遠い記憶へ、ごきげんよう

上位ハンターの資格を持つものにのみ踏み込むことを許された、より危険なモンスターなどが生息する区域に認定されたとある渓流。
下位ハンターの多数訪れる場所とは異なり、人があまり踏み入れぬせいかその気配は微塵もなく緊張感が漂う。だが人が訪れぬ分、自然はいっそう張り詰めて美しく、豊かな大木と豊富な水源に満ち色鮮やかであった。危険だからこそ成せる、壮麗な風景であるのだろう。
上位ハンターとなって数年、それなりに経験を積んでいる影丸は、ギルド公認の地図でいう《エリア6》にいた。竜の巣でもある、深く巨大な洞窟に続く入り口も存在するそこは、広く浅いせせらぎが透き通り流れ、草食動物たちが多く現れる。もちろん大型のモンスターが姿を現すこともあるため、穏やかに流れ落ちる滝を見上げつつも、周囲の警戒に気を配る。
愛用する、古龍ジエン・モーランの素材から作成出来る太刀の最終強化《断牙刀・一太刀》を背負い、特に気に入っているナルガS装備を一式纏う身体には緊張感が心地良く張る。慣れた地であっても、気を抜くことは出来な……


――― ベッコン、バッコン!


気を、抜けな……


――― ベッコン、バッコン!


「…………」

影丸の肩から、変に力が抜ける。それは緊張を解いたからではない。この背後から聞こえる、あまりにも珍妙な足音のせいだ。
一応この区域は、上位ハンターのみ入れる場所で、もちろんどのモンスターも数段体力のあるものが多いのだが、この音はあまりにも場違いである。
そうは思ってみても、この音を控えることなく鳴らしまくりついてくる人物は、影丸の同行者である。
いや正しくは、影丸が同伴しているのだが。


――― ベッコン、バッコン!


……いい加減、再度突っ込むべきだろうか。
ナルガSヘルムの後頭部をガリガリと掻き、影丸は振り返った。

「……おい、レイリン」

言った瞬間、豪快に転げる音が響いた。
付近でのんきに虫をついばんでいたガーグァが、驚いて一目散に逃げていく。
影丸は再度溜め息をつき、緩やかな登りの山道の真ん前で転んでいるその主に歩み寄る。

「毎度毎度、お前は俺を驚かせるな。どうやったらそんなところで、しかも豪快に転ぶんだ?」
「す、すいません、あの、師匠の姿が見えなくなって急いだら……!」

ガバリと鼻を押さえて顔を上げたのは、18歳ほどの少女である。鼻の頭でも打ったのだろう、砂利の多いところで転ぶとは地味に不運だ。予想外に痛かったらしく、茶色の瞳は潤んでいる。
慌てて上体を起こすと、二つに結んだグレーに近い淡い黒髪が、木漏れ日を反射させ柔らかく輝いた。
顔の輪郭や目などはパッチリとし、まなじりも優しい、ハンター稼業に身を置いているわりに肌は白く、一般論から《可愛い少女》に入るのだろう。が、いかんせんこのドンくささが全てを霞ませるようだった。
今のように何でもないところで転げるくらいなのだから、まあ大体想像つくだろう。

……我ながら、面白い奴を弟子にとってしまったものだ。

彼女に強く薦めたハンターS装備一式を見下ろし、影丸は溜め息をつく。まるで装備が役に立っていない。
気の抜けた笑みを小さく浮かべ、少女―――レイリンに手を差し出す。

「ほれ、いつまでも座り込んでると痛いだろ。手ェ出せ」
「すいません……」

掴んだ手はやはり少女らしく小さい。ぐいっと引き上げれば容易く立ち上がり、背丈も影丸の胸元かあるいは鳩尾付近で留まっている。
女のハンターというものは、世の中には男ばりに逞しい身体つきのものもいるが、大体が引き締まり狩猟者の輪郭を持っている。が、レイリンのこのまるで一般人な手首は逆に珍しい。

