歌い手知らず

――――― 聞いた事のない、《声》が聞こえた。
毒を吐く大きな奴の声ではない。その取り巻きの喧しい奴の声ではない。竜や獣などの、ものはない。けれどかと言って、虫や鳥でもなかった。
小さな鳥の、雄が雌に求愛する声にも、意志疎通をする火竜の鳴き声にも、当てはまらない。
心地よく響く、そう、七色の声とはああいう事を指す。
表現のしようがないが、今の自分にも、到底出せるものではなかった。
様々なものの声を得てきた自分が、出した事の無い声。響かせた事の無い声。そして、聞いた事の無い声。それは、酷い嫉妬と苛立ちに苛まれるほどの悔しさであったが、同時に、羨望も抱いた。

あの声は、一体何なのだろう。
あの聞いた事のない声は、一体どんな奴が出しているのだろう。

普段は煙るように降りしきる雨が止み、晴れやかな青い空を見せるとある水没林。
一角にそびえる大きな樹木の天辺に、赤い花を咲かせたかのような美しくも鮮やかな真紅の鱗に覆われ、同じ華やかな色の翼を持った鳥が居た。聞いたことのない声に、クルル、と喉を慣らして聞き惚れるようにゆったりと座り込んでいた。



――――― 水没林。名の通りに、豊かな水源に恵まれ、雨にも恵まれ、まるで水没したかのような濡れた大地の広がる、特異な地帯だった。
かなりの確率で雨が降り、酷い時には豪雨にも見回れるが、訪れたこの日は珍しい事に灰色の雲は無く、青空が伺えた。タイミングよく、来れたものだ。
ズワロポスのジャケットとボトム、それと水中でも問題なく履ける特注のロングブーツに身を包んだは、大きな鞄を抱え直した。仰いだ空は、普段は覆う厚い雲を取り払い、白い雲間から透き通った水色が映され、光が翳された深い密林と豊かな濡れた大地が照らし出された。こうやって見ると、やはり壮麗な美しい自然である事が伺える。

……フロギィが跳ねていなければ、なお良いのだが。

鮮やかなオレンジ色の鱗の、ジャギィと同じ類の鳥竜種を見つめながら、はぬかるんだ地面を踏み進んでいく。蒸すほどではないが、湿気の多い空気は肌にまとわりつくようだ。思わず首筋を拭ったが、それで変わる訳ではない。
は、ポケットに入れていた羊皮紙の細切れを取り出し、視線を書面へ落とす。入り用のものを書き連ねたメモで、アルバイトのようなもので働かせて貰っている道具屋からの仕事だ。
仕事と言っても簡単な採取で、プロの商人から買えるものばかりだが、外に出てみたいというの願いを汲み取ってくれた彼らの温情でもある。
ただ、一般人であるが自然に一人で出掛けるのは大変という事で、条件が出されたのだが……。

「ほら、早く行くニャ!」

キュウ、と伸びたフロギィの隣で、カルトが飛び跳ねる。この地へ来る時の最近のお気に入りなのか、ズワロポスの端材で作られたカエルのレインコートと武器には見えないがザ・鈍器の蓮の葉っぱを握っており、得意げに胸を張る。

「慣れたものね、カルト」
「ふふん、これでも旦那様に色々教わって、ヒゲツの兄貴に鍛えて貰っているのニャ。さ、起きない内に早く向かうニャ」

カルトに先導されながら、は足早にフロギィの横を通り過ぎる。
目の前でピョコピョコと揺れる、カエルのフードが何とも言えず可愛いが、あれで防具なのだからモミジィのセンスは凄いと思う。可愛くて身を守れるなんて、素晴らしい。

「さて、道具屋に頼まれたのはキノコ類だけど……何処かしら」
「ま、とりあえずのんびり行くニャ。どうせ、自分ん家で使うものも取るつもりニャ?」

あらら、すっかり分かってるわね。
流石ね、とが笑えば、カルトは至極当然のように肩を竦め、「大体分かってきたニャ」と悪戯な笑みを浮かべる。

「そうね、ハチミツなんて取りながら、仕事用のものも取りに行きましょうか」

バチャリ、バチャリ、と水を含んだ大地を踏みつける。点在する水溜まりには、青空が映り、晴天に恵まれた水没林の美しさを再度確認しつつ、とカルトは先へ進んだ。熱帯や亜熱帯地方に見かけられる樹木の陰から、虫の鳴き声が静かに響き、一人と一匹の足音がサクサクと鳴る。
程なく、砂利の多い傾斜を登って、滝の上の平地へと辿り着く。見る限り、ケルビしか居らずフロギィは見当たらない。飛び跳ねるケルビの横を歩いて、カルトが指さす先にある蜂の巣へ駆け寄る。

