正しい恋の伝え方

――――― ゴツリ、と押し付けられたティガレックスの口先に、一体どのような反応を返せば良かったのだろう。
ぐぎ、と嫌な音を立てるほど不自然に傾いた頭の横から、容赦なくグイグイと頬を押してくる硬い口先。彼の鱗の感触でもあるが、時折生温い吐息も吹き掛けられ、髪はフードごと飛んでなびく。
あまりにも唐突過ぎて、は呆然とただされるがままであった。凍りついた岩壁の続く洞穴の中を、吹き抜けていく冷えた風の方がよっぽど穏やかに思えたほどである。

人間と獣の価値観の相違より、この若雄の轟竜ティガレックス――プロの狩猟者までも恐れ慄く《絶対強者》と名高い肉食獣が、これまでの思惑を大いに飛び越えた事をしてきたのは言うまでもないが、果たして今回のこれもまた獣なりの習性なのだろうか。だがしかし、頬を陥没させるぐらいにゴリゴリ口先を擦れさせ ( もちろんこれは彼が最大限の手加減をしての事であるが ) 、何の行動なのか心底疑問である。

一体、なんぞや。これは。

ゴツ、ゴツ、と小突かれる振動に合わせ、の頭も揺れる。何度目かになる問い掛けが浮かんだ時、ようやくの口からそれが声となって漏れた。

「……あの、レックス。これ、何?」

ティガレックス、と呼ぶとどうにも長い為、便宜上は彼をそう呼ぶ事にしている。吐き出された息は、白く上って、獰猛なストライプ模様の竜の鱗を掠める。
の声もその時相当に困惑していたが、それと同等にティガレックスも驚いたように飛び跳ねた。岩窟内のせいか、反響した彼の身動いだ振動と低い鳴声が、冷たい大気を奮わせた。え、何でレックスが驚くの?
ゴリゴリ擦ってきたティガレックスの口先が、その拍子に離れる。の頬から、痛いほどの圧力が消え去りようやく解放された。厚手の手袋で自らの頬を撫でながら、青と橙のストライプ模様になっている、強靭な竜を見やる。凍りついた世界に浮かび上がった体躯は、いかにも凶暴な容姿に違わず、あらゆる面において弱さを排他して屈強だ。空ではなく地上を選んだ事で、翼の機能をやや弱らせたものの、余りある発達を見せた前足は太く、爪も鋭利で岩盤すら容易に削れる。も何度も見てきたが、ティガレックスは巨体に見合わず俊敏な突進を繰り出すほどなのだから、その前足の力は言わずもがな。が、今は青い瞳を素っ頓狂に真ん丸に見開き、の隣で動きを止めている。ちょっと、可愛かった。慣れてきたからこその、感想だが。
一般人が見れば、悲鳴を上げる前に失神する。そんな、とんでもない顔つきである。

「何って……嬉しくないのか?」

猛烈に痛かっただけだが。
という辛辣な返答は胸の中だけにし、何故あれが喜びに繋がるのかと尋ねる。ティガレックスは、「えェェェ」と口を半開きにし、一層目を見開かせる。その瞬間、ガパリと開いた口の中で鋭く生え揃った牙が覗いた。

「これって、人間にとっては嬉しい事なんじゃないのか?」
「はい?」
「いや、だってよ、こないだ―――――」

ぽかんと呆けたの隣で、ティガレックスは奇行の由縁を語り出した。それはどうやら、数週間前に遡るらしい。

ティガレックスという種族は、もともと寒冷地帯に適正するような動物ではなく、もっぱら砂漠などの乾燥地帯で暮らしている。が、この種族は非常に好戦的かつ食欲旺盛、他種族の縄張りにも平気で侵略しては腹を満たす。に恋したこのティガレックスも同じで、元々はこの凍土ではなく砂原に居たが、ポポという大変美味な肉の味を覚えてしまった為に頻繁に出没するのだ。もっとも、砂原の冷温の差に慣れているとはいえ、長期滞在するほどその肉体の造りが適していないので、移動はしている。だが彼の単純な頭では、に会えるのは凍土という覚え方をしてしまっているので、寒さを我慢し無理をしてでも足を運んでいたりする。
顔に似合わず、異性に対して実に情熱的かつ純粋な性格の若雄であった。
さて、そんな彼がしばし砂原へ向かい、凍土へと戻って来た時、広大な凍てついた地を見て回りながらあの美味しいポポを探していたのだが。
その時は、運が良いのか悪いのか、別目的で足を運んでいたハンターが居た。彼の獣の目で見ても、それが今まで何度も戦ってきた人間たちと同種である事はすぐに理解し、小高い雪山の上から窺っていた。巨大かつ色鮮やかな体躯を低く伏せ、呼吸も静かに落ち着かせる。
数は、二つ。恐らく一方が男で、もう一方が女だろう。双方共に、物々しい防具に身を包み、背負っている武器は物騒極まりない。

