暴君は寂しがりや

 灰色の空から落ちる大きな雨粒は、煙るように勢いよく降り注いだ。
 あっという間に地面は泥濘み、先を急ぐ足には重い泥が跳ねる。苔が生えているところなんて滑りやすくなってしまっている。

 雫の重みと冷たさは容赦なく全身に纏わり付き、せめて視界だけは守ろうと腕で顔を庇うものの、頬や首には冷たい雫が何度も伝い落ちている。

 ――ついてない。
 そんな言葉が浮かんでくる、酷い天気だった。

「おら、! もうちっとだから、気合い出せ!」
「ゼエ、ヒイ……ッ! も、もう、じゅ、じゅうぶん、出してるっつの!」

 ただでさえ森の象徴と言える巨大な古代樹は、入り組んだ迷路のような構造の上に、上下運動の著しい地形なのだ。この世界に来てから身体を動かす事は多くなったが、あくまでは一般人。疲れ知らずの体力を誇るハンターと一緒にされてもらっては困る。
 息切れ一つしない影丸が妙に恨めしく感じたが、先導してくれるのは、とても助かる。ついでに今日の影丸の防具は、獣のようなしなやかな躯体を持つ真紅の牙竜――オドガロンの素材から作られたものなので、視界不良時でもとても良い目印になってくれている。

(ありがたいけど……はあ、残念)

 せっかく、二人きりで探索に出掛けられたと思ったのに。
 雨に降られるわ、下りたり登ったりするわ、濡れ鼠のような有様になって……。

 悲しいような情けないような気分を噛みしめながら、は目の前に差し出された影丸の手のひらを掴んだ。


◆◇◆


 どうにか到着した古代樹の上空のキャンプ地は、白い霧でうっすらと覆われていたが、静かなものだった。
 古代樹の枝葉は分厚いので、容赦のない豪雨もしっかりと受け止め、痛いほどの雨粒を柔らかく落としてくれる。その外は酷い有様だが、ここまでくればようやく安心だ。
 はどっと息を吐き出し、地面に座り込む。

「はあ、はあ……ッようやく、ついたぁ」
「今にも死にそうな声だな。しっかりしろ、元アイルーだろ」
「アイルー時代も、そんなに、体力、無かっ……ふぐぅ……ッ」

 いつもならもっと軽快に言い返せるのだが、息切れが酷くてそれどころではない。
 そんなを、影丸は気遣って……くれるはずもなく、隣で遠慮なく笑っている。なんて男だろう、復活したらその足を思い切り踏んでやる。

「まあほら、火を熾すから、そこに座れよ」

 影丸はさっさと進むと、手慣れた手つきでかまどに火を起す準備を始める。重い身体を起こし、ヨロヨロと向かった時には、すでにもう小さな炎が灯っていた。それを丁寧に大きく膨らませれば、あっという間に目映い炎となって燃え盛る。

「はあ、暖かい……」
「お湯も沸かしとくか。少し待ってろ、水を汲んでくる」

 影丸はそう言って立ち上がると、キャンプ地に常備されているケトルを二つ持って、外へ歩いてゆく。再び戻ってきた時には、ケトルの中は湧き水で満たされ、火にくべる薪(たきぎ)を脇に抱えていた。
 さすがは、四六時中、自然界を駆け抜けるハンター。サバイバル関連に非常に強く、居るだけでとても心強い。

「災難だなあ……アステラを出発した時には、そんなに天気は悪くなかったはずなのに」

 急に雲行きが悪くなり、土砂降りになるなんて。不運としか言いようがない。

「大型のモンスターと鉢合わせしなくて、キャンプ地に来れたのは良かったけどね」
「ああ、歩いて来るのは面倒だった………………あ゛

 唐突に、影丸が何かを思い出す。は服を絞りながら、どうしたのかと視線を向ける。

「なによ、急に」
「いや……ああ、忘れてたなあ、と」
「何が?」
「翼竜の存在」

 …………あ゛

 そういえば、キャンプ地への移動は、翼竜を使えば一瞬……。

 新大陸における、新たな移動手段――翼竜。
 すっかりと、その便利な存在を忘れてしまっていた。

 現大陸では、とにもかくにも徒歩での移動が基本であったから……当たり前のように、古代樹の外を大移動していた。調査団の総司令も、あるものは全て使え、と言っているのに。
 なんか、余計にどっと、疲れた……。
 項垂れるの側で、さすがの影丸も苦く笑っている。

