ネコの流儀と恋の駆け引き

ユクモ村の集会浴場にて、働く事になった桜色アイルー……の姿になってしまった元人間の
ユクモ村ハンターの、ドジっ子を超越したドジっ子であるレイリンが紺色の着物とフリルエプロンの大正風給仕衣装 ( アイルーサイズ ) を作ってくれたので、それを着て仕事に臨む事となってしまった。
当初の頃は、「やべえよこんなの私着たら」と何度も鏡を見て泣きそうになったのだけれど、集会浴場の番台アイルーやドリンク屋アイルーは「客が喜ぶ」と強く頷いており、製作者レイリンとハンターズギルドの受付嬢たちは「可愛い」と撫で回してきた。

……本当かな、と不安は抱いた。

お馴染みの男性陣たるセルギスと影丸は、「うん似合う」と笑っていた。ちょっと影丸の笑い方が、馬鹿にしているようにも見えて何とも言えぬ気分になったが……。カルトなんかそっぽを向いて、ヒゲツは無言だった。この反応に、一層の不安を強めたものだ。
だが、いざ不器用ながらドリンク運搬にせっせと駆け回ると、温泉に浸かるハンターや観光客からは受けもよく、帰り際も声をかけてくれるなど非常に好評であった。ついでに頭も撫でて貰った。本人としては、目ん玉むいて驚くくらいの反応である。
が内心でどう思っても、見た目は愛らしい桜色アイルーそのものなので、まあきっと、そう悪くは無かったのだろう。

製作者レイリンも好評な声に気を良くし、またの為にお洋服を作ると張り切っていた。今度は何が来るか検討もつかないが、有り難く待つ事にしている。

そんな事で、順風満帆なドリンク運びのお手伝いアルバイト。
慣れれば何とやら、この頃は大正風給仕衣装も違和感なく着こなせていると思われる。

ただ一つ、問題をあげるとなれば……。



「……ねえ、カルト。いい加減、目を合わせましょうよ」

ひょい、と顔を覗くと、それに合わせてひょいっと視線が逸れる。それをまた覗き込もうとすると、またも彼はひょいっと逸らす。何なのだろうか、本当。

「こないだからずっとそれ、何よ。気に入らないの? 集会浴場で働くのが」
「べ、別に、そういう訳じゃないニャ!」
「じゃあ何で」

はピコピコと猫の耳を揺らし、不愉快そうにヒゲを震わす。小脇にお盆を挟んで頬をむくれさせると、チラリとカルトが視線を向け。
そして、凄い勢いでまた逸らされる。
何なんだー! お姉さんだって怒るよ!

「もう、気に入らないなら気に入らないって言えば良いのに」

がそう呟いても、カルトは顔を背けたままだ。背負ったどんぐりハンマーのせいで、顔がよく見えない。
カルトが自ら集会浴場に来て、のところへやって来たのに、この調子では本当に何がしたいのか疑問だ。ちょうど客足も少ない時間帯だったのでしばし付き合ったけれど、一向に口を開こうとしないのでは溜息をつく。おっと、ヘッドドレスがずれている。

「いやはや、若人のやり取りは初々しくて実に微笑ましいですニャ!」

なんて暢気に笑っているのは、扇を開いて流暢に言葉を操る番台アイルーである。客の衣服や荷物を管理し、また温泉への出入りと泉質管理も全て取り仕切る彼は、いつもの定位置の番台でパタパタ扇を仰いでいる。

にとっては、今や先輩であり、そして上司でもある。

「微笑ましい、ですか。番台さん」
「それはそれは、とても微笑ましいですニャ。カルトさんも、なるほど女性の着飾った姿には弱いと見受けましたニャ」

はい?
が小首を傾げると、途端に隣のカルトは振り返った。番台アイルーへ向かい、唾を飛ばす勢いで猛抗議を始めた。

「別に、そういう訳じゃないニャ! ただちょっと、見慣れないから、見てられないだけニャ!!」
「いやはや、全くもってその通りですニャ。やっぱりさんのお着物姿は、男には少々刺激が」
「違うって言ってるニャ!!」

顔を真っ赤にし、番台に詰め寄りカルトは飛び跳ねた。が、その頭上で当の番台アイルーは楽しそうに笑っているばかりだ。
……何なのかさっぱり分からない。置いて行かれたは、呆然とその光景を見つめる。
微笑ましい笑みも周囲から頂いている間に、集会浴場の赤い暖簾がパサリとめくられ、現れたメラルーがの後ろへ歩み寄った。

「すまない、カルトは居るか」
「あ、ヒゲツ。いらっしゃいませ」

くる、と振り返った先で、隠密模様のメラルーが眼光鋭く佇んだ。
溶岩峡谷と呼ばれる火山地帯の奥地に住む、覇竜アカムトルム。その端材から造られた防具に今日も身を包むヒゲツは、静かに会釈をする。彼の金色の目は、メラルーの愛らしさに反し非常に鋭く獅子に近いけれど、すっかり親しくなったにとっては、特に怖がる要素ではない。
パタパタ、と桜色の尻尾を揺らし、番台アイルーと未だ言い合いをしているカルトを指させば。
ヒゲツはツカツカと歩み寄り、無言でゲンコツを一つ落とし引きずり戻ってくる。

「これからうちの旦那と共に、狩猟依頼を受ける予定でな……全く何をしているカルト」

アニキとまで呼んで尊敬するヒゲツに怒られ、カルトは頬を膨らませながらも黙りこくる。何だろう、ヒゲツという名はコウジンだけでなくカルトにとってもある意味では魔法の言葉なのかもしれない。

「そっか、これから依頼なんだ。頑張ってね、怪我しないように」
「ああ」

お姉さん心で告げたに、ヒゲツは頷き視線を合わせる。そうすると、彼の金色の瞳がやや戸惑うように揺れて、を頭の天辺から足先まで見下ろす。

「? 何?」
「い、いや……その……」

珍しく、ヒゲツまでも言葉を濁した。普段は冷静にハキハキと告げる彼を思えば、随分と珍しい事であり。思えば最初、がこの大正風給仕衣装を初披露した際にも、彼は無言だった。

「似合わない?」

は苦笑いをこぼし、そう告げた。ヒゲツは即座に首を振り、何かを呟いたが、あまりにも小さな声で聞こえなかった。
え、なに、フランス語?

