いつか訪れる断罪の日まで

彼は人の姿を持って生まれた、人ならざる惑わしの象徴

その唇が紡ぐ声は、我らに呪いをかけ

その瞳と視線を交わせば、我らの心を奪い取り

情を交わせば、我らの誇りは地へ堕ちる

気をつけよ、彼の存在は我らの破滅であり、彼の存在は我らの宿命である―――――



砂塵と渇いた風が舞う大砂漠へ、まるで謡うように。
響き渡ったその言葉を、はじっと小高く積み上がった岩場に座って、耳を傾けていた。
もちろんその言葉が、誰しも理解出来る《言葉》ではなく、生き物の《鳴き声》として、聞こえているだろう。自身でも、知る限り理解出来るのは自分だけであった。

夜明け前の、仄かな空は美しく幻想的だ。だが、厳しい環境だからこそなせる自然の産物であり、厚手のカーデガンを羽織った上からブランケットを全身に巻きつけても吐き出す息はほんのりと白い。
渇いた風に混ざった砂の香りが、《大砂漠》と名づけられ特別な設備をもってしてでないと踏み入れる事も不可能な領域を、感じさせた。
白く澄んでいく地平線の彼方まで、ただただ広大に続く砂の地。これも明日になれば、華やかな大祭と熾烈な戦いの舞台になるのだから、不思議な事だ。

「……それは、貴方たちの間に伝わる、詩 ( うた ) ですか?」

ブランケットを抱きしめつつ、は顔をぐっと上げて呟いた。
小高い丘ほどの高さの、砂を纏う岩場の真横には、それ以上に存在感を放つ山が鎮座している。いや、正しくは山ほどもありそうな、巨大な竜である。の世界の、鯨と酷似した輪郭を持ち、その巨体を支える腕と足は太く逞しい。立派な体躯に相応しい尾は強靱に発達しており、全ては砂の海を泳ぐ為に進化したのだろう。
砂の大地へ横たわった彼は、老人とまではいかないが特徴的にしゃがれた声音と口調を変えずに、笑い声を漏らした。彼にとっては微かな空気の振動も、小さいにはまるで強風が過ぎ去ったようだった。

「わしらが、古くから言い伝え、本能で知っている教えだ。最も、若いもんは知らない言葉でもあるが」

一攫千金の宝とまで言われた、前へ突き出た立派な龍牙。その迫力は、同じ牙持つあらゆる生き物と一線を画している。だが、その傍の瞳と横顔は、とても穏やかである。
熱砂の海を泳ぐ、繁栄と勇気の体現。
《峯山龍》と人々が敬う古龍、ジエン・モーラン。
厳かな名と姿を持ちながら、今は静かな砂の上にどっしりと横たわり、に笑っている。穏やかとはいえ、彼が移動する事でその進路上にあるものは全て等しく破壊されるので、危険な竜である事は変わらない。

「この詩を、お主どう思う?」

不意に尋ねられ、はしばし考え込む。
「……明るい、感じではないですね」と告げると、ジエン・モーランはたぷたぷと膨らんだ喉元を揺らした。

「まあ、そうだろうなぁ。わしも今まではピンと来なかったのが本音だ」
「はあ……何をもとに、詠われたんです?」

何気なく尋ねた事であったが、ジエン・モーランにはそう軽くは無い疑問だったようで、沈黙が流れる。彼がしばらく黙りこくった様子から、彼らモンスターには気に触る事であったのかと、は言い終わってから焦った。が、ジエン・モーランは普段のゆったりした口調を取り戻すと、へ告げる。

「人は、忘れるものだ。そして、短い時間しか生きられない。だからこそ、様々な文化を、関係を、命を、築くのだろうな。
その過程で、消え去ったのかもしれぬ。過去に生み出してしまった者たちの事も……」

