壊すのは一瞬、創るのは永遠、存続は気分次第

「―――知ってるかい? このユクモ村はね、もともと二人のハンターに守られていたんだよ」

何でもないように、ギルドマネージャーの龍人族の老夫は笑ってレイリンへ言った。だが対称的に、そのレイリンは硬直していた。
相変わらずの散々な狩猟風景でクエストを終えた彼女が、ギルドのカウンターで報告などをしていた時だ。「今日はどうでした」「散々でした」と苦笑いの会話を受付嬢とし、その流れでギルドマネージャーのもとにやって来ただけだ。何の予告もなしにそう言われ、レイリンはヒュッと息を吸い込み言葉を無くす。
第三者が聞けば、確かに何てことのない世間話。
だが、ユクモ村に在中する専属ハンターに志願し見事叶った彼女にとっては、機密文書を見つけ出してしまったような心境だ。

このユクモ村で、その話題は禁じられているのだと、彼女は思っていたのだから。

固まったレイリンの斜め隣より、受付嬢が「マネージャー、その話は」とやや慌てていた。しかし当の本人は、「別にいいじゃない、いつか知ることさ」と瓢箪を傾け笑っている。

「レイリンちゃんは、立派なユクモ村ハンター。なら村に起きたことを知るのは、別に可笑しな話じゃないぜ、ヒック。
アタシがむしろ驚いてるのは、隠してることも含めすっかり閉じこもった彼の方だよ、ヒョヒョッ」

ドキリ、とレイリンは胸を跳ねさせる。彼、とは恐らく……。

「師匠の、ことですか」
「師匠! ヒョヒョッ、初々しくて良いねー。まあその彼のことだ」

ギルドマネージャーは、瓢箪をグイッと傾ける。

「プハーッ……ユクモ村は、何度も危機に見回れてきた場所でね。豊富な自然ゆえにモンスターも多く集まって来る、まあ運命みたいなものがあってよ」

ギルドマネージャーは、ユラユラ、と身体を揺らす。

「それを何度も退けてきたのが、他ならぬユクモ村のハンター……そ、レイリンちゃんの師匠の影丸だね。付近に住みついた危ないモンスターは、みぃんな彼が追い払ってきた。ヒック」

話してくれ、とは頼んでいないが……ギルドマネージャーは勝手に進める。止めれば良いかも分からず、レイリンは佇んだままだった。だが耳は、しっかりギルドマネージャーに傾けられている。

「英雄みたいだろ? まあ実際、英雄だけどね。そんな彼が変わったのは、ユクモ地方に轟いたあの出来事からさね」

ギルドマネージャーの目が、酔いに混じり鋭くなる。レイリンはドキリとした。

「ジンオウガ……ですか」
「そう、無双の狩人。雷狼竜ジンオウガ。あれを境に、彼はすっかり変わっちまった。無理もないけども、ハンター職も世知辛いねえ」

彼は、肩を落として落胆した。

「影丸には、一人の相棒ハンターがいた。ユクモ村に影丸より先にいた、ハンターでね。親友、好敵手、先輩、師匠……どれも当てはまるくらい、そりゃ仲が良くてね。実際、腕も良いし、影丸はいつも伸されてたねえ」

懐かしい、とギルドマネージャーは力なく笑った。

あの師匠が、伸されていた?
レイリンは驚いて、口を半開きにする。だが、次の瞬間には閉ざされる。


「―――ジンオウガとの戦いで、居なくなっちまったけど」


集会浴場が、一瞬静まり返った。
受付嬢も、番台アイルーも、ドリンク屋も、その場に居たものが皆息を潜めたのをレイリンは感じた。

「影丸を庇って、そのハンターはジンオウガと一緒に崖から真っ逆さま。その付近を捜索すること数日後、ジンオウガの亡骸は崖下で発見した。けれど、ハンターだけは見つからず、防具も何も無かった。数日の間に、血の匂いに集まったモンスターに食われたかもしれない、そんな憶測も飛び交った。何度も捜索をしたけど、結局見つからずギルドは死亡と断定することにしたんだ。
けど、影丸がそれを拒否してね、『見つかってもいないのに殺すな』って。安否不明の曖昧なままになったんだが、今も、生きてるか死んでるか分からない。後味悪く、そのクエストは終わってね。ヒック。
……そう言えばあれからだねえ、影丸が狂ったように狩猟へ向かうようになったのは」

影丸なりに、あのハンターの背を追いかけてるのか。

それともあらゆるモンスターを憎んだのか。

はたまた、ユクモ村を守るため修羅になったのか。

あれから極端に口数が減ってしまった影丸から、その真意を聞き出すことは難しく、想像すら出来ない。
その出来事からおよそ五年……当時十八歳程度の若い少年も、今やすっかり大人になった。だが彼の中て、まるで時間が止まったままのようだ。
ギルドマネージャーは、瓢箪を抱え、軽い声音でそう言った。

