新種の雌竜追いかけて-出会いは渓流-

広大な渓流の近郊には、多くの人里が存在している。その豊かな緑と水源、穏やかな気候に恵まれた豊かな土地は豊穣で、人が暮らすには裕福な環境なのだ。
そんな渓流の離れにて存在している一つである、とある村。其処には、小さな研究所がぽつんと佇んでいた。
一応ギルドにも申請を立てて公認の研究を行う場所であるが、何分小さな建物である事と研究員の少なさから世に名を売り出すような立派な成績を残せた事は……まあ、云ってはなんだが、無い。
それでも、のびのびと生きるモンスターたちと大自然の未知を解明すべく、今日も小さな研究所は知的探求に没頭していた。

さて、そんな小さな研究所に、現在珍しくも波乱の気配が漂っていた。
其処で研究員として働く一人の若い青年が、上司であり所長である老年の男性へ机を挟んで詰め寄っていた。

「本当なんですってば! お、俺、この目で見たんです!」

若い、というか、二十歳にも満たない青年で、研究所に務める他の者たちと比べるまでもなく最年少である事が分かるだろう。
研究者を志す者も存在するこの世の中で、とりたてて珍しい事ではない。こういった研究は、今も多くの未確認の動植物が発見される中で実はとてえも重要な機関だったりするのだ。特に、その未知の大部分を発見するハンターたちが若年から老年まで多く現れる現在で、一研究者を目指す者だって然りな訳で、この青年が研究所に居てもおかしくはない。

だが、この必死に訴えて狼狽える様は、この研究所においては珍しい事であった。

机に詰め寄り、身振り手振りで何かを必死に伝えようとする彼を、周囲は不思議がりながら耳を傾ける。青年に詰め寄られる所長もまた、顎に蓄えた白いヒゲを撫でながら「まあ落ち着け」とやんわり宥める。
が、そうすると、青年は一層奮起して声を張る。混乱、あるいは興奮、そういった感情が織り交ざっていた。

「ほ、本当なんですよォ! こないだ渓流に行った時、見たんです!」
「……うむぅ……何だ、お前のいう事を信用しないわけではないが」
「でも実際に、俺は目の当たりにしました!」

ぐぐ、と身体を寄せ、所長に顔まで近づける。

「真っ白な、綺麗な四足の竜が渓流に居たんです。あれは絶対、まだ誰も見てない新種の飛竜ですよ!」

そう告げると、周囲から深い溜め息が漏れて響いた。
そんな押し問答に飽きてきた研究者たちは、青年を見やり告げた。

「あのさ、ユーリ。こう言いたくはないが、何分証拠がないと信用出来ないだろう」
「なッ! 俺の目を信用してくれないんですか?!」
「いや、そうじゃなくて……はあ、良いか、お前一旦落ち着け。はい深呼吸」

何をそんな悠長な、と青年……ユーリは口を開きかけたが。先輩の研究員に言われた通りに、素直に深呼吸を繰り返す。
そうすると、半ば錯乱状態だった思考が少し落ち着いて、彼の表情に幾らかの冷静さが戻った。

「……すみません」

どれだけパニックに陥っていたのか理解し、ユーリは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
ようやく落ち着いた彼に、周囲も所長も苦笑いを浮かべたが、決して彼を貶めたり馬鹿にしたりはしなかった。

「ユーリが見たものを、否定はしないさ。所長も、俺たちだって。
実際、今も様々なモンスターが現れている。最近存在が確認されて生態研究が進められているブラキディオス、ジンオウガ亜種、ジエン・モーラン亜種とか。遠い地方ではリオレイアそっくりな真っ黒な飛竜や、アビオルグ、ラヴィエンテ……まあ色々出てきてるらしいし。
ユーリが渓流で見たっていう、白い竜だったか? それも、新しい種の可能性もあるのは確かだ」
「だからこそ、俺たちがすべきは頭ごなしに決め付けるんじゃなく、その証拠を収める事だ。ユーリ、お前は今口先ばかりで言っているが、写真なりスケッチなり取ったのか」