「いや、そうではなくて。ただ、その……」
「?」

頭のヘッドドレスを再度直し、は瞬きを繰り返す。
不意に沈黙が流れたが、それを唐突に破ったのは――――ゴロゴロ、と何かを転がす音であった。
が振り返った先に映ったのは、大タルが転がって進む光景。そして、多忙ゆえに中々会えない、彼の姿であった。
横たえた大タルに乗っかり、器用に転がしながら進む彼は、ハンターズギルドの受注カウンター前で立ち止まる。ピョンと飛び降りると、風呂敷マントがはためき、口にくわえた葉が揺れた。猫の形を模した笠の向こうに、眼帯をしたメラルーの顔が覗く。
の眼差しに彼の方も気付き、大タルを立てると笠を押さえて歩み寄った。

「わ、久しぶり。ニャン次郎」
「これは、お久しぶりですニャ、姐さん」

笠をずらし、彼――ニャン次郎が口元を上げ笑った。
そして、ヒゲツとカルトにも会釈をし、改めてへ話しかけた。

「風の噂には聞いていましたニャ、ユクモ村に新しいアイルーがやって来て集会浴場で働いていると。まさか姐さんでしたとは、あっしも思いませんで」
「ふふ、そうなの。此処で、ドリンクとか軽食の運搬係のアルバイトで働かせて貰ってるの」
「ニャ、あっしは普段からタル配達で外に出ているもんだから、全く気付きませんで。そうですか、此処で」

親しげに話すとニャン次郎を、ヒゲツとカルトはやや目尻を尖らせ窺う。彼らの視線に気付かず、は久しく会ったニャン次郎に上機嫌であった。

「ところで、姐さん。その服は、働く時の制服ですかニャ」
「そう、村のハンターのレイリンちゃんが、夜なべして作ってくれたの」

たっぷりのレースをあしらった、白いヘッドドレスと白いフリルエプロン。アイルーサイズの、手作りな紺色の着物。慣れてしまえば、も気に入った制服であった。大正の気風もあって、このレトロさは癖になる。
ニャン次郎は、のその姿を上から下まで眺め、そして細い目をさらに細めて笑った。

「よく、お似合いで。さすがは姐さん、何を着てもお綺麗ですニャ」
「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しい」
「いえ、まさか。あっしは、上手い冗談だって言えねえような男ですニャ、本心からそう思ってますニャ」

ニャン次郎はにこりと笑い、「やっぱり姐さんは、そうやって笑ってるのがよくお似合いで」とも付け加えた。
さすが人間の暮らしに慣れているだけあって、煽てるのも流暢だ。は少々照れながらも、悪い気もせずニャン次郎の肩を叩く。
……その後ろで、カルトとヒゲツの目が明らかに鋭さを増すも、やはりは気付かず。ただ、彼女の背後のその様子が見えているニャン次郎は、ヒゲツとカルトへ向かって視線を一瞬だけ寄越し、そして何処か意味深に目を細めて口元をつり上げる。挑発的とも言える表情の変化に、僅かな火花が散ったようでもあったが、は何処までも暢気に微笑んでいた。

「おっと、あっしはまた配達に出なくちゃなりませんで。姐さん、また」
「そっか、またね」

ひらひら、と肉球つきの桜色の手を振る。ニャン次郎は笠を被り直し、仕事道具であるタルのもとへと向かった。
―――― が、何か思い出したのか再び戻ってきて。

「姐さん、暇があれば今度、あっしと付き合ってくれねえですかニャ」
「え?」
「ユクモ村に戻る事も少ないあっしですが、姐さんがせっかく来てくれたんならお祝いの一つはしねえと」

パチリと片目を閉じ、ニャン次郎は今度こそタルのもとへと戻っていった。立てたタルを転がし、その上へと飛び乗ると、ゴロゴロと音を奏でて集会浴場の外へと暖簾をくぐり出ていった。器用に、あの状態で。
忙しそうな子ねえ、もっとゆっくりすれば良いのに。はためく風呂敷マントを見送り、はヒゲツとカルトを見たが。

何故か、凄い不機嫌な顔をしていた。

明らかに目が据わり、不愉快げにヒゲが震えている。じとり、とを見る二匹の眼差しに狼狽えずには居られなかった。

「え、な、何?」
「……いや、何でもない」
「何でもないって顔じゃないと思うけど……あ、ちょっと」

ヒゲツはカルトをひっつかみ、乱暴に暖簾をくぐって立ち去ってしまった。
暖簾の向こうでカルトの騒がしい声が、何かを喚いていたけれど、聞き取れず。
状況の読めぬは、その場でただ立ち尽くし首を傾げていた。

「―――― いやあ、やはり微笑ましい限りですニャ。ニャッニャ!」

番台アイルーの可笑しそうな声だけが、の頭上で響いていた。



ニャン次郎 VS ヒゲツ・カルト的な。
大正ロマンに照れてただけなのに、ニャン次郎に良いとこ全部持ってかれたみたいな感じ。

いや実際、ニャン次郎って女性を誉めるのも得意そうじゃないですか。え、私だけ?

そんなアイルーたちの、ニャンニャンしながら騒がしい青春。


2013.01.21