屈折する日常

冷たい白銀に覆われた地を力任せに抉り、凍った岩塊を放り投げる。ドゴ、と鈍い音を立て、それを避けきれなかったハンターらに直撃する。小さな身体は易々と宙へ飛び、跳ねるように地面へ落下したが、呻き声を漏らしてかろうじて生きているようであった。無事とは言い難いが、常人ならば即死しているこの攻撃に命を繋ぐことが出来たのは、モンスターの強靱な肉体を用いて作られた防具のおかげである。
しかし、その状態で続行は出来ないと判断したらしく、彼に挑んだハンターたちは雪にまみれた身体を起こし足や腕を庇いながら背を向け、逃げ出す。
それを追いかけて背後から牙を立ててやることなど、彼には容易かった。だが彼は、勝利の咆哮を上げ、逃げ惑う姿を見送った。

凍土の白く凍てついた世界で、鮮明に浮かび上がる橙と青のストライプ模様な肉体。弱さを排他した強靱なあらゆる部分は、彼が凍土に君臨する強者の地位に存在する一柱であることをまざまざと見せつける。

人間の間では、絶対強者と呼ばれ恐れられる、轟竜ティガレックス。

策など必要としない、力のみで戦いに勝利してきた彼は、この日もハンターたちを見事追い払った。もちろん、彼とて無傷ではないが、もともと自ら挑む好戦的な性格なため気になるものではなかった。
再び静寂に包まれた霊山の麓で、彼は息を吐き出す。少し疲れた、ポポと呼ばれているらしいあの美味しい生き物を食べに行こう。彼は移動を始め、一頭の大きなポポを一撃で素早く仕留めると、腹を満たすべくアグリと豪快に噛み付いた。血の滴る新鮮な肉なのだが・・・・・・妙に、足りない。まだ満腹になっていないのかと思って、さらに噛み千切って飲み下す。だが、物足りなさは一向に癒えない。意地になって丸々一頭平らげてみたが、結局変わらなかった。むしろ、無理に腹へ納めた分苦しくなっただけだった。

最近、そういえば何か足りない。ティガレックスは不意に思った。戦っている時は楽しいのだが、それが終わった後高揚感が一瞬で冷めるのだ。プッと吐き出した骨が、コンコンと大地を跳ね、そして一瞬でゆっくり雪を被っていく。

何だろう、全く面白くない。

その場に座り、何となしにぼんやりとしていると、彼の背後で重い足音が響く。ハンターの気配ではないな、と彼はぐっと首を振り向かせる。彼と同じ、ティガレックスが居た。だが、彼の体格とは異なりやや小さく、鱗も年月を重ね堅くなったものではなく、まだ瑞々しいもので、彼よりも年下で、しかも匂いで分かったが雌であった。この凍土には彼だけではなく、他の種族が暮らしているが、雌に遭遇したのは久しぶりかもしれない。他人事のように思っていると、その若い雌が声を掛けてきた。甘えるような、クルクルと喉を鳴らす声。そうしながら、彼に身体を寄せ、背中を見せるように伏せて尻を向ける。真意は、すぐに察した。強い雄を求めるのも雌の本能、子孫を残すのも雄の本能だ。
だが、それも妙に興味がわかない。彼はフイッと顔をそらし、のしのしとさっさと立ち去った。背後で若い雌の非難めいた声が聞こえたが、無視。

「つまらん……」

彼は言うと、普段ねぐらにしている洞窟へと入って行った。


――――― それから、数日経過した頃。
彼のもとに、一人の人間が姿を現した。ハンターのように全身にモンスターの匂いを漂わせているわけでもなく、厚々としたコートとマフラー、手袋をしただけの防御力の無さそうな身なりの、人間の雌。小さく、細く、ティガレックスの前足でも潰せるようなちっぽけな彼女に、彼はバッと飛び起きた。

!」

一瞬で頭に血が昇って、またつい飛びかかってしまった。常日頃、飛びかかるなと言われていたが、思い出した時には彼女――は仰向けに倒れていた。後ろ頭を打ち付けたようで、地味な悶えを見せている。

「わ、悪ぃ……」

いそいそと退くと、彼女は困った表情をしたものの、すぐに笑った。

「別に、大丈夫。久しぶりだね、レックス」

……ハンターから、鈍器で殴りつけられた時のように、目眩がした。頭に昇った血が、グツグツと滾って、ますます落ち着かなかった。
彼の言葉を理解する、珍しい人間。恐れられてきた彼を唯一気遣う人間。そして、交尾の真似事もしてくれた雌。名前などという、彼にとっては知り得なかったものも教えてくれて、彼女に呼ばれることは至福であった。
……と思ったが、不意にが声を荒げる。