「うん、しょ!」

普段背負っている大きな鞄を、どさりと地面に置いて、滴るハチミツの採取に取りかかった。
ついでに近くにあったキノコの群集から、カルトが仕事用のものを探してくれていた。
こうやって、土に膝をついて、手を汚すなんて、現代社会ではそう無かったが、少しは慣れて来たような気がする。未だ、草木やキノコの区別は付いているようで付いていないが。
( 薬草と解毒草の違いは、実際未ださっぱりだ )

……多少は、上手くやれているだろうか。

は、ふと自身の胸元を見下ろした。銀灰色の、爪の首飾り。キラリ、と光って揺れたそれを一度撫で、は作業を再開する。
ただ何となしであったのだが、の唇から小さな歌が流れ始める。
辺りが静寂なだけに、小さな歌も今は十分に響くもので、背後でキノコを集めていたカルトも耳を傾けた。

の住んでたところの、歌なのかニャ?」
「……あ、ごめんね、煩かった?」

無意識の内に歌を口ずさんでいた事に気付いて、は口を塞いだが、カルトはプルプルと首を振った。

「別に、そうじゃないニャ。嫌いじゃないと思ったのニャ」
「うん? 歌が?」

途端に、カルトはもごもごと声を小さくして「の歌は、嫌いじゃないニャ」と呟くが、それは生憎彼女へは届かなかった。ハチミツ採取に夢中になる背中を見て、カルトは声のない叫びを上げて頭を掻きむしる。背後でゴロンゴロンと転がるカルトの姿は見ないまま、は再び歌を口ずさんでハチミツを空き瓶へ集める。

――――― その頭上では、大きな鳥の影が揺れ動き、を物音立てず見下ろしていたが、当然もカルトも、気付かなかった。

大きめの瓶二つ分のハチミツをきっかり納めた頃には、カルトも「どや!」とばかりにキノコの山をへ見せつけた。仕事用に必要だったものは、彼の力もあって十分手に入れられたので、残りのものはカルトへ渡す。もともと、彼は普段から手伝ってくれているし、これくらいしか駄賃の代わりにはならないが。
カルトの、ギュッギュッとポーチへキノコを仕舞う仕草を見つめながら、も身支度をし、付近に流れる浅いせせらぎの側に座る。土で汚れた手を洗い、ハンカチで拭う。

「それにしても、今日は本当に良い天気ね」
「珍しいニャー。水没林が晴れてるのは」

普段は雨で煙り、風景など見えたものでは無かったが、遠くまでくっきりと伺える水に濡れた景観は本当に美しい。滝の流れ落ちる音色も、耳障りでなく、心地よくもある。

「さて、後はちょっと歩きながら、一度近くの村に戻ろっか。新鮮な内に、キノコはユクモ村に送っていた方が良いものね」
「ニャー!」

よっこらせ、と立ち上がったは、鞄を背負う。その前方で、カルトが飛び跳ねながら彼女を呼び、蓮の葉っぱをユッサユッサと左右に揺らして 歩き始めた。もそれを追いかけて、隣に並んで濡れた傾斜を注意しながら降りていく。
その道中も、カルトにせがまれての鼻歌がひっそりと響いていた。

――――― とカルトが、その場から静かに去った時。
樹木の天辺に身を潜めていた、大きな鳥が舞い降りた。鮮やかな大輪の花のような、赤い羽根と鱗を纏う鳥は、しばし周囲を伺う。
あの聞いた事のない声は、一体何処だろう。
鳥はしばし頭を傾げていたが、微かに遠方からそれが聞こえ、視線がゆるりと追うように動く。そして、それが遠ざかっていくのを感じ、鳥は晴れた空へと飛び上がった。



