罪とは呼ばずに愛と呼べ

※それほど細かく書いてはいないつもりですが、シリアス&グロテスク注意報。
 苦手な方はご注意ください。

※セットお題【君で変わっていく10のお題】を先に読むとより楽しめる、かもしれません。
 (もちろん読まなくてもOK)





 生物を育み、或いは蹂躙する悠久の自然が、沈黙していた。
 不気味な風鳴りが響き、葉を散らす木々は項垂れ、喰い荒された大地にはそのおびただしい残滓。原始の力強さを抱く自然の、その見た事もない無残な姿に、言葉など出るはずもなかった。
 目の前にありながら、もっと遠くにある何かを見ているような。そんな現実逃避を片隅で覚えながらも、全て逃げられるわけもない。この状況から、が。

 ずしん、ずしん

 沈黙する大気をも揺らす、重い足音。痛めつけるように大地を踏みつけながら、現れ出づる禍々しいほどの赤黒い巨影は、へと近付く。
 不快にぬかるむ地面へ座り込む足に、逃げるという選択肢は何処にも無い。は滴る雫を伝いながら、それを見上げた。
 ただ触れるだけでその指先に傷を負わせる、危険な深緑色の鱗や甲殻に覆われた、強靭過ぎる獣竜の体躯。隆起した筋肉には、絶え間なく戦い続け癒える事のない古傷が浮かび上がっている。そんな身体とほぼ同等の大きさにも及ぶ、ヒルに酷似した長大な不気味な尾が背後でしなっていた。
 全長二十、いや二十五メートルはくだらない巨影の輪郭全てを、視界に納める事は叶わない。
 はただ一点、近付いてくる獣竜の顔を見上げた。正気の無い真っ赤な眼もまた、のみを見下ろしていた。

「ジョーさん」

 いつも呼んでいたように、親しみを込めて彼の“名”を告げる。そうすると彼はいつも、不遜な態度を隠さない低音で笑って、をチビだ何だと小馬鹿にして、そのくせ逃げないようその巨体を丸めて閉じ込めてきたが。
 返ってきたのは、空腹にひくつく重厚な唸り声だった。を見下ろす瞳には、《血の通う生物》を見つけた歓喜だけがあるような気がした。
 今までの彼とはかけ離れた、見た事のないその禍々しい姿。だけれどこれが、いつか至る姿であったのかもしれない。

 頭部から背面にかけて、おびただしく噴きこぼれる赤黒いオーラ。既に自我を失い、獣としても竜としても振るまえない道を外れた飢餓感が、周囲を巻き込んで焦げてゆく。

 まるで、何かの呪いのよう。

 いつも聞いた彼の言葉は、もう何処からも聞こえない。そうさせたのは、きっと馬鹿な自分であったのだ。



 この世界における自然界の生態系のピラミッドに、絶対にその名を連ねない、除かれる生物だという。
 そこに一頭現れただけで、ピラミッドを崩壊させる存在であるがゆえに。
 自然界の力を体現する謎めいた《古龍》の神秘性とは、決して同列に扱えないものだと、彼ら――ハンター達は口にした。

「まあ俺らは学者じゃねえが、ある程度の知識はある。《あいつ》は個で見りゃただの生き物だが、全体で見れば弾かれものだ。人間からしてみればな」

 異常なまでの尽きぬ食欲は、その巨体に必要な高い体温を維持する為にひたすら捕食を繰り返してのものであるらしい。
 食べるという行為は、生き物の最も根本的な本能。誰しもそれを持っているし、善悪をもって語るものではない。しかし。

「ただ、悪食(あくじき)過ぎる」

 ひたすら生きる為に、ひたすら他の生物を大量に腹へおさめる。選別などなく、無差別に、手当たり次第に食い散らかす。しかもそれほど食べておきながら、生きる為にまたその見境のない捕食を繰り返し、各地を転々と移動する。
 あれが通った道筋に残るものは、総崩れしたバランスの残骸だけ。摂理も何もあったものではない。

「天が与えし何とか、というものだろうな。あの竜が望んだはずもないし、だからといって文句など言いはしない。隣で生きる俺達も同情しないし、狩猟する事を選ぶ」
「というか、《生きているあの竜》に関しては早々に行動しないとこっちがやばい」