ふう、と一呼吸置いて、ジエン・モーランは続けた。

「お主、知っているか? 今の世界よりも、ずうっと昔に存在していた時代を。
わしら古いもんの間では、忌むべき時代と語っているが」

は、あっと思い出す。
ユクモ村で、道具屋のアルバイトをしたり集会浴場に届け物をしたりする彼女だが、その為か頻繁にこの世界の話は耳にする。彼が言うように、今現在の世界より以前に存在したという、時代の事も……。

至るところで、もう古ぼけ残骸のような輪郭しか保てていないのに、異様な凄みを抱かせる古い建築物が大自然の中に佇む光景を、も幾度か見てきた。
それらが、かつて正常に活動していた遥か太古の時代を、《古代文明》と呼ぶらしい。
その時代に存在したもの、存在した技術……あらゆる事柄が、現在の世界では解明が困難で研究は難航しているとも聞いている。

ジエン・モーランが、その時代を口にした事も驚いたが、彼は恐らく相当な年月を生きてきた個体で知恵もある。彼らには彼らなりの、伝承などもあるのだろう。あのアイルーの一族にも、あるように。

「人の間で何と呼ばれてるかは知らぬが、わしが聞いて来たのはその昔に存在していた、人の姿をした恐ろしい者の事だ」
「恐ろしい、者……」

彼らを謡ったものらしい、と呟くと、再びジエン・モーランは語った。

「……彼らの耳は、我らの声を聞き。彼らの声は、我らに届く。不可思議な力を持った、人の姿をしていながら全く別の生まれの者」

ジエン・モーランの瞳が、僅かな鋭さを含んで、を見下ろした。
の背が、ゾクリと震える。

「そやつらは、我らの言葉を理解し、我らと意志を交わしたという。
――――― そう、ちょうどお主のようにな」

私の、ように。
困惑するあまり、言葉を無くす。
必死に探す彼女を宥めるように、ジエン・モーランは声音を戻しおどけて言った。

「なに、それが何だという事ではないわ。わしらの間に伝わる昔話、それだけだ。その昔話の恐ろしい者が、お主だとは言っておらん」
「あ、の……」
「ただ、居たと言うのが事実。お主のように、我らの声を聞いた者がな」

沈黙が、舞い降りる。渇いた風が、サァァと音を立てて流れ吹き、とジエン・モーランを撫でた。
しばらくそれが続いた後、がそっと口を開き、彼に尋ねる。

「……ジエンさんが知っている、その人達は……何故恐れられたのですか。言葉を聴くという事自体が、恐れられたのでしょうか」

ズズズ、と地響きを立てて、ジエン・モーランの身体の向きが変わる。を覗き込むように、彼の顔がぐっと近付いて視界を埋めた。

「その昔、人は彼らの事を生み出した。人と同じ姿で。
目的は知らん、だが自然に生まれたのではなく生み出されたのならば、おぞましい行為である事は言うまでもないわ。
しかも、我らの言葉を、ちょうどお主とわしのように交わせる力を持たせたのなら……」

人為的に命を生み出して、特異な力を与えて。
世の摂理に反してまで、得たいものがあったのか。

意欲か狂気か、どちらにしてもの思考が追いつけるものではない。古代文明とやらが難解である事は、もう既に理解した。

「……恐れる理由など、簡単よ。わしらの心を狂わせるからだ」

狂わ、せる?
やはり穏便でない言葉が続いて、は息を潜めた。
自分の事ではない、けれど自分とまるっきり同じ人……いや人ならざるものたちが存在してた事実が、の脳裏で駆け巡ってろくに考えが及ばない。
けれど、紡ぐジエン・モーランの瞳は……穏やかなままだった。

「獣は獣と生き、野で生きる。本能……心がそうさせるからだ。だが彼らは、我らの心を惑わす。
異種なるもの同士、向かうべき先など交わる事が無いというのに、共に在ろうとした。節理に反して」
「情……」
「……愚かだのぅ、わしらも、彼らも」

