それは絶望か羨望か

「どんな声も出せるの?」

が何気なく尋ねると、鮮やかな紅を纏う《紅彩鳥》のクルペッコ亜種は、演技がかった青年の声で笑った。
亜熱帯特有の樹木の上から、優雅に舞い降りて来ると、彼はの隣に立ち並びスッと見下ろす。鳥の輪郭を持ちながら、それよりももっと獰猛な竜という生き物の鋭さも備えた存在は、度々訪れる水没林でお馴染みのものになっていた。

「愚問だな、僕にそれを尋ねるとは」

高圧的、とまではいかないが、自信満ち溢れた声は十分にそれに近いものを帯びている。

「僕らは、他の声を得て生きていく。少なくとも僕は今まで会った奴らの声であれば、何でも出せるとも」

彼は言うと、胸の鳴き袋を膨らませて見せる。シュウ、とそれが小さくなったところで、クルペッコ亜種は再び彼女へ言った。

「それが何だい、急に」
「人間の間でもね、貴方は色んな声を出せるって言われていて。どんなものなのかなって」

クルペッコ亜種は、「それはそれは」とやはり演技かかった声音で笑った。

「まあそうだろう、ではどんな声が聞きたいかな」
「え、良いんですか?」
「出してやらない事も無い。聞きたくないなら、別だけれどね」

気儘な彼が、何の文句もなしにこう言ってくれる事はまず無い。は身を乗り出し「お願いします」と頭を下げた。傍目では、きっと紅彩鳥相手に奇行を取るおかしな女と見えるだろうけれど、今のには何の障害にもならない。
クルペッコ亜種は、人間で言うところのフフンと鼻を鳴らす得意げな仕草を、顔を斜に構え見せる。彼はバタバタと真紅の翼を揺らすと、ぐっと胸を張り、スウッと息を吸い込む。瞬間、彼らの種族にしか無い発達した鳴き袋を膨らませ、ラッパ状のクチバシから咆哮を放った。その声に、は思わず耳を塞ぐ。彼らの鳴き声ではない、もっと獰猛で、本能を恐怖に刺激させる、何かの声だ……。それが何なのかは判断は出来なかったが、頭の芯までビリビリと揺るがすそれに、足が竦んだのは言うまでもない。
憮然とした面持ちで立ち尽くすを、クルペッコ亜種は楽しそうに見下ろす。

「人間の間で何と呼ばれるかは知らないが、よく行く熱い場所で飛んでいるものの声だ。我が物顔で飛んで、僕と同じ色をしているが、向こうの方が好戦的だった。頭も悪そうだったしな」
「あ、もしかして……今の、リオレウスっていう竜のものですか?」

空の王者、真紅の飛竜であるリオレウス。見かけた事は数回だが、道理で迫力がある訳だ。声真似とは言え、目を瞑っていれば竜がやって来たと勘違いするだろう。
それにしても、頭が悪そうだとか、我が物顔とか……同じモンスター同士だからか。その物言いにこそはある種の畏敬の念を抱く。感心する彼女に、クルペッコ亜種は満足して、それから様々な声を披露する。重厚な獣の声、甲高い声、あらゆるものを聞かせられは素直に凄いと賛美した。種族の名など分からずとも、今この時に実は周囲にそれらのモンスターが隠れているのではないかと不安になるほど、彼の声真似の特技とやらは正確だった。そしてこれが、ハンターたちを戸惑わせる特異な能力であるのだと、実際に聞き理解した。

「ふふ、凄いですね。さすがです」
「まあそうだろうね、僕の声に勝った雄は居ないのだから」

彼はそこまで言うと、思い出したように付け加えた。

「そうそう、この前ちょっと遠出して、新しい声を覚えたんだ」
「へえ、どんなのですか?」

気が良くなっているのか、クルペッコ亜種は文句を言わずに再び鳴き袋を膨らませる。彼の口からは、またも別のモンスターの鳴き声が響き渡っての耳へと滑り込む。

……その瞬間、はそれまで浮かべていた笑みを、崩した。

ひきつった口元は徐々に歪み、頬が強張る。感心していた瞳は困惑に激しく揺れ、息が詰まる思いが込み上げてくる。
大きな獣の、重厚な声。けれど彼が今、響かせているそれには、覚えがあった。どんなモンスターかなどそれまで分からなかったのに、その声にだけは、はっきりとした覚えがあった。