 ハンター達は、揃って表情を苦く歪めていた。

「知ってるか。派手に狩場を荒らしていくわりに、あいつら個体数は少ねえんだ。生態もほとんど分かってなくて、何処でどうやって子どもを育ててんのかすら分かっていない」
「そしてあの竜は……半分以上、散々荒らしまわってそれで食物を得られなくなると、飢えと体温不足で死ぬ」

 生きているのが現れるのは実は稀であり、だからこそとてつもなく危険なのだと、彼らは語った。

「……ある程度生きたあいつらは、必ず何処かで《狂う》」
「ぶち切れて見境なくなったあいつらは、古龍以上に人間にとっちゃあ災害だ」

 だから生態系のピラミッドから意図的に除かれ、決して加わる事を許されないのだと。
 ハンターという職柄といえど、彼らにしてはいやに辛辣に語った理由の所在を、が知る事はなかった。

「――――だから、気を付けて……ううん、止めた方が良いです、さん。あの竜は必ず、必ず何処かで《狂う》って……」

 《狂う》という意味を、知る事はなかった。
 この光景を、目の当たりにするまでは――――。


 セルギスさんや影丸、レイリンちゃんが言ったのは、こういう事だったのだろうな。
 目の前に今の《彼》を見て、《狂う》というその意味を、はようやく悟った気がした。


 ――――獣竜種イビルジョー。
 高温な体温を維持する為に他の生物と絶え間なく戦って捕食し続ける、悪食、暴食、飽食などの名を連ねる彼は、《恐暴竜》と呼ばれ人々から忌避されてきた。
 そして近年イビルジョーという種の中でも、何らかの理由で飢餓状態に入り無尽蔵の食欲に狂い、鎮まらない怒りを振りまき、全身から赤黒い不気味なオーラを放つ個体が確認されたという。

 腕の立つハンターであっても命の危険が極めて高いモンスター。
 そんな個体は、《怒り喰らうイビルジョー》と、名付けられた。



「――――ジョーさん、聞こえますか」

 全身が竦み上がって動けないのに、口だけはよく動く事が、自身可笑しく思いながら。

「ジョーさん、一番最初に私と遭った時、『食い甲斐の無さそうな石ころみたいな奴』とか失礼な事言ったんですよね」

 人が心底驚いて怯えているのに、石ころ呼ばわりだ。頭にきたから、あんたなんか不味そうなゴーヤの形してんじゃない、と叫んだ。今思えば何で逃げなかったのか不明でよく生きていられたものだと思うが、イビルジョーはその時酷く驚いた様子で小さな眼を真ん丸に見開いた。
 石ころが喋った、と。
 どっちにしろ失礼であったのは、最初からちっとも変わらなかった。
 それから何度も会ってが「ジョーさん」と呼ぶようになっても、彼はほとんど「お前」だとか「お前さん」だとかであった。彼の放つ低音の響きもあって、年上のおじさんのようだと常思っていたものだ。

「不味そう、石のよう、なんていつも言いながら、私がジャギィに追いかけられた時とか絶対に助けてくれましたよね」

 追い払った後は決まって、邪悪な鳴声を震わせ小馬鹿に笑っていたけれど。地面を激しく揺らして駆け寄ってくる時、いつも鬼気迫る表情を浮かべ、その石ころのような小さな生物の為に牙を剥いてくれた。彼は、自覚していたのだろうか。

「そういうどのモンスターにも負けない貴方であったのに、だんだんと、何かに怯えるようになりましたね」

 いつからであったかは、定かでない。彼の元を訪れるたびに、石ころのような生き物を戯れに閉じ込めるようになった。触れるだけで怪我をするという、幾多の傷を刻んだ歴戦の体躯とヒルのような長大な尻尾を丸めて、その真ん中に。
 その行動を尋ねてみても、イビルジョーが答えてくれる事はなかった。そもそも彼本人も、己の行動の理由を理解していないようでもあった。ただぽつりと。