感慨深く呟いたジエン・モーランは、まるで幼子をあやすような口調であった。

「大昔の奴らは、きっと夢を見たのだ。人の姿をした人ならざる彼らと、人から恐れられるわしらが、共に生きていく、あまりに脆い夢を……」

本能だけで生きていくモンスター……獣が、言葉を交わす特異な存在と出会った事で、情を持ち、慈しみを持ち、獣の生を裏切って共に生きようとした。
彼らの為に涙を流し、彼らと共に野を駆けて笑って、そうして彼らに恋をした。
だが結果は、言葉を聞く彼らを生み出した人間に裏切られて、数多くの同胞は命を落とした。
故に、大昔のモンスターは恐れて謡った。彼らの声を、心を、感情を、全てが惑わす災いであると。
太古の友愛と裏切りを、繰り返してはならないが為に。

愚かだ。愚かで、そして夢物語のような清らかさだ。

ジエン・モーランはそう呟くと、息を深く吐き出した。
ブォォォ、と激しい音が頭上で響くのを感じつつも、は「だけど」と小さく漏らす。

「……悲しい、お話ですね」
「悲しい、か」
「悲しくて、決して叶わない悲恋のようです」

比喩的表現を、ジエン・モーランがどれだけ理解したか不明だが、彼はの言葉に笑みをこぼしている。その笑い声は、を馬鹿にする訳ではない、子どもの悪い夢を優しく諭す穏やかなものだった。

ふと、の視界の片隅で光が増す。仄蒼い空と、砂原の間で、白い光が浮かんでいた。陽が昇る、前兆だ。
それと同時に、ジエン・モーランは「さあて」と言うと、地響きを起こしながら横たえた巨体を持ち上げた。目の前に聳えた山岳のような彼を見上げ、もまた立ち上がった。

「お戻り。わしもそろそろ、自分のあるべき場所に帰ろう」
「あ、はい……ありがとうございました、今日も」

彼の話を、まだ上手く理解は出来ていないが。
ぺこり、と見えているかどうかは置いておき、会釈をする。
普段している事を、この日も同じようにしただけなのだが、いつになく彼は動きを止めて、遥か頭上の先から見下ろしてくる。勿論には、見えやしないが。

「……人は変わる、変わっても生きられる。だがわしらは、一度環境を変えれば生きられぬ。心を変えれば、生きられぬ。
過去から現在、そうであったように。わしとお主もまた、全く交わる事は無い」
「……?」
「分かってはいるが、わしも最近は少し学んだよ。あの詩が如何なる想いで作られたか。わしもまた、同じ過ちを冒しつつあるようだ」

ズズズ、とゆったり前足を踏み出し、ジエン・モーランの巨大な体躯は砂の海へと向かう。地響きのような音を引き連れ、彼の身体が三分の一程度埋まったところで、立派な龍牙を振りかぶり、へと向いた。

「お主と話すのは楽しい。また、会おうぞ」

そう告げて、ジエン・モーランは広大な砂の海へと潜った。
きらり、と彼の背で光ったものは、砂の海を泳ぐ内に付着した鉱石たちだろうか。あれを求め、陽炎滲む熱い陽射しが降り注ぐ広大な大砂漠を、人々は船の舵を取り挑む。熱砂の海を悠々と泳ぐ、勇気と繁栄の象徴である彼に。

――――― 峯山龍の祭りは、すぐ其処である。



一応、このサイトでのオリジナル設定を此処で引っ張ってきてみる。
何の意味も無かった。

竜大戦時代は、世界を現在の姿に変えるくらい大きいものだったというから、新大陸でもあったのではないかと思いますが……この辺は、私の勝手な予想です。

普通の飛竜や牙獣などは知っていなさそうだけど、古龍には大昔の出来事を知っているような不思議な印象を受けます。もちろん、生態が不明で分類出来ない生き物を《古龍》と総称するだけで、実際若い個体もいるのでしょうが。


2012.03.18