……丸く小さな、青い熊の姿をした獣が、急に過ぎる。

いつまでも、の記憶から離れない、鮮明なもの。
現在のの根本に存在しており、生きる糧とも鎖ともなるもの。
立ち尽くしたは、ひたすらに呆然と暮れた。懐かしく、それでも胸を締め付ける声。複雑な感情に苛まれながらも、クルペッコ亜種が鳴らすその声に包まれた。

「……どう、したの」

気付けば、クルペッコ亜種の声真似は止み、の前で静かに佇んでいた。先ほどまでの上機嫌な空気はなく、扱いに困るような動揺を浮かべており、普段演技がかった声が薄れている。あれ、彼がそんな声を出すなんて、今日は不思議な事ばかりだ。は薄ぼんやりとした意識で思うと、クルペッコ亜種は居心地悪そうに身体を揺らす。

「どうしたんだ、急に」
「どうって……」

クルペッコ亜種の、ラッパ状のクチバシがの頬をつついた。
おもむろに、も片手を持ち上げて自身の頬に触れる。ぴちゃり、と濡れた感触が指の腹に伝わった。ああ、これは……。

「……何故、泣く」

クルペッコ亜種は、困ったように呟いた。
いつもは小馬鹿にしたように笑うのに、君はおかしな人間だと演技がかって言うのに。
そういう貴方こそ、どうしてそんな風に呟くのか。
は言おうとしたが、意識した瞬間に溢れ出した苦い熱さが、目の奥で溜まっていく。ボロボロと落ち始め、告げようと言葉は飲み込まれていく。

「ごめ……ッな、何でもな……ッ」

謝ってみたが、上手く伝わったかどうかも分からない。
クルペッコ亜種はどうすれば良いか考え倦ねているようで、沈黙したが、長い空白の後に呟いた。

「……急に泣き出して、面倒な事この上ない。一体何だ、今度は」

息を吸い込んだ拍子に、グズッと間抜けな音が漏れた。それを見るや、クルペッコ亜種の瞳はさらに細められる。

「……泣くな」
「ごめ……ッ」
「泣くな、泣くんじゃない……何故泣くんだ、。泣くんじゃない」

泣くな、と。泣くんじゃない、と。
何度も、彼はへ言い続けた。演技を無くした低い彼の声から、慰めているのか、それとも怒っているのか、探す事さえも今の彼女の思考では分からなかった。
出来るものならも、彼の言葉の通りになりたかったが、意に反して涙は止まらず。みっともない啜り泣きをこぼしながら、クルペッコ亜種の前では長い事泣き崩れた。
その間クルペッコ亜種が、「泣くな」と告げながら、紅い身体を寄せていたが、それも彼女は気付かなかった。



「――――― いつも後ろをついてきてくれてね、良い子だったの」

が普段から肌身離さずに身につけている、牙の首飾り。手のひらに乗せて水没林の霞む陽のもとに差し出すと、磨かれた獣の牙は、銀灰色にキラリと輝いた。
グスリ、と鼻をすすって、赤くなった頬を擦る。それを、クルペッコ亜種は何も言わずに、じっと見下ろしている。

「……貴方がさっき出した、鳴き声。その子と同じで、思い出しちゃった」

キュ、と握りしめ、は再び首に下げた。
クルペッコ亜種に言ってみたところで、彼にはきっと分からないだろう。
冷静さを取り戻したの頭はそう思っていて、事実彼は不思議そうに呟いた。

「……アオアシラと呼ばれているのかい、あいつは。君の、知り合いか」
「……ううん、貴方が見かけたそのモンスターとは、知り合いじゃあないですよ。全くの別の子」
「では、何故泣く。関係無いのだろう」