「帰りは忘れずに翼竜を使おう」
「そうしてくれると嬉しい……」

 は溜め息をこぼし、水を吸い込みぐっしょりと濡れた服を絞る。その隣で、影丸も自らの防具を外し始めた。ほど酷い有様ではないが、隙間から水滴が入ったようで、ガロンヘルムを外した彼の顔や首回りは僅かに濡れていた。

「……お、沸いたみたいだな」

 火に掛けた二つのケトルから、湯気が勢いよく立ち上る。影丸はその内の一つを持ち上げると、これを使って身体を拭いて来いとへ言った。

「影丸は良いの?」
「気にすんな。こっちはホットドリンクだけで氷点下の世界で戦ってきたハンターだ。適当でいい。それより防具の方を拭かねえと」
「逞しいなあ。じゃあ、ちょっとテント借りるね」
「手伝いは必要か?」

 意地悪く笑った影丸に、馬鹿、と言い放つ。もちろん冗談なので、彼は気にした様子もなく、手を軽く振り背を向けた。

 はケトルを携え、黄色いテントに入り、入り口を下げる。中にはけっこう色んなものが常備されており、少しのタオル類と桶のような容器も備えられていた。それらをありがたく使わせてもらい、冷えた身体や泥で汚れた足下を綺麗に拭った。ただ衣服の替えは持っていないので、びしょ濡れになった服は乾かさないとならない。インナーだけを身に着けた身体にブランケットを羽織り、服を抱えてテントの外へ出た。

 かまどの側に座った影丸は、上半身のみ防具を外し、乾かしているようだった。
 上半分は裸なのに寒がる様子はなく、普通に寛いでいる。古代樹の上は、けっこう冷えると思うのだが……。

「本当、逞しいなあ……うー寒い寒い」

 濡れた衣服は近くに伸びている手頃な枝に引っかけ、足早に火の側へ移動する。

「白湯だけど飲むか?」
「飲むーありがとうー」

 影丸から差し出されたコップを受け取り、口に含む。温かさがじんわりと広がり、ほっと安心した。

「雨、まだ止む気配ないね」
「この調子じゃあ、しばらく足止めだな。狩猟依頼じゃなくて普通の探索だし、時間はある」
「せめて緩んでくれたら良いなあ……ッくしゅ!」

 くしゃみがこぼれ、身体がぶるりと震える。さすがにインナーだけでは肌寒いか。羽織ったブランケットを強めに掻き合わせる。
 すると、それを見ていた影丸がおもむろに手を持ち上げ、人差し指をちょいちょいと動かした。こっちに来い、という仕草だろう。訝しみながらもは立ち上がり、影丸の側へ近付く。
 そして、彼の隣に腰を下ろした――その瞬間、唐突に彼の腕が伸びた。

「うわッ! あぶなッ?!」

 引き寄せられてバランスを崩し、思わず叫んだが、影丸の腕はがっしりとを支えた。倒れそうになった身体を軽々と抱え、腕の中に納めると、胡座の上にをすとんと乗せる。
 影丸の正面に座る格好となり、飛び出るはずだった文句は喉の奥へ引っ込んだ。