ユーリはその時、ようやく彼らが言わんとした意味を悟り、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ない、です」と呟いた声は情けなく響いて、何処からともなく再び苦笑いの声が漏れる。彼の前にいる先輩研究者も同じく、厳しい声を緩めて笑った。

「ほらな。良いか、まずはちゃんと形を得る事。他の研究所に連絡を取るも、ギルドに協力を仰ぐも、まずはその存在が確かなものであるのか否か、きちんと得る事だ。さらに、一致する複数の証言も得る事が重要だ。
俺たちの言っている言葉の意味、分かるな?」
「う……はい」
「じゃあ、すべき事も分かるな」
「はい」

すみませんでした、と頭を下げたユーリに、所長は和やかに笑った。

「なに、研究熱心なのは良い事だ。お前が見たものをワシらだって否定はしない、もし確実な姿を捉えられたら大きな功績にはなる。
だが、履き違えてはならぬよ。自然や獣たちは、ワシらの玩具ではない。生きているし、時にワシらを飲み込む危険な存在だ。ゆめゆめ、それを忘れないように」
「はい」

ユーリは頷くと、彼らに礼をしクルリと背を向けた。
タタタ、と軽い足取りで駆けていった彼の向かう先など既に分かっていて、所長や先輩の研究員は一同に顔を見合わせて笑う。

「渓流に行ったな、あれは。若いってのは良いものだ、自ら飛び込む勇気がある」
「だな。……ところで所長、ユーリが見たっていう、その白い竜とやらは」

ふと漏らした言葉に、僅かに空気が緊張で張った。
それを感じながらも、所長は煽るような言葉は一切漏らさずに、「まずはユーリの好きなようにさせよう」と告げた。

「あれは心根が真っ直ぐな性格だ。お主達も、出来るだけサポートしてやってくれ。未来の研究者になる子だ」
「それは、勿論ですが」
「もしユーリが見た竜とやらが、本当に実在して、なおかつ未発見の新種であるなら……」

この小さな田舎の研究所が、一気に名を売り出す事になる。
貪欲に名誉や功績を求めているわけではない。だがしかし、背筋が快楽で震えるように戦慄いたのは、厭くなき欲求を追いかける人間の性であったのだろう。
所長の老人は、静かに息を吐き出す。
ユーリの見た竜が、本物であるなら……豊かな渓流がにわかにざわつく事になる。それに、この小さな研究所だけで手の出しようがなければ必然的にギルド総本部とその横繋がりで巨大研究所にも連絡する事になる。

今はまだ考えるべき事ではないが……。
嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だった。

( ……そういえば、昔おかしな男が居たな。知らぬ事は知らぬままでいい、その片鱗を見られるだけで満足すべきだ、なんて )

懐かしい、記憶。あの男のように、もしかしたら不必要に調べるべきでない事なのかもしれない。
老人は、渓流に現れた白い竜とやらに、何とも云えぬ気分になった。



……そんな彼らとは異なって、ユーリは他意のない新種への好奇心と興奮で逸っていた。

自身が使う机回りから、スケッチブックと旅行用の墨付き筆記用具を引っつかみ鞄へ投げ入れる。観察の必需品である双眼鏡を一つと、護身用ナイフ、ハンターたちも使う閃光玉や煙玉、意外に活用される消臭玉を取ってゆく。自然で人間の匂いは異質なので、警戒される事も多く血の気の多い好戦的な鳥竜を呼ぶ事にもなるのだ。消臭玉は、観察する者には必要な道具なのである。
二十歳に満たないとはいえ一端の研究所に務める人間、身の守り方と自然の歩き方を彼は学んでいた。
あとは、非常食の干し肉などを保存庫から持ってゆき、全て鞄へ入れる頃にはパンパンになっていた。
それを、よいせっと背負った彼は、研究所を飛び出す。まだ芽が伸びたばかりの新米研究者は、迷う事無く大自然―――渓流へと向かった。


