君で変わっていく10のお題


■ 君と居ると笑わずにいられない
■ 傍らで眠る、温かな存在
■ 見た目よりもずっと強い
■ 甘えちゃっていいんですか
■ 君といると弱くなっていくよう
■ 君といる時の自分
■ 孤独だった頃の傷跡
■ 傍にいることを怖がらないで
■ 涙が流せるということ
■ もう、君がいないといられない






■ 君と居ると笑わずにいられない ( カルト )


人の生活というものは、難解な事ばかりだ。渓流の自然で群れで暮らしていた頃とは、想像もつかない複雑なしきたりと文化がせめぎ合っており、自分にはまだ慣れる事は出来ない。
大望抱いたオトモアイルーという道も、転じて非常に険しい道のりだった。
コウジンはちょっかいを出してくるし、ヒゲツはスパルタだし。
自分で選んだ事だから、特に大変だとかも思わないけれど、それでも時折思わず溜め息は付きたくなる。
……そのたびに、あの頃と同じ声で笑う彼女の声が、妙に耳に染みる。

「カルトは働き屋さんよねえ。渓流に居た時と、同じ」

白い肌と、黒髪の、人間の女。
見た事のない姿なのに、その仕草と、空気と、微笑みに、渓流でお日様みたいに笑ってた桜色アイルーを見出す。

「ま、そりゃそうニャ。どっかの誰かさんは危なっかしいから、その分オレが頑張るしかないのニャ」

ふふん、と胸を張って見せると、彼女は楽しそうに笑って頷いている。
ああ、ほら、そういうところが、あの時と全く同じだ。

「いつも、頼りにしてますよ。教官」

どんなに姿が変わっても、彼女―――の笑顔は、あったかい。

「頼りにしてると良いニャ。直ぐにヒゲツの兄貴やセルギスの旦那だって、超えるのニャ!」

渓流とは異なる、このユクモ村という人間の群れの中で。
の笑っている姿を見ると、妙に安心した。気付けば、しかめた自分の顔は、彼女と同じくらいに笑っている。

……ま、オレがついていてやらないと、は駄目だから仕方ないニャ。



▲モドル






■ 傍らで眠る、温かな存在 ( セルギス )


…とすん、と。軽い振動が、セルギスの肩に乗った。
はて、と彼が手元の本から顔を上げて傾げると、見慣れたの頭がもたれ掛かっていた。そうして微かに聞こえる、小さな寝息の音に合わせ、細い肩が上下している。

「……そんなに、面倒な話をしてしまっただろうか」

小さく笑うと、開いた本を閉じる。
彼女が教えて欲しいとせがむから、この世界の教書を開いてどんなモンスターがいるのだとかどんな土地が存在しているのか、話し込んでいたのだが……まさか、うたた寝をするとは。にしてはずいぶん珍しい行動だった。
……そういえば、連日自分の身の回りの世話をしてくれていたな。
疲れが出たのかもしれないと、セルギスは思い至る。

私室に堂々と構える釜戸の火が、パチパチ、と柔らかな火花を散らす。
暖かい空気もさる事ながら、の寝息が微かに聞こえるこの静かな空気は、それ以上に心地よかった。

雨風に晒される事も無く、危険と隣り合わせた環境でない、無条件の安心感。
人の生活が如何に幸福な事であったと、死の間際の有り難くもない奇跡のおかげで知る事になった。今となっては、良い体験だと思うが、二度と味わいたくはない。
少し笑うと、その振動がもたれ掛かったにも伝わったのか、身動ぎして声を漏らす。
そのごく自然な仕草も当たり前のようであって、身近に居られる事を許されなければ感じる事も出来ない。

……そう思うと、途端に隣の温もりが愛おしくなる。

あの経験のおかげで、多少性格も丸くなったかと自身で笑うも、きっとそれだけではないのだろうと理解していた。

「……ジンオウガの時も、今も、お前が居てくれて良かった」

帰還を祝福してくれる村人たちや、顔見知りのハンターたち、そして影丸なども無論嬉しく思う。
だが、他でもない、あの時のように無防備に身を任せてくるだからこその、セルギスからこぼれた言葉であった。