「つめってえ、何だこれ」

 影丸はぶつくさと呟きながら、半ばずり落ちていたブランケットを剥ぎ取り、自らの肩に掛け直す。だけでなく、影丸の身体もブランケットに包まれた。

「影丸?」

 背中に、影丸の胸が当たる。細身の外見のわりに非常にがっしりとしている、何も纏わない彼の胸板から、じわりと温もりが伝わってきた。

「はあ、まったく、しょうがねえから抱えてやる。少しはあったけえだろ」
「え、なに、どうしたの。気持ち悪い」
「ぶっ飛ばすぞ」

 影丸の黒い瞳がじとりと睨んできたものの、が怯えるはずもなく、まったく気にも留めなかった。

「影丸、風邪ひかない? そっちの方が寒そう」
「これくらいで参ってたら、ハンターやってらんねえよ」

 影丸はそう告げて笑うと、両腕でを抱きしめる。互いの体温を分かち合うように、しっかりと抱え込むその仕草は、捻くれた物言いとは裏腹に驚くほど優しい。
 まったく、これぐらい、素直に言ってくれても良いのに。
 こういうところが、影丸らしいと言えばらしいのだが……は小さく笑い、彼に身体を預けた。

「ふふ、あったかい」

 肌寒さが柔らかく解けてゆく心地よさに、ほっと息を吐き出す。
 影丸は何も言わなかったけれど、その代わりに、腕の力を少しだけ強めた。


 ふと、会話が途絶え、キャンプ地に静寂が舞い降りる。
 何処からか、野鳥の鳴き声と、雨粒がパラパラと滴る音色が聞こえ。遠くでは、止まぬ雨が降り注ぎ、大地を強く叩いている。
 静けさを奏でる森の音と、雨と緑の噎せ返る匂いの中、温かい影丸の存在がはっきりと感じられて。

 誰も居ない、二人きりなのだという事も――不意に、強く思い出した。

 いつも一緒に居るヒゲツやカルト、レイリンやセルギスたちは、それぞれ用事で別の土地に出掛けている。そもそも、現大陸から新大陸へ渡ってきてから、なんだかんだで目まぐるしい日々が続いていた。影丸とこうして二人だけになるのは、本当に久しぶりだ。

 まだまだ新大陸の調査と、古龍渡りの究明は終わりが見えないが……息抜きのための探索を少しくらい喜んでも、罰は当たらないだろう。私だって、女なのだから。

「なに笑ってるんだ?」
「んー? 影丸と二人だけって、久しぶりだなって」

 ついつい弾んだ声が出てしまったが、影丸はそれを聞いても特に変化はなく、普段通りに「ああ」と答えるだけだった。まあ、その反応は、おおよそ想像の通りだが……。

「つーか、それ目的で探索に着いてきてやったんだろ」
「……えッ?!」

 仰天し、勢いよく振り返る。背面にいる影丸も、何故か目を丸く見開いていた。

「……え、おま、気付くのおっせえ!」
「いや、だって」

 まさかそんな殊勝な言葉が、影丸の口から出てくるなんて。驚くなと言われる方が無理だ。
 なるほど、彼が好むスリルも何もない、キノコと虫を集めるだけの探索に着いてきてくれた理由が、今ようやく判明した。

 なんだ、影丸も、そう思ってくれていたのか。酒と狩猟に係わる事以外は無頓着で、興味のなさそうな雰囲気をしているのに。二人きりになれるという事を、影丸も少なからず期待してくれていたのか。

 ……ちょっと、嬉しいかも。

「何をニヤニヤしてる」
「別に。雨に降られて、運は悪くなかったのかなって思って」
「……どうだろうな」

 影丸は何も言わない。だが、を抱く腕の力は、また少し強まった。
 まったく、素直じゃないなあ。
 思わず、はクスクスと笑ってしまう。背面に張り付く影丸は、それを不満に感じたのか、鼻をふんと鳴らしの首筋へ顔を寄せてきた。鼻の先端を擦り付け、首筋に流れる髪を除けると、露わになった項にかぷりと食い付いた。
 暖かい息遣いと歯の感触が、蝕むように項を這う。瞬く間に、痛みではなく熱が広がり、は微かに吐息を漏らす。

