どうか、笑って下さい

砂漠の大都市《ロックラック》の玄関でもある、巨大な二柱が聳え立つ門は、今日も多くの旅人や観光客、商人やハンターと様々な人々を招き入れ、そして見送っている。
薄い色合いな空に渇いた風が舞い、降り注ぐ太陽の陽射しの眩い白さ。大砂漠という、熱砂の海の上に鎮座した巨大な一枚岩の都市に、相応しいオリエンタルな光景である。
渇いた暑さとはいえ、常日頃から慣れているとはいえ、目を細めながら水を音を立てて啜る二十代前半の男――― の、気だるいこと。ゆったりした砂漠の衣服に身を包んだ彼は、背も伸びやかで肉体も同年代の者に比べればずっと鍛えられおり、時折道行く女性は視線を投げる。が、いかんせんその外見にミスマッチな麦わら帽子のおかげで、奇妙なものを見る眼差しへ直ぐに変わるが。
その不思議な感覚が、この男の性質である。

「……おっそい、時間は過ぎているぞ。友人」

ぢゅるるる、ズコー、空になったカップにささるストローを啜る様は、かなり下品な上にやる気がない。
友人が用事でロックラックへ来るというから、せっかく出迎えてやろうかと優しい心で陽の下に出てきたというのに……。
あまり珍しい事はするものじゃあないな、と は4杯目になる飲料を購入しようかと思っていたが。
ようやく、待ち人の影が彼の目に映った。

ゴトリゴトリ、と荷駄を引くアプトノスが、門の真ん中を通りやって来る。その背は、頭からすっぽりと日除けのコートを被った人物が跨っており、時折暑そうにフードの中で額を拭っている。
のんびりした歩みで近付いてくるアプトノス馬車に、 は柱に寄りかかっていた身体を離してそれへ自ずから近付く。

「全く、遅い」

近くの公共用ゴミ箱へカップを捨ててから、 はそう告げる。
プオーン、と呑気に鳴いたアプトノスを停めると、手綱を握っていたその人物は背中から軽々と飛び降り、 へ向き直る。フードを外して現れたのは、赤銅色の赤みを帯びた髪であった。渇いた風に似合うそれが、毛先を泳がせており、揺れる前髪の向こうで琥珀色の目が細められる。
長身な と同じほどの、背丈と身体つきの男性で、彼は肩を竦めて笑った。

「ハプルボッカが公道に乗り上げたとか何かで、一時通行止めを食らったんだ。仕方ないだろ」
「ハプルボッカが、乗り上げた? また馬鹿な事が起きるな……ハンターが釣り糸でも垂らしたのか? 面白半分で垂らすなと、ギルドも言っているのに」
「さあな、もしくはハンターかぶれな貴族とか。大方、そんなところだろう。お前も、珍しいな、わざわざ俺を出迎えてくれるとは」
「なに、久しぶりの遠方の友人に会うのだ、それくらいしてやろうかと思っただけさ。が、おかげでこの数時間で飲料代が大いに飛んでいった」
「いくらだ?」
「1000」
「それは飲みすぎだ、馬鹿」

流れるような会話が、ふと止まる。ガヤガヤと、賑やかな空気が強く感じ取れる。
二人は視線を改めて交わすと、ニッと笑いあい、片腕で抱き合った。

「久しぶりだな、
「ああ、こちらこそ。元気そうで何よりだ――――セルギス」

友人こと、セルギス。
この地より遠く離れた、砂漠とは対照的に水源と豊かな緑に恵まれた地《渓流》の広がる区域に存在する、ユクモ村という温泉の村の専属ハンターであった。
とも非常に付き合いの長い、気心の知れた友人であり、信頼の置ける同業者であった。


