其処から見上げる青は

 ――――道が無い。
 は半眼で目の前を見上げた。その先には、これ見よがしに立ち塞がる、巨大な岩の塊。二、三メートルはあろう立派な大きさのそれが、何とも云えぬ不自然さと存在感を放ち、鎮座している。奥深くの地底にまで続く、地上とは一風変わった洞窟に、冷えた風が嫌な虚しさと一緒に過ぎ去ってゆく。
 物申したくなりながらも黙っていると、足元にちょこんと佇むジャギィネコ装備一式を身に着けたカルトが、同じように半眼になり呟いた。

「道が無いニャ」
「……そうね、道が無いわ」

 何度見ても、道は無い。けれど此処には、確かに道が存在していた。は溜め息をつきつつ、背負った鞄の外ポケットに突っ込んでいた地図を掴み広げる。ほらやっぱり、大岩の後ろには通って来た道がある。他の道も念の為探してみるが、どれも同じように大岩で塞がれ、とカルトの目はさらに細くなる。けれど、慌てふためく事はなかった。
 此処に来て、一体何度目か。あまりにもわざとらしすぎて、逆に可愛くもあるが、毎回毎回よくやってくれると思わずにいられない。まめなのか、それとも……。

、ほら、あっちの道は通れるニャ」

 カルトが示した道は、確かに大岩で塞がれてはいないが……どう見ても下り坂、さらに地底深くへと導いている。地上へ戻ろうかという話をしていたのに、これでは目的とは真逆だ。
 これがある意味、大岩の狙いなのだけれど……。は思ったが、こうして立ち往生していても仕方ないので、鞄を背負い直し地底へ向かって進んだ。
 その先も予想の通りに、要らない道は全部大岩で塞いで、地底へ続く道ばかりが開いている。これ見よがしの、不自然な風景。そうしてぜーはー言いながら、カルトにやる気ない応援を受けて辿り着いた場所は、地底洞窟のギルド公式地図における最深部である。周囲を岩壁と岩盤に取り囲まれながら、地下水が湧き出し流れる広大な空間が広がっている。地上にはない、自然の造り出した摩訶不思議な地底の光景は、神秘の一言がよく当てはまるものの。今は素直に感心している時ではない。
 景色はそこそこに、はぐるりと辺りを見渡す。そうして目に留まる、全体的に薄暗い地底風景には鮮やかな、真紅のごつごつした塊。とカルトは、トコトコとそれへ近付いた。
 一メートルもない場所で足を止め、その塊を見る。溜まった地下水の中に手足と腹を埋めて眠りこける……フリをしている、ごつごつした甲殻で覆われた丸い巨体に、は大きく溜め息をついてみせた。

「……もう、来るたびに岩で道塞ぐの、止めてくれないかな」

 そう告げると、真紅の塊は跳びはねるように巨体を揺らし動いた。もぞもぞと振り返る真紅のそれは、腹ばいにべったり伏せ、特徴的な巨大な牙といかにも頑丈そうな顎を少し持ち上げる。その牙の向こうで、厳つい顔と鮮やかな水色の瞳がを見た。

『……別に、俺じゃない』
「だっていつも貴方がしてるじゃない」
『今日は俺じゃない』
「今日はって……認めてるし。来て欲しいなら言えば良いだけなのに……わざわざ、退路を塞ぐみたいな事して」

 人間の間では、通称で【鬼蛙】なんて呼ばれている、目の前の巨大な生き物。それに全く恥じない獰猛そうな外見をしておきながら、拗ねてそっぽを向き始める仕草に妙な子どもっぽさがある。

「はあ、ともかく帰るね。さよなら」

 わざとらしくそう言い放てば、途端に彼は反応して身体を起こした。そうして、何か言いたそうにそのおっかなさ鬼の如くといった顔でしばしを見下ろした後、バッシャンと水を跳ねさせ横へひっくり返り、ジタバタし始める。硬い岩盤をもほじくる四本の短い手足で、駄々をこねる姿もは何度となく見ているが……何だかんだ憎めないから、結局苦笑いを浮かべて「冗談よ」と告げるのだ。
 彼は途端に駄々をこねるのを止めたが、カルトが「毎回同じ事して馬鹿じゃニャいか」と嘆息混じりに呟くのは許せないようで。言葉通じなくとも理解したのか、ギラリと眼を光らせ怒りを露わにする。そのご自慢の頑丈な牙と顎で大岩を掘り起こし持ち上げるや、カルトの眼前で思いきり力任せに噛み砕いた。ゴパァン、と盛大な音を立てて弾け飛んだ大岩の衝撃と轟音に、カルトが全身の毛を震わせ失神するのも恒例となったやり取りであった。