だがこの時、ティガレックスが思っていた事と言えば。

……の方が、断然可愛い。
ごつくないし、優しいし、良い匂いするし、交尾 ( 真似だけど ) もしてくれたし。

などと、他者が聞けば「どうでもいいわ」と苛立つ事請け合いなものばかりだった。
ちょうど、雪山から雪が舞い降りている事もあって、ティガレックスの存在は静寂が掻き消し、上手いこと姿も眩ませてくれた。二人のハンターが気付く事は無かったが、彼らの様子が変わってきたのはそれからだった。

( ……ん? )

男が、妙にそわそわとし始め、女をしきりに横目で見ている。
グル、とティガレックスは首を傾げる。と接する内に、人間の仕草などの意を二割程度は知ったが、はたしてあれはどうしたのか。
直ぐ側の、小高い雪山の上にティガレックスが潜んでいるのも気付かず、男は不意に女の腕を取った。女は驚いたように目を見開いて、男を見ている。口が動いている事から、何か話をしているのだろう。ティガレックスにもその声は《音》として聞こえたが、如何せん言葉など分かるはずもない。男の口が賢明に何かを告げて、女を見つめている。女は、被り物から覗いている表情を狼狽えさせて、しきりに視線を泳がせていたが、男の手がグイッと力を込めて引き寄せる。ガシャ、と女の防具が音を立てバランスを崩したが、それを男が両腕で抱きしめて支える。
ティガレックスは、何度も首を傾げて様子を見ていた。何がしたいのだろう、あの人間は。ああやって支えなければ立って居られないような種族なのだろうか。
しかしそこで、ティガレックスの眼下で、恐らく初めて見るであろう光景が広がった。
男の顔が、女の顔に近寄る。頭に被っていたものを押し上げてずらすと、女の頬に口を押しつけた。しばらくそうしてから、また何かを言い、今度は女の口に押しつける。

……はて、あれは何の行為だろう。雌が子に肉を分け与えるのと近しいが、少し違う。

女は最初、戸惑っているのか逃げだそうとしているのか、腕をあてがって抜け出そうと暴れていたが、次第にその抵抗の意が薄れ、自ら身体を寄せて男の口を吸っている。

……何だ、あれは。

意味が分からないティガレックスであったが、ふと、女を見ると顔を真っ赤にして笑っている、ように見えた。
そこでティガレックスは、ピンッと閃いた。あれは人間同士の、一種のコミュニケーションではないのだろうか。しかもあの様子を見る限り、悪い意味ではなく、女にとって喜ばしい行為なのだろう。人間に対する疑問が、彼の勝手な解釈で消えた時、彼の思考を埋め尽くしたのは今までもそうであったようにの存在であった。

……という事は、あれをすれば彼女も喜ぶという事か!

ティガレックスは、俺天才とばかりに頭の上の電球を輝かせた。
そして、眼下で見ていた女が、急にの姿にすり替わる。出会った当初から恋をしてしまって、しかもその想いが一向に別の雌へ向かないある意味純粋なる心を持っているのだから、どうなるかと言えば当然。