レイリンの胸に、ズシリと寄りかかる。何の脈絡も無く語られた、ユクモ村のジンオウガ討伐の詳細。無双の狩人を討ち取ったという華々しい結果しか見聞きしていなかったレイリンは、しばし呆然とした。

……いや、本当は、薄々察していた。

口を閉ざす村人の様子と。
英雄の扱いを受けることを、拒絶する影丸。
彼の自宅へ用事に出向く時、彼は決まって何かを見つめていた。写真立てだろうか、すぐに伏せられたが、おおよそを想像することくらい容易だった。

レイリンが押し黙っていると、ギルドマネージャーは不意に声を明るくさせた。

「けど、前のようになっているのは、嬉しいことだねぇ」

ギルドマネージャーの眼差しを感じ顔を上げる。人とはやや異なる瞳に、穏やかさが浮かんでいるように思えたが。

――――― 突如として感じる、異様な冷たい気迫。

背を貫き、心臓に突き刺さるようなそれは、レイリンには何だか見に覚えがあって。
同時に、冷や汗がドッと流れる。


「……本人が居るところで、噂話か?」


ギョェェェ! とレイリンの口から、声にならぬ悲鳴が弾ける。
受付嬢が、視界の片隅でやたら先ほどから焦っていたが、これを指してのことか。
低い男性の声は、どんどん近寄るが、振り返ることすら出来ない。
ただ一人、ギルドマネージャーだけは、相変わらずの笑顔だった。

「ただの世間話さ、そう怖い顔するんじゃないよ……ヒック。せっかく可愛いお弟子さん取ったんだから、もっと笑顔にならないと。影丸よ」
「誰のせいと」

やはり、師匠である。
レイリンが、半年も粘りに粘って弟子入りを頼み込んだ先輩ハンター。そして、ユクモ村のジンオウガ討伐を果たした英雄で、先ほどの話の人物。
ちらりと横目でうかがうと、迅竜ナルガクルガの素材から作り出される防具をまとい、背に太刀を負った見慣れた彼が佇んでいる。しかし今は、妙に居心地悪く、逃げ出したい気分にさせられた。

「……で、噂話だけか。していたのは」

ドキリ、とレイリンの胸が緊張に跳ねる。しかし影丸の目は、おおよそは気付いているようだった。ギルドマネージャーが「昔話を少しね」と言っても、怒りを露にしたり悲嘆に暮れたりなどはしなかった。だがやはり、鋭い空気がより鋭利になるのは、仕方のないことか。
レイリンは、ギルドマネージャーが勝手に話を始めたとはいえ最終的にはすっかり聞いてしまっていたのだから、細い肩を一層萎縮させる。それを見下ろし、影丸は小さく呟いた。

「……事実だ。否定しようもない。俺は英雄なんかじゃ、ないからな」
「ヒョヒョ、お前さんそう卑下しなさんな。アタシも皆、感謝してるんだから。もちろん、同じくらいに悲しい」

ギルドマネージャーと影丸の眼差しが、静かに交わる。
そこに如何なる感情が交差されたかレイリンに推し測ることもは出来ない。ただおろおろと、影丸を見上げていた。
この場にいては、ならない気がする。
どうにかして離れよう思考を巡らしていると、影丸は、ナルガヘルムの向こうで自嘲する。

「弱かったから、あんな結果になった。強くなるしかない。今はもうそう思って、受け入れたつもりだ。マネージャー」
「そうかい……」

何処か残念そうに、ギルドマネージャーは呟いた。
影丸は視線をそらすと、「じゃ、俺は疲れたからちょっと寝てる」と背を向ける。また、クエストへ行っていたのだろうか。
遠ざかる影丸、ギルドマネージャーの溜め息、レイリンが選んだのは。



「―――――師匠!」

石畳の階段を降りていく影丸を、レイリンは呼び止める。影丸は、ナルガクルガのヘルムを外した瞬間だったようで、頭を手櫛で直していた。毛先の跳ねた黒髪が陽射しに反射され、現れた精悍な顔には汗が僅かに見えた。