 多種多様に自然界で暮らす、モンスターと呼ばれる生き物たち。その中で両生種という項目に分類されている彼は――――【鬼蛙】と呼ばれる、テツカブラである。
 の知っている蛙とはかなりかけ離れた、小型の鳥竜種くらいなら一口に丸呑みする屈強で肉食な蛙様であるが、短い手足には前者に通じるものがあり、鈍重そうな印象を与える体躯でありながら大地を猛スピードで走り抜け、崖の上まで健脚でひとっ飛び。鬼と呼ばれるだけある威圧感滲むこの顔と、天井へ向かって突き出た立派な牙が迫る光景は、想像した通りに迫力があるだろう。実際も、それを身をもって味わう羽目になった事があるが。
 そんなテツカブラが、が地底洞窟へやって来るたび何処から見ていたのか、通過ルートへことごとく大岩を置いて道を通せんぼするようになったのは、少し前の事だ。どうやら彼はを地上へ帰したくないようで、彼の頭で考えた結果が【道を塞いでしまう】という行為であったらしいのだが……口で言えばそんなまだるっこしい真似しなくて良いと常々思う。何度言ってもやってくる辺り、やはり蛙なのだろうか。

 どっこいせ、とばかりには手頃な段差に腰かける。なんだかんだ、上下の運動は一般人にとっては苦行で、既に足は疲れ切っている。
 新天地へやって来てから、明らかに狂喜乱舞しているハンター――――セルギス、影丸、レイリンたちについては、ハッスルしまくりアスレチックでも楽しんでるかのような動きっぷり。果ては洞窟天井からぶら下がる石柱にまで昇っていって飛び移ったりと、はもう見ていてヒヤヒヤするどころか唖然としたものだ。何だろう、ハンターって奴は本当に分からない。
 到底彼らの境地になれないは、移動のたびに倍の時間を休憩に当てている始末だ。それでもなお来ようとするのは、多少なり、このテツカブラの存在も……無きにしも非ず。
 採集した草花と特選キノコの入る鞄を隣に置くの後ろでは、復活したカルトが虫を追いかけまわしている。あの子は何処に居ても元気だなー、と遠い目で見守りながら竹で作られた水筒を取り出し、蓋を開ける。
 音を立てて飲み込むの隣に、テツカブラがのそりと並んで座った。前足を立て上体を持ち上げると、元々の大きさもあって赤い壁のようでもあった。ゴツゴツとした、硬い表皮。立派な顎と牙は、蛙でありながら、凶暴な肉食性を表わす。けれど、普段はメイスのような尻尾は、今棘が引っ込み白く柔らかい。彼の気が抜けている証拠を、視界の片隅で見た。

『すぐ疲れるくせに、よく此処まで来る気になるな』
「そうね、大変……カルトなんかは全然疲れないみたいだけど」
『……人間ってのは、変な生き物だな』

 野で生きる彼らには、人間はよほど変な存在なのだろうか。そんな風に言われてしまうのも毎回なので、は笑い「来たら迷惑?」と尋ねてみる。彼は変な鳴き声を漏らしながら「別にそうは、言ってないだろ」と小さな声音でモゴモゴ呟く。そうでしょうね、毎回道塞いで自分のところへ来させようとしているのだから。
 グルル、と重厚な鳴き声がくぐもって響く。は少しだけ笑い、水筒を再び傾ける。

『……お前からは、いつも色んな匂いがする。俺は、この場所以外を知らない』

 唇に飲み口が触れる直前で、止まった。は水筒を下ろし、横へと顔を向ける。
 鬼と称された厳つい顔は、正面を見ている。地底の深くでは見る事のない、鮮やかな水色を宿す鋭い眼。

「カブラは、他の場所が気になるの?」

 何となくの、問いかけである。テツカブラは、特に感情のない、先ほどと同じ声でへ返した。「別に、気になるわけじゃあない」告げた声は確かに、気にした風もなかった。

『此処が、俺の縄張りで、生きていく場所だ。此処以外の場所へ行くなんて、考えすらねえよ』
「そっか」
『……ただ』

 テツカブラが、身動ぎする。ズズ、と地面が擦れた音が、重く響いた。

『お前が普段過ごす場所を、俺はずっと知る事はないんだろうな、とは思ってる』

 それがどういった意図を含んでいるのか、には分からなかった。だが、その時見下ろしたテツカブラのあの水色の眼に、此処には在るはずのない空を思い出した。
 太陽が昇る、真昼の空。清々しい風が吹く蒼天と、地底に広がる洞窟と、どちらが広いのか。或いは、その空の色と、洞窟で生きるこの蛙の眼の色と、どちらが鮮やかなのか。