「ッッ早く来い、ーーーーーーー!!!」

―――――こうなるので、ある。

ギャオオオオ、と凍てついた地と寒空へ響きわたる、轟竜の全身からの咆哮。( ※実際の音声は、プレイ画面でお楽しみ下さい Part.2 )
飽きることなく互いに口を吸い合っていた、二人のハンターは、その時ようやく付近に絶対強者のティガレックスが居る事に気付いたのだが、慌てて離れ周囲を窺ってもその存在は見受けられなかった。
それもそのはずで、ティガレックスは咆哮を放った後に居てもたってもいられず、また凍土を徘徊しに行ったのだから。
お得意の、フルパワー除雪機ばりに雪を吹っ飛ばす、あの突進で。
迷惑を被ったのは、草を啄んでいたガウシカであったが、そんな事ぁお構いなしなのがこのティガレックスである。



「……」

さて、話を聞いたはまず何処から突っ込めば良いものかと、頭を抱えた。
いや、まずはこれだ。これを言わねばならない。

ハンターの風紀は、一体どうなっているのですか。ギルドマスター。 ( 会った事無いけど )

だって、セルギスや影丸などから常日頃口酸っぱく「自然は驚異だ、モンスターがいつ何時現れるか分からない」と言われ続けているのに。
そのハンターは、モンスターうろつくしかも永久凍土でキスしてるとは、これいかに。危険だからこそ燃える何とかだろうか、だが場所をもっと考慮すべきであると思う。
が、既にその脅威の権化たるティガレックスを目の前にしているので、説得力に欠けるが。
頭を抱えたの前で、ティガレックスがちょこんと座って、「違うのか?」と首を傾げている。
……あながち、間違ってはいないのだけれど。

「……うん、多少は、当たってる」
「多少? 嬉しくないのか、は」

ティガレックスが、目から鱗、みたいな表情になる。

「えっと、そのハンター二人がしていたのは、キスっていう行為なんだけど」
「き、す……?」

ティガレックスは、舌っ足らずな子どものように、たどたどしく反芻する。は頷くと、彼の微妙に間違った思考を正すように、説明を始めた。

「人間たちの、好意を示す行動よ。挨拶でもあるんだけど、私の暮らしていたところだと、特に雄と雌がするの。レックスが見たハンターのようにね」
「??」
「まあ、つまり、簡単に言ってしまえば『貴方が好きです』っていう事よね。だから、まあ、レックスの考えでそう間違ってないよ」

人間の行動を、まるで他人のように説明するのは少しばかり気恥ずかしくもあったが、彼には分からないだろうな。は思い、ほんの少しだけ苦笑いをする。
……案の定、目の前のティガレックスは、きょとりとしたまま動かない。
と思ったのも束の間、彼は急に目を見開く。薄い青の竜眼に突如として意志が宿り、を見下ろす。首を下げてその獰猛な顔を近寄せる仕草と来たら、最初の頃のように喰われるのではないかと恐々とさせるものを匂わしている。
「レックス……?」ただ小さく呟くと、ティガレックスの顎の端から白い吐息が漏れ、ぐうっと身体を寄せる。そして、不器用げに顔を突き出すと、無防備だったの唇にティガレックスの口先が重なった。
が、思わず目を剥いたのは、言うまでもない。
口先、というか下手したら鼻先かもしれないが、力加減を恐る恐ると計りながらも、迷わずに強靱な顎を差し出して触れさせる行為。それは当然、本能にあるべきものではない事を、は察しており、だからこそ真摯に驚いていた。

人に恐れられ、同じモンスターにも恐れられた、絶対強者……轟竜。
食物連鎖の頂点の分類に属される彼が、一介の人間……しかも何の力も持たぬたかだか道具屋のアルバイトの女の為に。
惰弱さを排他した強靱な肉体を、かしずかせるように伏せ。
ちっぽけな生き物へ頭を垂れ、視線を合わせ。
どんなものも容易に引き裂くアギトを、熱心に差し出している。

この光景を、知り合いが見たらどう思うだろう。研究者やギルド関係者が見たら、どう思うだろう。

何の変哲もなく、ただ重ねられた口先からは、堅く冷たい感触ばかりを感じる。息遣いも容赦なくぶつけられ、雰囲気も何もあったものじゃあないのに。
凶暴な獣の性を持つ彼が、の言葉に習って《口付け》の真似事をした事実。冷たい雪の結晶の向こうで、ティガレックスの目が熱くを見つめていた。
ゴツ、ゴツ、とやはり頭が後ろへ傾くくらいに突かれたが、今はそれが気にならない。むしろ、強くされる分だけ、ティガレックスが如何なる心をもってそうしているのか告げられている気がの背が震えた。