彼がロックラックに訪れるたびに宿泊する、竜人族の老夫婦の営む民宿へアプトノスと荷物を預けると、 とセルギスはその足で酒場へと向かった。
ハンター向けの酒場は常に人でごった返しているので、商店街の酒場ではなく住民の居住区のこじんまりとした酒場だ。もちろん酒の出る店なので、十二分に賑やかであるが。行きつけの店は気心が知れ、こういった声も穏やかだ。
今は、 もセルギスも一般人と同じ身なりのため、違和感なく混ざっている。
冷たい酒とつまみを注文し、再会を祝した彼らの間で飛び交う会話は、やはり互いの近況である。どのモンスターを倒したとか、村や街でどのような事があったのか、彼らの話題は尽きなかった。

「――――― そういえば、最近来たという新人くんはどうだい? えーと、確かシキの国出身の」
「影丸か」
「そうそう、彼。調子は? 少しは上達したか?」

が言うや、セルギスは苦笑いを浮かべた。「全然、駄目だな。とてもじゃないが危なっかしくて見ていられない」あっさりと、バッサリと、言い放つ。
……あの基本的に穏やかな彼が、そうもはっきりと言うとは。よほどなのだろう。
はくつくつと笑い、ユクモ産ガーグァのモモ肉の唐揚げを口に放り込む。

「おやおや、そんなにかい。確か武器は、太刀を使っていたっけ」
「ああ。全く、悲惨だぞ。アイツどういうわけか俺に向かって太刀を振りかざすんだ。あれは、敵の向こうに味方がいるのをまるで見ていないな」
「お前の使う双剣は、密接していないと敵に当たらないからな」
「敵がどっちか、分からない状況だ。その後は、こっぴどく叱ってやったが」

あれじゃあ、当分一人で狩猟になんて行かせられない。腕を磨く訓練が必要だ、とセルギスは嘆息を漏らしたが。
その横顔が、いつになく楽しげであるのを、 は気付いている。

「手のかかる弟みたいなものか?」
「まあ、実際そいつの年齢は……16歳かその辺だ。まだまだ若造だし、今のうちに色々学べば良い」
「とはいえ、先は長そうだな」
「ああ……村の守備を任せるには頼りないから、ともかく大人しくしていろと言っては来たが。だが、あれは将来良いハンターになるだろうさ」

手紙のやり取りはしていたので、その影丸とやらがどのような容姿をしているのかは同封されていた写真で分かっていた。まあいかにも新人ハンターという、元気だけがとりえの少年だと、 ですら思えたくらいだ。
だが、仲は良いらしいし、将来は二人組みで村つきハンターとして上位狩猟にも出向く日が来るかもしれない。

「調子が良さそうで、安心した」

空になったセルギスのコップへ、酒を注ぎ足す。もう一本注文していると、「お前はどうだ」と へ尋ねた。

「相変わらず、狩場に出向くたびに生態観察なんてしているのか」

セルギスの笑みは、悪戯も混じっていた。だが、 は気にせずに笑って見せた。

「自然の営みは良いぞ。こないだは番の飛竜を見かけてな、ケルビにはない野性味があって良いぞ」
「つまり?」
「殺されかけた」
「番の竜になんぞ手を出すからだ。何を考えている」
「いや、あわよくば子どもを見れたらなー、なんて思っただけだったんだが……くしゃみしたら、火球の乱舞に」

さすがに死ぬかと思ったが、同じ事を猟団の皆にも言われた。呟いた に、セルギスは笑ったまま「当然だ」と返した。

「懲りないな、よほど楽しいんだろうが」
「ああ、楽しいぞ。お、そうだ、確か友人、こっちに来てラングロトラの二頭狩猟を受けるとか言ってたな」
「そうだが……なんだ、また見つけ物でもしたのか」
「少し付き合ってくれ、是非とも」