ずれ落ちて倒れそうになるを支える名目に、楽々と片腕を回して肩を抱く。男とは異なる柔らかい感触と、当たり前の人の温もりに、酷く安らいだ。

とりあえず、起きた後の反応を楽しみにする事にしよう。
今はこれで、十分だ。



▲モドル






■ 見た目よりもずっと強い ( 原型アグナコトル )


触れてみたくて、仕方なかった。
だが、この焼けた赤い世界で生きる自分とは、彼女とはあまりにかけ離れた存在である事は朧気に分かった。
ただでさえ、この環境は彼女にとって酷で、くーらーどりんくなるものを食べても長時間は滞在できない。
したがって、もう、ほら。帰る時間に、なろうとしている。

自分は今日も、彼女に言えなかった。一度だけで良いからその小さな身体に巻き付いてみたいと、閉じこめてみたいと、甘噛みしてみたいと。
赤いドロドロの溶岩の中に身体を埋めて上半身だけを乗り出した姿で、自分は彼女を見下ろしているばかりだ。

「……? どうしたの、アグナ」

彼女、が見上げてくる。答えられるわけがなかろう、そんなみっともない事。

『……いや、何でもないさ』
「? そう……?」
『ああ、早く戻れ』

本心に反する言葉をつらつらと述べる自分が、心底不思議だ。いや、本来はこうあるべきなのだが。
それでもは、汗の伝う頬を一度拭うと、じっと見上げてくる。

「……そう? じゃあ、またね」

は軽く手を上げ背を向けた。帰ってしまう、と思ったら、無意識に頭が動いていた。長いクチバシが、何の防御もないの細い背にゴチリと当たってしまい、彼女は前につんのめって転がった。

『わ、悪い』
「う、つ……ッいや、大丈夫だけど」

馬鹿だろう、自分。何をしているんだ。
ようやく自らの行動に気付いたけれど、彼女は不思議そうに見上げているばかりで、妙に居心地が悪かった。

『何でもない、すまない』
「アグナ?」
『早く戻れ』

そう早口に告げると、彼女は立ち上がって、今度こそ背を向けて立ち去る。
――――― と、思ったら、するりと細い腕が伸びてきた。

「どうしたの?」
『……ッ』
「別に言いたい事あれば、私聞くわよ? ちゃんと、聞こえるし」

クチバシに、小さな手が重なる。触っているのかも怪しい些細な感触であったけれど、普段岩盤を砕いて地中を掘り進み獲物を抉るクチバシに柔らかいものが重なっているのは事実のようだ。

「ね、言いたい事、言って良いよ」

……馬鹿だな、そう言ってから後悔するのは、お前だろうに。
分かっていながら、それでも小さな手にクチバシを押しつけずには居られなかった。



▲モドル






■ 甘えちゃっていいんですか ( 原型チャチャブー )


ザーザー、と音を立てて無数の雫を降らす森丘は、生憎の悪天候に見回れた。
慣れた道を通って小さな洞窟に入った自分の隣には、どういうわけか変な繋がりを持って以来たびたび出くわす人間の女が座っている。
名をという、名というものは個体を識別するものらしいが……まあよく分からないので深くは考えてはいない。

「降ってきちゃったね」

独り言のように呟いた彼女に、自分も独り言のようにキイッと鳴いてみせた。
外の雨は、しばらく止む気配はない。ひんやりとした洞窟の内部の空気が、濡れた身体を撫でる。

『ップシ!』

気の抜けたくしゃみが出てしまった。ごしごしと仮面の下に突っ込んだ手で鼻を擦る。
そうすると、は鞄と呼ばれる大きな袋を下ろして漁り始めた。

「――――― はい」

ふわり、と何かが頭の天辺から肩へと掛けられた。
キ、と見上げて触ると、ふわふわとした何かの布だった。自然の中で見つける薄汚れ破けたような布とは、随分と違う手触りだった。