 そのうち、ブランケットの下で、影丸の大きな手が動き出した。胸部を覆っている湿ったインナーを、なぞるように捲り上げると、下から柔らかい膨らみを包み込む。ごつごつした彼の指は、少しだけ冷えていた。ふるりと身動ぎし、肩越しにそうっと振り返ると、影丸の顔が視界一杯に広がった。
 見慣れた黒髪の向こうで瞬く二つの黒い瞳は、真っ直ぐと、を見据えている。
 その中に宿る熱情を、隠そうともせず。

 ――狩人と言うより、獣のよう。

 不意にそんな言葉が思い浮かんだが、的外れな想像でもないだろう。
 の唇を塞ぐその瞬間、影丸の口元に浮かんだ笑みは、正しく“獰猛”だったのだから。


◆◇◆


 未だ雨粒は降り止まず、テントの中にもその湿気が満ちている。
 けれど充満しているのは、肌寒さではなく、燻るような熱であった。

 食むように合わせた唇の隙間から、吐息が溢れ出る。それをこぼすまいと、影丸の唇は何度ものそれを覆い、舌先を侵入させる。
 吸い取られ、絡め取られ、奪い取られ。ねっとりと犯す激しさに、目眩が過ぎる。
 口付けではなく、貪るという単語の方が相応しくないだろうか。

「かげ、まる……ッふ……ッ」

 がっしりとした肩に手のひらを乗せると、彼の方からも身体が寄せられる。
 雨に打たれ、すっかりと冷え切っていたはずなのに。
 重ねられた互いの胸と胸には、熱いと感じるほどの体温が宿っている。いや、与えられている。それにドキドキとしているのは、だけではなく、影丸も同じだと思う。うっすらと開いた視界の中で、彼がくつりと笑った気がした。

 テントの中には、現大陸のキャンプにあったような簡易ベッドはない。横になって休める程度のスペースに、敷布代わりの毛布を広げているだけだ。その上に影丸は座り込み、の身体を軽々と抱えている。
 一見すると、影丸は細身の身体つきのようだが、その実、衣服や防具の下にある彼の肉体は非常に逞しい。全体的に引き締まっているとか、腹筋が六個に割れているとか、もはやそういう次元ではなく、竜と戦い生き延びるためだけに鍛えられた強靱さがどの場所からも放たれている。
 張り詰めた生命力に溢れた彼の身体は、一人を抱えたくらい、まったくびくともしないらしい。

 が羽織っていたブランケットや唯一身につけていたインナーは、早々に片隅へ放られてしまった。何も纏わない裸体に、影丸は悠々と手のひらを這わせ、感触を楽しんでいる。男性らしく、あるいは狩人らしく、硬く筋張った指で腰のくびれをなぞり、背中へと伝う。意思とは関係なく、喉の奥で声が鳴った。
 は逃げるように唇を離し、大きく息を吐き出す。肩を上下させて喘ぐその正面で、影丸は声ではなく吐息で笑う。普段のような皮肉さのない、男性らしい匂いを放つ、色っぽい仕草だった。それに心臓を跳ねさせた事を、恐らく気付いているのだろう。影丸は愉悦を隠さず、濡れたの口元に舌先を伸ばしてくる。

「……ああ、甘い」

 唾液を舐めていった影丸の舌先は、酷く熱かった。
 の鼓膜を嬲った囁く低い声も、それと同じくらいに――。

「――物欲しそうな顔」
「な、べ、別に、そんな……ッ」
「ああ、悪いだなんて言ってねえよ。むしろ、光栄だな、てな」

 悪戯っぽく深まった笑みには、少しのからかいが滲んでいる。だけど、それに何も言えなくなるのは、影丸の両目にはっきりと見える熱情が真っ向から注がれているせいか。
 ずるいのだ、この男は。いつだって、人を容易く掻き乱す。

