好意的だよ、二度は言わないけど

理由は未だに不明だが、の耳は獣たちの言葉を聞き、の口から放つ言葉は獣たちに通じるらしい。
桜色アイルー時代においては、何かと便利であったし、多くの人々と関わるきっかけとなってくれた、この力。人間に戻ってからは……色々と思うところのある力だが、便利といえば便利で変わり無い。
だが、まさかおかげでストーカーされたり、羞恥を極めるソロカラオケをさせられたり、なるなんて。溜め息も出よう。慣れてしまったが。

もう何度目になるか分からないが、ゴトゴト馬車に揺られながら訪れた、狩猟区域にも認定されいている自然――水没林。
熱帯雨林特有の動植物と、湿気の多い空気に豊富な水源が特徴のこの環境は、にも容赦なく湿気の不快感を与えてくる。けれど、ほとんどの月日に雨が降るというこの地では珍しく、灰色の曇天が流れ、蒼い空が広がっている。それが唯一、視界を爽やかにしてくれた。湿気さえ抜かせば、その風景自体はとても綺麗なのだ。
そんな静かな自然で……歌わされる羽目になっている己の姿は、きっと第三者から見れば奇怪以外の何物でもない。しかも隣には、至るところで見受けられる熱帯植物の大輪の花も霞む、真紅の翼と羽毛を纏う鳥がいるのだから尚の事だろう。
水没林に生息している、他モンスターの鳴声を真似る特異な特徴を持つ鳥竜種――彩鳥クルペッコ。その亜種、紅彩鳥なのだ。

『んー……人間の声というものは、面倒だな』

クルペッコ亜種は、鮮やかな紅の翼を揺らした。と同時に、演技がかった節のある、若い青年の声が頭上で響く。勿論それは、の耳にしか届かない、このクルペッコ亜種のものだ。
鮮やかな真紅の羽と、竜の鱗を併せ持つ外貌は、多くのモンスターたちの中でも十二分に目立つけれど、この個体の性格というものは……恐らく、他に居ない。なにせ、人間の声が欲しい、と言い放ったのだから。今まで認知しなかった人間の言葉がによって理解して、それを得るまでは付き纏うとまで口にした。
変わった性格であっても、その本質は獣。彼らの持つ、声真似の本能なのかもしれない。(原理は定かでないが)
何にせよ、このクルペッコ亜種に歌うようお願い(という名の脅迫)をされるようになって、短くはないという事だ。

「……ペッコさん……あの、喉が疲れてきました……」

ぽつり、と。は疲れた吐息を吐き出し、呟いた。
そうすると、「ア゛ァー」とか「ギャア」とか人間とは程遠い声で鳴いていたクルペッコ亜種のそれが止まり、の頭上で眼が細められる。

『始めてから、まだ時間は経っていないぞ』
「でも、もう疲れました……喉が渇いたし……」
『ならその辺の泥水でも飲んでいれば良い』

……泥水って……。
その時上げたの顔は、哀れを誘うほどに悲しみに染まっていた。
ただでさえ自然の只中に一人で歌うという、苦行を課せられ羞恥に耐えているというのに。歌い続けて与えられるものが、土の味染み込む泥水。涙が出そうになった。
見るからに絶望に染まったに対し、クルペッコ亜種は身体をギクリと震わせ驚いた。「ちょ、何だい、その顔」どちらかと言えば、の表情にギョッとしたようでもあったが、哀れを乞う眼差しに彼は押し黙る。

『……あのな、冗談に決まっているだろう』
「ペッコさんが言うと、冗談に聞こえないですよ……」
『君、失礼だな』

クルペッコ亜種は、いかにも心外そうに告げる。が、散々くちばしでド突かれたれたり、両翼の電気石を打ち鳴らして追い掛け回されたりしたは、騙されないぞとジトリと眦を細める。(毎度思うが、よく生きていられるものだ)
無言の眼差しを向けられ、クルペッコ亜種は身体を揺らして誤魔化す。程なくし、仕方ない、と言わんばかりに溜め息を漏らして、彼は立ち上がった。