「ちょ、ちょっと、その傷……?!」
「え? ああ、これはこないだハンターが来た時にな」

身体の丈夫さには自信があり、大したものではない。彼は自慢げに、その時の話を聞かせてやろうかと思ったが、はあの優しい笑顔を消して、慌てて鞄をひっくり返し始める。そして、あの染みる液体の入った瓶を掴んで、「此処座って」と凄い剣幕で言ってきた。戸惑いながらその場へ四肢を折り伏せた瞬間、容赦なく切り傷に向かって液体を掛けてきた。悲鳴も出ない。
戦いに勝ったのだ。自分はまた強くなったのだ。へとそう言ってみたが、彼女の表情はあまり芳しくない。何故彼女は、喜んでくれないのだろう。戦いのことになると、いつもそうだ。今まで彼が出会って来た雌は、皆強い者を好んでいた。

「なあ、嬉しくないのかよ」
「何が?」
「強い雄は、雌は大体好きだと思ったんだけどよ」

は苦く笑うと、彼の身体を撫でた。小さい手、だが心地よく、ティガレックスの顎からは息が吐き出される。

「そうね、貴方は強いし、戦うのが好きだし。私も、分かっているけど・・・・・・」

は空瓶を鞄へと戻す。

「怪我するのは、心配だもの。私に、出来るのはこれくらいだし」
は、戦いが好きじゃねえのか」

はしばし考えた後、「好きか嫌いかと言えば、好きじゃないかな」と呟いた。ティガレックスの頭上に、岩が落ちてきたようだった。
けれど彼女は、「でも」と付け足す。

「戦い自体を、否定するわけじゃないの。貴方が強いことは凄いことだと思うし、ハンターを何度も追い払うのも凄いことだと思う」
「なら」
「―――― ただ、いつか、貴方がハンターに倒されるのが、心配なのかな」

腰掛けたが、彼に寄りかかる。ふわりと香る、凍土にはない優しい匂いに、彼は目を細める。
心配、心配とは、どのようなことなのだろう。彼女がいつも見せてくれる笑顔を、消し去ってしまうことなのだろうか。
人間は、難しい。彼の考えが、通用しないことが多い。

「俺がハンターに負けたら、アンタは喜ぶか?」
「馬鹿」

は言って、腕に頬を寄せる。

「悲しいに決まってるでしょ、だから心配するの。貴方が倒されてしまう時のことを」

よく、分からない。けれど、にはそういう表情をして欲しくはない、《悲しい》と思って欲しくはない。

「人間は、良く分からねえな」
「ごめんね」
「だが」

ティガレックスは、長い首を回し、顔をへと向けると、ベロリとその頬を撫でる。

「俺は死なないし、絶対負けない」

は驚いた顔をしたけれど、少しだけ頬を赤らめて笑った。
その顔が、やはり良いなと思った。身体を暖かくしてくれる。

……そういえば。

と会うと、物足りなさが埋まる。満たされた気分になる。こないだ会った若い雌にも抱かなかった欲求も、彼女を見ると込み上げる。
彼女に好意を抱いても、決して実ることのないものなのに。

……いつだったか、彼女に我を通し、交尾を求めたのは。
小さくて、いつ潰してしまうか冷や冷やした。だが、それでも想いを許された気がして、夢中になっていた。普段とは違う、彼女の声は、どの雌よりも心地よく甘く響いて、今も彼の脳裏で流れ続けている。本来あるべき形でない交尾であったが、満足したので気にしなかった。
あれからますます、彼女に対するこの恋は募っていったが、が人間とモンスターの種族の違いを気にしているようで、口にすることはなかった。

は、自分のことをどう思っているのだろう。

そう思うと、少しだけ、満ちていた胸が締め付けられる。

「アンタは、俺が近くに居てどう思う?」
「え?」
「怖いか? それとも、内心ではいつ食われるかとか思っているか?」

怖い。食われる。それは、彼がいつも見てきた人間たちの表情より解した、感情だった。
は、クスクスと笑ったまま、小さな顔を彼に寄せてきた。

「最初はね。でも今は、」

視界に映ったは、思考がとろけそうなほどの、暖かい微笑みで輝いていた。

「――――― 楽しくって、しょうがないわ」

コツリ、と触れて重なった額に、ティガレックスは目を細め、閉ざす。

……モンスターと、人間の違い。
ようやくそのことの意味を、少しだけ、分かった気がした。だが、そのようなものを今さら理解しても遅い。

つまるところ、俺はもう、に依存しているのだから。



ティガレックス、徐々に変化していくの巻。


2012.01.03