君に恋をした事を、あの時後悔していた

――――― 人が姿を消した、無人の巨大な城塞。
雨風に晒されて泥に汚れた城壁、崩れた塔、錆び付いた城門……かつて極めた栄華の末路は、見る影も無く消え去り、ただ取り残された輪郭には沈黙と異様な気迫が纏わり付いている。
遙か太古の時代より、戦禍の舞台に選ばれ続け、この地で散った幾千幾万の命の情念が、そうさせているのだろうか。無人でありながら、物陰から誰か見ているような、在りもしない錯覚すら抱かせる景色。鈍い灰と紅の空が、城塞の上で広がって、此処がかつて繁栄を極めた王国であったなど誰が信じようか。

滅多な事が無い限り、人が近寄る事も無ければ、招き入れる事のない城門の奥。建物内部へと続く通路が幾つかあるか、どれも真っ暗であり、一層緊張感に満ちている。
だが、無人のはずの其処からは、神経を戦慄かせるほどの音が響いている。


――――― ボキ、バキ


金属質のもの、あるいはより硬い鋼が、容赦なく折られていく音。
耳を歪ませる恐ろしい音色が、崩れかかった壁に反響し、闇を震わせる。
滲むような影の中で、ずるり、と何かが蠢く。
細長い、巨大な体躯。大蛇の肉体を思わせるが、四肢が伸びており、その全身には漆黒の鱗が厚く生え揃う。体躯の細長さに反し、浮き上がっている筋力の筋ははっきりと伺え、鱗すら如何なる剣も弾き返すほどびっしりと覆っており、薄暗さの中であってもその鈍い煌めきが仄かに輝く。

特異な外貌であったが、それを見て誰もが思うだろう。
あれは龍である、と。


――――― バキ、グシャ


太い前足が、上下に揺れる。それに合わせ、金属の何かが破壊される音が絶えず響く。
細長い体躯の先頭、金色の瞳の輝いた顔が、地面を見下ろしている。その先には……。

跡形も無く、破壊された何かが、転がっている。
それに混じり、べっとりと濡れた深紅の肉片が幾らかへばり付いていたが、破壊される以前の原型を保っていたそれを纏う生き物の姿は何処にもない。

破壊されたもの――上質な、それも多額の経費を重ねて造り上げた、屈強な防具。
それを纏っていたはずの、腕の立つハンターの姿は、何処にもない。

全て、肉片残さず、龍の腹に収まっていた。顎からチロリと出た真っ赤な舌が、口の周りの血を拭い取る。砕かれた防具を見下ろす、冷徹な金色の魔眼。其処には、どのモンスターにもない、明らかなる人類に対する敵意がありありと滲んでいた。

何人も近寄る事を拒む、朽ちた城塞の主。
彼に挑んだか、あるいは襲ったか、人の命と営みを切り開く勇士は、主の牙で呆気なくその命を散らした。

だが彼にとって、それは多少目障りで大きな虫を、叩き落とした程度の事であった。視界に映れば目をしかめるのが、生き物だろう。
それは他の生き物にも同じく、縄張りに入った外敵を排除しようと戦うのが本能で、まして攻撃もされれば抵抗しないものはいない。
もっともこの龍が、他のモンスターと一線を引く外貌であるのと等しく、人間を襲う理由はそれだけでない。

もう原型もない血糊つきの鎧を、何度も執拗に踏み潰す。既に粉となっても、何度も、何度も。何度も、何度も。
頭の後ろが、苛立ちでジリジリと焦げる。既に腹の中で息耐えているのに、目の前が霞むようだった。

――――― あの時の、ように。

グル、と唸った龍の表情が、歪む。
薄暗い廃屋の中に、炎の幻想が過ぎる。多くの同胞たちが空から落ち、大地に横たわり、人間が群がる記憶。
その紅蓮の炎を見つめる彼の前に、雌の影が現れる。真っ白のワンピースを着て、プレートの付いた首輪を巻かれた、人間の雌が。

今も彼を苛む、生々しい古の記憶。
あれからどれほど経過しても、消し去れない記憶であり、自身の汚点、浅はかさ。人間の愚かしさ、裏切り。

龍は、一度強く地面を叩くと、崩れ落ち吹き抜けて見える空を仰ぐ。飛竜などと比べものにならない大きな翼を広げると、細長い巨大な四肢を浮き上がらせる。ゆっくりと地面を離れ、鈍色の空の下に四肢を晒すと、城壁の天辺へと降り立ち、自らの城から周囲を見渡した。

随分と昔ではあったと思うが、この城がかつて美しい姿であった時を、龍は知っている。そして美しかった城の末路を、見届けている。落城させたのはこの龍なのだから、当然である。
だが城の悲壮な末路よりも、龍の記憶に今も焼け付いているのは、龍がかつて犯した罪である。