「何だ、でかい声出して。聞こえてるっつの」

呆れた表情や仕草は、いつも通りだった。けれどレイリンにはそれが、《何か》違和感を感じさせる。表現のしようのない、曖昧なものだけれど。

「師匠」
「早く休もうぜ、ギルドから何頼まれるか知らねえし」
「師匠、私」
「ああ、明日は前言ってた飛竜だったか。準備しておけよ」
「―――――師匠、私は!」

影丸は、ぴたりと止まる。
レイリンは泣き出しそうな顔をしながら、溢れそうな感情を耐えていた。
影丸の瞳が、鋭く光る。

「師匠、私は……」

ぐ、とレイリンは、手に力を込めた。

「師匠は、弱くなんか、ないと思います」

影丸の目が、見開かれる。驚いたように、唇が半分開き、動きを止めた。

「し、師匠は、私が来る前からハンターで、ハンターになる前からハンターで。強くて、今もずっとそう思っていて」

言葉がまとまらず、断片的に浮かんだものだけが矢継ぎ早に飛ぶ。

「だから、私は―――――」

「それは、俺に同情しているのか」

ぴたり、とレイリンが代わりに動きを止めた。
見上げていた影丸の全身に、モンスターと相対した時と同じ気迫が纏われていたのだ。

「それとも、慰めか」
「ち、ちが、そういうことじゃ―――」

ない、と続くはずだったが、影丸の語尾の強い声が遮る。

「ユクモ村のジンオウガ戦のことは、俺の弱さが招いた結果だ。何頭も狩り、驕っていた。青かったんだよな。
だから、俺は《アイツ》に報いらなきゃならない。アイツがいつ、戻って来ても……」
「し、しょう」
「――――― 残った俺が、すべきことはそれだけだ。モンスターを狩り、狩って狩って、狩りまくる。新しいハンターが増えてもな」

影丸の瞳に、鋭利な煌めきが宿る。それはとても狂暴で、しかつ熱くて。
普段、レイリンは彼を掴めない人物だと思っていた。人を悪戯にからかったり、かと思えば急に真剣になったり、集会浴場で酔いつぶれたり。彼が何を考えているか、正直分からなかった。
ユクモ村のジンオウガの件を口に出来なかったのは、それもあったかもしれない。

だが今は、どうだ。

感情が逆巻くように、彼の全身から感じ取れる。怒りも、強さを求めていることも。あれだけ不明瞭だった、彼の内側が垣間見える。
……この男性は、今もずっと、ジンオウガ戦のことを思い続けているのだ。居なくなった仲間を思い続けている、あれから数年と経過した今も。信じているのだ、居なくなった仲間が戻って来ることを。
けれど同時に、自身を許していない。それは牙となって、狩り場へ向かうのだ。

……確固たる感情があるけれど、曖昧な態度でひた隠す。
それが、彼のやり方か。

なんて上手い隠し方。けれど、上手いからこそ……。

「……そんな風に言わなくても、皆、信じてる。ハンターとしても、人としても」

影丸は、鋭利な輝きを霞ませることなく、狂暴な笑みを浮かべた。
それは、恐らく恐怖となって、レイリンの背を震わせた。

「アンタはまだ分からないだろう、目の前で人が死ぬ光景が、一体どんなものか。
怖いのは、そういう状況じゃない。そういう状況にしてしまった、あの時の自分の無知さだな。
……俺は、あの光景を、忘れないさ。忘れたら、アイツに助けられた意味がなくなる」

自分は上段にいて、彼は下段にいて。行こうと思えば、容易く距離を埋められるはずなのに。

「泣きそうな顔だな、それは俺に対してか? ……はは、言っただろ、俺を師匠に選ぶと後悔するって」

打って変わり、彼は晴れ晴れと笑った。

遠い。
遠すぎる。彼との、距離が。

影丸の強さが、あまりに不安定な部分で成り立っていて。
しかしレイリンに、決して踏み込める部分では立っていない。

「休んどけ。明日もある」

影丸は背を向けたが、「ああ、そうだ」と思い出したように再度レイリンへ振り返る。

「ジンオウガの件と、弟子の件は別だ。そこは混ぜてはいないから、安心しろよー」

ひらり、と手を振って石畳の階段を降りていく師の後ろ姿。
追いかけられず、レイリンは静かに見送った。
溢れていた感情が、奥へと沈みこみ、言葉の形にはなりそうに吐息だけが吐き出される。

……今ほど、あの後ろ姿に泣きつきたいことはない。


( 貴方は、死にたいんですか。それとも、生きたいんですか )

そんな問いは、レイリンに出来やしなかった。
出来ればジンオウガのことは、知らないままで居れば良かったと、思う今の彼女では―――――。



影丸のキャラが分からないから書いてみた。そうしたら、もっと分からなくなった。
ブレてるどころの話しじゃない、軸がない。
迷走しながら突き進む私に、影丸を書きこなせる日は来るのだろうか。

( お題借用:Lump 様 )


2011.11.21