幼い温もり

「――――― ね、一度だけで良いから、お願い」

パン、と両手を合わせたは、ついでに頭も下げてお願い申し上げた。
だが、相手が頷く事は無く、むしろ首を捻るばかりで要領を得ない眼差しをする。

「……何故、それを僕に?」
「お願い、ね?」
「意味が分からないな、人間というものは」

の目の前に居るのが、お願い申し上げても伝わらない相手であるから、仕方が無いと言えば仕方が無い。
熱帯や亜熱帯に見られる特徴的な樹木が生い茂る、水没林。雨で煙るこの地に、大輪の花が咲いたような鮮やかな真紅を纏う鳥が、を見下ろしていた。
正確には、真紅の羽根と鱗を併せ持つ鳥竜の一種で、色鮮やかな体色だけでなく容姿も能力も奇抜な生き物の、《紅彩鳥》クルペッコ亜種である。
ラッパ状のクチバシの向こうから、クルクルッと喉を鳴らす声が漏れる。怪訝なそれは、の頭に落ちてくる。

「そんな事して、何か意味があるのかい?」
「えーっと、貴方には無いですけれど」
「じゃ、嫌だ。絶対しない」

クルペッコは身体を横に向ける。は「ああ、お待ちを!」と縋り付き、今一度両手を合わせる。
世間一般では大型モンスターに分類される、しかも通常種よりも厄介な性質を持つとされる亜種に対しての行動としては心底不思議なもので、実際も思う。むしろストーキングされているのは自分だ。

「い、良いじゃない。私がいつも恥ずかしい思いを堪えて歌ってるんだから、これくらい」
「そうは言ってもねえ、僕に何の得も無いよ」
( 来る度に歌わされる私にも、得は無いけどな……! ) そ、其処を何とか、お願いします。ペッコさん」

クルペッコ亜種、と呼ぶには長いので、便宜上彼の名であるからクルペッコを取って、ペッコさんと呼ぶ事にした。毎度の事ながら、ネーミングセンスは皆無である。が、彼女も承知しているし、クルペッコ本人は全く気にしていないようでそう呼ぶ事を許してくれている。
……付き纏うのはクルペッコの方で、許してくれているという言い方も癪に障るが、機嫌を損ねると翼にある電気石で閃光を放たれるので下手に回るしかない。
何処かの知り合いのハンターを彷彿とさせる、ドSぶりである。いや、むしろ気儘な性格なのだろう。

があんまりにも言い縋るものだから、クルペッコは溜め息を漏らす。真紅の身体を揺らしながら、ようやくそっぽを向いていた顔をちらりと向ける。

「何でそんな事を、僕に言うかな」
「えっと、貴方にしか、お願い出来なくて」

当たり障り無く、機嫌を損ねないよう呟くと、の目の前で真紅の鳥があからさまにピクリと反応する。まさかまた閃光を放たれるかと身構えたが、彼は噛み締めるようにの言葉を反芻する。

「僕、だけ?」

今度はが不思議がったものの、静かに頷いて、「そうです」と返す。すると、クルペッコの空気が怪訝なものから何だか上機嫌なものへと変化していき、次の瞬間には「仕方ないなあ」と大袈裟に言った。

「そうまで言われたら、しょうがない。全く」
「あ、ほ、本当?」
「ほら、退いて」

クルペッコは言うと、スウッと息を吸い込み胸を張る。が慌てて数歩下がると、クルペッコの羽毛に覆われた胸部が捲れ、大きく膨らんでいった。人間の身体の半分以上まで膨らんだところで止まり、パンパンに張った表面がの前にズイッと寄せられる。
他のモンスターの鳴き声を完璧なまでに真似る、特異な力を持つクルペッコという種族の、根幹を担う器官《鳴き袋》。際立って発達した真っ赤なそれは、クルペッコ亜種の体色にも負けぬほどであった。
ゆさゆさと揺らしながら、クルペッコは地面へ伏せる。その目は呆れているようにも見えたが、「ほら」と言われるとは我慢出来ず。

膨らんだ胸部に、ボフンッと抱きついた。

その瞬間に、頬や全身に重なった、温かく滑らかな感触に思わず歓声が上がる。
ゴム鞠のような硬い弾力では無く、上質な真綿をたっぷり詰め込んだクッションのそれに近い。ふわふわで、けれどしっかりとした跳ね返る力が表面にある。思っていたよりもずっと心地良い感触に、は自分の頬が緩むのを覚えた。

「あー気持ち良い……一度、やってみたかったの。膨らんだ胸に抱きつくのを」

ふふ、とが笑うと、頭上でクルペッコが「人間って、よく分からない」とぼやく。
彼らにとって、この膨らんだ鳴き袋は他のモンスターの声を真似る大切な器官ではあるが、それ以外に無駄な使い方をする事は無い。が抱き着く理由は、やはりさっぱりであった。
自然と無駄な行動を取らない野性の彼らとは正反対の、無駄ばかり取る人間の行動が際立つ瞬間でもある。
が、は気にも留めず、ご満悦に全身を凭れ掛けて頬擦りをする。くすぐったいのか、クルペッコの身体が小刻みに振動し、キュルキュルと不思議な鳴き声を響かせる。

「《うた》とやらも不思議だけれど、君たちの行動は本当に不思議だな」
「ふふ、ごめんなさいね。もう少しだけ、こうさせて」

クルペッコの呼吸に合わせて、膨らんだ胸部も上下する。その向こうで、彼の鼓動が聞こえたような、気がする。
ぐ、と顔を埋めると、少し獣の匂いの混ざる葉っぱのそれが、仄かに掠める。

「――――― 君からは、うたとやらを貰っている。少しくらいは、付き合ってあげよう」

そう告げる彼の声音は、笑みを含んで楽しそうでもある。
頭上で聞こえた言葉と共に、の後ろ頭に彼のクチバシが触れた。



クルペッコの膨らんだ胸に、顔を埋めてみたかった。
だが膨らませて鳴いた後、大体ヤバイものが後ろから来る。


2012.03.01