此処から始まる、

――――― ユクモ村の、ジンオウガ討伐狩猟のもう一人の英雄の、帰還。
近隣に現れたアオアシラ、ジンオウガ……何かを予兆させる立て続けの出現に、それを食い止めるべく向かったハンターたち。彼らが帰って来たのは、暗い夜の時刻の事。布にくるまれた、意識を失った男性と女性を抱えて来た事に、誰しも大いに驚いたものだ。
そして更にはその後、その男性は七年前に姿を消したハンターであると判明し、ユクモ村を騒然とさせる事になるのだから、村中がその晩は騒然としていた。
だがその影で、桜色アイルーやハンマーを持ったアイルー、そして英雄の弟子の奮戦が有った事を、知る者は居ないだろう。

そして、帰還の話も、いずれは静まり返り《日常》へ戻っていく。
どのような大事も、いつかはこの厳しい自然に満ちた世界では些細なものとなる。それらは、不可解な出来事の渦中に居たと思しき彼らが、最も理解し、そして望んでいた事でもあった。



当初は歩く事も危なげであったも、体調を整えれば自然に立ち座りが可能となり、医師からも太鼓判を押された。
だが、無理はしないようにと念を押された為、はレイリンの自宅、セルギスは影丸の自宅で静養していた。日中は、主に影丸の自宅に集まるのが、この頃しばし定番となった。
ただ当然、とセルギスの元にやって来るのは、質問の嵐であった。
ギルドマネージャーを始め、ユクモ村の村長、とセルギスを診る医者などから、受けた数々の質問は数え切れないほどで、何を返答したのか覚えていないくらいだった。だが大部分はやはり、セルギスの事である。七年という空白は大きく、また彼の全身の傷には誰しも痛ましく思ったのかもしれない。だがセルギスは、その質問責めにも表情を穏やかにさせていたのを、は静かに見つめていた。
そして、彼らが案じるのは、セルギスの身体であった。傷だけではない、目覚めた彼は、一切歩く事が出来なくなっていたのだ。

「セルギス様……足を、悪くなされたのですね」

たおやかな村長は、表情を曇らせた。影丸の寝台で上体を起こしているセルギスは、小さく笑い、「仕方ない」と返す。崖から落ちたのだ無理もない、と加えて、続けた。

「あれからどれほど経過していたのか……正直、よく分からないほどで。けれど、あの後通りかかった……そう、この女性に救われ、遠方のとある村で命を救われました。もともと、小さな山村で治療の技術があったわけではないから、この傷も、足も、まだ完治していない感じです」
「ヒョヒョ……彼女は、その村の娘さんかい」

ギルドマネージャーの目が、を見た。は頷いて、自然に笑って見せる。

「彼女は、もともと遠い地方出身らしいんだが、村を転々としているらしくて。新しく暮らせる場所を探すという事で、身体がこんな俺も一緒にユクモ村へ足を運ぶ途中だった。まあその時、ジンオウガに襲われて、影丸やヒゲツに助けられたというところです」
「そうかい……そりゃ、大変だったねえチミ」

感慨深く頷いてるギルドマネージャーの隣で、村長が不意にを見るや優雅にお辞儀をした。その仕草の艶やかな事、は同性ながら見惚れた。

「ユクモ村を代表し、そしてセルギス様の知人とし、お礼を申し上げますわ。様」
「いえ、そんな……。わ、私が結局、また危ないところに足をつっこんでしまったので、何と言って良いか……」

村長はゆるりと首を振り、「そのような事はありませんわ」と微笑んだ。

「まだまだ、静養が必要ですもの。どうかゆっくりされて下さいませ。ねえ、先生」
「ええ。随分動けるようになりましたが、セルギスさんは……まだまだ診る必要もありますし」

ともかく今は、ゆっくり休んで下さいと、彼らはそう言い影丸の自宅を去っていった。
気配が完全に無くなったところで、やセルギス、影丸やレイリンはどっと息を吐き出した。

「……何とか、嘘八百で切り抜けられたな」
「この設定、覚えておかないといけないわねえ……」

……彼らに告げたのは、当然事実無根のでっち上げ。一部に限りなく微妙な真実が混ざっているが、ほとんどが嘘で出来上がった身の上話なので気を抜く事は出来ない。
ただ、の場合は……遠い遠い場所から来た、というのはあながち間違っては居ない。