「身体、拭かないと。あ……チャチャブーは濡れても平気かしらね」

なんて彼女は言いながら、柔らかい布で仮面と身体拭き始めた。今までの群れの生活の中でされた事のない行動に、酷く困惑したのは云うまでもない。

何だろう、この行為は。

不思議な、けれどあまり……不快感はない。ただ、むずむずとして居心地が悪い。いつも握っている鉈を地面に落としてしまった。そうっと、彼女の手を押しのけてしまう。

「あ……ごめんね、人間にこんな事されちゃ嫌よね」

困ったように笑って、の手が離れた。
違う、別に、嫌だったわけじゃ……。
そう返そうとした時、彼女の口から間の抜けた「へくちッ」というくしゃみが同じように出た。
ああ、そうか。人間はあれくらいの雨に当たっても体調を崩すものなのか。
そう思って、柔らかい大きな布を握って外す。くしゃみ出ちゃった、と相変わらず間の抜けた声で言っている彼女に、それを見よう見まねで頭に掛ける。視界を遮ってしまったようで、布をかき分けて彼女が自分を見下ろした。

「あ……ありが、とう」
『別ニ、礼、要ラナイ』

はしばし瞬きを繰り返していたけれど、布の向こうで笑って、それを持ち上げて言った。

「匂いとか気にしないなら、入ってみたら?」

何を言い出すのだろう、コイツ。そう思ったが、ぶるりと身震いがしたので、ああ寒くないように言っているのかと、少しばかり落胆な気もした。

「大丈夫なら、良いけど」

はそう言って、布で身体を包んで巻き付ける。
それが何だか暖かそうで羨ましくもあって、やはり深く考えずにトコトコと歩み寄って布を持ち上げる。そのまま、ズボッと顔を突っ込んで潜り込むと、ふわりと身体が温もりで包まれる。

ああ、これは……彼女の体温だ。

自分の身体に触れているのは、布だけではなく、細い腕もやんわりと回されていた。

「雨、止むといいね」

くすくすと、直ぐ近くでが笑っている。
それだけで、先ほどよりも居心地が悪くなった。むずむずとし、はね除けたくなったけれど、身体の方がじんわり暖かくなって動かなかった。

『……』

仮面の向こうでは、確かに雨が降っている。
けれど、ふと吸い込んだ空気は暖かく、太陽が出ている時に嗅ぐ花の匂いがした。
そのお日様のような匂いが彼女のものであったのだと、直後に知る事になるが、つい大きく吸い込んでしまった。



▲モドル






■ 君といると弱くなっていくよう ( 原型ヤマツカミ )


人間の風習にもあるようなのだが、雄が雌へ贈り物をして喜ばす行為がある。
飛竜にも見受けられる行動だが、こんな見た目の自分が彼女に出来る事はそれくらいだった。

だから。

「わ、私に、ですか……」
『うむ』
「は、はあ……」

いつの間にか背中に生えている苔の中に混じっている、何かの木を触手で掴んでちぎり、渡してみた。

……あんまり喜んでいないな。非常に、微妙な顔をしている。

それもそうか、私の背中に生えているそれは、触手で持てる丁度良い大きさのものだ。の隣に置けば、彼女の方がえらく小さく見え、木の枝の方が太く逞しい。それに、食べられないものを貰ったところで嬉しくもないだろう。

『……待っておれ、別のものを持ってこよう。確か下の方に、丸々太ったアプトノスとやらが居た』
「えッ! あ、いや、大丈夫です! これで充分です!」

途端に、は大きく反応し、ふよふよと揺れる触手のヒレを掴んだ。まるで制止をしてくるようであったが、小さな彼女が掴んでくる感触は空に漂う時よりもふわふわとしたくすぐったさが生まれる。

「……そっか、これ、プレゼント……贈り物なんですね」

隣に置いた太い木の枝を、はしばしじっと見上げていた。
宙に浮く自分は彼女よりも巨大で、転じて彼女はとても小さい。その上、自分を見れば時折攻撃してくる人間よりもずっと弱く脆い。