「ようやく上位のハンターになったっていうのにな……」
「だって師匠、置いてくなんて酷いじゃないですか!」
「『先に行くぞー』って言っただろ。それよりレイリン、鼻血出てる」
「え、やだ!?」
「うっそー」

目の前でレイリンが憤慨している様子が、もう面白くて仕方ない。

どんくさいが、温泉で酒を飲みまくりよくぶっ倒れる影丸を運んだり、ご飯の支度をしたりと甲斐甲斐しく世話をしてくれるのもまた彼女だから、私生活面では優秀である。
ただいかんせん、どんくさい。それはもう、村人全員が「よくハンターやってられるな」と毎日呟くくらいに。

「……全く。けどまあ、よく上位ハンターになれたもんだ」

最初に会った時は、数年前。ドスファンゴに追い掛け回されていた新人ハンターを、ちょうどそこで採集していた影丸が2~3太刀浴びせて倒したことがきっかけだった。何故かその後、たびたび出くわしては助け、「弟子にして欲しい」と頼まれる事態に。
あれを思えば、ずいぶん上達したということだ。
師匠らしいことはしていないが、レイリンは「師匠、師匠」と後ろをくっついて回る。さながら刷り込み完了のカルガモの雛のようで、それにひそかに和んでいるのは秘密だ。

「ところでレイリン、その靴の音はもうどうにかしないか。サイズ、合ってないんだろう?」
「それは、そうなんですが、でも……」

レイリンが足を踏み直すと、バコ、と音を立てる。そう、珍妙なついてくる足音は、彼女のグリーブからであった。
サイズの合っていない靴を履くとか、これはどんくさい以前にもっと根本的な部分を指しそうである。
だが、当の本人は苦に思っていないのか。

「師匠が作ってくれた、ものですから」

……嬉しそうに笑っちゃって、まあ。
影丸は、肩をすくめ笑みを返した。

どうにもやはり上位ハンターになっても危うい、ということでレイリンに作ったこの装備。だが武器屋が、話をよく聞かずにグリーブを影丸サイズに作ってしまったのだ。慌てて他の胴部や腰部のサイズをレイリンに合わせるよう説明したことで、全防具男性サイズは回避されたが……靴だけが、悲惨なことに。
おかげでついて回る時はベッコンバッコンと、長靴みたいな音がする。
これは本人の歩く癖もあるのだろうが、それにしても歩きづらいんじゃないだろうか。

「そろそろ、変えるべきだろうけど」
「いえ、良いんです。これで」
「いやほれ、他にあるだろう。それだと上手くない理由が」

レイリンは、「??」と不思議そうに首をかしげる。影丸は苦笑を深めると、背中に負った断牙刀の柄に手をかけた。

「――――― その音で、モンスターが近付いてくる」

実は少し前から見えていた、レイリンのすぐ後ろ。山道の上に、今回の狩猟対象であるモンスター ―――ドスジャギィが跳躍した。
ハッとなって振り返ろうとしたレイリンを、肩を掴んで後ろ退かせると、太刀を引き抜きドスジャギィの顎を柄で突く。そして、続けざまに鋭い刃を薙ぎ払い、大きく反り返らせた。

……後ろで感心しているが、レイリン、お前《自動マーキング》がついてるんじゃないのか?
という突っ込みが出かかったけれど、飲み込むことにした。

ドスジャギイは「グギャッ」と呻いたが、すぐさま体勢を整えてその獰猛な目をぎらつかせる。さきほどの一撃で、完全に血が上ったようだ。特徴的な鳴声でジャギィを呼び出し、地面を何度も蹴る。
影丸には難のある相手ではない。が、それを狩猟するのはクエストを受注したレイリンのため。

「よし、とりあえず行って来い」

太刀をしまい、釣りポイント付近にダッシュした。
「師匠ー?!」とレイリンの悲鳴じみた声が聞こえたが、無視。
今の実力なら十分だろう。まあ、危険区域に認定されている場所に生きるジャギィだから、注意は必要だが。

