バブル・オーバー

「――――― イキツギ藻?」

は、反芻し、影丸を見た。彼は、「珍しいだろ」と言い、その大きな手に収めた藻をギュッと握る。つるっとした表面がムニムニと動く様を、はじっと見下ろした。

ただいまの時刻は、ユクモ村の昼下がり。ユクモ村は今日も、湯治客の賑わう温泉の村として人が多く行き交う。だが市場などの通りから離れれば、嘘のように静寂で心地好く満たされていた。喧騒から切り取られたように村人たちの民家が点在するそこから、さらに離れた場所にの暮らす借家があるが、現在そこには影丸とセルギスが寛いでいる。いつもはセットでついてくるレイリンは何でも採取ツアーに行っているらしい。アオキノコと薬草が足らなくて回復薬が作れないと大泣きしていたとか。……店で買えばいいのに、とは呟くと、経費削減という現実的な言葉が影丸より返って来た。しかし思うに、恐らく最終的な背中を叩き飛ばしたのはこの影丸であると思われる。

そして、影丸が取り出したのは、この《イキツギ藻》なる、が初めて聞く藻であった。
リビングに静かに置かれた机の上で、三つの湯呑みから湯気が立ち昇り、ふわふわと漂って静かに消えていく。

「ちょっとした知り合いのハンターがな、送ってきた」
「へえー。初めて見た」

手渡され、それをしげしげと眺めるが、藻である。何処から見ても。
何かまた、特別な特徴があるのだろうか。
が不思議がると、影丸はセルギスへと顔を向ける。

「セルギスは、知ってんだろ」
「ん? ああ、友人から話を聞くし、たまに送られてきた時もあったな。確か、噛むと酸素が出るのだろう?」

事も無く、彼はそう言った。だがからしてみれば、それは得意な存在で。「酸素が出る?! なんて凄い藻なの」と思いきり表情に出してしまった。
影丸はそんなへ、ニッと笑って見せる。

「だからこれは、水中で活動するのを長くさせるっていう代物だ。この辺じゃあ、出回っていないけど、海の村とかにはよく流通してるらしな」
「へー、凄いのがあるのね」
「……食ってみるか?」
「え、良いの?」

貰いものだろうに、とは渋ったが、彼は妙に気前よく笑ったまま、「そのまま食えるらしいから、水に顔を突っ込みながら今度試してみろ」と言った。
……この影丸にしては、珍しいこともある。
は不思議がったが、好意に甘え一つ頂く。早速、後で水瓶の中に顔を突っ込み食べてみるか、と思っていただったが、隣からセルギスの呆れた声が乱入する。

「止めておけ、ろくなことにならない」
「え、何でですか」
「イキツギ藻は、確かに酸素が出る藻だが、そのまま食べると歯にくっついて壮絶に食べづらい」

はビタリ、と動きを止めた。

「……それ、本当ですか」
「ああ。口の中にネンチャク草を突っ込まれたと思っても良い」

苦々しい顔をしたセルギスに、もしや失敗の経験があるのだろうか、とも思った。が、しかしがまず視線を向けたのは。
茶菓子をバリバリ食べている影丸である。その光景が、妙にわざとらしい。

「……影丸?」
「フンフーン」
「アンタ知ってたでしょォォォォォ!!」

人の大事な歯と歯を糊付けしようと企んだのか、何という男だ。と思ったものの彼なら十分に有り得るため自身の迂闊さを苦く感じる。
影丸はこともあろうに「セルギスが言わなけりゃ面白いことになっただろうに」と言いながら、机に頬杖をついた。

「レイリンは面白かったぞ。その場で急に食い始めたと思ったら、歯にイキツギ藻くっついて半泣きだった。いやーあれは大爆笑したな。大体、噛むと酸素が出るって言ってんのに、ここじゃ意味がない」
「最初に言いなさいよ」
「言ったぞ? 言ったが説明を聞かなかっただけだ」