けれど、瞳を見つめて笑った彼女の笑みは、はっきりと認知出来た。

「ありがとうございます、ヤマツさん」

崩れかかった建物の石床に掛けた触手を、がぎこちなく撫でる。決して見た目も美しくないそれを撫でる優しさときたら、今も宙に浮いているのにそれ以上のところにまで浮かび上がりそうだった。

……これが、始祖たちが恐れた《呪い》なのだろうか。
かつて、今の世界よりも遙か彼方に存在した時代で、獣たちと意志を交わした生物の紛い物が生まれたという。
目の前にいる、のように。
我々が王として仰ぐかの龍たちは、最初に過ちを犯した愚かな獣だった。そして二度と無様な失態を見せないようにと、その紛い物を《呪われた生き物》と古い獣たちに伝えたという。
今では知らぬものがほとんどだが、あの時代からの口伝を受け継いだごく少数に含まれる自分も、老いた今ようやく分かった気がした。

……確かに、これは《呪い》なのかもしれない。
獣は獣として、ただ野で生きていれば良いのに、人間という生き物に関わった挙げ句に同等の存在として扱うなど。
始祖が見れば、発狂するだろうか。

だがもう、遅い。

『……や、お前の欲しいものは何だ』
「え?」
『お前の笑った顔が、見ていたいのだよ。私は』

するり、と触手で最大限の手加減をして撫でると、彼女は驚いたように笑ったが、直ぐにこう告げた。

「私は、これだけで充分ですよ。ヤマツさん」

……嗚呼、そうだな。
私もお前がそう言ってくれるだけでも充分だよ。
けれど、それでは駄目なのだ。それだけでは満足出来ぬところにまで来てしまった。

私は、始祖たちが恐れた過ちに踏み入れようとしている。

それをもう、恐ろしいと思わないようになってしまった。ただ、彼女が離れていく事ばかりが恐怖となって思考をくすぶらせていて。

……恐ろしい事よ、本当に。

自分は彼女の前では、弱い生き物としてしか振る舞えない。



▲モドル






■ 君といる時の自分 ( ヒゲツ )


オトモアイルーとなって、どれだけ時間が経ったかは覚えていないが。
かつての主人が新人の頃にオトモの職について、友人を巻き込み狩猟に赴いて、その主人が消えて新しい主人について。
記憶を辿れば、ずいぶんと長い時が経過していたように思う。

人の生活にはもうすっかり、慣れているはずだというのに。
が隣に居ると、時間の経過が無意味だと痛感する。

「……
「ん? なに、ヒゲツ」
「……いや……何でも、ない」

旦那やレイリン相手になら、幾らでも話せるのに。
カルトやコウジン相手になら、手だって出るのに。
情けない事に、彼女が隣に居るとろくに喋る事も出来ない。とても、人の生活に慣れたメラルーとは思えないだろう。
手を伸ばせば、幾らでも触れられる場所に彼女の手があるのに、それすら億劫になる。

「……?」

不思議そうにする眼差しが、頭の天辺に降り注いだ。
が、何か思い至ったのか、がふとヒゲツの目の前に手を差し出す。それを見て足を止めると、隣で彼女は笑っていた。

「手、繋いでかない?」
「え……」
「あ、嫌だった? 何だか私がしたかったんだけど」

……驚いたのは、そういう意味ではなかった。
「変な事言ったね、ごめんね」と引っ込もうとした彼女の白い手を、慌てて手繰り寄せるように握り締める。
驚いたような空気が感じ取れたが、ボソボソと、小さな声で告げる。

「……村に着くまで、なら」

呟いたヒゲツの隣で、が笑った。楽しそうに、うん、と頷いた彼女の顔を、やはりろくに見る事が出来なかった

あの桜色アイルーは、もう既に居ないのに。
その気配が、隣の人間の女性から感じられる。
嬉しいような、悲しいような、伝えられなかった感情は今も自分の中にあるのだと、ヒゲツは改めて思う。

どうやら、彼女と居る時の自分は、驚くほど少年じみた行動しか取れないらしい。



▲モドル






■ 孤独だった頃の傷跡 ( 影丸 )