どの生き物にも幼少期があるように、この漆黒の龍にも存在していた。
今よりももっと小さく、アプトノスの成体にも負ける幼い頃。
人と獣が対等に生きていた時代に、龍は生まれた。両親である龍は子どもがある程度成長した後に巣を離れ、子どももごく自然に巣立ちをする。
完全な成体に成長するまで途方もなく長い歳月を要するが、その中でも龍は未発達の状態であった。誤って別モンスターの縄張りに入り、こっぴどく返り討ちに遭い、小さな身体はボロボロに痛めつけられた。
空を飛ぶ事もままならず、仕方なく彼は地面に降りたって身を隠せる場所を探した。だがまた、運が悪かった事に落ちた場所は、自然の中では見なかった大きな建造物の側。鼻の奥を突き刺す、きつい化学品の臭いに、龍は幼いながらに覚悟した。此処で死ぬか、と。

すう、と金色の目を細めて、ゆるりと閉じた時。

「――――― 怪我してるの? 貴方」

建物の物陰で、小さな子どもがいた。
龍とは違う、二本の足で立ち、小柄な龍よりも何倍も小さな背丈だった。真っ白な肌をし、真っ白な服を着て、龍の視界が白く満たされていく。
龍の言葉を使い、話しかけてきたこの少女が、龍の一生で最初に出会った《人間》であった。

龍は傷が癒える間、近くの洞穴に隠れていたが、少女は毎日足を運んでは長いこと話をしてくれた。この辺りは、人間という種族の研究所の敷地内で、少女は其処で生まれた事を。

「どうして、言葉がわかるの?」

龍が何度も尋ねると、彼女は決まって寂しそうにして、首を横に振った。

「わからないの」

……嘘だ、彼女は本当は知っている。けれど、言わないのだ。
彼女の細い首には、いつも何かの文字を刻んだプレートが首輪に結わえられて巻かれている事も。
龍はむすっとしたが、少女が側について話をしてくれるのでそれも直ぐに気にならなくなる。

そして龍が気がかりだったのは、少女の近くには必ず別の人間の気配がしていた事だ。彼らの視界にその姿は確認出来ないけれど、龍の自然の中で培ってきた危機感知能力でははっきりと捉えている。少女を監視しているのか、龍を監視をしているのか、それともどちらもか……気になってはいたが、人間が何かしてくる様子もないので、そのままにしていた。

「龍さん、いつかいなくなるの?」

ある時、少女はこう尋ねてきた。あまりにも寂しそうにしていたので、龍もつい同じように気落ちしてしまう。この頃には、龍はすっかり彼女に対し警戒心もなくなり、人間に対し気が緩んでいた。

「わたし、ともだちいないの。いつもひとりだから」
「いつも……?」
「みんな、いなくなっちゃった。こないだは、仲良かった子も、いなくなっちゃった」

足を抱えて、三角座りにうずくまる。

「龍さんがどこかに帰らなきゃいけないなら、しょうがないけど。さみしいなあ」

そう呟いた少女に、龍の心が動いた瞬間であった。
彼は長い身体を寄せると、くるりと少女を巻き込むように包み、顔を寄せる。

「いなくならないよ」
「ほんとう?」
「ほんとう」

……思えばこの時、早々に飛び立っていれば、あのような事態にもならなかったのだろう。

「――――― ずっと、一緒にいるよ」

笑った少女は、あまりにも無垢で。美しくて。

幼いとはいえ、自らが犯した罪。
龍は、人間の小さな少女に、恋をした。


それから龍と少女の邂逅は続いた。数年と経過し、気づけば少女は無垢な少女から女性に成長していた。相変わらず白い肌で、白いワンピースであったが、背丈も伸びて全体的にしなやかに、けれど輪郭は丸みを帯びてきた。
この頃には龍も、アプトノス程度のサイズから飛竜種より少し小さいほどのサイズにまで成長し、一層体格差は歴然となった。そして思考も龍特有の知能の高さで多くを学び、既に彼は彼女がどういう存在なのか知っていた。
それでも言わなかったのは、数年前の子どもじみた約束が今も続いており、それが途切れるのではないかと危惧したからだ。少女に抱いた愛着しは恋心となり、そしてその幼い恋心は十分に成龍である身体になった龍を蝕むようになっても、なお。

あの時から続く、いつも同じ、龍が隠れる洞穴に身体を寄せて、何をするわけでもなく語り合う。
甘い匂いのする彼女の細い首には、首輪が煌めく。暖かくもなく冷たくもない龍の体躯に、彼女の温もりが伝わってくる。舌を咬んで痛みに気を紛らわせるほど、それはあまりにも蠱惑的であった。