……もう遅いかもしれないが、レイリンは早々にこの男のもとから離れた方が良い。
合うのか合わないのか、分からないレイリンと影丸の師弟関係である。
だが、そんなレイリンの光景がありありと浮かんでしまって、は思わず笑った。申し訳ないが、おかげでがその失態をすることはなかった。

「それにしても、水中かあ……ハンターの行く先々は、何も陸地ばかりじゃないのね」

凍土や砂原、火山と厳しい土地だけでなく、呼吸の制限すらある水の中にまで向かうなんて……本当に逞しいと、心底感心する。
もしや、影丸やセルギスも水中へ向かうのかと思ったのだが、彼らが言うことにはこの付近は山々に囲まれ陸の恵みに富んでいたため、海の村などに比べれば水産業などがあまり発達しているわけではないらしい。そしてハンター職もまた、この地域では水中での狩猟に対応する技術がないとので潜ることはないらしい。過去、陸だけでなく水中にも目を付けた無謀なハンターが、ものは試しと武器と防具を着込んで飛び込んだものの、帰って来たのは水死体だったという悲しい話もあるとのことだ。よって、この地域で水中での狩猟はご法度とされる。とはいえ、もちろん水中に潜る魚を取る漁師などが居るから、潜水そのものを制限しているわけではない。だが、水中では水中の危険が付きまとう。そういった環境で対応出来る技術を発達させた、防具や武器を持って挑むハンターは、陸地とは異なる技術を要することも付け足した。
そしてこのイキツギ藻は、そういった海や大河のもとで暮らす人々の欠かせない食料でもあり、水中での活動に必要不可欠なもの、なのだ。

「イキツギ藻は、もちろんそのまま食べながら使用するわけではない。イキツギ藻と増強剤を調合することで出来る《増息剤》、まあ要は呼吸が長く続く薬だな、それによく使われる」

増息剤、か。聞いたことのない名前だ。暮らす土地が異なるならではの、技術の結晶か。
しかし、この地域で出回ることのないものを手に入れるとは……影丸やセルギスの交流の幅は、が思っている以上に広いらしい。
セルギスは、もともとハンターの生活も長かったから理解出来るにしても、あの影丸がと思ってしまうのは失礼だろうか。
しばしもにゅ、もにゅ、とイキツギ藻を握って放していたが、ふとは思う。

「もしかして、この辺りにもあるのかしら」
「イキツギ藻? そりゃあ、水中なら何処にでも生えるらしいから、あるだろうけど」
「水中に潜るハンターも居ないから、需要はないかもしれないぞ。せいぜい、夕飯のおかずか」

の考えを、二人はすでに察しているようだった。イキツギ藻と、その調合後の《増息剤》を店頭に並ばせれば物珍しさに買ってくれるかもと思ったのだが、ばっさりと「需要はない」と言われてしまう。苦く笑う他ないな。
それにしてもこの二人、さすがは長年の付き合いと言うべきか、変に息が合う。
しかしながら、それを抜きにしてもその増息剤なる道具は個人的に気になる。水中での活動を長くさせるなんて、とても素敵じゃないか。時間があればいつか採りに出向いてみたいものだ、とのん気に思いながら茶をすする彼女だったが。

――――― これが後に、新たな恐怖との出会いになるのであるとは、本人も全く予想していなかった。




それから、およそ数日後のこと。
は、ズワロポス素材で出来たジャケットとボトムに身を包んで、水没林に来ていた。
いつも彼女が背負っている採取セットの大きな鞄はお馴染みだが、ボトムとジャケットはこの日のためにあつらえたものだ。湿度も高く、まして雨が常に降りしきるこの地で、水を弾いてくれるこのプヨプヨな上皮は水場へ転倒しても濡れないほどの耐水性の、この服。そしてこのブーツも、水中で履いたままでも問題の無い仕様だ。ドリンク屋に来た時、今度サービスで飲み物と摘みを奢るという約束のもと製作して頂いた、加工屋製作の一品である。ちなみにズワロポス素材は、市場で流通しているものを奮発して手に入れた。
いつ見ても、この辺りは灰色の空で覆われ雫が降りしきる。大地どころか、高く聳えた岩や、木々をも水に埋めてしまうのではないかというほど、滴り落ちる。は、ギュッとブーツの底で踏みしめる。その後ろには、彼女が自然に出られる条件でもある、カルトが佇んでいるが、その目は半眼だ。呆れるというか、不機嫌というか。
落ちてくる雫を腕で遮りながら、は振り返って苦笑いをこぼす。