クルル、と喉を微かに鳴らして、クルペッコ亜種は首を傾げた。
は、ぎこちなく笑みを浮かべると、ただ一言返す。「死んだの」クルペッコ亜種の動きが、僅かに止まった。

「死んじゃった子なの。もう、声も聞こえないし、会いも出来ない。だから、泣いたの」
「何故」
「懐かしくて。でも、少し悲しくて。この首飾りはね、その子の牙なの」

クルペッコ亜種は、理解出来ないのだろう。首を何度も傾げ、怪訝に瞳を細める。

「……モンスターの身体の一部を、君も纏っていたなんてね。僕らを見れば構わず攻撃してくるあの人間と、同じなのかい。君は」

彼にしてみれば、モンスターの一部を取り出して身に纏う、悪趣味な残虐な行いと見えるのかもしれない。彼の瞳には、それまでに無かった色が浮かんでいるのだから。軽蔑、あるいは嫌悪、その辺りの感情なのかもしれない。

「傍に、居たかったの。傍に、居て欲しかったの」

クルペッコ亜種を見ずに、は呟いた。

「貴方には、分からないかもしれないけれど、人間ってね、本当に面倒な生き物で。生きる事や死ぬ事、食べる事や寝る事以外に、生きていく上ではどうでも良い行動を取るの。
あのアオアシラが死んでからずっと、私はあの子の事を忘れられないし、あの時の感情も捨てられない。
ペッコさんは、今人間の歌を覚えようとしているでしょう? それは、貴方の本能だと思うんです。
――――― でもね、人間は、違うんですよ」

自らの為に、歌うのではなく。
他者を想い、過去を想い、歌うのだ。

の静かな声に、クルペッコ亜種は何も言わない。それでも構わずに、は続けた。

「大切な子だったの、本当に。種族なんて違ったけど、大切な子だった。あの子の事を忘れたくないし、これからも昔の事を忘れたくないから、いつもあの子の牙を身につけているの」

それでも泣くのだから、まだまだ乗り越えられていないのだろうが。
は、隣に座り込んでいる、紅色の鳥竜を見上げた。じっと見下ろしていた瞳は、やはり怪訝なままであったが、それで良かった。

「……まあ、ペッコさんが悪い訳じゃなくて、私が勝手に泣き出した事です。忘れて貰って、構いません」

精一杯に笑みを浮かべたが、クルペッコ亜種からは沈黙が返ってくる。そして、しばし押し黙った後にへと言った。

「君が、そのアオアシラとやらと何があったかは知らないけれど。泣くほどのものであれば、さっさと忘れるべきだ」

演技がかっていない、真摯な声音だった。は驚いたが、小さく笑みを浮かべて首を横へ振った。

「忘れたくないんです、私が」
「何故」
「何故って……そうしたく、ないから」
「……分からない。君は」

クルペッコ亜種は、首を下げた。座り込んだの、顔の真横に彼の瞳が並んだ。

「歌とやらも、君が僕の言葉を理解する事も、何もかも全て。
君たちにとって僕らは無条件で攻撃する敵であり、利用するのが常の存在のはず。さながら、使い捨ての巣のように」

だから僕も利用する。
その声も、鳴き方も、全て。

紅色の鳥竜の瞳の向こうで、獣の本性がちらつく。
普段、役者じみた物言いをする彼の、奥底を垣間見た気がした。
それが、とクルペッコ亜種の、違い。にとっての歌と彼にとっての歌が意味を違えるように、今もまたの言葉とクルペッコ亜種の心は交わらない。
彼にとって、自分は、新たな声を覚える為の手段に過ぎない。
分かっては、いるけれど、明確に見えて分かると言い難い気分になる。
ふと、彼の瞳が、の視界を埋め尽くす。真っ向から見据えられたその眼差しは、鋭く、竜の眼光を放っている。は、ゾクリと奇妙な悪寒に包まれた。

