それではレディ、御機嫌よう

――――― マズイ、こいつは、ヤバい奴ニャ。

銀青色のアメショー柄アイルーのコウジンは、かつてない危機感を覚えて青ざめた。
普段ならもう、怒り狂って鈍器を振り回しているところだけど、苛立ちを通り越しての巨大な危機感に襲われていた。

数週間前、ユクモ村支所ハンターズギルドにて孤島の狩猟依頼を受注した、コウジンの主人であるレイリン。グレーの髪色をした、まだ十七歳か、あるいは十八歳程度の少女だけれど、ユクモ村専属のハンターで、師である影丸の許可を貰い、こうして孤島へやって来ていた。巷じゃあ、ドジっ子を超越したドジっ子なんて呼ばれているが ( いやコウジンも否定はしないし認めている ) 、優しい性格で少々ハンターには不向きな性分ではあるけれど、コウジンにとっては自慢の旦那様である。
そんな彼女と、いつものようにオトモアイルーとして付いていき、孤島近海域の海上に存在する《モガの村》にたまたま立ち寄って、道具の買出しと休憩をと思っていた、だけであったというのに―――――。


「――――― さあレディ、お手を。頑丈に組んではあるが、今日は随分と波が高い。揺れるので、お気をつけて」
「ふふ、ありがとうございます」


……なんで、こんな事に???


コウジンが呆然とするその目の前では、彼の主人でもあるハンターS装備一式を纏うレイリンが、ニコニコと上機嫌に笑っている。
それだけなら良い、全く問題はない。だが、彼女の隣には、どう見ても余計なものが並んでいる。

コウジン自慢の旦那様へ、手を差し伸べて恭しく振舞う、余計なもの……漆黒の無地模様なアイルー。
ギルドネコ装備の、鮮やかな赤い衣装とアクセントに帽子へ生えた大きな羽根が、その漆黒の身に憎らしいほど似合い完璧なまでに着こなしている。その騎士風衣装にも違和感ない、流暢な言葉と、仰々しいまでの紳士めいた立ち振る舞いをし、レイリンを「レディ」と呼んでいる。
そしてその小さな猫の手を、レイリンは違和感無く取って、微笑みながら導かれている。

……念の為、付け加えるが。
コウジンには、全く見覚えすらないアイルーである。というか、あんなアイルーは初めて見た。
初対面の意味でも、立ち振る舞いの意味でも。

だが何度も言うように、見ず知らずの赤の他人。覚えもなければ見た記憶もない。
そのアイルーが、何でああも主人の手を取ってちゃっかり混ざっているのだろうか。

( ……いや、落ち着け、ボク。まずは状況整理を…… )

などとコウジンが改めて考えていると、レイリンが振り返り、「コウジン置いてっちゃうよー?」と告げるので、慌てて駆け寄る。
そうすると、この見ず知らずの腹立たしいアイルーが、笑みを浮かべて口を開く。

「大丈夫か坊や、珍しいものでもあったのかい?」
「坊やじゃないニャ!」

その上、性質が悪い事に、何故かすんなり馴染んでいる。

大体坊やって何ニャ! お前とは初対面だニャ! コウジンがむきになって怒ると、この黒アイルーはやれやれと首を振り、あからさまに落胆してみせる。その仕草が、異様に人の神経を逆撫でしてくれる。

「全く……女性の前で、はしたない。いくら主人といえど、もっと気をつかったらどうだ」
「~~~~ッうるさいニャ! 大体、何で見ず知らずのアンタが当然のように馴染んでるニャ、よそへ行けニャ!」

コウジンはバッと身を乗り出して、レイリンの手と黒アイルーの繋がった手を無理やり解く。一人と一匹の間に割り込むと、フーッと威嚇し、全身の毛を逆立てる。
レイリンは目を丸くし「もうコウジンったら」と気にもせず呟いており、黒アイルーは息を吐き出し帽子を直した。

「道具屋の場所が分からないと言っていたから、案内を買って出ただけだ。他意はない」
「……タイ? ……鯛??」
「……まあ、ともかくだ。困っているレディを放っている理由がなかっただけ。OK、坊や?」


