落星

 ――最初にその“光”を見たのは、飛行船の甲板からであった。

 短くはない空の旅を続け、終着点である目的地のベルナ村がもう間もなく見えてくるだろうという頃、船に乗っている船員や旅客は各々で支度を始める。それに乗っていたとレイリン――その日は二人で採取ツアーに出掛けていた――も、オトモアイルーのコウジンとカルトと共に、村へ降りる準備をし始めていた。
 涼やかな風の吹く甲板には人々が集まり、和やかな空気に包まれる。採取ツアーで集めたキノコや果物などを見下ろし、夕飯が楽しみだと笑いあうとレイリンの耳へ、黄色い制服に身を包む船員のアイルーの声が到着を高らかに告げる。

 その時だった。

 船員の一人が、空を指差し、不意に声を荒げた。彼の姿につられて、甲板に居た人々は一様に顔を上げる。
 散りばめられた星屑が浮かび上がり、静かに瞬く夕闇の空。その果てに、彗星が流れていた。燃えるような、赤々とした輝きを放つ、大きな彗星だった。
 美しい軌跡を残す彗星を、誰もが見上げる。しかしながら、その時にこぼれ落ちた声は、抑えられない不安も確かに滲んでいた。とレイリンたちも同様で、飛行船の甲板の縁に手をつき、藍色に染められる空を呆然と見上げていた。

「何、あれ」
「分かりません。初めて、見ました」

 とレイリンの足元では、コウジンとカルトが不思議そうに、流れ星だと声を上げた。
 燃えるように輝く、大きな赤い星。確かにそれは流れ星に相違なくて、とても綺麗だったが――焦燥のような、言い表せない感情を抱かせた。

 吉兆か。それとも、凶兆か。

 沈み行く太陽が染める地平線と、星屑の散らばった夕闇の空を、真っ直ぐと切り裂く赤い軌跡。
 初めて見た瞬間から、あの鮮やかさは、の中に深く刻み付けられていた。


◆◇◆


 緑豊かな丘陵地帯――通称、“森丘”。
 人々の生活にも密接する資源の豊富な地だが、獣たちにとっても過ごしやすく、またその地形の特性上、鳥竜種や飛竜種などが多く住み着く地でもある。そのため、ハンターたちの狩場としても有名だった。

 だが、夜風が吹き、月明かりの注ぐ丘の景色は、狩場の一つとは思えないほどの静謐に包まれている。日中に活動する獣たちはほとんど眠っているので、物音もなく、夜風の音色が涼やかに聞こえるばかり。
 夜に自然界へ踏み入れる方が危険であるというけれど、夜空も綺麗で、不謹慎だがわくわくしてしまう。

、あんまり気を抜いたら危ないニャ。オレの後ろを着いてくるニャ」
「ふふ、分かってます。頼りにしてます、教官」

 得意げに胸を張り先導するカルトは、もう一人前のオトモアイルーの風格がある。オトモになりたての頃は、お祝いとしてヒゲツとコウジンから贈ってもらったジャギィネコ装備を着ていたが、今は真紅のレウスネコ装備だ。雇い主である旦那さんことセルギスのもとで、めきめき力を付けているのだろう。すっかりと頼もしくなった。
 だが、こうしての採取活動に頻繁にオトモをしてくれるから、カルトはやはりカルトだ。渓流で過ごしていた時にも見せた世話焼きの男気に溢れ、ヒゲツとはまた違うかっこよさが光っている。

「あ、マタタビ! ンニャァァァァ勝手に走ってしまうニャァァァ!!」

 ……まあ、基本は猫なので、愛くるしい事この上ない。
 草むらへまっしぐらなカルトの丸いお尻を、微笑ましく見つめた。




「――それにしても、今日はやけに静かだね」

 夜になれば何処も寝静まるが、こんな風に肌がざわざわとする静寂も珍しい。
 特に根拠のない予感を抱くなんて、桜色アイルー時代の野生の勘が働いているのかと、つい笑ってしまう。
 ぷちぷちと厳選キノコを採るの傍らで、同じようにキノコを漁っていたカルトが顔を起こす。鼻をひくひくと揺らすと、おもむろに夜空を仰ぐ。

「あれがあるからかニャ」

 猫の手が示したものを、も目で追う。
 月明かりも目映い、満天の夜空。その中にはっきりと浮かび上がっているものは――大きな、赤い煌き。燃えるような真紅の星が、無視しがたい存在感を放ち、静かな夜空を焦していた。