 お前は喰わないから。
 喰ってしまったら、終わってしまうから。

 何を指したのか、何を告げたかったのか、分からなかった。
 決してを喰らおうとせず閉じこめるばかりの不可解な行動を、もっと解いてあげたら良かったのだろうか。

 これほど強く大きな獣竜でありながら、垣間見ていた不釣り合いな危うさ。それが今、こうして目の前に具現化している。
 の眼前に、イビルジョーの顎が突き出される。牙が折れる端から再生し、肉を突き破って露わになった歪な悪魔の顎。どのような頑強な甲殻をも砕くそこから、不気味な赤黒い吐息が漏れていた。

「……ジョーさん、どうして、何も食べなかったんですか」

 何故、そんな風になるまで。
 問いかけを嗤うように、の正面でイビルジョーが唸る。既に正気の沙汰でない飢えに満ちた眼は、血を滴らせるように何処までも紅い。その目に見つめられ、嗚呼、と声が掠れる。

「私の声は、聞こえていますか」

 イビルジョーの太い足が、地面を揺らし半歩踏み出す。影を落とすように持ち上がった巨躯の先、血飛沫に似たオーラを放つ頭部が、の頭上を捕らえる。飢餓に渇く暴食の竜は、かつて笑い合った石ころのような人間に視線を定めた。


 責めるべきは、彼の性質ではない。
 人と獣、互いの本分を超えて近付いてしまった――――自身だ。

「ジョーさん――――」

 幾多の牙を生やす顎が、目の前で上下に開かれ覆い被さった。


◆◇◆


      ああ はらが へった

      こんなものでは まだたりない

      なんでもいい みたせるものを


「――――さん」


      どこにいった どこにかくれた

      どこから きこえる


「――――さん、聞こえますか」


      なんの おとだ

      うえが かわきが ふえてゆく

      まえにも いちど おぼえたあじ


「……――――さん、どうして、何も食べなかったんですか」


      あたまが しびれる

      あまい におい

      さぞかし “うまい”のだろうなあ


「私の声は、聞こえていますか」


      ああ そこにいたのか

      なんてちいさい いしころのよう



    ……いし ころ


「ジョーさん」


   ああ そのこえ そのにおい

  なんだ おまえ どうして

 どうして、此処に居る。


「私の声は、もう、届きませんか」


 馬鹿を言うなよ。一度でも俺は。

 お前の声を、聞き漏らした事なんぞ――――。


◆◇◆


 赤黒い牙と吐息を擁するイビルジョーの顎の中へ吸い込まれる。我が身に降りかかるだろう次の展開を、ぼんやりと薄く察しながら動けなかった。動いたところで、一息に頭から飲まれるのではなく、爪先からかじられるだけだろう。

 他でもない、彼に食べられるのだと。は瞼を下ろした。覆い被さるイビルジョーの顎は、直ぐそこだ――――。



 なのに、いつまで待っても、衝撃らしいものは何もない。



 不気味な沈黙が、不意に感じられた。
 幾度も吐き出される血生臭い吐息は、頭上から浴びている。視界の端に黒く影を落とし、正面に立っているのも見える。もう周辺に彼の暴食から逃れた生き物はいないはずで、目の前の人間を直ぐにでも喰らうはず。
 は、のろりと頭を上げた。本当に目と鼻の先に、イビルジョーの顎が開かれていたけれど、牙が触れる直前で止まっていた。

「ジョー、さん」

 ゴヒュー、ゴヒューと、奇妙な息遣いに変わる。それはきっと自身もそうだろうと思いながら、は感覚の薄くなった指先を伸ばした。自覚はなかったが、地面に散らかった真っ赤な残滓を除いて、指先は真っ白で激しく震えていた。

『……止めろ』

 低い、とても低い、声が響いた。ああ、とは何処か歓喜に似たものを感じて、表情を歪める。

「ジョーさん」
『止めろ、呼ぶな、何故』
「だって、だって」

 は身を起こし、背を伸ばした。途端、イビルジョーは音を立てて後退し、距離を空けた。頭部から背に掛けて噴き出していた赤黒い血飛沫のようなオーラは、いつの間にか無くなっていた。

『近付くな、消えろ、早く、俺の前から』
「ジョーさ」

 そして次の瞬間、イビルジョーは半狂乱に咆哮を上げると、その巨体を近くの岩壁へ手当たり次第にぶつけ始めた。ただその頑強な身体を傷つけるまでにはいかず、むしろぶつかった岩の方が削られてゆく始末だ。
 打ち破られた沈黙に、イビルジョーの咆哮と岩の崩れる音が響く。は喉をひきつらせ、地面を揺らすほどの激しさの中で狼狽した。

