊歩する大地を、武器と知恵、そしてその身体のみで踏み進む者――ハンター。
 待ち構える見知らぬ獣と、見知らぬ土地に、抱くものは恐怖ではなく期待と興奮。躊躇いのない彼らだからこそ、この世界は美しいし、きっと進んでゆく。
 そして影丸も、表には滅多に出さないが、その心根は熱く染められた未知を解明する狩人なのだ。

 私は、彼らの背中ばかり追いかけ、見送る事しか出来ないだろう。
 それでもいい。それが、誇らしい。
 “世界”を飛び越え、桜色のアイルーになるという馬鹿げた経験をした。幻想のようなあの日々を経た現在、にとってこの“世界”は既に現実のものとなっている。

 彼らと共に、この先を見てみたい。
 純粋な願いは、今日もの中で確かに息づく。

「……どうした? そんな見て」

 影丸の瞳が、いつの間にか、を見下ろしていた。ハッとなり、取り繕うように「べ、別に!」と返したが、影丸は口元をニヤリと吊り上げ。

「俺の男前な顔に見惚れたか。仕方ねえな、金はとらねえから存分に拝むといい」

 ……すぐ、これだからなあ。
 は溜め息と共に、はいはいありがたやー、と適当に応じた。
 影丸はしばらく冗談っぽく笑っていたが、やがてその声を潜め。

「――

 右腕で抱いていたの腰をぐっと引き上げ、頭を下げる。彼の黒髪が、の視界の隅を横切った時、唇の上を温もりが掠めていった。

 僅かに目を見張るその先で、影丸は笑っている。いつものように、悪戯っぽく、邪悪で――不思議と心の芯を掴む、したたかな眼差し。

 本当に、影丸は、ずるい性格だ。

 はうっすらと瞼を下ろし、自ら顔を上へ向ける。薄く開いた唇へ、影丸は再び顔を寄せた。
 ゆっくりと重ね合う唇に、伝わってゆく互いの温もり。穏やかな心地を全身で感じながら、そっと唇を離すと、影丸が小さく微笑む。

「新大陸への出航まで、あと少しだ」
「うん」
「しばらくは俺も、セルギスたちも、新しい土地の探索で拠点に居ない事が多いと思う」
「そうだよね、ハンターだもの」
「土産、何がいい?」
「あら珍しい。なら、新大陸のハチミツと……」

 は両腕を影丸の背へ回し、そっと抱きしめる。

「――新しい大陸のお話、たくさん聞かせてね」

 気が早いな、と影丸は笑ったが、だって“新しい世界”はすぐそこなのだ。

 海を越えた先でも始まる“彼らの軌跡”を、はいつだって待ち望んでいる。
 この場所から、ずっと、何度でも。



MHW発売おめでとうございます!
スリンガーにはこんな夢もいっぱいあると思うのですが、誰も書いてくれないので、自給自足で夢を形にしました。

ハンターな主人公もいいけど、こうして彼らの軌跡を見つめ続ける主人公もいいと思うのです。

なにはともあれ、モンハンはこれからまだまだ続きます。
新大陸の調査に乗り出しているハンターさんにも、これから飛び込むハンターさんにも、導きの青い星が輝かんことを!

(お題借用:OTOGIUNION 様)


2018.02.18