「――――― ねえ、これって影丸が付けていた日誌?」

そう尋ねてきたの白い手には、数冊のノートが握られていた。どれもヨレて、少々時を経過させた事で滲む褪せた雰囲気がある。
それを見て、影丸は一瞬だけ眉をひそめた。

「ああ……昔のやつか、何処かにいったかと思ったが」

呟く影丸の前で、は「本棚の後ろに落ちてた。目に入ったからつい……ごめんね」と小さく肩を揺らした。
影丸が、無意識のうちに寄せた眉の変化を、見ていたのだろう。何ともこいつらしい、と思いながらも浮かべた彼の笑みは、あまり明るくはない。
影丸は床に座り込み、背後のベッドに寄りかかる。

「ちょっと貸してみろ」

影丸が手を出すと、はぎこちなく手渡した。ずしりとした重みが何とも云えぬ気分にさせるけれど、その懐かしさはそれに勝った。

……何処かに消えたなど、思ってもいない。今まで故意的に視界から除外していたのだから、見覚えなんて山ほどある。

「……アンタ、よほどくじ引きの運が良いんだか、悪いんだか」
「え?」
「こりゃ、俺が一番躍になってた頃の日誌だ。セルギスが居なくなってからな」

開かずとも分かる、中身など。
一人傷だらけになりながら、昼夜問わず狩場に出掛けては太刀を振りかざした、あの頃。今になって思えば、ろくでもない生活はこの頃から始まっていたのだろう。
そのくせ何度も開いては乱暴に閉じ、放り投げて、そんな事を繰り返した形跡のある日誌は、ずいぶんと痛んでいる。
影丸は嘲笑的にフッと鼻を鳴らして笑う。古い日誌を、投げ捨てるように床に放つと、深い溜め息を吐き出す。
そんな影丸の様子を、佇んだまま窺っていたは、しばし考えた後にそうっと告げた。

「……ねえ、見ても、良いかな」

微かに見開いた影丸の前で、は中腰になって日誌を拾い上げていた。見上げた先で、彼女は普段の笑みを浮かべて大切そうに握っており、じっと影丸を見る。

「……つまらねえぞ、日誌なんか。事務的な記録だけだし、あんま見て楽しくはならない数字しか出ないしな」

どのモンスターを何体狩猟したとか、その結果得た称号や勲章だとか……彼女にとってはむしろ生々しい記録ばかりだろう。それに、時間を置かずに何回も狩場へ出掛けた事も、事細かに残されている。
自分がどれだけ、ハンターとしても人としても逸脱した生活をしていたのか、よく分かるほどに。
それでも、彼女は少しも嫌な素振りは見せず、かといって面白がるわけでもなく。

「影丸の昔の事も、気になるじゃない」

そう一言告げると、隣に腰を下ろす。横座りになった彼女は、膝の上に日誌を置いて、表紙にそっと触れる。
不意に近づいた彼女からは、ユクモ村に漂う温泉の匂いとは異なる、何かの花の香りがした。

「貴方、あまり言ってくれないし。大丈夫、他言はしないし、嫌なところは見ないから」

影丸は少しの間沈黙していたが、やがて肩を落とすと「好きにしろ」と告げる。そうするとはにこりと笑い、ありがとうと返すと、痛んだ表紙を開いた。
隣にいる影丸の目にも、書き綴られた記録は否応無く飛び込んできた。だが、自然と文字を追う事が出来たのは、隣に座る存在のせいか。
昔の記憶をじっと逸らさず見つめていく彼女の横顔に、どうしようもないほどの暖かさを覚える。それを口に出す事も表に出す事もしないけれど、無意識のうちに触れ合って寄せられた肩に。

……あの頃の傷跡が、埋め尽くされたような、気がした。



▲モドル






■ 傍にいることを怖がらないで ( 原型イビルジョー )


――――― 強い者の末路は、少なからず目の当たりにしてきた。
同じ姿の竜は皆、年老いてゆくにつれて僅かな理性が、少しずつ、けれど加速して壊れていった。その崩壊を止める事は出来ず、ついには多くの生き物を大小構わず食い尽くした末に、ついに自らの餓えに狂って身を滅ぼす。

