無意味な体温

時は夕刻、太陽も西の空に沈もうかという頃―――
ほかほかと湯気の立つ料理が並ぶ卓の前に、ぽつんと座る少女の姿があった。
穏やかな―――どちらかと言えば、おっとりとした顔立ちをしているが、その表情は困り果てたようなものになってしまっている。
修行(村人の間では、若干スパルタが入っているともっぱらの噂)から戻った後、師匠である影丸とは集会浴場で別れた。
食事の支度をするために、レイリンが先に影丸の家に戻ったのだが、普段であればレイリンが食事の支度を終える頃には、影丸が帰宅している。しかし、今日はいつまで待っても帰宅する気配がなく、そうなると「帰宅しない理由」の第一位に挙げられる状況になっている可能性が高くなるわけで―――
すでに嫌な予感で溢れかえっている頭の中から、最悪の事態を振り払おうと努力するレイリンだったが、それが無駄なことだったとすぐに知ることになる。

「レイリンさんはいるかニャ?」

集会浴場から続く通路から、ひょっこりと一匹のアイルーが顔を出した。頭にはねじり鉢巻き、赤い前掛けをしたアイルーの姿を見た瞬間、レイリンの表情が僅かに強張った。

「師匠がご迷惑をおかけして、すみません」

用件も言わない内に深々と頭を下げるレイリンに、駆け寄ってきた集会浴場のアイルーが首を横に振り、頭を上げるように促す。

「今日は、いつもよりペースが早かったみたいだニャ。機嫌よさそうに飲んでいたから、止めるのも悪い気がしたニャ」
「でも、それで皆さんにご迷惑をおかけしては…」
「きっと、何かいいことがあったに違いないニャ。今日は、怒らないであげてほしいニャ」

ぱたぱたと尻尾を振りながら言うアイルーに、すっかり沈んでいたレイリンの表情が少しだけ明るいものになった。

「あの、師匠はどこに?」
「ベンチの所で横になってるニャ」

以前、集会エリアのど真ん中で大の字で寝ていたのよりは、マシな状態か。そう思いつつも、集会浴場へ向かう足取りが、普段のそれより重いものになってしまうのは、仕方のないことかもしれない。

アイルーと共に向かった番台脇のベンチには、すっかり酔い潰れた影丸の姿があった。番台さんにも詫びを入れてから、レイリンは影丸を連れて帰ることになったのだが―――


「師匠、もうすぐベッドに着きますから! まっすぐ歩いてください!」

自分よりも長身で体格のいい影丸に、レイリンが「肩を貸す」ということは不可能で。容赦なく体重をかけてくる影丸に押し潰されそうになりながら、せめて倒れないようにと全身で支える。
なんとか影丸宅に辿り着き、倒れこむようにベッドに横たわった師匠に巻き込まれるのを辛うじて回避できたのは、日頃の鍛錬の賜物に違いない。

「クーラードリンク、持ってきます」

本来のそれとは異なる目的で使用されている常備品を取りに行こうとレイリンが背を向けたところで、ゆっくりと伸ばらされた影丸の手が、レイリンの腕を捉え、ぐいと引き寄せる。
先程までまっすぐ歩くのも困難だった姿からは想像できない力強さで腕を引かれ、バランスを崩したレイリンがベッドに腰を下ろすのとほぼ同時―――

「し、師匠!?」

慌てふためくレイリンは気にも留めず、影丸の頭がレイリンの太腿の上に乗せられた。大きく息を吐き出し、目を閉じたままの姿からは、一切動くつもりがないことが見て取れる。
いくら体格差があると言っても、この状態から抜け出せないことはない。だが、レイリンが立ち上がることはなく、必死に腕を伸ばし、ベッド脇に用意しておいた団扇(影丸を迎えに行く前にスタンバイ済み)を取ると、黙々と団扇を動かし始めた。
その表情は、どこか諦めたようでもあり―――どこか、嬉しげにも見えるものだった。


団扇を緩やかに動かし、微動だにしない影丸に風を送りながら、レイリンはドリンク屋の言葉を思い出していた。


―――今日は、いつもよりペースが早かったみたいだニャ。機嫌よさそうに飲んでいたから、止めるのも悪い気がしたニャ。


影丸が温泉で酒を飲むのはいつものことだが、千鳥足になるほど飲むことは、それほど多くはない(ということにしておこう)。
機嫌よさそうに、という理由はなんだろう―――と考えている最中、脳裏をよぎった出来事に、団扇を扇いでいたレイリンの手が止まる。
それは、今日の修行中。依頼があったものとは別の大型モンスターに遭遇してしまい、師匠の「ひとりで狩ってこい」の一言で、否応なくタイマン勝負を挑まされた後のこと―――
なんとか大型モンスターを討伐し、素材を剥ぎ取っている最中に、くしゃくしゃと頭を撫でられた。背後から撫でられたせいで、影丸がどんな表情だったかは分からない。しかし、彼にしては珍しい行動だったから、ひどく驚いたレイリンは剥ぎ取ったばかりの素材を取り落してしまい、若干へこむことになってしまったのだが。

(いや、まさか。師匠が、それぐらいで機嫌よくお酒飲むなんて。ないない、ないですよ)

一瞬で熱を持ってしまった自分の頬を押さえ、膝の上に居座り続ける影丸の顔をそっと見下ろす。
酔い潰れてしまった影丸の介抱は何度もしているが、ここまで近い距離にいるのは、初めてかもしれない。早鐘を打ち続ける自分の心臓を叱咤しながら、平静を装うことに全力を傾けた。

ハンターとして、師として尊敬している。だが、それ以上に、ひとりの異性として恋い慕っているのだと。自分の気持ちを自覚する前にオトモにそう言われた時は、さすがに落ち込みもしたが、否定することができないほど、影丸は自分の中で大きな存在になっていた。
きっと、自分はこの人の背中をずっと追っていくのだろう。そう思うようになってから、もうどれくらいの月日が過ぎたのか―――そこまで思いを巡らせて、レイリンはそれ以上考えるのを止めた。

(師匠は、なんとも思ってないみたいだし。膝枕だって、酔ってるからに違いないもの)

考えれば考えるほど、落ち込んでしまいそうで。思わず零れた溜息を誤魔化すように、ぶんぶんと勢いよく頭を振る。
その振動が伝わっただろうに、未だ影丸が動く気配は、全くない。

「師匠、温泉でのお酒は控えてくださいね?」

声をかけてみたものの、返答はもちろん、なんの反応もなかった。
呼吸も規則正しく、(怒られるのを覚悟で)つんつんと頬を突いてみてもぴくりとも動かないのを見て、「寝ている」と判断したレイリンは、ぎゅっと手を握り締め、大きく息を吸い込んだ。

「…私でよければ、お酌させていただきますから」

囁いた声は、ふたりきりの部屋でも聞き取れるかどうかというほど、小さかったけれど。
それを聞いた影丸の口元が綻んでいたのを、恥ずかしさのあまり顔を逸らしてしまったレイリンが気付くことはなかった。



マイスイートハート、あずみ様からの初モンハン小説の贈り物。
嬉しすぎて、吐血した。
もう、もう、この人は私のツボをしっかり心得ていますよね……ッもっとやって下さい……!

( タイトル借用 : 空中残骸 様 )

■ □ ■

【補足説明】
影丸:管理人のプレイキャラ。よく温泉で酒飲みまくってべろんべろん、そのままクエスト行きます。
レイリン:あずみ様のプレイキャラ。べろんべろんな影丸をしっかりサポートする出来た子。

主に私とあずみ様のプレイ状況でもある(笑)


2011.07.18