え? 原住民じゃなかったの?

ぽかぽか陽気の降り注ぐ、穏やかな大河のほとり。
草を啄ばむアプトノスの群集に混ざり、とカルトは、のんびりと休憩をしていた。
ポッケ村から数週間かけてやって来たアルコリス地方の、鬱蒼と茂る森林と小高い丘などの隆起した大地に富んだ、自然豊かな緑の区域。奥地へ進むと飛竜などの大型モンスターも生息しているので、狩猟区域にも認定されているこの地は、シルクォーレの森とシルトン丘陵と呼ばれており……ハンターたちの間では、《森丘》と通称されている。
といっても、とカルトは何もモンスターと戦いに来たわけではなく、ただ単にせっかく旧大陸にやって来ているのだから多くのものを見ていこうという、観光精神によるものだった。
今回、この森丘に用があるのは、ポッケ村ハンターとユクモ村派遣ハンターたちだ。採集ツアーがてら、森丘にいるモンスターや周囲の地形の説明会みたいなもので、とカルトはベースキャンプ付近にてお留守番だ。一般人は、無理は禁物。これが鉄則だ。
現在いる場所も、アプトノスとケルビくらいしか居ない、長閑な光景が広がっている場所だ。緩やかな流れの大河にも、凶悪なモンスターの姿はなく、高く澄んだ青い空の色が映し出されている。

パシャパシャ、とは岸辺にうずくまって手を洗い、ハンカチで拭う。

「ポッケ村は寒いから、これくらいだと暖かいね」
「ニャ、ユクモ村よりも、暖かいニャ」
「そうねえ、あそこも少し肌寒いものね」

よいせ、と立ち上がり、後ろに居たカルトの側へ戻る。
彼は手ごろな石の上に腰掛けて、くつろいでいた。ちなみに彼、言うまでもないがユクモ村からは旦那様であるセルギスに無断で飛び出してきており、彼が今着ているジャギィネコ装備も勝手に持ち出したものだ。
レイリンのオトモであるコウジンも、同じようなものだが。
念のために、ユクモ村のセルギスと影丸宛に手紙を出してあるが……未だ返事は来ない。たぶん、ものすっごい遠い上に大陸を越えるからだと思われる。

は、懐を探って、懐中時計を取り出す。少し古びているが十分に使えるそれは、ポッケ村の雑貨屋で買ったものだ。針は、正午になろうとしている……レイリンたちは、正午くらいには一度戻ってくると言っていたが。

「お腹減ったし、お昼ごはん食べよっか」

にこりと笑って告げると、カルトは腕を上げて賛成する。
いつものくたびれた大きな鞄を開いて、地図やら空き瓶やら色々と入っているお出かけご用達の道具たちを退けて、目当てのお弁当を取り出す。20センチほどの、少し大きな長方形の二段重ね。これを用意してくれた子の特徴でもある、オレンジのハンカチーフで包まれている。

「今日は、レオンが作ってくれたんだよ。……おお! 美味しそう!」

シュルリ、と包むを解き、紅葉色のわりと頑丈なお弁当箱の蓋を開けていく。上の段には彩り豊かなおかず、下の段は青菜を混ぜたおにぎりが、綺麗にきっちりと詰められている。
私が作るよりも、よっぽど上手だ。

「はい、お手拭き……何よ、その顔」
「別に」

カルトはむすっとし、明らかにふてくされている。は溜め息をついて、「レオンの事まだ怒ってるの?」と尋ねる。彼は「別にそうじゃないニャ」とかモゴモゴ言っているけれど、好意的とは誰が見ても言えないだろう。

がポッケ村にやって来て、しばらくの後。
ポッケ村にネコバァが現れ、レイリンとの事を聞き「お手伝いに1匹雇ってみるのはどう?」と告げた。いつかは帰る身なので、雇ったアイルーを解雇するのは可哀想だとレイリンは言い、もそう頷いたのだが……。
ならば、人にまだ慣れていない最近まで野生だったアイルーたちの社会見学は、どうだろう。多少なりやはり生活費はかかるし人間の生活にもまだ慣れていないけれど、その代わりに雇用金などは一切取らない。ネコバァの方でも教えたりはするが直に触れた方が最も覚えが早い。

……社会見学。

にとっても思い入れのある、その単語が決め手となって、は一匹お手伝いとして雇わせて頂く事になった。
鮮やかなオレンジ色の、無地模様のアイルー。腰に巻くエプロンをつけて、キョロキョロと忙しなくやポッケ村を伺っていたけれど、そのぱっちり開いた目は希望に満ちていた。
何だか、カルトや、アイルーの頃だった自分を見ているようだと、は微笑んだ。
その子の名前は、レオン。ぴっかぴかの新人の男の子だった。

