神に挑んだ結末

――――― これも、一つの物語の結末である、という事だろう。

もう一度奇跡を起こす為に、劇薬となるか秘薬となるか定かでないドキドキノコを口にした、二匹の獣。
かつてユクモ村を守った狩猟者であったセルギス――ジンオウガと、世界を飛び越えた一般人の――桜色アイルー。
再び賭けた奇跡は、静かに渓流で起きた。
七年もの間、孤独に見放されたジンオウガを、《世界》は再び受け入れた。物語風に言うならば、魔獣になった人間は、元の姿へと戻った。セルギスという名を再び得た彼は、友人と再会し喜んだ。

私はそれを、影で静かに見つめ、祝福する。
奇跡を望んだが、世界は其処まで優しくは無いらしい。一度起こした奇跡を、別の生き物に与え無かった。

牙竜の容姿ではなく、人間の輪郭となった彼の手を握るの手は、変わらず桜色のアイルーの手であった。
正直、かなり堪えるけれど……。セルギスが人の世へ戻れた事は偽り無く嬉しい事だ。

これも結末という事であれば、私はもう甘んじて受け入れよう。
いつかまた、戻れる事を信じて―――――。



――――― ユクモ村の、影丸の自宅

影丸とジンオウガの争いを納めた後、やカルトなども含む彼女らはユクモ村へやって来ていた。
寝台に腰掛けた、かつてジンオウガであったセルギスの眼差しを受けるは、小さく笑って見せる。

「そんな顔、しないで下さい」

そう、とセルギスの握り締めた手を撫でる。
かつて触れていた、堅殻の冷たい感触は無く、温もりを帯びた男性のそれがの手のひらへと返ってくる。

「……すまないな」

掠れた声で告げたセルギスの顔は、強張っていた。
三十歳前後の、年齢を増し落ち着きと狩猟者の盛りを得た精悍な顔立ちは整っており、首筋や広い肩、恵まれた体格は見知らぬ他人そのものであるが、彼の紡ぐ声がから違和感を少しだけ薄れさせる。
淡く焼けた肌色と、赤銅色の髪からは、ジンオウガの気配など微塵も無いが、目の前の男性が渓流で「人に戻りたい」と共感しあった彼である事は無意識の感覚で理解出来たからだろう。
折角、人に戻れたのに。もっと良い表情見せてくれても、良いのに。
そう思ったが、恐らくが逆の立場であればそうもなれないな、と予想出来て、苦い笑みを微かに浮かべる。

「きっと、七年も耐えたのだからもう良いだろうって、神様ってやつが認めてくれたんですよ。多分」

だから今度は、私の番。
この姿がどれだけ続くか分からないが、今度は私がこの姿で世界を見て、触れて、生きていく番なのだ。

セルギスの大きな手が、頭を撫ぜる。申し訳なさそうにする表情と同じ、まるで謝罪の念も含んだぎこちない指先が、桜色の猫の毛をなぞる。

「それに、これからが大変じゃないですか。セルギスさんは」

は言うと、セルギスの足を見つめた。
和服に似たユクモ村の衣装から覗く、彼の長い足にはしっかり床板を踏んでいるが……足首には包帯が巻かれていて、寝台の側には杖が立てかけられている。

「歩けるよう練習していかなければ、ならないじゃないですか」

セルギスは、小さく苦笑いをこぼした。
七年という時間は、決して短くはない。四足で行動する事に慣れた彼にとって、二本足で立って歩くという極当たり前の事が、セルギスには至難の業であった。彼曰く、身体が軽すぎる、バランスが取れない、との事。杖を持てば何とか歩けるようだが、周りから見れば未だ不自由なように思える。

「いずれ、問題なく生活出来るようになるさ。それよりも……」

セルギスの瞳が、静かにを見据えた。

「お前は、どうする。これから」

これから、か。
は反芻し、少し俯いた。桜色の、見慣れてしまった獣の小さな足が見えた。
セルギスを気遣い、カルトと共にユクモ村へやって来たが、いずれは戻らなければならないだろう。あの渓流へ。
は口にはしなかったけれど、セルギスは嗅ぎ取ったのか彼女の口が開く前に言葉を放つ。

「……俺はお前に、世話になった」
「え?」
「俺が人であると信用してくれたし、あの姿でも気にしなかった。今度は俺が、報いる番だ」

セルギスの目が、ふと緩められる。彼の指が曲げられ、のピンッと張った猫の耳が柔らかく曲げられる。

「――――― ユクモ村で、暮らさないか」

は、目を真ん丸に見開いた。ドキリと心臓が飛び跳ねた感覚が、内側で響いた。

「ネコバアからは、俺からも言うが、影丸やレイリンからも口添えをしてもらえば、恐らく問題はない。前に、社会見学で来ただろう、それを理由にしても通るはずだ。
あのアイルー……カルトと一緒でも、大丈夫だろう。
渓流で暮らすよりも、この村に居た方がお前にもずっと良いはずだ」

この、村に?
は理解するまでに時間が掛かり、その間半ば呆けるようにセルギスを見上げていた。
そんなを見下ろす彼は、穏やかに、けれど何処か困ったように、眼差しを揺らした。

「無理に、とは言わないが……」

は、其処でようやく言葉の意味を飲み込んだ。寝台の縁に腰掛けたセルギスの膝に、身を乗り出すようにして両手を重ねた。

「い、良いんですか。私が」

セルギスは一瞬、面食らったようにその瞳を見開くが、ゆるりと穏やかに緩め「当たり前だろう」と小さく笑った。

「お前が人であれば、人の輪の中に居るのは当然だ。アイルーとしての制約が掛かるが……渓流よりも、ずっと良いだろう」

不意に、セルギスの手がの脇の下へと伸ばされる。子どもを抱えるように、の身体は軽々と持ち上げられて、セルギスの膝の上へ乗せられた。
の眼差しは、広い胸を伝って、筋の浮かぶ首を上がり、彼の琥珀色の目とぶつかった。

「ジンオウガの姿だった俺が戻れたんだ……いつかは、お前も戻れるだろう。それまでは、ユクモ村に居たら良い」
「セルギスさん」
「だから、それまでは」

俺が一緒に、泣いてやるさ。
少し冗談交じりに、けれど眼差しは穏やかに。
は小さく笑い、「ありがとう」と呟くと、静かに溢れた涙でヒゲを濡らした。



人に戻る事が出来なかったのは、彼のようにもっと長い時間を過ごすようにという気紛れなのだろうか。
もう少し、この姿に付き合ってみなければ分からない事でもある。

は今一度決意を改めて、オトモアイルーを志したカルトと共にネコバアの元へと向かった。
場所を新たにしたアイルーの生活がスタートするのは、間も無くの事である。



もう一つの結末を、書いてみる事にしました。

これはこれで、オイシイ!!

夢主はアイルーの状態なので、相手は……恐らく必然的に、同じアイルーたちになるやも。
……彼とか、彼とか、彼とか!!

とある方から頂いたメールに、情熱たきつけられました。この場を借りて、お礼申し上げます。素敵な天啓をありがとうございました。


2012.03.01