ベッコンバッコン、と奇妙な音を立ててはいるが、攻撃をかわし、片手剣を振る姿は上位ハンターらしい機敏さがある。
つい最近にハンターランクを上げたくらいだから、上位の世界でやっていくにはこれからが最も大変だが……。
際限なく呼び出されるジャギィを、申し訳ないが切り伏せていき、レイリンの周囲を囲まれないようにする。
必死に戦う後姿を見つめ、影丸はいつぞやの風景を思い出した。



下位のドスファンゴに追い掛け回され、半泣きだった新人ハンターの少女。調合の道具集めにそこへ足を運んだ影丸は、ばったりとそれに出くわしてしまった。あんまりにも凄まじい逃走劇だったため、一時の同情心から助けたことが原因なのか。
上位クエストから戻った影丸の前には、もうかれこれ数ヶ月前からねばりにねばる少女が佇んでいる。

弟子にして欲しい。
その戦い方と技術を、教えて欲しい。

少女は数ヶ月前から、そう必死に言っていた。影丸はユクモ村の専属ハンターであったが、この少女はギルドから新たに派遣された村専属ハンターの志願者だったらしい。
ギルドマネージャーから聞かされたが、当時の影丸に、現在こそある大らかさなど皆無であった。
別に村のハンターが増えようと構わない、が、弟子などもっての他だった。

「俺は弟子なんてもの取るつもりはない。良い師になりそうな奴は多くいるんだ、他を当たってくれ」

この早口な言葉で、毎回会話を終わらせていた。
それでも少女は、諦めようとしなかった。手荒く追い払っても、冷徹に過ぎ去っても、少女は何度も影丸の前に現れた。そしてそのたび頭を下げた。
けれど、影丸も態度を変えなかった。

「……ご主人、良いのかニャ」

ジンオウSのオトモ装備に身を包んだ、真っ黒な隠密模様のメラルーのヒゲツが口を開いた。彼の視線は、置いてきた少女をちらりと肩越しに見ていた。

「何がだ」
「あの娘は、本気のようだニャ」
「だから?」
「応えてあげても良いと思うニャ。ご主人の腕なら、いくらでも鍛えられるはず……彼女のそばのアイルーも」

影丸は、言葉を返さなかった。ヒゲツはしばし見つめ、そして小声で「まだ、許してないのかニャ」と言った。

「もう、《あれから》何年も経つニャ。軽く5年は過ぎてるニャ」
「分かっている」
「俺も、生きているって信じてる。けれどご主人、独りでいても変わらないのも事実ニャ」

……そうだな。お前の言い分はいつも正しい。

「……ご主人は、誰かを殺すハンターではない。もう許してあげるニャ、自分を」

ヒゲツはそれだけを言うと、口を閉ざして静かに付き従った。
影丸が新人ハンターの頃から側にいた、オトモアイルー。ヒゲツには、もう影丸の心情など全てお見通しということだろう。
影丸は、その時初めて少女を肩越しに見てみた。寂しそうに俯いていたが、けれど瞳は諦めてはいないようだった。
彼女の隣に立つ、青銀色のアメショー模様のオトモアイルーへと視線を移してみる。どんぐり装備のそのアイルーは、少女を慰めている。諦めるように言っているのだろうか。

……とりあえず、少し疲れた。早く休もう。
もしあの少女が、次にまた訪ねてきたら……話だけでも聞いてみるか。

それが、現在の関係に至ることになるとは、思ってもいなかった。




「師匠酷いです、いきなり放り出すなんて!」

ベッコバッコ、と緊張感のない靴の音を立ててレイリンが近付いてくる。その目は半泣きで潤んでいた。そのわりにしっかり剥ぎ取った素材を握り締めている。

「大丈夫だと思ったからだろ。ドスジャギィしっかり倒せたんだから」
「え、あ、はい……あの、上手く出来てましたか?」

剥ぎ取った素材をしっかり持ち、レイリンはモジモジと身体を揺らし聞いてくる。
だが、影丸は表情を特に変えず、「え? 全然」と返した。「あんなに頑張ったのに?!」とレイリンから泣きそうな声が飛び出す。