……一抹の不安が過ぎるのといえば、ユクモ村に置いてきたカルトで。他のアイルーを連れてなければいい、と言ったのに、到着して数日後にしっかり約束を破ってしまった事だった。
まあバレないだろうアハハと思っていたら、その後日にボロボロのカルトと、レイリンのオトモアイルーのコウジンが現れるとは、こればっかりは本当に思っても無かった。ユクモ村を勝手に飛び出して、旧大陸行きの貨物船に飛び込んでやって来るとは……。もちろん嬉しかったけど、まあ落ち着いた後は予想の通りにこっぴどく怒られたが。

レオンだって、良い子なのに……。同じ男の子同士、仲良くなると思ったんだけどなあ。

「カルトの分も、作ってくれてるよ。食べよ、せっかく準備してくれたんだから」

いただきます、と両手を合わせて、おにぎりを一つ取る。はむ、と食べると、実にちょうど良い塩加減で、青菜の味が気持ちよく広がる。最初は凄くしょっぱかったりしたっけ、今じゃあレオンの方が料理上手ね。
美味しそうにが食べるので、カルトも不機嫌そうにおにぎりを奪い取って口に放り投げるが、次の瞬間にはおかずに夢中になっていた。非常に分かりやすい、この子は。この食べる速度は、お気に入りレベルと見た。
もう一つ、とおにぎりへ再びは手を伸ばしたのだが。


――――― キィ


……甲高い、聞き慣れない鳴き声が、耳に届く。おにぎりを掴む手前で、の手は止まり、ふとカルトを見た。
の怪訝な顔と同じく、カルトもまた口一杯におにぎりを押し込んで、首を捻っていた。その目が、自分じゃない、と言っている。
するとまた、「キィ」と声が鳴る。先ほどよりも、少し近い気が―――――。
は、周囲を伺った。アプトノスの群れは、プオーとのん気に鳴きながらのそりと動いている。大型モンスターを警戒する様子はないが……と、その時、草間から黄色い何かが現れる。一瞬身構え、カルトも側にあったジャギィネコナイフを取る。その前に、その口の中のおにぎりを全て呑み込んだ方が良い。
さく、さく、と芝生を踏みしめ、ユラユラ揺れているそれは……何だろう、かぼちゃ? ヒョウタン?
ヒョウタンの中身をくりぬいて、皮を丸ごと頭に被ったような、奇妙な被り物をしている。白や赤の塗料で、不思議な模様を描いており、は頭上に「?」を乱舞させた。初めて、見たぞ。あんな生き物。
ちょうど、アイルーと同じくらいのサイズだろうか、頭の大きさの割りに身体は小さく、手足は細い。ただ貧弱というわけではなく、褪せた土色の表皮にはしっかりと筋力の筋が浮かんでおり、手には身の丈の半分以上ある大振りの鉈を握っている。手入れのしていない、ところどころ薄汚れた灰色の鉈だ。細い腰には、葉っぱや木の実がぶら下がっていて、その出で立ちは……。

「……獣人族、に近いけど」

は伺っていたが、その黄色い小柄な生き物は、不意に鉈を振りかぶった。ハ、とは息を飲み、カルトは掴み寄せたナイフを構えた。
だが、その生き物は鉈を振り上げた体勢のまま、プシュウッと息が抜けるように身体から力が抜け落ち、バタリと倒れ込む。うつ伏せになったそれは、か細くキイキイと鳴きながら、ぴくりとしか動かない。

「……何だニャ、あれ」
「さ、さあ」

恐る恐ると、カルトが近付く。その後ろで、もお弁当を抱えて、こっそりと伺う。
アイルーと同程度のサイズだが、人間の腰ほどにまでは頭の天辺が届くので、小学生くらいの結構な大きさである。手に持った鉈は凶悪だが……今は、間抜けに寝転がっているのであまり怖くは無い。


ぎゅるるるるるる


今度鳴り響いた音色に、とカルトは沈黙する。

「……」
「……」
「……お腹の音、ニャ」
「そう、みたいだね」

奇妙なお面のこの黄色い生き物は、どうやら行き倒れらしい。
とカルトはしばらく押し黙った後、抱えたお弁当を見下ろし、ぎゅるぎゅる響く空腹の歌を聞いた。



「――――― はい、どうぞ」

起き上がった黄色い生き物の前に、はおにぎりを一つ差し出した。黄色い生き物は明らかに警戒し、距離をある程度置いているが、差し出されたものをじっと見ている。
怪訝な眼差しが、仮面のくり抜いた穴から伺えた。