「……龍さん、私ね」

舌っ足らずな幼い声が、今や伸びやかな美しい声に変わっている。

「人間じゃ、ないのよ」

ぴくり、と龍は顔を揺らす。だが、そう驚くほどの事でもなかった。
常に纏う、人工的な薬品の臭い。首輪のプレート。何年も監視し続ける、人間たちの気配。
龍は知っていた、彼女が人間ではなく、人工的に生み出されたものである事を。

「……人間は、命を生み出す技術を手に入れた。私はその傍らで、秘密裏に造られた」

彼女の目が、龍を見つめる。

「貴方たち、獣と言葉を交わす為に」

全部、小さい時にカルテを呼んで分かっていた。
彼女は言うや、身体を丸めた。伏せた瞳のまなじりが、微かに濡れている。

「……俺たちと言葉を交わす、か。ふ、面白い事を考えるな、人間は」
「……ずっと、外に監視している人がいるでしょう? 私の成長記録と、能力の有無と変化を、見てるの」
「なるほど、道理で何もしてこないわけだ」

彼女は、驚いたように顔を上げた。「知っていたの?」
その素っ頓狂な表情に、龍は声を笑わせる。「当たり前だ、お前が人間ではない事も、薄々気づいていた」
彼女は、再び顔を下げ、まるで罰を待つ子どものように身構えていた。
それが可笑しくて、龍はあえて言った。「人間でなくとも、俺が近くにいる事は変わらない」
彼女の身体が飛び跳ね、息を飲む。

「……本当に?」

ぞく、と龍の身体が震える。成人した事で増した美しさに重なる、期待に満ちる濡れた目。
龍の姿でもなく、まして屈強な身体でもない、脆弱で弱い人間の似姿をした、人工生物。
その女が、かつて見てきた同じ龍たちよりも、ずっと魅惑的に映った。

女に会っていなければ。
あるいは、野で生きていれば。
言葉を選ぶ余裕も、種族違いの現実も、龍は忘れる事は無かったのだろう。
鋭い牙の生え揃う口が、薄く開く。チロリ、と伸びた赤い舌が、彼女の頬を掠めて、首筋を下る。
口にしてはならない禁句の言葉であると、理性が伝えるが。
獣の本能が、それを阻む。

「……ずっと、お前の側にいよう」

幼い頃にもした、小さな約束。
それが今、成長し甘やかな秘め事に変わる。
彼女に巻き付かせた尾を引き、湿った地面に横たえる。ゆるりと解いて、長い四肢を彼女の上にのし掛からせる。
彼女は、拒む事は無かった。赤らめた頬には笑みが浮かんでいて、龍の顔に両腕を伸ばす。

「造られた存在だと知った時、もう最初から諦めてた……。こんな存在が、生きていけるわけがないって」

居なくなっていった友達、同年代の子たち……人工生物の末路は、ああやってきっと知らぬ内に消えていく事なのだと。

「良かった……ちゃんと、一緒に居られる」

告げた彼女の瞳の、眼差しの真っ直ぐな事。
龍は疑う事無くそれを受け止め、静かに身体を重ね合わせた。

あらゆる感情を、彼女に教えて貰ってきた。そして今も、また一つ学ぶ。
薄暗い洞穴で重なった、人の肉体と、龍の肉体。正しいまぐわいであったかどうかなど問題ではないほど、一頭と一人の間には種族を越えた想いが芽生えていた。



――――― 夢を見た。
彼女とずっと生きて、いつか彼女の最期を看取るまで、共に並ぶ事を。
疑う事など、無かった。

……あの光景を、見るまでは。



彼女の、泣き叫ぶ声が聞こえた。
龍が外を出ると、いつも片隅に見えていた建造物から、激しい言い争う音が聞こえた。その中に彼女の声が聞こえて、龍は直ぐに飛び出した。
その時に見た、外の異常な景色に、龍は声を失った。
空が、赤く焼け焦げていた。遠くではあったが、火の気配と言いようのない危険な臭いが、龍を震わせた。
彼女の泣き叫ぶ声を追いかけるように、彼は飛び立った。空高くに舞い上がり、見下ろした世界は赤く染まっていた。
轟音と断末魔の叫びが響きわたる空から、竜や鳥が落ちていく。へし折られた大木が、焦げる大地に横たわり火花を激しく弾かせる。

その中に、巨大な生き物を見た。いや、生き物ではない。血と、油と、機械と、同胞の臭いを纏う、竜の姿をした人工生物。それが後の世に、人間の罪として語られる《竜機兵》である事を、龍はこの時点では知らない。
ただ理解したのは、あの異様な姿の生き物に、同胞が虐殺されているという事であった。