いずれ質問責めを食らうであろうと、懸念したセルギスと影丸が作ったこの話。村長などは信じてくれたようで、まずは一安心だ。
ジンオウガとなって各地を転々としていたところ、この桜色アイルーと出会い渓流でドキドキノコを食べて元の姿に戻った、などと信じる輩が居るとは思えないのだから。
けれど、セルギスの足が動かなくなったという事に関しては、虚偽の類でなく、事実である。崖から落ちた後遺症……ではなく、あまりに長い年月をジンオウガの身体で生活してきた為に、彼の身体は人間の歩き方などをすっかり忘れていたのだ。起きあがる事も出来るようになり、少し歩いてみようかと思い立ったセルギスが寝台より立ち上がった瞬間、彼は床へ盛大な音を立てて倒れた。曰く、身体が軽すぎる。手のバランスが取れない、との事だ。
かくいうも、身繕いを無意識の内に行おうとしたり、アイルーの生活習慣が滲んでいた。歩行に関してはすんなりいけた事が、唯一の救いだ。
それもあって、これは理由をつけなければならないと、額を寄せて考えた結果が、あの話である。

「そういえば、アンタの出身って何処なんだ」

影丸にそう尋ねられた時、はしばし考え「此処から、ずっと遠い島国です」と言った。アイルーになった前後の記憶は本当に無いため、全く覚えていないと告げた。普通であれば、そこで食いかかるところであろうが、よもやアイルーから人間の姿に変わるなどという非常に奇天烈な光景を目の当たりにしている為、疑う事はしなかった。というより、影丸は疑っていたがレイリンが「きっと、辛い事があったんですよ。だから、無理に思い出さなくても良いんです」と涙ぐましく庇ってくれた事もあって、影丸がそれ以上突っ込んでくる事は無かった。とても良い子である、だが……代わりにの良心が少しだけ痛んだ。
別の世界から来たなんて、こればっかりはさすがに言えない。

その結果、完成したシナリオは。
セルギスは崖から落ちた後、偶然にも通りかかったという旅人に救われ、ガーグァの車に乗せられ遠方のさる村へと辿り着き。
そしてこの空白の時間の内に意識を取り戻し、ユクモ村へ戻る最中の事である、となった。

なかなか、違和感は無いと思われる。

だが問題は、今後でもある。
セルギスは神妙な面持ちで、を見上げた。

「……俺は元々、長い事離れていたがユクモ村に住んでいた。お前は……これから、どうする?」

そう尋ねられ、はしばし黙りこくった。急に覆うように漂った沈黙に、レイリンが隣でハラハラと見比べる。だが、はギュッと勇気を振り絞るように手のひらを握ると呟いた。

「……行く場所は、もうありません。私の故郷は、もうずっと遠い場所だから」

だから、との瞳がレイリン、影丸、セルギスと順々に見つめる。

「――――― も、もし許されるなら……このユクモ村で、住まわせてもらえたらって」

もちろんこれが、大それた我が侭である事は承知である。だが、今後も地に足をつけ生きていくには、この場所で暮らさねばならない。彼らの伝手を、頼る事になっているが、でもどうか、とが頭を下げると。
レイリンが急に飛び跳ねて、喜んだ。

「それが良いですよ、うん! せっかく人間に戻ったんですから、もっと楽しまないと」

明るくそう笑うレイリンに、は呆気に囚われていた。
時分が願い出た事ではあるが、本当に? こんな得体の知れない人間を、住まわせてくれるの?
の細くなった手を、レイリンの手がギュッと握りしめる。

「……ほ、本当に?」
「村長も、きっと話せば分かってくれますし。だからさん、そんな顔しないで下さい」

ね、と促され、はぐっと感情が溢れそうになるのを抑える。
その後ろの影丸も、相変わらずぶっきらぼうな仕草であるものの「まあ、別に良いんじゃねえのか。あの村長なら多分悪いようにはしない」と不器用なフォローをし、寝台の上のセルギスも落ち着きある笑みを湛えて。

「わざわざ、渓流に戻る理由もないだろう。せっかく、人の輪に戻る事が出来たのだから」

彼らの言葉に後押しされ、ユクモ村に住まう事を決意した。
だが、それを願ったのは、何もだけでは無かった。
翌日、早速村長の元へ、レイリンと共に直談判しに伺おうと言った今朝の事だ。話を聞いたカルトが、の前に立ち塞がった。
とレイリンは、彼の行動に首を傾げたが、その次の瞬間には彼の声が響き渡った。