小さな研究所で働く、最年少の研究員ユーリ。
正確には、研究員の補助を行ういわゆる下っ端の雑用のようなものだった。だが、良くも悪くも真っ直ぐな性格と、幼い興味心は、単なる雑用に留まる事は無かった。
もともと彼自身が、生態研究などに興味を示している事が要因している。
と云っても、彼の研究への欲求は、世間一般の研究者たちの持つそれとは大いに異なって、ただ単純にモンスターという獣たちを見るだけでも満足していた。
小さな研究所であっても、其処にいる人々は皆アットホームで和やかで、そんなこじんまりとした場所が好きだった。

そんな彼も、もとを正せば一般人。大型モンスターに実際遭遇すれば半泣きになり、逃げ惑い命の危機を覚える事だって多い。
二度と行くもんか!と叫んだ事も数えればキリがないわけだが、それでも懲りずに自然へ出掛けるのも彼の性格である。
だが、今回ばかりは少し違う。自然に対する恐怖を凌駕するほどに、興奮が満ちている。

その理由は、先の通りに彼が偶然にも目撃したあるモンスターである。

近郊に広がる渓流へ出掛ける事が彼、ユーリの常であるが、その日の渓流は悪天候に見舞われていた。
桶をひっくり返したような土砂降りは、目の前に霧が掛かったように白く霞むほどで、おまけに気温も下がって肌寒さに襲われる。濡れた鞄や衣服は重く、足元もぬかるんでろくに上手く走れない。バシャバシャと懸命に水溜りを蹴って、降りしきる雨を腕で遮りながら前方の視界を確保していた彼は、鍾乳洞へと飛び込む他無かった。
鍾乳洞と云えば、豊かな地下水脈が横断する幻想的な大洞窟で有名である。だが同時に、大型モンスターの寝床や竜の巣が作られる事でも、大変有名な場所である。
ハンターならまだしも、たかだか研究所勤めの青年が踏み入れるには危険極まりなかった。けれど雨に打たれて体力を奪われる事を思えば、今更何処にいこうが同じ危険が付きまとうので、仕方なかったのだ。
恐る恐ると、息を殺して周囲を警戒する彼は、ほとんどを落としてしまった閃光玉の最後の一つと護身用ナイフに手を掛けて、休める場所を探る。
ピチョン、ピチョン、と雨垂れの雫の音。
地下水脈が轟々と流れる音。
ユーリの息づかいをどれだけ殺しても、不要な音がしない分雑音にしか聞こえなかった。
静けさが心臓を掴み、緊張を煽る。

――――― その時だ。
彼の耳に、不思議な音が飛び込んだのは。

キュオオ、と突然鳴り響いた、甲高い不思議な鳴声。
反響して響いたそれに、ギクリとしユーリは咄嗟に岩陰に隠れた。何か生き物がいたらしい、嫌なタイミングで入ってしまった。
だが、思えばとても、奇妙な感覚も覚えていた。何度も足を運んできた渓流で、初めて耳にしたものだった。渓流に現れる鳥竜とも、飛竜とも、勿論牙獣でもない、鳴声。それを、ユーリは極自然に綺麗だと思っていた。
そうっと顔を出して窺ってみたが、その先には何も見えない。天井と地面を繋ぐように佇む石柱のせいで視界が遮られているが、あの向こうに何か居ると、ユーリは本能的に思った。
そうしてまた、好奇心を誘うように響く鳴声。その向こうに存在する生き物が何かも分からないけれど、とても綺麗で……そう、歌うような響きだった。もちろん人間のものでもないし、歌うといえば声真似で有名な鳥竜クルペッコが居るがそれとも似ても似つかない。
人でないからこそ、幻想的な柔らかさに満ちており、不思議な気分にさせる。
ユーリは濡れた身体をそのままに、岩陰と岩陰を伝い歩くように身を屈めて張り付かせ、音に近付く。
何か居る、という曖昧な気配が、確実なものとなった。確かに近くにいる何かを見る為に、ユーリはついに顔を覗かせた。