いつか自分もああなるのだと、無様な亡骸を見下ろした時よりも遙か以前に本能で理解していた。ただひたすらに食欲の続く限り貪ってゆく事にも、何の問題も異論もなかった。
だから目の前を動くものを選ばず、噛み千切って肉を食らい、鮮血を啜って飲み干して、新たな獲物を探す。

――――― その生き方以外の方法が、欲しくなるまでは。


禍々しさすら訴える不気味な深緑色の身体は、並の獣たちでは太刀打ち出来ないほどに巨大で、そんな体躯にも劣らない太く長い尾は動く凶器である。
そんな自分が、滑稽なまでに身体を縮めて、尾を丸めて、肉を突き出て生え続ける不揃いな牙の並ぶ顎を地に伏せた光景に、どれほどの同種族が首を傾げるだろうか。
だがこうすれば、ちっぽけな石ころにも等しい人間の彼女を、誤って踏み潰す危険は多少減る。
自らの身体を使い閉じこめた彼女は、小さな声で「ジョーさん」と呟いている。動けない事への不満かもしれないが、そんなものは聞くつもりはない。
こっちも、直ぐに喰いたくて仕方ないのを我慢しているのだ。
食欲的な意味でも、もっと別の意味でも。

名前を付けるという人間の習性に興味はないが、彼女が「ジョーさん」と呼んでくれる声は……たまらなく、心地よい気分になる。ちょうど暴れ狂う餓えを、一瞬で潤す鮮血のような、甘やかさ。
出来るだけ考えないようにするも……喉が、じわじわと渇く。

「ジョーさん、ご飯を食べてこないと」
『まだ、良い』
「でも」
『うるせえ……もう少し、黙ってやがれ』

溜め息をついた彼女が、「もう……」と呟いた。そんな小さな振動も……何て、甘い事か。

『……安心しな、お前さんは喰わねえよ……』

目の前の生き物を、選ばずに食べてきた自分とは思えない言葉だった。
だが、すんなりと口を出てくるまでに、自分は彼女を腹に収めるべき食物ないと思っている証拠でもある。

嗚呼、でも。

……少しずつ、丸飲みしてきたアプトノスが消化され、空腹に神経が犯される時間が近づいてきていると、片隅で分かった。

( ……喰わねえけど、喰いたくなる )

同種族からは聞かない、優しい声。
触れて分かる、体温と、命の鼓動。
そうして今も、思っている。
きっと彼女の悲鳴は、どんな生き物の断末魔より美しいだろうと。
口に含んだ温度は心地よく、甘い鮮血が蜜のように喉を伝い、腹にしっとりと浸透するように収まるのだろうと。

欲求と、食欲は、紙一重の状態。それが、自分という生き物だった。

だがそれでは、彼女の側にいられない。今までの生き方をしていたら、彼女と過ごす時間は永劫手に入らない。
自らの血肉に彼女が溶けるのも、それはそれで魅力的ではあるが。

『……なあ。お前さんは喰わねえ、絶対に喰わねえよ。だから……』

頼むから。
頼むから、俺の前から居なくなるなよ。
その声が悲鳴に変わる瞬間も、肉と変わる瞬間も、全部我慢してやるから。

『……なあ、や。俺の隣にこんなに長く居てくれんのは、今じゃもうお前さんぐらいなんだ』

あらゆる生命を食らい尽くす竜が、ちっぽけな人間の雌に懇願する様は。
きっと横暴で、それでいて臆病すぎる光景であった事だろう。



▲モドル






■ 涙が流せるということ ( 原型ミラボレアス )


憎かった。
心底、憎かった。
嘘を付いた、あの娘。あんな娘の為に、自分はみっともない醜態を晒して、あるまじき失態を犯したというのか。
まだ若かったとはいえ、何故あんな馬鹿げた事をしたのだろう。