「もう、カルト。まだ機嫌悪いの?」

途端に、カルトの口が開いて、轟々と響かせるような言葉を放つ。

「だってアンタ、馬鹿じゃニャいか。水中に潜るなんて、危ないニャ!」
「だって、まあ、そうだけど……個人的に気になるんだもの」
「だからってな、旦那様も危ないって言ってたのに」

カルトは、そう言って文句を並べるが、今彼が身に纏っているものはと同じズワロネSネコ装備というカエルのレインコートと蓮の葉っぱのため怖くも何ともない。むしろ、可愛い。
の身なりを分かる通りに、この日やって来た理由としては、採取活動で間違いはないのだが……さらに詳しく言うと、水中での採取活動が目的である。あのイキツギ藻……息が長く続くなんて、素敵だろう。ただこれはまごうことなき現実となっての生活を取り囲んでいるため、もちろん注意は抱いている。
ただ、カルトが文句を言うのは恐らく……。

「カルト、泳げないからでしょ?」

ビャッと、カルトの尻尾が飛び跳ねた。
アイルーは泳げない。これは世界の常識である。
カルトは途端、声音を変えて「そうじゃないけど、苦手なだけで、本当ニャ」と言いわけを始めた。別に、泳げないことを恥じる必要はないのに。

の監視を、旦那様に命じられたオレとしては……着いていけないのが嫌なだけニャ」

むす、と顔を背けたカルトの動きに合わせ、カエルのレインコートから雫が滴り落ちる。は、とんとんと頭を撫で「深いところにはいかないから。すぐに戻って来るし」と伝える。

「それに、カルトにはいつも助けてもらってるもの。だから来てくれるだけで本当に嬉しいよ」

カルトはそろりと顔を上げると、ゴシゴシとヒゲを撫で、腕を組む。「仕方ないのニャ、陸地の警戒はオレがしてやるニャ」と得意げになる。
くすり、と微笑んだ後、とカルトは手を並んで雨雫がこぼれる水没林を進んだ。
出来れば、深くは無く浅い場所が良い。そうすると、ゆったりと広大に流れる大河のほとりが狙い目だ。警戒しながら進むも、大きなモンスターなどはおらず、フロギィはカルトが全て蹴散らしてくれたため、すんなりとそこへ到着した。熱帯雨林に自生する特徴的な草木に覆われ、濡れた大木が頭上まで伸びている。空は、灰色の雲で覆われたものの珍しく雨が止んでいて、遠くまでその景色がうかがえた。周囲にも、草をついばむケルビが居る程度で危険さも少ない。今の内だろう、とは鞄をドスンッと置き、中からゴーグルと耳栓を取り出す。たった一つしかない増息剤も握り、地面に置く。

「そういえば、それ加工屋のじいちゃんが作ったニャ?」

それ、というのは服やブーツなどのことだろう。は頷き、ぐっぐっと屈伸運動をその場で行う。

「水中でも身体が冷えないし、動きやすいんだって。凄いわね、あの人」
「ニャー」

念のため、下には水着を着用している。水没林にやって来る際、ガーグァの荷駄に乗せてもらいその途中で着替えた。行商人へ、シンプルで色柄のない水着をお願いしますという無茶ぶりな要求をしてしまったのだが、の願いは確かに叶えてくれる柄のない黒いビキニであった。……無茶ぶりをしてしまった、行商人のささやかな仕返しだろうか。頼んだものに文句は言わないけれど。
服の性能は、いかほどのものなのだろうか。髪の毛を軽く束ねて、ゴーグルを着用し、それらを確認する意味でも入らなければ。ポケットから厚手の手袋を取り出して装着し、いざ大河へと身体を向ける。
ああ、そうだ、増息剤も忘れないようにしよう。ポケットにねじ込み、腰に手を当てる。頭の中にあるイキツギ藻を思い浮かべ、そしてカルトを見下ろした。