「ほら、、こっち向け。まだ、足りねえんだから」

 ほら、やっぱり。いつだって、ずるい――。

 再び与えられる貪欲な口付けを、は薄く瞼を下ろして甘受した。

 やがて、影丸の手のひらが、身体の前へと移動する。
 下から掬い取るように、柔らかい膨らみに無骨な指を這わせ、手のひらの中へゆっくりと収める。優しく撫ぜ、そっとこねる仕草は、あまりにも温かくて心地よい。人間と比べるべくもない、遙かに巨大な竜や獣たちを屠る武器を握っている手である事を、忘れてしまうほどに。

「ふ、あ……ッ」

 こぼれた吐息ごと唇を吸って、一方の手で柔らかい膨らみを、もう一方の手で肩の後ろや背筋を愛しむ。その動きは意外なほどに優しく、の熱を甘く煽った。

 ――不意に、胸の輪郭を柔らかく歪めていた彼の手のひらが、ゆっくりと下がった。
 鳩尾からへそに掛けて指先を這わせ、さらにその下へと伝って下りる。向かう先を理解した時には、ぎゅっと閉じていた太股を割り開かれ、足の付け根に触れられていた。
 反射的に跳ねたの身体を、影丸の腕が抱き込む。優しいけれど、肌が離れる事を許さないような強さだった。

 そうして、影丸の指先が、の秘所へと至った時――ぐちゃりと、粘着いた音が鳴った。

 はっきりと響いた音と、どろりと溢れ出る感触が、自らのものだと知ると同時に、の顔は一瞬で赤く染め上がった。
 いや、あの、そういう行為をしているので、身体は反応するものなのですが。
 少しなどでは、ない。あんな音が聞こえるくらいに、きっと、多量に……。

 目の前にいる影丸にも、伝わってしまったに違いない。彼の面持ちには、虚を突かれたような驚きが広がっていた。

(そんな顔、しなくても。触れられるのは、本当に、久しぶりで、だから)

 あまりの恥ずかしさに、肩を小さく竦ませる。どうせこいつの事だから、ろくな事は言わないだろう。は妙な覚悟を決め、恐る恐る、再び視線を起こす。
 ――正に、その瞬間だ。
 影丸の精悍な顔が、ニイイ、と獰猛な笑みを放った。
 甘やかな歓喜と獣じみた欲望の入り交じる、どろりとしたその仕草。目と鼻の先でからまざまざと見せつけられ、別の意味での全身が震え上がった。

「――すげえな、これ」

 陶然とした低い声が、うっそりと笑う。影丸は顔を傾けると、真っ赤に染まっているだろうの耳に唇を寄せ、吹き込むように囁いた。

「触ってもねえのに、こんなに」
「や、やめ、あ……ッ」
「ああ、どんどん、溢れて」

 意図してか、それとも、無意識か。どちらにしても、羞恥心を無遠慮に嬲られるにとっては、とんでもない責め苦である。何かの嫌がらせだろうか。
 手足をばたつかせて抗議したが、現役のハンターである影丸には、全く利いた様子はない。の耳へなおも色めいた低い声を注ぎ、無骨な指先をぬるぬると上下に動かし始める。
 途端に、の背が甘く戦慄いた。たまらず影丸の大きな肩を掴み、強く抱き寄せる。
 それを苦も無く受け止め、影丸は指先を奥へと押し込んだ。過ぎるほどに泥濘んだ入り口は、容易く彼の指を迎え入れてしまう。

「お、一気に、指の根元までいった」
「ッば、ば、ばかァァァ! く、口に、出さなくていい……ッひ、ん!」

 耐えかねて飛び出した文句は、呆気なく、啜り泣きの音へ変わってしまう。
 内側へと埋められた彼の指先が、狭い壁を緩やかになぞって動き出したせいだ。
 ん、ん、と声を跳ねさせるに、影丸は。