「……気に入らないな。君は一体、何なのだ」

恐怖、だろうか。この悪寒は。
は何も言えず、ひたすら口をまごつかせていた。

「……なんて、な」

彼は言い、首を上げた。緊張が解け、は安堵に似た吐息を陰で漏らした。

「……あの、ペッコさん」
「……何だい」
「迷惑でなければ、もう一度」

一旦、其処で言葉を区切り、声音を改め告げる。

「もう一度、聞かせて下さい。アオアシラの、声を」

ピクン、と紅色の体躯が揺れた。

「……嫌だね」
「ペッコさん」
「また泣かれるなんて、面倒だ」

ふい、とクルペッコ亜種の横顔が背けられる。だが、すぐにチラリとを見下ろし、視線を交わす。は、ひたすらに見つめ、囁くようなか細い声で「お願いします」と告げた。
……水没林の一角に、弱々しい沈黙の押し問答が続く。
だが、耐えかねたように、クルペッコ亜種の身体が大きく揺れ、座り込んだ体勢を整え始めた。

「ペッコさ、」
「僕には分からないよ、君が何故そこまでそのアオアシラとかいう奴に気を掛けるのか」

バサリ、と翼が一度広げられ、羽ばたかせた後再び静かに閉ざされる。

「……泣くなよ、君の泣き顔なんて、面白くも何ともない」

言葉こそは、悪態をつくように鋭かったが。
告げた彼の声は普段になく穏やかであり、そして切なくもあり、の耳を柔らかく掠めた。
程なくして、再び鳴らされた、獣――アオアシラの鳴き声。は瞼を下ろし、その声に身を委ねた。あの子のものとは、本当の意味でも全く違うものだけれど、脳裏に過ぎる小さなアオアシラはあの頃のようにグフグフと笑っていた。

「――――― 約束、出来そうにないや」

のまなじりから、静かに伝い落ちていく雫。

クルペッコ亜種は、それを見下ろしつつも、静かに、青い獣の声真似を繰り返した。
だが胸中では、「泣くなよ、馬鹿」と何度も罵っていたが、獣の声真似を止めてまで告げようとは思わなかった。
野生で生きてきた彼にとって、涙とは真に痛みをもった時に生理的に浮かぶもの。それに何か感情があるだとか、そういったものは無く、また流れたからといってどうとなるものでも無い。
本能で分かり切っている事なのに、今隣で、声を上げずに涙を溢れさせる人間の雌のそれには、酷い苛立ちが込み上げてきた。彼女に対してでもあり、またもっと別のものでもあった。

自分の声ではあるけれど、今出しているものは別のものの声で。
そしてその声に、彼女は自分ではないものを見出しているのだ。

……クルペッコ亜種の、普段の生活といえば、悪戯ばかりだった。
様々な声を真似た時、引っかかって意味もなく同胞を探すモンスターを見下ろすのが楽しくてしょうがなかった。からかって遊んで、悠々と空へ飛び立つ。最高の瞬間だった。
今この時、それと半ば似た状況であるのに。楽しくも、何ともない。むしろ、酷い不愉快さが苛む。

……だというのに、彼女の望みを振り払う事も出来ない。

相反する理解不能な思考を、クルペッコ亜種は気付きながらも今はただ獣の声を真似た。彼女が満足するように、早くその不愉快な涙を引っ込めてくれるように。

「……アシラくん」

……止めてくれ。
僕が欲しくなった声は、そんな泣き混じった声でも、そんな言葉でもない。

苛立ちながらも放ち続けた獣の声。其処に、彼の心が表れたのか悲しい響きが混じったが、彼自身も気付かなかった。ただひたすらに、いつもの口ずさんでいる歌と、馬鹿みたいな笑い声を、聞かせて欲しかった。

聞きたかった、だけなんだ。



クルペッコ亜種の話を書く時、これは絶対書きたいと思ったものの1つ。
アオアシラの声を真似て夢主に聞かせる。
彼らにとって声真似は、生きていく上での必要なもの。
けれど夢主は違うんだよ。例えばアオアシラの声を偶然に得たものであっても、夢主には矛盾しながらもつい聞いてしまうものなんだよ。
そういうのを、書いてみたかった。
ついでに、彼が軽い嫉妬みたいのをすればいいよ、と。

私はクルペッコに何を求め始めたものか。

( お題借用:Lump 様 )


2012.04.22