「……じゃあやっぱり、その、き、きす……?とやらは、やって正解だな」

乱暴な男性の声が、普段にない穏やかさを増しての耳を撫でた。もちろんそれは、にのみ聞こえる言葉であり、他者が聞けば唸り声程度だろう。

「俺は、アンタの喜ぶ事も、喜んでくれる事も、何も分からねえ。人間のやる事なんざ、もっと分からねえけど」

ゴツ、ゴツ。
ティガレックスは言いながら、の唇をつつく。

「――――― 俺がアンタに伝えられるとしたら、人間のやり方しかねえんだ」

少し楽しそうな笑みを含んだ声だった。だがそれが冗談ではない事を、普段からも知っている。がどれだけ言っても、彼はその抱くべきでない感情を捨てる事はなかった、他の素敵な雌のもとへ向かう素振りもなかった、何度言っても考えを変える事はなかった。
今この時も、彼は自然の生活の中であるはずのない行動を、取っている。

「レックス……」

が彼に抱いているのは、恋愛ではない。犬や猫などに対する、愛玩意識と同じだ。
それでも彼は、改める事はない。彼自身が、恐らく既に分かっている事なのに。
……人間ではないから、なのだろうか。
愚かで、獣らしくない行動だ。
だがそれを言えば、はもっと愚かで、もっと人間らしくない行動を取っている。

「馬鹿ね、こんな小さな人間の雌に」

言いながらも、ティガレックスが懐いてくれている事が、やはり嬉しいのだ。
は、ちょっとした意趣返しをしてやりたいような気持ちが胸に込み上げてきて、くすりと微笑む。鞄を雪の積もった冷たい地面に起き、両腕を上げる。人間の流儀を真似て熱心に口付けてくるティガレックスの大きな顔を、目一杯抱きしめて撫でる。
途端に、ティガレックスの動きが凍り付いたように動かなくなり、狼狽えている様子が明らかに見受けられた。
が彼に抱く感情は、決して彼がに抱く感情と同じではない。だが、少なくともこの感情はティガレックスを想うものに変わりはしない。

いつかちゃんと、素敵な女の子のところへ行くのよ。
それまでは、ずっと来てあげるから。

は瞳を細め、微かに赤い血管が浮かび上がってきた表皮を見つめる。薄い青の瞳が、滲むように赤みを帯びていく。あまりの分かりやすさに微笑みをこぼすと、こつりと額を鼻先に押し当てる。びくり、とティガレックスの巨体が情けなく震え、喉の奥から奇妙な低い唸り声が漏れる。

「……ありがとうね」

は呟き、額を離す。代わりに、その唇を彼の口先に音を甘く立てて重ねた。やはり冷たくて、何の変哲もない無造作なキスだったが。

途端に、ティガレックスの身体がボンッと真っ赤な血管を浮き上がらせて瞳を同じ色に染め上げると。
鈍器で殴られたようにフラフラと左右に揺れだし、次の瞬間にはドオッと横倒れになって冷たい地面の上で目を回していた。

「ちょ、ちょっと、レックスー? ねえー?」

声をかけてみるが、反応なし。目は開けているが、意識が彼方に飛んで行っているようで、頭上で星が回っている状態である。ハー、ハー、と吐き出す息だけが激しく、冷たい大気を白く霞ませている。
あの、轟竜が、キス一つで目眩を起こすとは。
は思わず吹き出して、しばらくクスクスとしゃがんで笑っていた。

そんな彼女が、やっぱりどんな雌よりも可愛くて魅力的だと、ティガレックスは思っていたけれど。
人間のキスとやらはよく分からないが、目眩を引き起こすほどの破壊力があるのか。身を持ってそう学び、同時に今なら死んでも良いと惚けていた。

人間の雌と、轟竜の若雄。
彼らの微妙に噛み合わない親交は、今後も白銀の世界で続くらしい。



ティガレックス、一途であったの巻。
いよいよ私がこのティガレックスに求め始めたものが迷走しだした。

こんな轟竜なら怖くないが、こんな轟竜であっても良いのか疑問。


2012.05.24