『僕もお腹が減ったし、しょうがない。じゃあ、少し休憩』
「え、わ、やったー!」
『はいはい、じゃあね』
「ち、ちょォォォオオオ?!」

バサリ、と翼を広げて旅立とうとしたクルペッコ亜種に、は慌てて足にしがみついた。鳥と同じ形状、けれど圧倒的に硬く強靭な足。鋭い鉤爪はの足のサイズを遥かに超す。見た目以上の太さに思わず驚いたが、腕を離しはしなかった。
「今度は何ー?」と、クルペッコ亜種は煩わしさ全開で首をもたげる。そのわりにはを振り払おうとはしなかったが、声音はいかにも面倒そうである。
が、は足なんだか木の枝なんだか分からない彼の足を抱えて、縋るように見上げる。

「ペッコさんが急に何処かへ行かれたら、私一人じゃないですか」
『それが?』
「他の生き物に襲われでもしたら、怖いじゃないですか」
『そんな事ぐらい、自分で何とかしてみたらどうだい』

ごもっとも。それが大自然で生きる彼らの、常識である。
ともなれば此処に来た以上、も我が身を守らねばならない。そうは思う。しかし、だからといってなにも、隣の鳥竜――しかもハンターたちが言うには原種より厄介な亜種――に頼ってはいけない訳でもないだろう。彼にとっては、迷惑なだけかもしれないが。
現に今も、面倒くさそうに頭を揺らしている。

『ふう、人間という生き物は、本当に面倒だな』
「すみません……でも今は、ペッコさんしか頼れないので」

そう呟くと、不愉快げに揺れていた頭がピタリと止まった。立派な足にしがみついたままのは、おや、と顔を上げる。腹と胸、翼くらいしか見えなかったのだけれど、ゆっくりとクルペッコ亜種の顔がを見下ろした。ラッパ状のクチバシに、狡猾げな鳥の目。特徴的な外見の彼の顔が、今は珍しく素っ頓狂に構えていた。それこそ演技がかる仕草の無い、素の表情のような。

『……僕だけ、ね』
「? はい……」

ふうん、へえ。クルペッコ亜種は可笑しなほど、人間じみた声を漏らした。怪訝に満ちたあの声と、目つきが、嘘のように上機嫌になる。平べったい彼の尾も、フリフリと横に揺れ始めた。

『ふうん、まあ、仕方ない。君に死なれたら僕も困る。あまり連れて行きたくはないが、餌場まで来ても良いよ』
「やったー! ありがとうございます」
『はあ、全く。で、どうするんだい』

いかにも煩わしそうに告げる、クルペッコ亜種の声。けれど語尾が緩んでいる事を、彼は気付いているだろうか。
はしがみついていた腕をそっと解いて立ち上がると、にこり、と笑って見せる。




『――――……で何だい、この状況は』

心より不思議で仕方ない、という風に、クルペッコ亜種は呟いた。
ほとんどの月日に雨が降り注ぐ地帯《水没林》は、鈍い灰色の雲が裂け珍しく太陽が姿を現し、その陽射しに照らされ景観の全貌を現していた。大蛇のように曲がる大河が大地を走り、亜熱帯植物と森林は緑濃く広がっている。人々の生活を支える穏やかな気風の渓流とは異なる、色鮮やかな大輪の花や切り立った崖から轟々と下る瀑布は、無骨な自然そのもの。圧巻である。
その上空を、風を切り真紅のクルペッコ亜種が羽ばたいているのだが。
問題はその背に、がしがみついている事なのだろう。
しかしクルペッコ亜種とは違い、には今余裕が無い。真っ赤な羽根が覆う背は滑らかで、ふかふかではあったのだけれど、滑り落ちてしまいそうだった。羽毛だけでなく鱗の感触もする首元に両腕を目一杯回し、腹這いにしがみつく。
風の音色が、全身に響く。涼しい、けれど別の意味でも肝を冷やしてくるその音色。視線の先には、空と小さな木々ばかり。親しみ慣れた大地は、遠くである。