「食べなよ、お腹減ってるんでしょう?」

ほら、と今一度差し出す。変なものを見る目で、恐らくこれが食べ物である事も理解していないのだろう。
この生き物、何だろう……森丘の先住民かしら。

「ほら、これ、食べ物よ。あむっ」

お弁当からおにぎりを一つ取り出し、も目の前で食べてみる。その隣でも、カルトがおにぎりを頬張っている。
相変わらず、微動だにしない黄色い生物だったが、次第に空腹が勝ったようで、の手からおずおずとおにぎりを取る。やカルトを交互に見てから、かぼちゃに似たお面の下へとおにぎりを運び、もそりと内側へ入れる。お面を取り外す事は、無いらしい。
もそ、もそ、と非常に緩慢な速度で咀嚼していたが、こくんとおにぎりを飲み込んだ瞬間。

急にエンジンが掛かったのか、ガガガガガッと凄まじい勢いで食べ始めた。

あまりの食いっぷりに、とカルトは一瞬ビクリと肩を揺らす。
シュレッダーのような動きでおにぎりを食べた黄色い生き物は、全て食べ切るとまた一つせがんできた。「キ!」と腕を伸ばし、上機嫌に待っている。
は戸惑いながらも、お弁当からもう一つ取って、黄色い生き物へ手渡す。そうすると、またお面の下へおにぎりを運び、ガガガッと食べる。
……そんなに、美味しかったのだろうか。それとも、よほどお腹が空いていたのか。
お腹へ押し込んでいく食べっぷり、しばし呆然としていたであったが、まあ良いかと笑みをこぼす。あの凶悪な鉈は地面に置かれているし、振りかざす様子もないのだ。
距離を保ったまま、も腰を落ち着かせて座り込むと、おかずを口にする。
肉球についたご飯粒をついばみながら、カルトがぽそりと呟く。

「……こいつ、何の生き物ニャ?」
「さあ……きっとこっちの大陸に居る生き物なのは確かね。たぶん、原住民よ」
「原住民? ……ほんとに?」
「そうでしょこの格好、どう見ても。きっと森丘で暮らしている、原住民よ。竜人族みたいな、人とは違う種族とか」

などと適当に言っているが、実際にはも分からない。カルトも「原住民なら、いっか」と納得しているので、それ以上黄色い生物について考える事は止めた。

「美味しい?」

尋ねてみると、黄色い生物はお面を傾けて「キ?」と不思議がっている。
の声は、どういう訳か人だけでなくモンスターにも通じるのだが……この生物から、それらしい声は聞こえない。キィキィという甲高い鳴き声だけだ。通じているかどうかも定かでないが……。

まあ、いっか。そこまで考えなくても。

はむはむ、とおにぎりを食べる仕草が思いの外可愛いから、良いとしよう。しかしお面を外した方が食べやすいだろうに……原住民のポリシーだろうか。
ほどなくし、レオンお手製のお弁当は完食し、とカルトのお腹はしっかり膨れた。隣にいる、この黄色い原住民にも。

「ごちそうさまでした」

手を合わせ、頭を下げる。
それを不思議そうに見上げる原住民は、細長い手を上げ、不器用げに重ね合わせる。

「キキッ」
「ん? ごちそうさま?」
の真似してるニャ」

言葉は通じていないが、知性は高いようだ。獣人の特徴と人間に酷似した外見……本当に、不思議な生き物だ。
黄色い原住民は、おもむろに立ち上がり、鉈を掴んで肩に担ぐ。キロリ、ととカルトを見たが、その鉈を振りかざす事はやはりなく、それどころか懐を探り出した。そして、空のお弁当の上に、コトンと何かを置く。
美しい翡翠色の、大振りな鉱石。研磨などもされていない、岩石が付着した無骨さが浮き彫りになっているが、なかなかのサイズである。

「綺麗ね……何かしら」
「ドラグライト鉱石ニャ」
「ドラグ……?」
「まあつまり、ちょっと珍しい鉱石ニャ」

はそれを持ち上げて、しばし見つめる。そして、黄色い原住民へと視線を移す。奇妙なお面から眼差しを感じるが、感情が定かでない。だが、鉱石を取り返す様子もないので、これは恐らく……。