セルギスは肩を竦めると、「仕方ない、その代わり狩猟は手伝えよ」と言って、 のコップへ酒を注いだ。

のモンスター生態観察という不可思議な趣味を、このセルギスは唯一理解を示していた。
モンスターとハンター、刈る者狩られる者、時に蹂躙しされる者、人々の平和あるいは自らの力を試すためにモンスターを殺し続けるハンター職にあるまじき趣味は、 こそがもっとも知っていた。
だから、こそ……。

( ……いつか友人に、告げなければな。ハンターを辞めて、この趣味に没頭したいという事を )

けれど、 の秘めた願いは、秘められたまま。
この時はまだ告げず、付き合いの長い友人同士の談笑に空気を弾ませていた。
その翌日、砂原へラングロトラの狩猟へ出向いた際、ここのところ が目をつけていた小柄なボルボロスの、のんびり泥沼で身体を沈める様子を遠くより眺めていた。
お前は相変わらずだな、と笑ったセルギスは、何だかんだで に最後まで付き合っていた。



――――― これが、友人セルギスと共に挑んだ最後の狩猟の光景であった。
狩猟を終えて彼がユクモ村へ帰還した数ヵ月後、村の近郊に現れたというジンオウガの討伐成功の吉報が、ロックラックに届いた。人々が褒め称える中、ただ一人 だけは表情を歪ませていた。
一躍英雄とし、あの新人ハンター影丸の名が大きく報じられ飾られた、けれど、たった一人で今まで村を守ってきたはずのセルギスの名は……何処にも、見当たらなかった。
途方も無い違和感と焦燥が、 をしばらく苛んだ。

そして、それから数週間後に、彼はようやく違和感の理由と、華々しい知らせの真実を聞いた。
ろくな経験もないくせに《雷狼竜》ジンオウガへ単身挑んだ愚かな影丸を、庇って切り立った崖からジンオウガ共々滑落し行方不明になったという、ギルドに隠蔽された真実を。
ロックラックにやって来たネコバアの紹介アイルーのリスト中に、セルギスのオトモアイルーであった見慣れた《彼》の名を見つけ事態を問い質した時の、事であった。

あの友人は、もうこの世に居ないのだと。

そしてこれが、 のハンター生活の最後を刻み付けた、記憶でもある。




――――― 酷い夢を、見たような気がした。

バサバサ、と落ちていく本の音が、 をうたた寝から現実へ引き戻す。
次いで耳へ届く小波の音と、身体を撫でる涼しい風。緩慢に開けた瞳に、見慣れた天井が飛び込んだ。何てことは無い、 の寝室の天井だ。しばしボウッとしていたが、嫌な夢を見た後の胸に何か残ったような気分で徐々に意識がはっきり覚めていく。
よいせ、と上半身を起こした拍子に、枕もとの本が落っこちる。
……寝転がって本を読んでいたら、そのまま眠ってしまったらしい。グニグニと首を回し、ベッドの縁に腰掛けて本を拾う。 がハンターを辞める前から、暇を見つけては集めていた生態図鑑や、生態理論、土地観測などなど……無造作に、枕元へ積み重ねていき、最後の一冊を拾い上げた時、彼は手を止めた。

「旦那、郵便が来ているぞ」漆黒の無地模様のアイルー ―――ノワールが、慣れたように部屋へと踏み込む。小さな手に白い便箋を握っていたが、 がしげしげと一冊の本を眺めている光景に、彼も首を傾げた。
トコトコ、と の足元へ近付き、郵便を差し出しつつ覗き込んだ。

「旦那、何か面白いものでもあったのか?」
「ん? ああ……いや」

苦笑いをこぼした、歯切れの悪い口調だった。
けれどその一冊の本が何なのか知るや、ノワールも納得する。

「……ハンター時代の日誌か、懐かしいな」
「ああ。……何であるんだか、此処に」

そんなに、煩雑な片付け方はしていないつもりだが。
はゆっくり表紙を開くと、ページを捲っていった。
ギルドカードは、ハンターを辞める際に返上したから残っていないが、その記録は全て日誌に写している。自らが獲得した称号、勲章、狩猟したモンスターのサイズ……今となってはどれも縁遠く懐かしいが、日々の記録に出て来る友人の名ばかりが、妙に の視界を縫い止める。