「――――― が住むなら、オレも此処で暮らすのニャ!」

これには、さすがのも驚いて、表情を崩した。人間の生活に興味を抱いていた彼だったが、渓流に戻りたいと言うかとてっきり思っていたのだが。
カルトの心は、その眼差しから見て取れるように、決まっているようだった。

が此処に残るなら、オレも残るニャ。これは絶対譲らないニャ」
「ニャー? 弱いくせに、何を言ってるニャ。ボクに勝って調子に乗ってるニャ?」

ニャッニャッ、とコウジンが場を濁す勢いで笑った。レイリンに叱られたけれど、対するカルトはそれに反論しなかった。

「……そうニャ、オレが弱かったから、あの時ジンオウガを呼びにいかなければならなくなったのニャ。オレが強ければ、アオアシラが死ぬ事は無かったし、を泣かす事も無かったのニャ」

愛くるしい容姿なのに、そう告げた彼はとても勇ましく格好良かった。
猫相手であるというのに、はドキリとしてしまい、そして同時にカルトの成長ぶりに感動もしていた。
予想外であったのだろう、思わぬ反論を受けたコウジンは、うぐぐ、と明らかに奥歯を噛みしめて悔しがっていた。

「……良いの、カルト。人の生活に入るという事は、今まで通った事が通らなくなるし、今まで通りの暮らしはまず無いわ」
「知ってるニャ、でもそれはアンタもそうだったニャ」

カルトは、ふふんと胸を張った。

「人間のくせに、慣れない暮らししてたのニャ。それには、オレが居ないと駄目なのニャ。危なっかしくて、見てられないのニャ」

彼は笑うように告げた、だがあえてそう言っているのは、にも分かった。彼はの為、そして自らの為、人の生活に飛び込む覚悟を見せているのだ。それはが予想する以上の事なのだろう、身体を屈めて視線を合わせた瞳には何を言っても退きそうにない鉄壁な感情が伺えた。

「……本当に、良いのね」
「良いのニャ」

カルトは笑って、腕を組む。

「オレは、オトモアイルーになるのニャ。ヒゲツの兄貴みたいな、強くてカッコいい、アイルーになるのニャ!」

それは、彼が初めて口にした夢だった。
は、「そっか」と微笑むと、人間の手で初めてカルトの猫の手を握り、上下に揺らした。
その時の満面の笑みのカルトと言ったら、本当に眩しくて羨ましくもあった。


その後、カルトも連れてとレイリンは村長の元へ向かった。村の様子を見て回る彼女は、普段人通りが多い集会浴場から市場通りを一望出来るところに赤い傘と長椅子を置き、そこに座っている。
村長は、突然現れたとレイリン、カルトに微笑むと、やはりたおやかな仕草で挨拶を交わしてくれた。
「それで、本日はどうされましたか?」と言った村長に、はバッと腰を折り曲げ、頭を下げると頼み込んだ。

「村長様、勝手な事と分かっていますが、私をユクモ村に住ませてはくれないでしょうか」

龍人族特徴の、長い尖った耳がピクリと揺れる。

「わ、私、次に行く場所の宛がありません。無一文ですし、もちろん勝手な事とは存じています。でもどうか、この場所で暮らす許しを頂けませんでしょうか。村の為に、どんな些細な事でも働きます、ですのでどうか」

頼み込むの隣で、レイリンもまた小さな背を曲げて頭を下げる。

「村長、お願いします」

二人の誠実な頼みに、村長は「ふふっ」と優しく微笑んだ。白い頬に手を当て、「まあまあ」と言った後に、とレイリンに顔を上げさせる。

「先日、申していたではありませんか。確か、新しく住む場所を探していると」

優しいその声に、はそろりと艶やかな着物姿の彼女を伺った。村長は、紅を引いたふっくらした唇を緩やかに弧を描かせ、見惚れるほど美しかった。

「セルギス様や、影丸様、レイリン様ともご縁がおありのご様子。もし様がよければ、このユクモ村に腰を落ち着かせて頂けませんか」

は、ハッと息を飲んだ。自分が頼み込んでいるのに、この穏やかな物腰で勧めてくれている。
それはつまり、ユクモ村にが突然加わることを……許してくれている、という事だ。
はすぐに察したが、言葉が急に出ず、しばし口を震わせていた。