「だ、だって、歩いてたら絶対ペッコさんに追いつかないし、置いて行かれそうだったし」
『……君、自分で提案していながら、声ひきつっているが』
「地面を這う人間には、この高さは考えてませんでした……」

甘く見すぎていた、空の上。早い話が、今心よりびびっている。飛べば楽チンなんて思うもんじゃない。
は深く猛省したけれど、此処でまた面倒を云えば背中から今度は放り投げられそうだったのでグッと堪える。腕の力が思わず増して、クルペッコ亜種のクチバシから「グェ」と潰れた声が漏れた。あっと思ったが、彼は何も言わずに翼を羽ばたかせてくれた。

『……そうやってると、普通の人間なんだけど』

クルペッコ亜種が、不意に静かな声で呟いた。背にしがみついたままのは、風の強さにたじろぎながらも恐々と顔を上げる。

『常々不思議だ、君は何故僕たちの言葉が分かるのかな』
「……どうしてでしょうね、私も分からないんですよ」

そよそよ、と赤い羽毛が視界の片隅で揺れている。薄水色の空に映える、鮮烈な真紅。水没林の花より鮮やかな、時に大輪の花と讃えられる彼の身体。けれど鳥の姿と云えどやはり竜、大人一人を軽く背に乗せる辺り頑丈だ。
彼がそう告げるように、もまた思う。若い青年の言葉を聞いても、彼はモンスター――人間の生活を支え、また恐れられる存在である、と。
「そうだな、前もそう聞いた」彼は一言呟いただけだった。

『君が人間なのか、それとも人間みたいな別のものなのか。僕が考える事でもないか』
「気持ちが悪い?」
『さあね……どうだろう。だが不愉快ではないかな、君と話すのは』

珍しく、演技がかって誇張した言葉遣いはなく。ひっそりと、それこそ声音から察する二十歳前後の若い青年の声そのものだった。ただ、それ以上にが驚いたのは、の事を普段から物扱いをしている彼が、そう思っていたという事であった。
何時だったか、彼の野生に生きる獣の本能を垣間見ているにとっては、それは嬉しいような、少し複雑なような、気分にもさせた。

「それは……その、私の声が欲しいから、ですか」
『まあ、少なからずそれはあるだろうけど。僕が君と話しているのは、そもそもそれが目的だ。ただ……』

ヒュウ、と風を切って、クルペッコ亜種の身体が傾く。わっとは声を漏らし、強くクルペッコ亜種の首にしがみつく。

『それとは関係無しに、僕は君と話す事に対し嫌悪はないんだ。おかしな事にね』

クルル、という鳴声の振動が、喉元で震える。の回している腕にも、それが伝わった。
傾いたクルペッコ亜種の身体が、再び平行に戻る。の直ぐ隣で、バサリ、と翼が羽ばたく。次第にこの浮遊感に慣れてきて、は幾らか余裕を持ち顔を上げていられた。
大蛇の河が、何処までも続いている。深い緑の亜熱帯植物の群集も、それに続いている。クルペッコ亜種の見る世界、居る世界。

「そうですか、良かったです」

腹這いに伏せても、風は強く吹きつける。されるがままに自らの髪を泳がせて、は小さく笑う。

『……君は』

クルペッコ亜種は、ごく小さな声で呟いた。ヒュウ、と絶えず鳴る風切り音に、不思議と彼の声はよく通った。

「はい?」
『……君は、どう、なんだ』

躊躇いがちな言葉で、クルペッコ亜種が尋ねた。前に伸びた首の先、顔は見えない。けれど、あの狡猾な鳥竜の眼が下がっているような気がした。
何だか、本当に珍しい事ばかりだ。彼は少なくとも、今までの事情を解した事も、する事も無かったが。今は、間違いなくの心を探っている。
しばし彼女は顔を呆けさせたが、次第に笑みが込み上げてきて。クルペッコ亜種の首元に、顔を押し付ける。