「くれるの?」

肯定するように、原住民が「キキッ」と鳴く。お礼のつもりだろうか、無骨な品ではあるが、は微笑み「ありがとう」と告げた。
原住民は、そのまま茂みへ消えてしまい、姿は現さなかった。

それからしばらく経過し、レイリンを含むポッケ村ハンター一行が帰還する。「何も無かったか」と心配されたが、危険な事は一切無かったと報告し、安堵の中近隣の村の宿へ戻る事になった。
その道中、とカルトは黄色い謎の原住民について話をした。

「そうそう、レイリンちゃん。さっきね、面白い事があったんだよ」
「何ですか?」
「お腹を空かせるあまり行き倒れになった、黄色い原住民と会ったの」

原住民、ですか? レイリンの目が、不思議そうにパチパチと瞬きを繰り返す。
先を進んでいた、ポッケ村ハンターたちが、肩越しに振り返る。

「不思議なお面を被ってて、ちょっと危ない鉈みたいな武器を持ってたけど、お弁当分けてあげたら」

無骨なドラグライト鉱石を見せる。「これ、お礼に置いていったみたいなの」
だがしかし、上機嫌なに対し、ハンターたちの表情は何故かあまり芳しくない。

「え? な、なに?」

「不思議なお面……」
「鉈みたいな武器……」

しばし考え込んだ彼らは、とカルトへ振り返るなり詰め寄って、「よく無事だったな!!」と肩を掴まれた。一体何の話しだろう。

その後、とカルトはあの黄色い原住民の正体を知る事になり。
本日一番の絶叫が、森丘の青い空へと響きわたった。



影も落ちる、深い森の中を、仮面を被った生き物が駆けていく。アイルーなどの獣人族に非常に近い小柄な背丈だが、その外見は人間にも通じるものがあった。ガシャ、ガシャ、と腰に巻いた木の実や、背に負った大振りの鉈が、仮面の生物の動きに合わせ音を立てる。
隆起した地面を軽々と飛び越えて、慣れたように駆けていく姿から、この生き物が森丘で暮らすに長けている事が分かるだろう。
この生き物にとって、この地は庭のようなものでもあるのも事実だ。

ふと、足を止めて、来た道を振り返る。何もなく、高く延びた巨木が遙か先までそびえ立ち、この生き物しかいないが……。

「……」

ぺたり、とお面に触る。その細い手に何かが触れ、見下ろせば米粒が一つついている。もく、と口に含むと、直ぐに消えてしまった。
ふと、生き物の脳裏に、先ほどの事が過ぎる。群で暮らす為に、食料調達にたびたび出かけるが、ここ最近はあまり恵まれた成果が無かった。腹が空くあまりに倒れて、よもやあのたびたびこの区域を荒らしていく人間と呼ばれるものたちに救われるとは。全くもって情けない話であったのだが、今まで見てきた人間とは明らかに異なった。


――――― 美味しい?


持った武器でもあっさり殺せそうな、か弱そうな人間の雌。

「……人間ガ、何デ」

キィ、と甲高く漏れた鳴き声に、返ってくるのは深い森の静寂だけであった。


――――― この生き物は、奇面族のチャチャブー。
人間たちに対し強烈な敵意を見せる、警戒心の強い生き物である。
ハンターたちにとっても非常に脅威となる存在で、小さい姿と奇抜な外見に悠長に構えていると、再起不能になるまで攻撃される事も珍しくはない。もっぱら狩猟区域で恐れられる生き物の、一種族だ。
その生態は今も解明が進んでいないものの、非常に知性が高くまたそれを上回る凶暴性で、有名であった。

とカルトが原住民と思っていた、この黄色いお面の生き物は、本来ならば危険な状態に遭わせても可笑しくはなかったのだが。
一重に無事であったのは、の言葉をこのチャチャブーが理解し、戸惑いが敵意を上回ったからである。
非常に警戒心の強いチャチャブー、言葉は分かっていたが戸惑いのあまり「キイ」としか鳴けなかった。結果として、は通じないと思い、また危険性が低いと勘違いさせたわだが…。

ともあれ、双方の勘違いと戸惑いにより、血生臭い事態が奇跡にも回避されていた。
その頃のは、あれが凶暴なモンスターであった事を知り、改めて無事で良かったと思っているところである。



チャチャブーは、最強のモンスター一族であると思う。
キングが飛竜と一緒に居た時の凶悪さと、チャチャブーの集落に誤って踏み入れた瞬間の絶望感は半端ない。

よくよく見ると、動きとか仕草、かわいいんですけどね!
だがしかし、恐怖が上回る。


2012.06.23