『はやく、はやくはやく、にんげんども、なぜ、なぜこない! こんなときばかりに、なぜ!』

 がつん、がつんと、頭部を打ち付ける。そうして何度もすれば、深緑色の鱗にも傷がつき、赤く滲んでゆく。それだけでは足らなかったのか、ついにはその巨体を地面に投げ出して激しく転がり回った。得体の知れないものが詰め込まれた腹部を仰向けに、強靱な脚で宙を激しく蹴りつける。
 その異常な光景を前に、の感情もまた激しく振れ動いた。

「ジョーさ、なに、を」

 イビルジョーはヒルのような長大な尾を丸め、自らの顎に持ってゆく。
 ――――まさか。
 言う間もなく、イビルジョーは自らの尾に喰らいついた。牙は深々と鱗を穿ち、尾の肉へ届く。くぐもってはいたが、喉の奥から壮絶な悲鳴が放たれた。それでも決して離そうとせず、己の尾に喰らいついたまま、彼は激しくのたうち回った。そして狂(ふ)れたように、断片的に何事か叫ぶ。
 早く。早く来い、と。
 自らの肉体を喰おうとしている明らかに異常な狂気、は悲鳴じみた声を絞り出す。

「ジョーさん、やめ、やめて下さ……ッ!」

 力のなくなった足をもつれさせながら、這うように近付く。けれど、ギョロリと動いたその双眸は、の動きを拒み鋭く光り。


『ぐるな゛ァァァァアアア゛ア゛!!』


 咆哮と共に、を拒んだ。
 物言わぬ自然が震え上がる恐暴竜の声に、のちっぽけな背が大きく震えた。
 驚かしたり、戯れたりなどではなく、恐らくは本気のそれ。彼という竜本来の、強者の咆哮だった。初めて彼から受け、ただの人間がはね退けられるはずもない。息を震わせ、は座り込んだまま、彼を見つめる。

 沈黙が、再び訪れる。
 とイビルジョーの間に置かれた、近いようでとても遠い空白の距離に、血錆の臭いを孕む生温い風が吹く。

『止めろ……それ以上、動くな』

 落ち着きが幾らか戻った、イビルジョーの低い声は、までも痛々しさを覚える痛苦が滲んでいる。

「ジョーさん……」
『呼ぶな、その声で』

 頼むから、と。イビルジョーが悄然とし小さく呟く。

『……腹が、減るんだ。何を喰っても、全然、満たされた気がしねえ』

 ぐしゅり、と水の滲むような咀嚼音が聞こえた。彼が食む、長大な尾から響いていた。明らかに牙で貫き顎で押しつぶされたその造形は、今にも引きちぎれそうなほど歪んでいる。

『たぶん、何が今一番喰いたいのか、分かってる』

 痛くないはずがない。あんなに牙を突き立てて、血が噴き出て、平気なはずがない。それなのにイビルジョーは、己の尾が引きちぎられる事さえ厭わないという風に、何度も顎を動かしている。まるで、その痛みで、正気を保つように。
 ゆらりと、イビルジョーの双眸が再びを見つめる。

『今までもそうだった……お前ほど、美味そうな奴はいねえ』

 その瞳に乗った光は、間違いなく、獲物を狙う捕食者のそれだった。けれど、一点に見つめられるはとても逃げられそうになかった。

『たぶん、血も肉も悲鳴も、全部美味いんだろうなあ。頭の先から足の先まで、今まで喰った他のものが霞むぐらいによ、そうに違いねえ。そんな事は最初から分かってた。だから――――駄目だ』

 瞑目する竜のまなじりから、何かが落ちてゆく。

『お前まで喰うような阿呆に成り下がるなんざ、耐えられねえよ』

 悪食過ぎる――――そう言ったハンターの言葉が、ふと浮かんだ。

 は思わず口を覆い、言葉になり損ねた吐息を落とす。
 ただ生きてゆく為だけに、自然界のバランスを崩し、誰からも恐れられる恐暴竜。生物として揺るぎなく強靱であるのに、己の尾を食んででも狂おしい飢餓を抑え込みのたうち回る姿は、なんて弱々しいのだろう。とんでもない本性の吐露を受けているのに、とてもじゃないがそれを滑稽だと笑う事は出来なかった。