「楽しいですよ、ペッコさんと話すの」

羽毛と鱗の、相反する感触が頬に感じた。それと一緒に、驚いたのかもぞもぞと揺れた震えも伝わった。
そう、そうか。楽しいか。クルペッコ亜種は、しきりにそう反芻していた。ぎこちない躊躇いが、いつの間にか満足げに満たされて、笑みまで含んでいる。

『君はやっぱり、変な人間だ』
「ふふ、そうかもしれませんね。そしたら、ペッコさんも変なモンスターですよ」
『全くもって、その通りだな』

いつもの尊大な態度と演技がかった声が、彼に戻った。くつくつと、互いに笑みを小さくこぼす。

『……気が変わった。少し、このまま飛んでいようか』

長い首が少し曲がり、顔が振り返る。笑みを浮かべた、狡猾な鳥竜そのものな横顔。人とは異なる鋭い眼光も、今は不思議と恐ろしくなく。はしっかりと見つめ、「良いですよ」と頷いた。クルペッコ亜種は、ふっと眼を細め、顔を前へ戻す。
一度、翼が大きく羽ばたく。風を押し出し、深紅の躯が薄水色の空へ上昇する。
途端、の口から悲鳴のようなものがこぼれ、首を抱き込む腕の力が増す。
クルペッコ亜種は、それが面白いのか、わざと急降下したり蛇行したり、上昇しては旋回してみたりと、明らかに不規則な飛行を見せる。……恐らく、確実にわざとであろう。の怖がる様が、よほど気に入ったらしい。背に乗っている彼女にしてみれば、僅かに揺れるだけでも心臓が飛び跳ねるというのに。

「も……ッペ、ペッコさん……!」
『何だい』
「も、もう少しゆっくり飛んで……ッひぇ……ッ?!」

言ったそばから、クルペッコ亜種は急カーブをきって旋回した。
ギュウギュウと強く腕に力を込めても、そこはまがりなりに竜種、呻き声を微かに漏らすだけで苦しさは皆無。

『君を乗せるのは妥協してあげたんだ。飛び方は、僕の自由だろう?』
「な、なにそれ……ッ!」
『今しがた、君も頷いただろう』

もぉー!とが背中で憤慨しても、クルペッコ亜種は堪えた様子もなく、気ままな飛行を続ける。
けれど、よくよく考えれば、空の上で竜とじゃれつくなんておかしな事だと思えて。は、困った顔をしながらも笑みをこぼしてしまった。クスクスと、クルペッコ亜種の首に頬を寄せて息を漏らす。

『……そうだな、そういうのが良いな』

クルペッコ亜種が漏らした声に、は「え?」と顔を上げる。だが、吹き付ける風を顔面に受け直ぐ伏せ、ギュッと目を閉じる。視界は見えない。その代わりに、周囲の音がよく聞こえる。風が通り過ぎる音。そよそよ羽毛が揺れる音。そして、クルペッコ亜種の、笑みを含んだ青年の声。

『怒っていたり、馬鹿みたいに笑っていたり。そっちの間抜けな声の方が、ずっと良いよ』

君は、そっちの方が似合っている。あんな湿っぽい泣き声よりもね。

やけに真剣みを帯びていた言葉であったと、が思い出すのはそれからしばらく経った後。クルペッコ亜種は、自由気ままに急降下急上昇の恐ろしい飛行をしてくれたものだから、終始悲鳴の止まらないに、考える余裕など欠片ほども残っていなかったのである。

結局、愛しの大地に降りたのは、それから数十分も経過してからであった。休憩の為の移動がまさかの拷問となり、ついにはぐったりと潰れたまま動けなくなった。その隣では、クルペッコ亜種が水中の魚をクチバシで捕まえて、丸飲みしていた。
また一緒に飛ぶのも、良いかもしれないね、なんて。呟いて。

……そんな風に無邪気に笑われると、頷かざるを得ないであった。



鳥竜といえど、あのサイズ。大人一人くらいきっと乗せられる。
と、私は信じる。
……飛竜の代名詞の存在は忘れてます(笑)
一番、空中デートに向くビジュアルなのに。よりによってペッコ。良いじゃないか。

2013.04.16