……諭されているはずなのに、より一層に腹が立ってきた。


何だろう、この気に入らない感じと、理解しあえない生理的に受け付けられない危機感は。

グググ、と唸って顔を赤くし怒るコウジンの前で、黒アイルーは何処吹く風やら、さらりとその視線をかわす。
年上の貫禄だろうか……この手のかわされ方は、コウジンの ( 一方的な ) 永遠のライバルであるヒゲツを思い出させる。だがヒゲツの場合は、自らの技術が及ばず悔しい想いをしたり、正論を告げる冷静さが、時に腹立たしさを抱かせるが。
この見知らぬアイルーの場合、まるっきりタイプの違う苛立ちを抱かせる。
幾らこのアイルーが年上のようでも、気安く旦那様にお手つきするなんてもっての外。気安く触んな! お触り厳禁!!
コウジンの不機嫌ゲージは、モガの村に立ち寄ってから上がる一方だった。
いよいよ、彼の顔がふて腐れ酷い事になろうとした時、レイリンがいつもの声で宥めてくる。

「コウジン、せっかくお店の場所を教えてくれるんだから、そんな事言わないの」
「で、でも、旦那様……案内なんて口で言えば良いニャ。わざわざ手を、と、取って……する事じゃないニャ!」

コウジンは、ウキーッと飛び跳ねて怒り狂う。それを見て、黒アイルーはまたもあからさまにニヤリと笑った。

「何だ、ただの嫉妬か。こんなオッサンに嫉妬するとは、俺もまだまだいけるかニャ」
「うっさいニャ! 嫉妬なんかじゃないニャ!!」
「……やれやれ……手の掛かる坊やだ。心中お察しする、レディ」

レイリンは苦笑しつつ、「坊やじゃないニ゛ャ゛!!」とかつてないほど声を尖らせて叫ぶコウジンの頭を撫でる。それでも治まらず、爪まで出して威嚇している。
だが、コウジンのそんな黒アイルーを遠ざけたい必死なアピールも、レイリンは気付かずにぽややんといつも通りに微笑んでいる。コウジンがどれだけ嫌がろうと、レイリンからしてみれば可愛いアイルーに変わりなかったのである。

「それにしても、本当に落ち着いてますね~。言葉もとっても滑らかです」
「お褒めに預かり光栄だ、レディ。この通りに、人の暮らしは長い身分ゆえ、年齢もそこの坊やの倍はあると思ってくれて構わない」

そう言って、彼女の前で黒アイルーは恭しく帽子を外し、胸の前に当てて礼をした。
見た目の可愛さもそうだが、仰々しい仕草が何とも劇中の騎士のようで目を惹いた。
レイリンは、しげしげと黒アイルーを見下ろす。確かに実際、このアイルーはコウジンとは違い随分と貫禄と落ち着きがある。まるで、師である影丸のオトモアイルー……ヒゲツのような……。
それに、彼が纏っているのはオトモアイルー用の装備だ。もしかしたら、誰かのオトモであるののかもしれない。

「あの、もしかして、誰か別のハンターと一緒で……?」

レイリンは、恐る恐ると尋ねる。もしハンターと一緒であれば、今頃探しているかもしれないし、迷惑を掛ける事になるが……。
けれど、レイリンの不安を裏切って、黒アイルーから返ってきた言葉はあっけらかんとしていた。

「ああ、俺の事は気にしなくても結構だ、レディ。オトモアイルーではないもので」
「えッ?」

黒アイルーは、スポンッと帽子を被る。

「まあ、このような見てくれではあるが、ハンターに付き従うオトモは随分と以前に引退している。
今は、ハンターではない人間の、手伝いだ。この服は、昔の思い出の品というわけだ」

そう告げた黒アイルーは、一瞬だけ懐かしそうに瞳を細めた。が、直ぐにレイリンへにこりと笑い、尻尾をくるりと躍らせた。

「まあ、やっている事は少々ハンターと似たようなものではあるが」
「そう、なんですか……元オトモアイルーというわけですね」
「その通り。今は、このモガの村にたびたび顔を出す、しがないアイルーだ」

それを聞くや、黙っていられないのがコウジンである。
こんな奴が、元は自分と同じオトモアイルーだとゥ?! という、ちょっとした敵対心すらも新たに滲んできた。

「うっそニャー! アンタみたいな変な奴がオトモなわけないニャ!」
「こら、コウジン。この子は先輩じゃない、何て事言うの」
「でも旦那様、こんな変な、いやらしい奴がオトモとか可笑しいニャ!」

……そう告げると、どういうわけか周囲から微笑ましい笑顔が向けられる。
何と言うか、これは「そうそう、そうなのよ」と肯定している和やかさであるように思えた。……何か、変な事を言ったか。
コウジンの正面にいる黒アイルーも、怒る様子はなくカラカラと笑うばかりである。

「まあ、旦那が変わり者と村でも名高い人物ゆえ、まあ俺も変わったアイルーに部類するかもな……ッふ」
「ニャ、ニャにが可笑しいニャ?!」
「いや、元気があって結構、結構。賑やかな坊やだと、思っただけだ」
「む、むかつくニャ……! その顔殴ってやるニャ!!