「じゃあ、行ってくるね。生きて帰ってくる」
「当然ニャー、深いとこには行かないで、ここからせいぜい三メートルまでの範囲にするニャ」

……アンタは私のお母さんか。
人間の生活を送るようになったら、持ち前の野性味に加え知恵がついて、最近は小難しい言葉まで使うようになった。近いうちに、すっかり人間の言葉にも慣れ親しむのだろう。その光景がまざまざと浮かび、は苦笑いをこぼした。こつん、と互いの握り拳を重ね、は水際の淵に立つと、ゆっくりと身体を浸し、えいっと下手ながら飛び込んだ。
聴覚は外界から切り取られ、緩やかな水泡の湧く音と、水流の音で包まれる。
水は思いのほか温かく、冷たさはそう無かった。水泳なんて学生時代以来だが……とりあえず、水底を重点的に見て行った。




――――― 耳障りな、水音がした。
水底へ横たわっていた、瑠璃色と薄らした飴色の鱗を持つ身体が、ゆっくり起き長い首をもたげる。透明なヒレに、差し込んだ光がユラユラと反射する。
僅かな振動ではあったが、その《水底で眠っていた主》にとっては、岩を落とされたような感覚であった。何処からやって来るのか、認知出来る。眠りを妨げた苛立ちに、主はグルグルと唸り、静かに底を蹴り水中を舞い上がった。




水没林というからには、泥臭い大河を想像していたのだが、それとは真逆な水中の光景には場違いなときめきにはしゃいでいた。
水中は泥の濁りがなく透明で、薄暗さはあったものの雲間から光が漏れているのかライトアップしたような明かりが横切り、とても明瞭だ。水底は泥ではなく、砂利で埋められ、水草が揺れている。その隙間から、魚が顔をのぞかせて去っていく光景は、とても穏やかでもある。
それに、通常より長く水中にいるが、寒さはなく、泳ぎやすい。加工屋の謳い文句の通り、実に快適な水中遊泳だ。もともと水温が、高めなのもあるのかもしれない。
が今いる場所は、陸地から今のところ三メートル。ごくごく近い場所で、深さも足がつき顔がかろうじて出る程度だ。ただ、目的のイキツギ藻は……未だ、見当たらない。カルトの姿がちらりと浮かんだものの、は少しだけそっと奥へ進んだ。水底がそこから急に深くなり、岩場が多くなったように見える。はポケットから増息剤を取り出すと、水面から顔を出し息を大きく吸い込むと薬瓶の蓋を開けて飲み干し、一気に潜った。
どれほどの時間制限かわからないが……今のところ、通常より息苦しさはない。だが、無限ではないはずだから、せめて最低でも二つは見つけたいところだ。

( それにしても、綺麗ねー )

ゴポリ、と水泡が音を立てて上る。はぐいっと身体を捻って、下へと向かう。岩にしがみつき、ゆっくり下り、水底をうかがった。プリプリのサシミウオが慌てて逃げていく様子を片隅でうかがい、水草を手でかき分ける。見当たらないな、とさらに探すうちに、さらに進む。
水草の群集や、岩の陰を念入りに見て行く。
ただは、その時ずっと下ばかり見て、当初注意していたはずの警戒心が散漫していた。そう、彼女のそばには、すでに《水底の主》が近づいていたのだ。
それに気づかぬ彼女は、自らどんどんその方向へ寄っていく。そして、探していたあの藻が見つかり、腕を伸ばした時。