「……久しぶりに触って、浮かれてんだ。少しの事は、多めに見てくれよ」

 その低い声に微笑を含ませ、に告げた。
 そこには小馬鹿にしたような響きはなく、ただ純粋に乱れる様を喜んでいるような、あどけなさを感じた。の胸の端っこが、きゅっと、甘く摘ままれる。
 ……しかし、少し悔しいような気分にもなり、悪戯を返すつもりで、目の前の影丸の首筋をあむっと食んだ。
 僅かにだが、影丸の広い肩が跳ねる。側頭部に彼の眼差しを感じながら、筋の浮かぶ引き締まった首に唇を這わせる。汗ばんだ肌の匂いが、ふわりと鼻腔を掠めていった。

 耳元で、影丸の息遣いが聞こえる。はああ、とゆっくり吐き出された彼の吐息は熱く、艶やかな余韻を鼓膜に残す。

「は……ッこれじゃ、どっちの方が、期待してるんだかな」

 影丸は呟くと、蜜で満たされた秘所から、埋めた指を不意に引き抜いた。
 もどかしい疼きだけが取り残され切なさを覚えたけれど、すぐさま彼の腕がを抱え、後ろへと倒した。影丸の足から毛布の上へ移動し、仰向けに寝かせられる。その上に、影丸が覆うように被さった。

「背中、痛くはねえか」
「ん、へいき」

 影丸はそうかと呟き、の足を柔らかく持ち上げる。それから、下半身を覆う衣服とインナーをずらしていったのだが……勢いよく現れた彼の剛直に、は思わず驚く。衣服で閉じ込められていたそれは、既に硬く滾っており、傍目に見ても辛そうで。いくつにも割れた腹筋に触れそうなくらいに、反り返り、時折震えている。

「――だから言ったろ、浮かれてるって」

 まじまじと見てしまったせいか、影丸は気恥ずかしそうに笑って誤魔化した。珍しい表情だと思っていると、やがて彼は引き締まった身体を改めて寄せ、張り詰めているそれの先端を、過ぎるほどに泥濘む秘所へ押し当てた。ぴたりと重なった感触はあまりに熱く、は微かに息を飲んだ。

「入れるぞ」
「ん、ん……ッ」

 頷くと同時に、影丸はぐっと腰を押し込む。指とはまったく異なる質量が、狭い入り口を押し広げ、沈み込んでゆく。
 少しの息苦しさと、粟立つような充足感。身体の中の全てを、影丸の存在で埋め尽くされるような感覚だった。

 身体の脇についた影丸の手を探し、ぎゅっと指先を握り締める。影丸もそれを握り返すと、背中を倒し、の額に唇を押し当てる。そうして、狩猟によって鍛え抜かれた身体を、小さく揺すり始めた。
 激しさのない、互いの熱を馴染ませ合うような、穏やかさ。意識が蕩けてしまいそうな心地よさに、うっとりと身を委ねた。

 ――すると。

「こ、れ、無理だな……ッ」

 影丸の、焦燥に溢れた声が、不意に聞こえた。

「え? ――うあッ?!」

 がしりと足を掴まれたと思ったら、彼の腰が大きく離れ、その勢いのまま叩き付けられる。
 前触れもなく与えられた衝撃に、爪先から天辺までビリビリと痺れが駆け巡る。
 鮮烈な快楽に、上半身が仰け反り、捩れたが、影丸はそれを支えて……いや捕まえて、激しい律動を繰り出した。

「かげ、まる……ッや、あッ!」
「いや、ゆっくりしようとは、思ってたんだけど……ッこれ、無理だろ」

 荒い吐息混じり告げる彼の双眸は、隠さない獣欲が煮えたぎり、獰猛なまでにぎらついていた。伝い落ちる汗を舐め取るその舌先に、はぞくりと震える。

 熱く湿った空気で充満するテントの中には、何度も肌を打ち合う音と、言葉になり損ねた声や吐息だけが響いた。
 厭らしいだとか、生々しいだとか、そういう感覚が薄れてゆくほどの狂おしさが、思考を支配する。