 ……なんて。空を知らない彼には、意味も分からないだろうし、きっと空という存在そのものを理解出来ない。
 それが、彼の知らない世界だ。
 それで、良いのだろうけれど。

「この場所も、私にとっては全然知らない場所だよ」

 テツカブラは、そうかよ、と呟く。も、そうだよ、と呟いた。

「ねえ、わざわざ道塞がなくたって、他の場所の話くらいするのに」
『……別に、それに興味があるわけじゃ、ねえけど……』

 テツカブラの身動ぎが、多くなった。ギュルギュルと変な鳴き声まで漏らし始め、鋭い眼が妙に泳いでいるように見える。はて、と首を傾げると、不意にその丸い巨体がへ近付いた。ついでにあの立派な牙までズイッと距離を埋めたので、意図せず悲鳴が小さく上がる。が、その牙が突き刺さるような事態にはならず、ただ赤い甲殻を纏うその身体が、の側面へピタリと触れただけであった。
 乾いている、という肌触りではないが、ざらついて凹凸のある表皮。いかにも硬く頑丈そうな赤いそれが、真横からを押してくる。気持ち悪いとは特に思わないものの、自分より大きな、それも大層怖い外見の生き物にされると身体は固まってしまう。グルグル、グルグル、聞こえる鳴き声は動物の喉の音に近い。

『俺は、ただ……いや、何でもねえ』
「ええっ? 気になるから言ってよ」
『い、言わねえよ馬鹿』

 馬鹿呼ばわりされた。
 けれど、顔は正面を向いたまま身体は相変わらずべったりと押しつけてくる。
 よく分からない子だ、とは首を捻るも、その体勢のままで座り続ける。人間でも動物でも、懐かれて眉を顰めるものは少ないだろう。がテツカブラに抱く感情は、そういった愛着と同じだった。それが本来あってはならない事は、彼女が毎日首に下げて肌身離さず大切にしている、【あの子】の牙の飾りから学んでいるが……。グルグル鳴いてくっ付いてくるこの鬼蛙を、は押し退けられなかった。ただ救いは、彼が「外に出たい」などと口にする事が無いところだ。

「カブラ――――」


「キラービートル捕ったりィィィィ!!」


 元気よく割り込み、空気を引き裂いたのは。
 元気よく虫を追いかけまわしていた、カルトである。

 虫取りアミを両手に握り、全速力で背後から迫るアイルーが向かう先は……テツカブラの、立派な牙である。今気付いたが、その鋭い頂には、歯とか足とか丈夫そうな大きな昆虫がとまっていた。
 あ、とが反応したところで、テツカブラも振り返ろうと首を上げた。昆虫はその拍子に、ブブンと音を立てて飛んで行ってしまったが、突っ込んでくるカルトの勢いは止まらない。跳躍し振り下ろしたそのアミは、見事に牙を捕らえ突き抜け破れた。バリリ、と、良い音を鳴らして。

「ニャ?! オレのキラービートルがァァァ!」

 テツカブラの牙にぶら下がり、カルトが何やら喚いている。ついでに、その猫の足でペチペチと顔を蹴った。テツカブラの眼が途端に不機嫌に細まるのを見て、はいそいそと側を離れて背を向け座り直す。ポケットの中にあった携帯食料を取りだし口に運んだところで、背後ではカルトの叫び声とテツカブラの吼える声が響き渡り、地面が大きく揺れた。
 今日も地底洞窟は綺麗ね、とぼんやり風景を眺め、足をぶらぶらと揺らすである。