今でも、鮮明に浮かんで来る。
番の飛竜を見つけて、思わず様子を見ていたら、あわや焼き肉にされかけ大喧嘩したとか。
ドスファンゴの子どもたちを遠目で見て、可愛いうり坊たちに癒されたとか。
……アカムトルム、ジエン・モーラン、名だたる大型モンスターを狩猟に行ったりも……。

一つの映像を目の前で見るように、 の脳裏にはこの当時の思い出が今も褪せずに過ぎる。そして、直ぐに虚無感を抱く。
……今はもう彼は居ないと、理解してはいるのに。

「……私も未練がましいかな、ノワール」

ぐ、と握ったハンター日誌が、僅かによれる。
足元にいたノワールは、ピョンッと跳ねて の隣に座った。

「辞めた身で、これを持っているのは」
「さあ、どうだろうか」

ノワールは、あっさりとそう返した。お前な、と が口を開き掛けると、ノワールは。

「――――― だが、そういう旦那であって、良かったと俺は思う」

静かに、けれど笑みを含み、そう告げた。

「今はもう、《旦那》……いや、セルギスの名は忘れられているかもしれない。だから、俺には、そうやって覚えていてくれる旦那であって良かったと、心から思う」
「ノワール」

笑みが一転し、苦く表情を歪めると、ノワールは呟く。

「……そう思うのであれば、俺はユクモ村へ残っていたべきだったのだろうか」

……あの時は、とてもじゃないが居られなかった。誰よりも、あのオトモアイルーたちの中で年上であったのに、あの時ばかりは理性で動けなかった。


――――― 《旦那》を殺したお前に、何故守られなければならない! 二度と口にするな、小僧……!!

――――― ちが、俺は……! ノワール!

――――― お前に守られなければならないなら、自ら去る。俺の名を呼ぶな、影丸!!


……時間が過ぎた今では、酷な事を口にしたものだ。
彼の元に残ったのは、《旦那》ともっとも多くの狩猟へ向かったメラルーであった。彼も今、どうなっているだろう。あの頃、馬鹿で野望と夢ばかりを抱いてちっとも腕が上がらなかった新人ハンターの、彼も……。

「思い出ばかりを追いかけているわけではないが、俺はまだ、セルギスの事を思っていたいニャ」
「そうか」

も頷くように、静かに呟いた。

「今度、ユクモ村へ行ってみるか? 影丸のところに残った、ヒゲツにも会えるだろう」
「そうだな……」

ノワールはしばし沈黙すると、ただ短く「いつかは」と へ返した。

そうだな、いつかは。

あれから、七年は経過している。今や立派な村を守るハンターとなった影丸も、その片腕となったアイルー……ヒゲツも、そろそろ《現在》の言葉を交わすべき時なのかもしれない。

《過去》の言葉にばかり縛り付けられ、情景へ囚われ。
取り残されたのは、俺たちの方なのかもしれない。

「……セルギス」

お前はもう居ないと心に刻みつけた俺と。

まだ生きていると世迷い言を口にし、狂人になった影丸と。

どちらが、正しかったのだろう。
今となっては、それすら分からない。



夢主と友人セルギスの、過去のワンシーン的な話。

セルギスが消えた日から、影丸との間に溝が出来たまま現在へ来たけれど、果たしてどちらが正しかったのか。

夢主と影丸の話も書きたいけど、ノワールとヒゲツの話も書きたいな。
影丸のもとに残るって言ったヒゲツと、去る事を選んだノワールの間に、少なくとも何もなかったわけがないと思う。

女主は、ジンオウガ討伐の件から現在の話。
男主は、その事件の過去の話。
そんな感じになってきました。


2012.07.31