 たぶん、影丸も、同じだ。

「く、う……ッはあ……ッ!」

 悩ましげに面持ちを歪める彼から、汗が滑り落ち、の身体へと滴る。
 夢中になったように身体を前後させ、全て熱で染め上げる律動は、微かな苦しさを胸に感じさせたが、けして嫌ではなかった。
 むしろ、あの影丸が、平静をかなぐり捨てて求めてくれているという事に、満たされる心地だった。

「かげ、まる」

 震える指を伸ばし、影丸の汗で濡れた頬を撫でる。
 彼は瞼を持ち上げると、を陶然とした瞳で見下ろし、その指を掴む。そして、口元へ運ぶと、ねっとりと舌先でなぞった。
 爪の先、指の関節、指の股……順番に舐め啜る仕草は、獣のようで。何故だが、心の深いところを、ぎゅっと甘く掴まれた気がした。


 ――かつて、人々の英雄になる事を夢見て、狩人を志したという少年がいた。
 しかし少年は、後に取り返しのつかない大失態を犯し、温かくて居心地のいい夢から目を醒ました。自らの弱さを目の当たりにし、その弱さゆえに犯した罪を突きつけられ、少年は情け容赦のない現実に立ち向かう覚悟を決めたという。


 そして少年は、今もその覚悟を違える事なく、狩り場に立ち続けている。
 それを証明するように、かつて少年だった影丸の身体には、無数の古い傷跡が刻まれている。たくさん、本当にたくさんの傷跡だ。これからも、きっとその傷跡は増えていくのだろう。今まで彼が歩んできた道のりの証明であり、何人にも口を挟ませない矜持そのものであるのならば。

 思うに、影丸の中身というものは、誰よりも苛烈で――弱さに怯える臆病な一面と、強さを突き詰める大真面目な一面も併せ持っている。
 純粋に、尊敬する。そうも迷い無く突き進める姿を、眩しいと、思う事は何度もある。

 だから、きっと、嬉しいのだ。急き立てられるように余裕を失い、あらゆる感情を剥き出し、縋り付き求めてくれる事が。

 あの影丸に、こんな顔をさせているのは私であり。
 その瞬間を見ているのも、私だけなのだ――。

 息が途切れそうな熱情の中に、甘やかな優越感が灯る。滲む視界に影丸の姿を収め、仄かに微笑んだ。

 やがて、影丸はの手を乱暴に毛布へ縫い付けると、追い立てられるように引き締まった腰を揺する。最奥を穿つように、何度も、激しく。その焦燥に溢れた動きに、も期待と共に高まり、肢体をしならせた。
 それとほぼ同時に、影丸の低い声が熱っぽく、凄艶に吐き出される。痙攣するように震えながら、彼は二度、三度と大きく腰を突き出し、欲望を白く放った。


 ――激しい息遣いが、閉じたテントの中に響き渡る。
 張り詰めた四肢はゆっくりと弛緩したが、まだその余韻は引かず、爪先がピクピクと震えた。

 折り重なるように倒れた影丸の上体へ、は腕を伸ばし、労るように撫でる。すると、彼は顔を動かし、の瞳を覗き込む。乱れた吐息が掛かるほどの至近距離にある、彼の黒い眼は――未だ、獰猛にぎらついていた。

「かげまる――きゃ、あ?!」

 影丸の手が、おもむろにの背中を抱き起こしたかと思うと、仰向けからうつ伏せの体勢に転がした。力の抜けきった腰を、ぐいっと高く持ち上げ――抜け掛かった楔を、再び深く沈めた。

 達したばかりで過敏になった身体が、ぞわぞわと一斉に粟立つ。待って、と伸ばした手は空を切り、力なく落下した。

「あ、あ……ッひ、ん……ッ」
「――たった一回じゃあ、治まらねえよ」

 打ち震え、捩れる背中に、影丸の胸が折り重なる。耳の縁に、彼の熱い唇が触れた。

「まだ、時間はある。もう少し、俺だけ考えてろ。なあ、

 笑みを含む声が、耳の奥へ吹き込まれる。そこには鎮まらない熱がはっきりと感じられたが、微かな懇願もあったように思う。
 後ろから突き上げられながら、が振り返ろうとすると、首筋にピリッとした痛みが走った。唇、ではない。もっと硬い何か――そう考えた時、押し当てられたものが何なのか、すぐに理解した。
 きっと、影丸の歯だ。