 近頃、様々な地方の空で、あの赤い星が目撃されるようになった。
 それは昼夜を問わずに現れ、そして気付けばいつの間にか忽然と消え去っている。
 飛行船で見つけた時から、も何度か見かけていた。セルギスや影丸たちもそれを見たというので、ここ最近の頻度は偶発的なものだと考えにくい。

 この赤い星について、ベルナ村に隣接して佇む龍暦院が調査に乗り出し、特に龍識船という空を飛ぶ研究施設と調査隊が力を入れているという。
 現状、未だに赤い星について解明は進んでいないが、一つ、はっきりと分かっている事があるそうだ。

 あの赤い星は、古くから“凶星”として語られてきたというのである。

 厄災をもたらす、赤き凶星。やがて訪れる、凶兆の前触れである――。
 どこまでが真に迫っているかはさておき、あの星の出現は、多くの人々の心に不安を抱かせた。
 それを嗤うように、赤い輝きは各地を流れ、不気味なほどに美しく浮かんでいる。とカルトが見上げる、今宵の星がそうであるように。


 そして、赤い凶星が空に見える時、その地には欠片が落とされるという。
 月明かりが照らす森丘にも、それが残されていた。

「“灼けた甲殻”ニャ。まだ温かいニャ」

 大地に突き立てられた、鈍色の鋭い破片。どれほどの衝撃だったのか、その周囲の土は抉り出されており、破片の先端は深々と地中に埋まっている。
 カルトは肉球でペチペチと殴打しつつ、破片を幾つか採取しポーチへしまい込む。もその側にしゃがむと、恐る恐ると指を這わせた。確かにまだ熱が残っており、ほんのりと温かい。しかし、何処か無機質だ。すべらかな感触と温かさは、遠く離れた故郷で馴染み深く、この世界では失われた文明の一端として語られる“機械”を彷彿とさせる。
 その上、破片とはいえ、その大きさは五十、六十センチほど。けして小さくはないそれを前に、異様な不安が胸に過ぎる。

「最近、あの赤い星が見える回数は増えてるのよね。これが落ちてくる頻度も」
「旦那さんたち、そう言ってたニャ」
「……村とかに、被害が出ないといいね」

 もしもこれが大量に降り注いだら、恐ろしいと思う。
 いや、真に恐ろしく思うべきは、これの“持ち主”なのだろう。
 甲殻というのだから、その躯体から剥がれ落ちた代物である。高温に灼けた有様から、その正体を推して考える事は難しいが……。

 は、改めて夜空の赤い凶星を仰ぎ見る。初めて見た時と同じ、キラキラして、鮮やかで美しいその“星”。一体どんな姿をしているのだろうと、ふと、思い浮かべた。


 ――と、その時。
 浮かび上がっていた星が、緩やかに動き始めた。

 赤い軌跡を描いて流れる星は、不気味なのに、やはり目を奪われるほどに綺麗だった。

「今度は、何処に行くんだろうね」
「分からないニャ。あんまりにも速くて、龍識船も追いつけないって言っていたニャ」

 赤い星はそのまま流れ、遠ざかってゆく――と、思いきや。
 再び立ち止まり、その場に留まった。しかし、次第に輝きが強くなり、空に残る軌跡もはっきりと見える。

「こ、これ、もしかして」
「も、もしかしなくてもニャ」

 ここに、落ちてくる――!

 とカルトは、慌てて立ち上がると、月明かりが照らす丘を走る。
 空を焦がした“凶星”が落ちてきたのは、それから間もなくの事であった。


◆◇◆


 どうにか距離を取ったので直撃は免れたものの、その衝撃と余波は凄まじかった。
 とカルトは地面に倒れ伏し、風に煽られる木の葉のように転がった。

 ひとしきり地面を滑った後、訪れたのは――キン、と耳の奥に響く、甲高い余韻。
 何が起きたのか分からないほどの、自らの息遣いさえ聞こえないほどの、無音の世界に塗り変わっていた。

 痛いほどの沈黙に支配されている事に、恐怖を抱きながら、恐る恐ると顔を上げる。
 怪我は、ない。いや、衝撃が凄まじく、感覚が鈍いのかもしれない。だが、の手足はしっかりと動いていた。

(カルト)