「っていうのは冗談だ。上出来、上出来。ただ、ちょいちょい癖が出てんな。いい加減敵の進行方向に避けんな、よく見ろ」
「え、えへへ、上出来ですか?」
「おいそこ、笑ってんな。聞け。それと、10点満点でせいぜい2だ」
たった2?! それ上出来って言うんですか?!」

不満そうな声を出すレイリンを尻目に、「さて、発掘でもして帰るか」と影丸はさっさと歩き出す。
慌てて素材をポシェットに入れたレイリンが、「待って下さい!」と言いながら走り寄ってくる気配の中、また盛大に転げる。
あのサイズ違いの靴のせいが2割ほどあるのを、影丸はちゃんと知っている。( 残り8割はレイリン自前のどんくささ ) だが、それでも彼女はサイズを変えようとしない。手直しぐらいの金はあるだろうし、万が一無くとも影丸が出してやるくらいの器量はあるつもりだ。それでも頑なに履き続ける彼女なりの理由は、影丸を妙に照れくさくさせる。


上位ハンターになるための試験を兼ねた緊急クエストに、一人で向かったレイリンは少々時間を費やしたものの見事達成して戻ってきた。
まあ姿は、死闘を繰り広げましたと言わんばかりのボロボロなものだったが、土埃のついた頬には誇らしそうな笑顔が浮かんでいて。
師であった影丸も、ほっと安堵すると同時に、らしくもなく「よくやった」と頭を撫でた。その時の顔といったら、失礼なくらいに驚いていたものだ。
その日はゆっくりと休み、翌日は影丸と、影丸やレイリンのオトモアイルーたちで昇格の祝会を開くことになった。
そして、祝いの品として、その時にあるものを送った。

「ハンターS一式装備、ですか……?!」
「上位ハンターになった祝いだ。アイルーたちなりに考えた、祝い品もある」
「武具玉の、セット……? わあ、重武具玉まである! それも、5つも!」
「こっそり鉱山で集めていたんだってよ。ああ、武具玉と武具石辺りはそっちのアイルーたちが頑張ってたな」

影丸の足元で、アイルーたちが「ニャー!」と誇らしげに胸を張っている。影丸のアイルー陣営の中で最年長で冷静なヒゲツも、何処か嬉しそうだ。
レイリンは、それこそ本心からの嬉しさを笑顔に変えて、「ありがとう」と何度も言っている。

「サイズ、一応確認しといてくれ。あと、申し訳ないがグリーブは確実にデカいと思うから、後で俺に言ってくれ」

まあ、まさか武器屋が男物と女物のサイズを間違えるという、初歩的なミスをするとも思わなかったのだが……。
影丸が言うと、レイリンは首をブルッブルと振った。

「ありがとうございます、師匠。大事にします!」
「まあ、腕が上がればもっと良い装備作れるだろうし、繋ぎに使ってくれ」
「いいえ! 大切に、使いますから」

細い腕で、大事げに抱えて。
その心底嬉しそうな様子に、影丸も少しだけ、口元に笑みを浮かべた。

「何だか、少しだけ」
「ん?」
「少しだけ―――――」



「師匠、待って下さいー!」
「早く来い、ほら、後ろからジャギィノスが来てるぞー」
「え、うそ……?!」
「うっそー」
「もォォォォ……!!」

ベッコンバッコン、珍妙な足音は背後をついて来る。


「少しだけ―――師匠に認められた気がします」


その不釣合いなサイズの靴音が聞こえる間は、まだまだ手がかかるハンターなのだろうな。
影丸は、ナルガSヘルムで隠された口元に、呆れるような笑みを浮かべた。



そんな二人で、あって欲しいこの頃。
カルガモの雛認定のレイリンちゃんを、全力で愛す。


2011.07.25