キィィィィッとハンマーを握ろうとしたコウジンであるが、頭上で「コウジン」と主人に諌められたので、不完全燃焼のままブスッとふて腐れる。

「元気があって良い若者だ。……ああ、レディ、道具屋はこの通りの中にある。幾つかハンター向けのものもあるから、是非自由に見ていってくれ」

黒アイルーは笑うと、モガの村のいわゆる商店街である店の通りを指し示す。

「俺の旦那も、たまに道具屋で働いていたりする。また機会があれば、是非寄って行ってくれ」
「ふふ、ありがとうございました」

なんて、この数分間の間ですっかり仲睦まじくなった主人といけ好かないアイルーのやりとり。
コウジンは、ぺっぺっと手を払って「早くあっちに行け」とアピールし、嫌悪感剥き出しに唸った。
が、もちろんこの黒アイルーは、コウジンをアウトオブ眼中にしているので、唸るコウジンの前でレイリンの手を再び取ると。

「それではご機嫌よう、レディ」

アームでしっかり覆われているけれど、レイリンの手の甲に顔を下げて、口付けを落とした。

レイリンは、もちろん嫌がるどころか嬉しそうにその行為を受けて、ニコニコと上機嫌で「ありがとう」と返した。

だが残念な事に、これが決め手となって、コウジンの怒りゲージはついに振り切れた。
物語でいうところの、頭が完全に火山の噴火状態となり、真っ赤な顔でハンマーを握りしめるや、躊躇なく黒アイルーへ振りかぶる。

「うぉらァァァァアアアアア!!!」

……それはもう、イビルジョーの怒り状態もかくやという形相であったと、後にレイリンは影丸へ漏らしたという。

店の通りで突如暴れ出したアイルーに、村人たちは慌てふためいて……おらず、むしろ慣れたように見守っていた。なにせハンターが近年多く訪れる村、それに加え荒くれの漁師もおり、喧嘩事はわりと日常茶飯事であった。
ただ、主人であるレイリンは「コウジン!」とオロオロと止めに入るも、こういう時のコウジンの行動は恐ろしいまでに早い。
いくらアイルー用武器といえど、モンスターの端材から生み出されたハンマーが無害のわけがない。勢いよく下ろされる鈍器を、黒アイルーはやはり演技がかった仕草で肩を竦め、赤い騎士衣装を翻して軽やかな バックジャンプで後退する。

「おやおや、ただの挨拶だ。そう怒るものではないよ、坊や」
「うっさいニャ!!」

コウジンったら、とレイリンも声を荒げる。
それでも構わずに、ぶんぶんとハンマーを振り回すコウジンを、黒アイルーはしばし楽しそうに見つめて攻撃を手慣れた足さばきでかわすしていく。

「……おっと、そろそろ待ち合わせ場所に、旦那が来るかもな。坊や、お遊びは此処まで」
「ニャ、」

――――― 瞬間、コウジンの振り回していたハンマーが、宙へ舞っていた。
驚いて動きを止めたコウジンと、オロオロ見守っていたレイリンが、上を見上げる。その視線の先で、ハンマーはゴンゴンッと音を立てて落下した。
何、今の、と言わんばかりにコウジンが口をあんぐり開いている傍らで、黒アイルーは羽根付きの帽子を外しレイリンへ礼をする。

「それでは今度こそご機嫌よう、レディ。また何処かで」

黒アイルーは人混みの中へと、赤い騎士衣装を翻して去った。その手には、いつの間にか引き抜かれていたらしい、太陽の陽を受け煌めくレイピアが握られていた。

「何だニャ、アイツ! 腹立つニャ!!」

プオーン、と湯気の音でも響くのではなかろうかというほどに、コウジンの怒りは治まらない。ハンマーを拾い上げて消えた黒アイルーへ叫ぶも、レイリンの放つ魔法の言葉で静かになる。