その後たちは、際立った危険に遭遇する事も無く、気ままに採取をしながら近隣の村へと戻った。水没林を臨む小さな山村であるが、旅人向けに宿屋もあり、また郵送の手続きもしてくれる為、見た目の長閑さに比べてそういったネットワーク網はしっかりと存在しているらしい。
宿屋の部屋で、どっかりとベッドに座ったは、歩き回った疲労に足をマッサージしつつ、ふと窓の向こうの景色を見つめた。
日が暮れようとする空は、微かに茜色に染まり、広がった穏やかな曇も優しく薄い紅色に滲んでいる。彼方に見える水没林も、恐らく茜色に景観を染めているのだろう。少し見てみたい気もしたが、無理はいけないと、は思い留まる。人とは比べようもなく強大な存在である、モンスターがいるのだから。
ただ最近思うのは、の描くモンスター像とはこの世界のモンスターとあまり当てはまらない。この世界のモンスターとは、あくまで一つの動物。悪の意識に染まるファンタジーの象徴でなければ、故意に脅かすものでもない。生態系を持つ、一つの動物。危険ではあっても、彼らが居なければ自然が成り立っていかない。人の生活も、成り立っていかない。
本当に、この世界はファンタジーであるはずなのに、とても原始的で、同時に現実的だ。
しばらくじっと眺めていた為か、カルトが隣から「どうしたのニャ」と首を傾げて見上げてくる。は首を振り、「何でもないよ」と笑うと、夕飯の時刻までまだある事を確認し、おもむろに立ち上がる。

「ちょっと、外を歩いてくるね」
「ニャ? そうニャ?」

かぽん、とカエルのフードを外したカルトは、「あまり遠くに行っちゃ駄目だニャ」と言い、武器の手入れを始めた。
……何だか、人の生活に溶け込むようになってから、彼は随分とお母さんみたくなったな。
は苦く笑いながら、コツリとブーツの踵を鳴らして宿屋を後にした。何をするでもなく歩みを進めていき、は気付けば村の外れにまでやって来ていた。静けさが、周囲に広がる鬱蒼とする自然から溢れ、人里の和やかさを心地よく彩るようだった。振り返って見つめた村の家屋からは、明かりがぽつぽつと灯っていく。空はまだ明るく鮮やかな色をしているが、時間が陰るのが早いのを知っているのかもしれないな、と思って、はふらりとまた宿屋へと戻ろうとする。ブーツの踵を返し、カルトがやけに気に入った歌を口ずさみながら、足を進めた。



「――――― 見つけた」



唐突に聞こえた声が無ければ、立ち止まる事は無かったのだけれど。
は、ハッとして思わず振り返る。
其処には、別の誰かが立っている訳でもなく、もちろん周囲を見ても誰も居ない。はて、気のせいだろうか、とは小首を傾げ、再び足を踏み出したのだが。
ぶわり、と急に押し寄せた風圧に、思わず顔を庇って身体を小さく縮めた。そして風音に混じり、バサリ、バサリ、と近づいてくる翼を羽ばたかせる音が、耳に届く。
この時点で、既に嫌な予感がしていたのだけれど、恐る恐ると顔を上げた瞬間それは確信に変わった。

茜色の夕陽に負けぬ、鮮やかな真紅。混じりっけのない、原色のような色彩が、の視界を奪う。が、直ぐに我に返り、今目の前にいるものがとんでもないものである事に気付く。真紅の翼と体躯を持ったそれは、鳥に近いが、どう見ても鳥ではない。ラッパ状の不思議なクチバシからは鋭い牙が覗いており、翼には翼膜が張っている。足は太く、爪も鋭く伸びている。
この姿を見て鳥でない事は、容易に想像がついた。
鳥竜種の、大型モンスターだ。
名前は知らないが、それくらいにだって分かる。
背筋が一瞬にして凍り付いたが、目の前の真紅の鳥は、きょとりきょとりと顔を揺らしていて、攻撃してくる様子はない。
それだけが僅かの救いで、は飛び出しそうになった悲鳴を必死に飲み下し、刺激しないよう努めて冷静を振る舞う。
近くには村がある、こんなに長閑な場所を、大混乱に貶めたくはない。
が、怖いもんは怖い。よりも遙かに大きく、十分に容易く踏みつぶしてしまえそうな体躯なのだから。

「……あれ、人間?」

をじっと見下ろし、真紅の鳥は不思議そうに呟く。
若い青年の声だったが、見た目は強烈にインパクトが強い。
頭の天辺から足の先まで、ジロジロと見下ろされ、はご飯の値踏みをされている気分であったが、何も言わずただじっとした。

「可笑しいな、もしかして、人間の声?」

どうしようか、あまり此処でこんな風に見つめ合うのも……。
はしばし考え込み、身体を小さく伏せながら、「あの」と意を決し話しかけてみる。すると、当然目の前の真紅の鳥は驚いたように鳴き、バタリバタリと足踏みをした。
そりゃ、言葉が分かるという奇妙な人間が居ればこうもなろうが……。

「場所、変えましょう。ね」

まるで見知った人物であるかのようにそう強く言ってしまった。

真紅の鳥と共に、村から誤って姿を見られないようにと林の中へと進んで、ちょこんとその場に座ってみる。
真紅の鳥は、心底面白そうにを見下ろし、周囲を歩き回っては様子を見て、そしてクエーッと鳥とはまた異なる鳴き声を上げた。