 渓流からの付き合いである友人を探す。
 しかし、真っ先に目に留まったのは、カルトではなく――目の前に佇んでいた、龍であった。

 大きなアプトノスを、前足一つで容易く押さえ込む巨体。月光を背にしているせいか、が見上げる龍は影を纏い、その全貌をはっきりと見せてはくれない。
 しかし、多くの鳥獣とは一線を画す、特異な存在である事は、朧気な輪郭からまざまざと理解した。
 鈍い銀色に包まれた躯体はしなやかで、美しい流形線を描いていた。背中から生える両翼は、多くの竜が持つ膜の張った翼ではなく、機械仕掛けの銀翼を彷彿とさせる特徴的な形状を宿している。そして、その翼からは、赤い光が噴出していた。
 炎ではない。しかし、蛍火のように柔らかく、儚くはない。何らかのエネルギーだろう。
 ますます、目の前の龍が、およそ生き物の枠から外れた存在であると、思えてならなかった。

 ――しかし。

 月明かりを背面に受け、鈍く浮かび上がる、鋼鉄の輝きと赤い光。
 これが人々から恐れられた“凶星”の正体。
 不思議と、目を惹き付けて――。

「……きれい」

 気付けば、そんなたわいない事を呟いていた。

 輝く月を背にした龍が、微かに動き、首を下げた。生き物から聞こえるはずのない、金属が軋むような音色が、確かに目の前からした。
 相も変わらず茫然とするを、龍は見下ろした。はっきりと、見下ろしたのだ。猛禽のように鋭い、青い双眸が、を確かに捉えていた。

「うう~ん……ニャ?! !!」

 体重が軽い分、よりも遙か遠くに吹き飛んだらしいカルトが、勢いよく起き上がる。彼はリオレウスの端材から作られたヘルムを直すと、のもとへ慌てて駆け寄り、庇うようにその正面に立った。
 赤い剣を構え、森丘へ突如落ちた“凶星”へ、その切っ先を向ける。しかし、彼の小さな身体が震えている事は、目に見えて分かった。
 もどうにか身体を起こしたが、目の前の龍は興味を無くしたように青い瞳を逸らしていた。
 とカルトの存在など意にも介さず、銀色の尖ったくちばしを開き、アプトノスの巨体へ食らい付く。恐ろしい事に、龍は重量を物ともせずに持ち上げ、悠然と夜空を仰いだ。

 両翼をゆっくりと折り畳み、赤いエネルギーを集結させる。
 まるで、エンジンを蒸かす機械のような、独自的な仕草であった。
 銀色の躯体が赤い光を纏い、甲高い機械音を激しく鳴り響かせる。そして、翼から膨大な量のエネルギーを噴出させると、再び星屑の散らばる夜空へと飛び立っていった。
 沈黙で支配された一帯を、今度はその轟音と衝撃をもって、恐れ戦慄かせながら――。


 吹き付けた熱風に顔を庇いながら、は空を見上げる。
 そこに龍の姿はなく、夜空にあの赤い凶星が浮かんでいた。焦がすような彗星の軌跡を描き、途方もない速さで遠ざかってゆく。

 やがて赤い星は小さく消え、森丘に長閑な静寂が舞い戻った。
 ようやく、はカルトと共に、どっと息を吐き出した。
 カルトは剣を持ったまま、ぺしゃりと座り込み、茫然としている。も腰が抜けたまま立ち上がれないので、少しだけ可笑しくて、掠れた笑みをこぼした。

「無事、みたいだね……」
「ニャ……」

 お互いに言葉少なく、無事の生還を喜んだ。
 動かないカルトを抱き寄せ、は再び空を仰ぐ。

「あれが……“凶星”……」

 凶兆として恐れられた伝承の姿を垣間見て、全身が今になって興奮で粟立った。


◆◇◆


 森丘から帰還したその後、すぐにギルドへ報告し、龍識船が現地調査に入った。
 とカルトは、龍識船の若き隊長などから詳しく話を聞かれた。そして、赤い凶星の正体も、ついに暴かれる事になった。


 地上とは隔絶された高空域を飛ぶ、他に類を見ない独自的な進化を遂げた、謎多き古龍。
 その姿から天彗龍とつけられた、凶星の正体――バルファルク。


 今日も、空には赤い凶星が浮かんでいる。
 不思議と、もう一度会いたいと思うのだ。
 あの白銀の鋼鉄に身を包んだ、美しい龍に――。


MHXXの象徴となったバルファルクとの、そんな出会いがあったらいいな。

あくまで人間側が必死に追いかけるスタンスが、個人的には好ましいです。


2018.01.01