 カルトとテツカブラの喧嘩が治まったところで、は地上へ帰還する事にした。
 案の定、またもひっくり返ってジタジタ駄々をこねる赤い蛙様が居たが、ぶうたれながらもとカルトを背に乗せて進み始めた。此処まで来るのは大変だけれど、帰りが楽ちんなのはありがたい。ただ、この丸い背に捕まっているのは容易な事ではないので、最終的にはいつもはテツカブラの牙に持ち上げられ(挟まれ)、腹を圧迫されながら運ばれている。カルトは楽しそうに、テツカブラの背に立ち上がり、「いざ進めにゃァ!」とか言っているけれど、顔の前で揺らされるはこの時間並のジェットコースターより恐ろしい心地に肝を冷やしている。
 ほぼ直角の崖も、岩場の多い道も、ぴょんぴょんとご自慢の健脚で飛び越えてゆくテツカブラは、ついでに自身で塞いだ大岩も退かして進んでゆく。ほんの僅かとも云える短い時間で、薄暗い地底洞窟の世界に陽の光が一筋伸び照らした。
 地底洞窟の、入り口部分。ぽっかりと真上に開いた穴の向こうには、青い空が見える。雲のない、澄んだ色。パタパタと鳥が飛んでゆく影も見える。
 牙に挟まれながら見上げるの、真後ろ。テツカブラも、じいっと見上げているようであった。同じ青の眼に映る、その空の大きさは果たして。感情の読めない、両生類特有の眼は何を思って見ているのか。
 テツカブラはぴょんと段差を飛び越え、太い蔦の絡みつく崖の、中腹辺りにまで跳びはねて上がった。出っ張った岩の上へ器用に収まると、其処でとカルトを降ろす。

「ありがとう」

 よじよじ、と牙から抜け出て、蔦に捕まった。後少し登れば、地上だ。太い立派な蔦が多いので、足の乗せる場所が多いのがありがたい。軽やかにテツカブラの背にジャンプしたカルトは、の隣に並んで蔦を掴む。
 は顔を横へ向け、テツカブラを見上げると、彼の眼はを見ており、生温い、何処か沼のような匂いのする吐息が時折吹きかけられる。

「……行きたい?」

 ついて出た言葉は、それであった。何を言っているのか、とは直後に思ったが、テツカブラは青い目をゆっくり瞬かせた。

『いや』

 テツカブラは、そう呟いた。の胸には、安堵したような、少し寂しくなったような、不思議な感覚が灯った。
 腕を伸ばし、目の前の牙を撫でる。地面を掘り起こし、持ち上げ、時に砕く頑丈な牙は、意外に滑らかな質感であった。グルグル、とテツカブラの鳴き声が、の耳へ届く。

「またね」

 テツカブラはグオウ、と一度吼えると、地の底へ向かって飛び降りた。一瞬にして小さくなる、赤い鬼蛙の姿。の頭上から降り注ぐ陽の光によって、見下ろした地底洞窟の口は薄暗く、明るさに慣れるともう何も見えない。ただ、苦もなく飛び下りていったテツカブラの姿は薄ぼんやりと見えており、暗い底で見上げている彼と視線はぶつかった。
 は一度笑い、カルトと共によじ登る。最近こんな生活ばかりしているせいか、現代っ子の軟弱さは何処かへ薄れて消えつつあるものの、登りきる頃にはぐったりしている。しっかりするニャ、と引っ張るカルトへ力なく礼を言い、パッと淵から覗きこんだ。其処にはもう、テツカブラの姿はない。きっともう、この地底の深くに戻っているのだろう。

「オニガワラは、によく懐いてるニャ」

 ……テツカブラの、それも顔の事を言っているのだろうか。何処で鬼瓦なんて小難しい言葉を覚えたのやら。

「そう?」
「そうニャ。オレはアイツの言葉ニャんか分からないけど、懐いてるくらいは見てれば分かるニャ」

 淵に座り込むの隣で、カルトは腹這いに伏せている。ピンと立った尻尾が、ふりふり横へ揺れた。

「アイツは多分、外に出てみたいって思ってるニャ」

 渓流でずっと暮らしていたオレだから分かるニャ、なんて、カルトは言った。もしそうだとして、それでも地の底に居続けるのは、自然界で生きる彼自ら理解している事だろう。地上と、地下の、違いを。
 は「そっか」と一言呟く。ただ、次も会うとしたら、また地の底であって欲しいと思うが居た。

 ……会うたびに道を塞いで来るのは、止めて貰いたいけれど。



ことわざ【井の中の蛙】イメージ。
けれど世界を知らない方が良い場合もある。鬼蛙テツカブラ。

大ハッスルするセルギスや影丸、レイリンを思いうかべて一人ほっこりした。ハンターとは皆大体こんな感じでしょう。
(現に管理人もハッスルして無意味によじ登りジャンプしてた)
でも回を増すごとに夢主も野性化している気がします。夢主も近いうちに超人になりそう。

それは嫌だ

2013.09.19