『まるで……テメエの不幸のような顔を、してやがる。お前のような石ころごときに、哀れまれる理由なんぞねえのによ』

 イビルジョーの低音が、馬鹿にするように笑った。は何も言えず、覆う口元を強く噛みしめるばかりだった。どうして私の方が泣きそうになっている、それこそ馬鹿にしているにもほどがあるだろう、と。

『……

 ヒュウ、との喉が鳴った。

『……今後言う事はねえだろうから、言っとく』

 己の尾を食む恐暴竜は、その凶暴性を露わにする頭部にあるまじき場違いな穏やかさを紡いだ。はほとんど泣く手前にある己の顔を、必死にイビルジョーへ向ける。
 こんな時になって名前を口にする彼が、少しだけ憎らしく思えた。




 ――――ああ、やっぱり、その目。
 イビルジョーは、己の尾を食みながら、みっともなく喉を震わせた。抑え込む飢餓の渇きが増し、思考があの狂乱とする赤黒さに奪われそうになる。
 最初から、食べたくて仕方なかった。あれほど美味そうな匂いをするのだ、石ころのように小さくてもさぞや腹をしっとりと潤すのだろうと、何度も暴力的な想像を浮かべてきた。
 そうしてしまえば、良かったのだろう。そうすれば、かつて彼が恐れた、手当たり次第に生き物を喰らい最期は決して満たされない食欲に自滅したあの同種族のように、無様な死に様を野に晒す必要もない。
 だけれど、出来なかった。あの石ころの浮かべる笑みが、笑い声が、肉片と悲鳴に変わる事を夢見たのも己でありながら、そんな事をしようものならその後生きていける気がしないと。
 どうしてそう思ったのか、分からなかった。この瞬間までは。

 思考を奪い、身体の自由を奪う、味わった事のないとてつもない空腹感。それを満たすのはあの石ころであるのに、その空腹感を打ち負かすのもあの石ころだった。
 息を吹きかけたら飛んでいきそうな、ちっぽけで脆弱な雌。今などそれ以上の弱々しさを背負い、崩れ落ちそうな面持ちを浮かべている。どうしてお前がそんな顔をすると笑いそうになり、同時に、そんな顔をしているのかとイビルジョーが歪な歓喜を抱いたのも事実だった。

 ――――

 小型の肉食獣を追い払ったのも、何とか触れようとしたのも、側にいようと閉じこめたのも。
 ようやく、腑に落ちるところで理解した気がした。

 イビルジョーは、嘲笑めいた唸り声を漏らし、地面に投げ出した身体を震わせた。

『……。今後言う事はねえだろうから、言っとく』


 こんな馬鹿な事をした獣は、他に居たのだろうか。


『石ころなんぞに惚れた馬鹿の名前を、出来れば――――死ぬまで、覚えていてくれ』


 己を裏切って、自滅の道に踏み入れてでも。
 ろくに視界に入らないような、地を這うちっぽけな人間の雌に――――“恋”をするような、どうしようもなく馬鹿な獣は。


 イビルジョーは、自覚し笑う。そして、尾を食みながら、強く願う。
 どうかこのちっぽけな雌を喰う前に、止めを刺してくる人間が早く訪れるように。
 そしてその身体を切り取って、に渡せば良い。そうすれば、楔のようにいつまでも残り続けるに違いない、と。


 それは結局、飢餓に狂って暴食の限りを尽くすしかなくなった、イビルジョーなりの。
 最初で最期の狂おしい愛情表現であった。



イビルジョーほど薄暗く、狂気じみて、けれど下手した他よりも苛烈な愛情が似合うモンスターはいない。
と思っていた作者の、かねてより書きたかったイビルジョーの話。甘いのも好きですが苦く辛いのも好きです。
あの竜は妄想をこれでもかと掻き立ててくれる素敵な存在。

何処で見たのか覚えていないのですが、生態系のピラミッド図に【ただしイビルジョーは除く】とあったんですよね。あの一文を今も覚えてる。ぐっときます。

ただしゲームでヤツと戦うのだけは拒絶反応が起きます。


(お題借用:Hinge 様)


2015.08.28