「あ、ほ、本当に……ですか……?」

村長は、変わらず微笑みを浮かべたまま、「もちろんです」と頷いた。

「市場からは遠いですが、空き家が幾つかございます。人が長らく使っていませんので、掃除などに時間が掛かってしまいますが、家具も残っていますし十分に使えるかと思います。必要なものがあれば、可能な限りこちらで用意させて頂きますし」

は表情を次第に明るくさせ、大きく頭を下げた。

「ありがとうございます! ち、賃貸料金などは……必ず、働いてお支払いしますので」
「まあ……。空き家は古い物件でもございますし、そのようなものはお受け取り出来ませんわ」
「で、ですが」
「――――― その代わりの、条件がございますが」

は、ぐっと身を乗り出した。

「何でしょうか」
「ユクモ村は、何かとお客様が訪れる場所……様には村の催しなどに参加して頂く事になるやと思います。またお出かけになられる際には一人で出歩く事は大変危険でございます。ハンター様かあるいはオトモアイルー様などと出かけられますよう……幾つか制約が出て参りますが、それでも構いませんか」

構う構わないもなにも……こんな得体の知れない女を受け入れてくれるなんて、空き家を貸し与えてくれるなんて。これほど、有り難い事はない。この瞬間は、村長に憧憬の念とまた感謝の念を抱き、村の為に身を骨にする想いで尽くす事を誓った。
後には、集会浴場の掃除婦になったり、市場の道具屋で売り子をしたりと、ユクモ村で評判の働き屋になるのだが、それはまた別の話である。

「あ、あの村長、それと……」

はおずおずと、足下のカルトを見下ろした。彼はバッと飛び出すと、「オレも此処で暮らしたいニャ!」と告げた。

「オレ、オトモアイルーになりたいのニャ!」
「まあ、カルト様。もちろんですわ、ネコバアにお話しておきますね」

クスクスと、微笑ましく笑みを浮かべたが、ふと思い出したようにその細い瞳を開けた。

「そういえば、カルト様、以前いらした様というアイルーとは……ご一緒ではないのですね。あら、そういえばこちらの様と、同じ名前……不思議な縁ですわ」

は一瞬ドキリとしたが、さすがにアイルーと人間がイコールで繋がる事は常識的に考えられない為に不思議がられただけで終わった。

「野生のアイルー様……何かと理由がおありなのでしょうね。あちらの様にも、宜しくお伝え下さいませね。
――――― まずは、様とカルト様、ユクモ村の新たな住民として歓迎致しますわ」

はバッと何度も頭を下げ、そして隣で共に頼み込んでくれたレイリンにも頭を下げる。彼女は首を振り、「今度は、同じ村の人間として、仲良くして下さいね」と手を握ってくれた。
その温もりがじんわりと伝わり、人に戻ったという事を再確認もし涙がこぼれそうになった。

カルトはその後、早速ネコバアにオトモアイルーの申請書を書いてもらったという。そして同時に、のお手伝いアイルーにもなり、ますます義理堅い性格が発揮される事になる。


――――― 後日、村長の手早い計らいにより、は新たな住民としてユクモ村に籍を置いた。
ユクモ村の人々へ挨拶に回った時、「これからよろしくね」などと暖かい言葉をかけてもらい、ますます泣きそうになったのは、彼女の秘密である。

……あの子に救われた命だもの。あの子の分も、図太く生きてみせるわ。

小さな、幼いアオアシラをが、脳裏で笑う。ハチミツが大好きで、いつも後ろをついて回っていた、真ん丸の彼。今は渓流で眠っているが……彼の分も。そう、いつだったかモミジイが言ったように、命が繋がるという事のように。
渓流での生活は確かに大変だった、だが文明のある人の生活の方が倍は大変だろうと気合いを入れ、来るべき新たな生活に胸を躍らせた。



というわけで、アイルー編終了に伴い、人間編というアフターストーリーでございます。
これは特に決まったメインストーリーなどは無く、好きなものを好きなように書き散らかす事をモットーとしております。(笑)
特に、モンスターとか!

管理人がまたハッスルするかと予想されますが、どうぞよろしくお願いします。


2012.02.04