「こら、ヒゲツさんに言いつけるわよ」

……一瞬にして、赤い顔が真っ青に。
そんなに嫌なら良い子にすればいいのに、とレイリンは毎度ながら思う。
しかしながら、黒アイルーの見事な動き。はてさて元オトモといえど、随分と熟練した動きであったが……。

「……何だろう、今の動き、何処かで」

相手の武器を薙ぎ、器用に巻き上げて宙へ放り投げる、アイルー離れした妙技。
……何処かで、しかもわりと何度も見た気がするのだが。
しばし考えたものの、結局思い出せなかったので、レイリンは未だ威嚇するコウジンを連れて店に向かった。
確かモガの村に出入りしていると言っていた、またいずれ会う事もあるだろう、とのんびり思いながら。

「それにしても……レディなんて、お上手なんだから~」

コウジンが足下で、酷く不機嫌かつブサイクな表情をしていたのも、今のほっこり和んでいるレイリンには分からないだろう。

……いつか今度こそ、あの横っ面、殴ってやるニャ

そう決意したコウジンは、その後の狩猟で普段の四倍の活躍を見せたという。
馴れ馴れしく、ちゃっかり混ざって、お手つきまでしてくるのに、呆気なく負けたような気さえさせる、黒アイルーへの対抗心と敵対心を燃やして。




「――――― 旦那、すまない。少し私用で離れていた」

レイリンとコウジンの側を颯爽と離れた黒アイルーは、店の並ぶ通りを進んだ先の、船着き場にやってきていた。
多くの貨物が出入りするその場所で、足下に紙袋を置いた男性を見つけると、彼に駆け寄る。二十代後半、あるいは三十歳ほどの、若いながら恵まれた身の丈の身体つきの男性で、モガの村人たちの露出の多く涼しげな身なりではなく、コートとロングブーツ、そして特徴的なウエスタンハットを被っている。周囲が目立つ風貌のハンターも多いので、空気に馴染んでいる。
旦那と呼ばれた男性は、黒アイルーを見るや「何処に行っていた」と呟く。だが理由も想像はしているのか、次いで呆れたように笑った。

「大方、また道案内でもしていたのだろう、女性限定で。お前の事だから」
「ああ、見慣れないレディがいたのだ。店の場所を探しているようだったから、案内して差し上げた」

事もなくそう言い放つも、男性は肩を竦める。

「まあ良いが……さ、今日はもう家へ帰ろう。とりあえず必要なものは買ったし、今の内に戻らないと」
「了解した」

大きめの紙袋は、男性が持ち上げ。
別の、ちょうど子どもが持っても抱えられる程度のサイズのものは、黒アイルーが持った。

「で、見慣れないレディとやらは、ハンターか?」
「ああ、あれは恐らく上位ハンター……内陸のハンターだろう。ユクモ地方か、あるいは森林などの。賑やかな坊やのオトモアイルーも連れていて、なかなか面白かったぞ」
「はは……お前からしたら、皆が坊やだ。人間に直すと、なにせさんじゅ……」
「年など忘れたさ」

小さいがオートエンジンの装備された小舟に乗り込んだ男性に、黒アイルーは紙袋を手渡す。

「旦那、今日の夕飯は何にしようか」
「そうだな、何か温かいスープはどうだ、あ、コーンスープとか良いな」
「……熱いのは苦手ニャア」

紙袋を全て積み込み、黒アイルーも飛び乗った。男性は手慣れた手つきで、船のエンジンを掛け、操作するレバーを握る。

「ちゃんとお前の分は冷ましてやるさ―――ノワール」

黒アイルー……ノワールは、帽子を外して足に乗せる。
ゆっくりと走り出した船は、やや高い白波を切って揺れた。



そんなコウジンと、ノワールの話。
夢主また関係ない。

コウジンの嫌いメーター。
ヒゲツの場合は、自分よりも強いから腹立つというちょっとした嫉妬とライバル心だけど。
ノワールの場合、コイツ完全にヤバい奴だという敵認識をしたそうです。
コウジンには、フェミニストも何も関係ない。世界は旦那様のみで回っている。

そしてノワールは、こんな感じ。
困っている野郎は放っておくけど、女性なら別。旦那は放っても女性は放っておかない。大体そんな奴。


2012.08.15