ゴボリ、との頭上で水音がした。

はハッとなり、イキツギ藻を瞬間的に握ったけれど、動けずにいた。耳栓をしていたが、それは確かにの脳へと伝わった。大きな、息遣いの振動だ。
イキツギ藻を握りしめたまま、ゆるりと、顔を上げる。その目の前に、ちょうどよく水面から光が差しこみ、幻想的な演出で映し出した。
とても巨大な、しなやかな魚かと一瞬錯誤した。背中の透き通ったヒレと、すんなり伸びた尾のヒレ、どれも立派で美しかった。だが、それが魚でないことはすぐに分かった。水掻きのついた脚が見えたのだ。飛竜種でいうところの翼の、腕の部分には一際大きく立派なヒレが広げられていた。そして、照らし出された顔は……狂暴と名高い鮫にそっくりだ。顎が動くたび、ズラリと生えた何本もの鋭利な牙が見え隠れし、あのホオジロザメを彷彿とさせた。
この目の前にいるものは、魚でなく、別の生き物――――人々が恐れる、竜の類であることは瞬時に理解した。
だが、は別の意味でも、は目を見開いて動きを止めた。振動や雑音のない水中は、時間が止まったようだった。目の前の竜は、とても美しい体躯をしていたのだ。しなやかで長いその体躯の外側は、深い紺色にも見える瑠璃色の鱗が輝いていた。腹部などの内側へ進むほど飴色の薄色に塗り替わっていく鱗は、差し込んだ揺れる光もあってか、とても美しかった。それこそ、目の前にいる《何か》が、明らかに友好的でないものであったとしても。

……って、感心している場合ではない。

モンスター図鑑や雑誌の知識を引っ張り出す余裕もないが、ともかくこれはが当初危惧していた事態であり、そして猛烈に後悔するにも遅かった。
の背へ一気に悪寒が駆け巡ったものの、ここで声を荒げたり突如動けば相手は噛み付いてくるだろう。ここは慎重に、落ち着いて、冷静に対処しなければ……。というかいかにも泳ぎの達者そうな容姿だ、逃げ出したところで食われるのがオチである。
ギュ、とイキツギ藻を握り締め、ゆっくりと後退する。だがその分、目の前の瑠璃色の竜は、近づいてくる。向こうも向こうで、警戒しているのだろう。敵かどうか、探っているのかもしれない。
不可思議な見つめあいが続き、と竜の距離もジリジリと詰められていく。

敵じゃないから、食べないで。

それこそ、の目は水中にも関わらず必死の眼力を放っていたかもしれない。
竜は、匂いを嗅ぐようにふんふんと鼻先を揺らし、に近づく。目に当たる部分は……確かな視線を感じないが、もしや視力は低めな竜なのかもしれない。となればこのの必死の敵じゃないアピールも見えていないのか。何ということ。
動きを止めたの手に、竜の鼻先が触れた。身構えたものの、何故か竜は……藻をつついている。

「……何しに来たかと思えば、それ」

は、ピクリと耳を澄ます。耳栓越しだが、確かに聞こえる男性の声。何処かゆったりとした口調だが、確かに男性のものだ。となればその声は……目の前の、この竜のものである。

「……ハンターじゃないみたいだし、まあ、いっか」

竜はそう呟くと、面倒くさそうにゆるりと顔を背け、少し離れた場所に下がった。完全に消えないでを見ている辺り、やはり監視だろう。
……これはとりあえず、変な真似をしなければ、食べられないで済むのだろうか。
手に持っているイキツギ藻を、ポーチへしまい、ゆるりと礼をする。敵意はございません、と感情を込めて。竜は不思議そうに首を傾げたが、牙が飛んでこなかったところを見ると、ひとまず敵ではないと認識してくれた……のだろうか。あの鮫に似た顔からは、予想出来ない。
は、すぐ傍で見つめてくる竜の動きを気にしながら、恐る恐ると他のイキツギ藻を探す。後ろの恐怖もそうだが、そろそろ増息剤の効果が切れそうな予感がするのだ。付近に生えている藻を片っ端から引っ掴み、ポーチへねじ込む。