その時彼は、息をする事も忘れたように動きを止め、瞳を止め、ただ目の前の光景に視線を引き寄せられた。

穴を開けた鍾乳洞の天井の一部から、雨垂れと、鈍い光が差し込んでいる。霞がかった、白い光だった。
その側に、およそ十数メートルの細身な竜が、静かに横たわっていた。
雨に煙る光にも、鮮やかに浮かび上がっているそれは、鍾乳洞の薄暗さすらも引き裂くほどの純白な輝きを纏っていて。薄っすらと、淡い桜色を帯びていた。
大きな翼を折り畳み地面に横たわる体躯は、陸の女王リオレイアなどの屈強な甲殻や棘など見受けられない滑らかな輪郭をしており、鳥竜と呼ぶにはあまりにも気品があって美しい、狡猾さが全く無い。
何故かあれが、非常に女性的な柔らかさを纏っているように思えた。
濡れた地面を撫でる尻尾は先端までしなやかで、くるりと時折揺れる。

……いや、あれは竜なのだろうか。ユーリは、疑問さえ思った。

投げ出した四肢には鋭利な鉤爪が伸び、立派な一対の角が長い首の後ろにまで伸び生えている。立派な翼と尾、そしてその横顔は正しく竜であるのだけれど。
金色の瞳には、知性と慈愛が宿っていた。野で生きるモンスターなのに、その瞳は野生の張り詰めたものがなく、極めて穏やかであった。

……とても、綺麗だと思えた。あの純白の竜が。

あれが何であるかなど、今は大した問題ではない。人間から見ても美しいと思えるほどの、異種族の姿をただひたすらに見つめていた彼であったが、竜の方が何かに気付いたのかパタリと羽根の形をした耳を揺らした。
しなやかな四肢を立たせると横たえた体躯を持ち上げ、翼を広げた。
その生物的動作にすら気品があって見惚れていたけれど、あっと思い、ユーリは身を乗り出した。が、竜はすでに力強く地面を踏みつけて穴の開いた天井へと飛び立ち、去ってしまった。
慌てて駆け寄り見上げたのだけれど、ただ鈍い曇り空と雨垂ればかりが滴る光景があり、あの竜は既に見えなかった。さながら、幻だったように、何も残さずに。
ユーリは、しばし雫で顔を濡らし呆然としていた。
だが静けさが戻り思考にも平常が戻ると、自分は今とんでもないものを見てしまったのではないかと、それはもう興奮した。

……純白の、四足の竜。
間近で目の当たりにした竜は、記憶に無い初めての竜種であった事を直ぐに察して、心の中で叫んだ。
未だかつて、恐らく誰も見た事のない、渓流の新しい種族だと。
そしてそれを、自分は目撃してしまったのだと。



その後ユーリは、それはもうロアルドロスもびっくりの全力疾走で研究所へ戻り、とんぼ帰りでまた現在渓流へ再び向かっていた。
研究所で飼育しているアプトノスにキャンプ道具も積み込んで進ませ、何日と掛かる移動であったが、あの新種の竜に逢って姿を描きとめられるのであれば苦にならなかった。
あの日土砂降りだった渓流は、嘘のように温かく晴れやかで、ユーリの願いを聞き届けたようでもあった。

「……よーし、絶対見つけるぞ、あの白い雌竜!!」

性別だって分からないのに、何故か雌と決め付け、あの美しい白竜を思い浮かべた。

……そうしてそれは、意外や当たりであった事を、彼はまだ知らない。



【オリジナル竜になったら】の話で考えていた、夢主を追いかける研究所の人間の話。
これも気付いたらきっと増えていると思います。
彼の行動が後に何を引き起こすかは、まだ分かりません。私も分かってません( オイ )

2013.04.19