「愉快、愉快。人間が僕たちの声を理解するなんて!」
「は、はあ……」
「初めて会ったよ、君みたいな変わり者。ああ、楽しい、楽しい」

……この鳥、なんか、妙にフレンドリーだな……。
は思わずそう内心で呟いてしまったが、下手に怒らせてプチッと踏み潰されるのも困るので、口は噤んだままでいた。
しばらく関心するようにを見ていた真紅の鳥であったが、ようやく笑い声も収まったのか、彼女の前にその身体を伏せて座り込んだ。

「で、君があの声の持ち主か……」
「え、えっと、貴方は……その……」

何の目的で、近づいてきたのだろう。
偶然にもはち会わせた、という訳でも無さそうだ。少なくともこの真紅の鳥からは、故意に姿を見せてきた事が伺える。
しかしの言葉に興味はあまり無いのか、クルクルと喉を鳴らしている。

「あの場所で、君の鳴き声が聞こえた。僕の出せないものだった」
「は、はい?」
「どうやって得た、どうやってあの声を出せた」

押し寄せるような、疑問の声。けれどにはさっぱりだった。一体、この真紅の鳥は何を言っているのだろう。
鳴き声? 変な声を出した覚えは無いが……。

「さっきもそうだ、君は僕が出せない声を軽々と出した」
「え?」
「あの場所でも聞こえて、此処まで追って来た。何処で、どうやって、それを得た」

……もしかして。
はようやく、この真紅の鳥の言う、鳴き声とやらが何かを理解した。

「歌の、事……?」
「う、た?」
「人間が出す……えっと、私がさっき出していた声の事」

真紅の鳥は、「うた……」と反芻しているが、恐らく理解はしていない。この声音と、表情から察するに。

「歌は、人間は皆出せる。皆知ってるわ」
「! 何と……僕が出せないものを、人間は出せるというのか」

青年の声で、真紅の鳥は驚愕の声を漏らす。
……何だかよく分からないが、つまるところ、が口ずさんでいた鼻歌 に興味を持った、という事なのだろうか。彼は自分を変わり者と言ったが、彼も十分に変わり者であるように思える。人間の歌に、興味を持つなんて。
もしかしたら、がモンスターの言葉を解する為か、人の出す歌を不思議な鳴き声と認識したのかもしれない。歌というのは、恐らく彼らには不必要なものだから、初めて耳にしたのだろう。

……でも、それでわざわざ?

よほど、鳴き声に執着しているらしい。

「……ふうん、君が僕たちの言葉を理解するのは、割とどうでも良いけれど」
「 ( どうでも良いんだ ) 」
「――――― ただ、僕は、自分が出せない声が存在する事が、気に入らない性格でね」

表情が変わるはずのない、その鳥竜の横顔が、凶悪な笑みを浮かべた気がした。
ぞくり、と別の悪寒がの全身を這い上がった。

「人間の、君の出す《うた》とやらの鳴き声、教えて貰おうかな」

の頬が、ヒクリと引きつる。
が、それも可笑しいのか、真紅の鳥はラッパ状のクチバシからクエーッと一声出した。


――――― モンスターの生態系の中には、変わったものがいる。
他のモンスターの声を完璧なまでに真似る、特異な能力を持った大型の鳥竜種《クルペッコ》。このモンスターは、他のモンスターを呼び寄せたり、様々な鳴き声で身体の回復を計ったり防御力を高めたりと、鳥竜種ながらとても頭が良く、知能が高い。
最近では、亜種である真紅のクルペッコが確認されていて、通常種よりも肺活量が向上しバインドボイスも放ち、狡猾さが増している。


それを知るのは、がユクモ村へ帰った後であり、この時点ではともかく目の前の真紅の鳥が凶悪な笑みを浮かべたようにしか……彼女には分からなかった。



夢主がモンスターと言葉を交わせるという事は、それまでモンスターが理解出来なかった歌というのも言葉として分かるのではないか、という事でこんな話が出来上がりました。

クルペッコは頭が良いと思う。
だから嫌い、極力避けていきたいモンスターにランクイン。3rdで散々嫌な目に遭わされて来た思い出が過ぎります。

どちらかというと、クルペッコは臆病なイメージもあるのですが……歌に興味を持つという事で、変わり者、声真似の向上心ありというイメージが後からついてきました。演技がかった口調も、この辺から。


2012.02.27