「……人間って、変な生き物。そんなもの、美味くもないのに」

なんて、時折独り言が聞こえてくる。二十歳程度だろうか、なかなかのんびりとした声音だが、あいにく容姿はとても穏やかではない。むしろ「殺してやるぜ!」と言わんばかりだ。反応してあげたいところだが、水中で喋ることも出来ないので、耳に入れるだけに留まる。
だが、が黙々と採取をしている間、この竜は面白がっているのか背後を着いて回る。何がしたいかますます謎である。
ポーチがパンパンになった頃、はちらりと竜を見上げた。やはりをうかがっていた。最後まで、監視するのだろう。

( でも、そろそろ息が…… )

じゃっかんの、息苦しさ。薬が、切れそうなのだろう。
は意を決すと、手をそっと自分の胸に当てる。竜は、警戒するようにグウッと唸った。は至極冷静であるよう努め、トントンと胸を叩く。それから、人差し指を立て水面に向かい伸ばし、竜の前で横に手を振って見せた。これから帰ります、というアピールだが……竜は向きを変えて首を傾げ、訝しんでいた。
まあ伝わるわけもないかとは小さく苦笑いをこぼすと、ポーチの別ポケットを探る。そこから生肉を取り出すと、包みを外してそっと泳がせるように放した。漂う生肉は、ゆっくりと竜の口元へ向かっていく。竜は口を閉ざしたままだったが、生肉に意識が向いているようで、はその隙に岩を蹴り水面へ向かった。

水面から顔を出したは、プハッと大きく息を吸い込み、陸地を探す。ああ、何だか気づいたらずいぶん遠かった。カエルのレインコートと蓮の葉っぱが飛び跳ねているのを見つけ、その方向へとは急ぎ向かった。
その後ろから、あの竜が追いかけてくることは、無かった。



――――― この肉は、何だろう。
ぷかぷかと漂う生肉は、変な匂いはしなかったが、美味そうとも言い難い。竜は、あの人間の雌が放ったそれを、意味が分からずじっと見つめていた。そうしていると人間は、急に水面に向かい泳ぎだし、そしてゆっくり消えて行った。追いかけることは容易かったが、竜は生肉をじっと見つめ、そして飲み込む。やはり新鮮味に欠け、美味ではなかった。
だが肉を置いていった意味が分からず、竜はしばしその場に留まっていた。
自分に向かい、奇妙な行動をしたあの人間。あれは今まで、見たことのない人間の行いだった。
少なくとも、今まで竜が見てきたものは、恐れか、あるいは殺意だった。よって、あの不快な水音が人間であると分かった時、噛み殺してやろうと思ったのだが、実際見たら何の危険さもないような細い雌だった。岩に張り付いている様は滑稽でもあったが、雌は驚いた顔をしたものの攻撃する様子もなく、むしろ固まっていた。ますます、滑稽であった。
この地にやってきて短いとはいえ、竜の今までの生きてきた時間の中、あそこまで間抜けな人間を見たのは初めてである。
ひたすらに、美味くもない藻を集めていた人間の雌……竜は欠伸を一つし、水底へと戻った。



この竜の名を、ガノトトス。《水竜》と呼ばれ、水中においては最速を誇る王者である。
イキツギ藻を求めて遭遇してしまった出会いであるものの、その後とガノトトスの不思議な交流が、始めることとなるのだが。
そうとは知らないは、生還したことに嬉々として帰宅するのであった。



ていう、妄想爆発の話です。
モンハン3rdにガノトトスは出ないけど、出ました。だってかっこいいじゃない。
大陸としては3も3rdも新大陸だし、イキツギ藻はありそうじゃない。
あとモンスターだって見えないだけで、実際居そうじゃない。
なんてあれこれ理由をつけてみたものの、要約するとガノトトス大好きですということになりました。

ガノトトスのモチーフは、ホオジロザメらしいですね。


2012.01.01