 ――もう、動物じゃないんだから。

 それは彼の癖なのか、首筋に歯を当てられるのはこれが初めてではない。毎回、毎回、首には彼の歯形が刻まれるのだ。
 と言っても、皮膚を食い破るような力はないので、時間が経てば消えてしまう。その程度の歯形だが、影丸はそれを愛撫するように、愛おしげに舌先でなぞる。
 それをしょうがないなと思ってしまうのだから、自分も大概、彼の一挙一動に惚れてしまっているのだ。


◆◇◆


 ――激しかった雨足は、いつの間にか柔らかく緩んでいた。
 ポツポツとこぼれる雫の音色に誘われるように、はテントの入り口を持ち上げ、外を窺った。

「……あ、ねえ、影丸!」
「ああ?」
「すごく綺麗な、青いトンボが飛んでる!」

 空中に張り巡らされた古代樹の豊かな枝葉の上で、美しい青色のトンボが踊っていた。
 雨が降り注ぎ、鈍色に霞む風景とは対照的な、目が醒めるように鮮やかな群青色。
 くるり、くるり、と八の字を描くその様子をじっと見上げるの背後から、影丸も顔を覗かせて頭上を仰いだ。

「ああ……キッチョウヤンマだな。天候の悪い時にしか出ない、そこそこ珍しい環境生物だ」
「へえ……綺麗な昆虫だね」
「あれが飛んでるって事は、明日は晴れるな」
「そうなの?」
「人間と違って、自然界の連中は本能を、生き方を間違える事はねえからな」

 良い天気になるぞ、と影丸は呟いて再びテントの奥に戻った。
 雨の日にしか現れず、その翌日は必ず晴れるという逸話を残す、キッチョウヤンマ。なるほど、“吉兆”とは、なかなか良い呼び名だ。

 雨の中を悠々と飛び、枝葉の向こうへ消える群青色の昆虫を見送ると、不意に強い力がを後ろへ引っ張る。持ち上げていたテントの入り口が、バサリと落ちた。
 がっしりとした影丸の腕がを抱き寄せ、胸の前で閉じ込める。そのまま彼は後ろへ背中を倒し、仰向けに寝転がった。

「影丸?」
「もう少しゆっくりしよう。眠い」

 影丸はそう呟くと、をぎゅっと抱える。見た目によらず、彼の胸板はがっしりとして分厚いが……。

「影丸、重くない?」

 さすがに胸に乗っかってしまっては、楽ではないだろう。そう思って声を掛けると。

「まあ、それなりに重いけどな」
「だろうね! でもそこは軽いって言おうよ嘘でも!」

 下敷きにした胸板をぺちりと叩いてみたが、やはりびくともしない。くつくつと笑う振動に合わせ、楽しそうに揺れている始末だ。

「いいから、大人しくしてろ」

 ぞんざいに言い放ったが、を抱える腕は言葉とは裏腹にひどく優しい。
 眠くなってしまいそうなくらいに温かくて、心地よくて、はほうっと安らいだ溜め息をこぼす。

 訪れた静けさの向こうから、雨粒のこぼれる音色が響いている。
 優しい雨は、まだ止まないようだ。



そういえば、影丸の18禁小説はこれが初めてですね。
なんだかんでイチャイチャしてて欲しいという、願いを込めました。

記念すべき第一弾で、すでにこれ。独り相撲だったセルギスとの違いよ……。

影丸はなんか、ナチュラルに言葉責めをしでかしそうですよね? ね?

あと何故か、影丸には小綺麗なものが浮かばないです。言い方は汚いですが、汗まみれとか埃まみれとか、そんなものばかり。

(お題借用:Nicolo 様)


2018.05.03