血生臭さを帯びた熱い大気に目をしかめ、彼女を捜した。そう遠くにはいないだろう、かつてない不安に駆られていた。そうして見つける、白い姿に、龍は躊躇い無く降り立った。
……取り囲んだ炎の外には、武器を持った人間が待ち構えていた事も知らずに。
それに気づいた時、龍は彼女に対し初めて焦燥を抱いた。

「……どういう、事だ」

常人には唸り声にしか聞こえぬ鳴き声も、彼女には言葉として届く。
煤で汚れた彼女は、肩を揺らして泣きながら、「逃げて」と呟いた。

「早く、逃げて……ッお願い、ごめんなさ……ッ」

彼女のか細い声をかき消すように、轟音が鳴り響く。人間たちが手にした大筒から、稲光よりも鮮烈な光が放たれ、龍の堅い翼を打ち破った。
その激痛に、龍はたまらず叫んだ。

「みらぼれあすノ幼体ダ、アイツノ素材ナラバ竜機兵モヨリ多ク作レル」
「捕獲スル準備ヲ!」

人間が、群がってくる。龍を囲み、再びあの武器を構える。
龍は、激痛の中で絶望感に打ちひしがれた。そして二度目の激痛が彼を貫いた時。
絶望感は、激しい怒りへと変わった。

「……ったな……」

ぎろり、と金色の目が冷徹に瞬いた。
完全な成体に比べればずっと小さい龍から、突如として放たれる異様な気迫に、人間たちは動きを止める。

「謀ったな、貴様……!!」

息を吸い込み、激しい咆哮が響きわたった。
うずくまった人間たちの先頭で、彼女だけは耳を塞がずに、龍を見つめていた。

「龍さん……」

……怒り、絶望、それに混じる、彼女へと恋慕。
この瞬間になっても、想いが止まる事は無かった。激しく非難してもなお、その分だけ増す感情が、彼女を求める。

……違う、人工生物ではない。
彼女は、兵器だ。龍をも惑わす、恐ろしい兵器。

それでも、自分は……。

伸ばされた細い腕に、数歩歩み寄る。

「ッ放テ、早ク!!」

頭を振り、立ち上がった人間が、武器を再度構える。その標準は、龍を狙う。だが、その先には、彼女の背中があった。
躊躇いもなく引いた引き金の直後、閃光が弾け、彼女を細い身体を穿つ。
翼を引き裂いた痛みなど、この時彼は感じなかった。胸に丸い空洞を作り、ゆっくりと崩れ落ちた彼女から、炎よりも赤い命が流れ出て広がる光景に。
龍の中で、何かが狂った。


彼の理性ある記憶は、此処から先はない。
その場にいた人間を全て薙ぎ払い、山ほどもある竜機兵を機能停止させるまで攻撃し、怒り狂った彼に同調した同じモンスターたちが人間に牙を剥き。
後の世に竜大戦時代と名付けられる戦いの発端を引き起こした彼にとって、あれは歴史ではなく身をもって学んだ現実であった。

あれから彼は途方もない年月を重ね、立派にも巨大な龍へと成長した。一向に褪せる事のない記憶ばかりが鮮烈になり、彼女の幻想に悩まされながら。
人間が現れるたびに、激しい吐き気と憤りが彼を満たす。
愚かな恋心を抱いた彼女への裏切られた絶望か、人間たちへの復讐か、どちらでもあって、どちらでもないかもしれない。
ただ彼女の声が、匂いが、温もりが、まだ離れない。いつまでも満たされない渇いた喉に、血と臓腑の味はもう慣れてしまったのに。彼女の存在が消えた事だけは、今もずっと慣れる事がない。


夢幻の存在として伝えられる、伝説の龍―――黒龍ミラボレアス。
城塞で響く龍の声を、聞き届けるものなど、今はいない。



そんなミラボレアスの話。
夢主いないもの、夢じゃないねコレ。

無い頭を絞り出して考えた、モンスターの声を聞く兵器について、物語にしてみた。
ら、凄まじいファンタジーになった。後悔はしない。

補足するなら、彼女が連れてかれたのはおそらくミラボレアスと長い事一緒に居た事が外に漏れ、竜機兵製造側に連れてかれた、ってことだと思います。彼女を生み出した研究所側は記録だけを取っていたので。でなければ、何年も一緒に居られない。

ミラボレアスの寿命が、とんでもなく長そうなイメージがあったのですが、竜大戦時代から現在まで生きているとなると、ものすごいお年でございます。
大体管理人は、考えなしです。

ミラボレアスは、唯一モンスターの中で《人類の敵》として定義されているんですよね。そして、ギルドでも重厚な箝口令が敷かれている。
そしてミラ系は、実際には存在しないと言われているお伽噺の存在。
そんなミラボレアス夢って……どシリアスにしかなりそうにない予感が。

( お題借用:ロストブルー 様 )


2012.06.24