今も絡みついて解けない激情は、行き場を無くし、思考を焦がす。あれからどれほどの時間が経過したかは分からない、だがかつて見たこの人間の国とやらが繁栄していた頃とは随分と廃れてもはや機能を果たしていない城塞は、暗鬱とした空のもとで朽ちた外観を野晒しにしている。それだけでも、幾らか予想は出来た。

あの頃から、自分は変わった。
変わったのだ。
近づく人間は全て噛み殺す。もう二度と、あのような無様な失態は冒さない。

そう、誓ったというのに。

『……ああ、お前は』

私の足下に、一人の人間がへたり込んで見上げている。呆然と、逃げる思考さえも追いついていないのだろう。
だがその瞳に、かつて見たものを見つけた。言葉を理解している、確かな知性の光。
それを私は、憎んでいたはずだ。

『……あれから、どれほどの歳月が過ぎただろうか。私の前に、再び《お前》が現れるとは』

長い身体をそうっと倒して、人間の女との視線を合わせる。
一瞬にして、その瞳が恐怖に染まる。ジリジリと後退していくが、それを許す事は出来ない。

それは、ずうっと長いこと縛り付けていたあの激情とは違う。
とても似ても似つかぬ、異なった感情によるものだった。

『……逃がさぬぞ、女。あの時のように、私の言葉を理解する者であるのならば、絶対に逃がさぬ。
お前が逃げたくとも、決して、な』

ぬるり、と顎を舌なめずりをし、その舌先を女に伸ばす。
ちっぽけな女の顔はひきつったが、微かな暖かさと柔らかさに、幾重にも重なった鱗が覆う背はぞくりと震えた。

まるで、あの時のように。
人間の手で作り出されたあの娘を、心の底から信用し、相容れぬ四肢を絡めて繋がった時のように。


――――― 認めぬ、私はあの頃から変わった。


そんな風に脳内で響かせる言葉は、酷く言い訳がましかった。

『……女、声を出せ。私たちの言葉を理解するという耳は、今も聞こえているのだろう。
私たちに《声》を届けるその口で、再び呪いを呟いてみよ』

恨みばかりで満たされていた心が、焦燥感で塗り潰される。

……決して、認めはしない。

『……さあ、声を。お前の声を聞かせろ』

これでは、まるで。

もう過ぎ去ってしまった過去から、自分は僅かでも変わっていないようではないか。
無様な失態を今こそ演じているのに、言葉は止まらなかった。

『さあ、名を告げよ。お前のその声で、私に言ってみせよ』

怯えた人間の女の口が、微かに動く。何の恐怖だってない、牙もない口から、小さな声が漏れる。

あの時の呪いはきっと、今も続いているのだ。
でなければ、今も恨み続けている自分が、たかだかあの娘と同じような存在なだけの女に。

――――― 涙というものが、出るわけがない。



▲モドル







■ もう、君がいないといられない ( 原型ティガレックス )

ああ、この手がと同じものであれば。
この身体が、と同じ造りであれば。
顔も、体温も、食べるものも、住む世界も、と同じであれば。

どれだけ、幸福なことだろうか。

そう思ってしまうのは、目の前で彼女は自分の暮らす場所や、同じ人間の話をしているからだ。

「……でね、二人ともタイプが違うけど、どっちもハンター気質っていう感じでね」
『ふーん……』
「えーと、貴方たちの感覚で云うなれば……強い雄っていうの? 性格も真逆を向いてるけど、良い人たちで」
『……ふーん……』

……何で俺、の口から、俺じゃない別の雄の話なんか聞いてんだろう。

疑問に思ったけれど、彼女は身振り手振りで話をしてくれるから、遮るのも気が引けていたが……。挙げ句、強い雄などと云われてしまえば苛立ちが音を鳴らして存在を主張する。

「……あの、ごめんね? つまらなかった?」

不意に、声を潜めたが、顔を覗き込んできた。
急に飛び込む彼女の姿は、無防備に構えていただけにかなりの衝撃であったけれど、目眩を隠してムスッと顔を背ける。

『別に。俺以外にアンタの近くには雄が居るんだなって……思っただけだ』
「雄って……その人たちは、別に何でもないよ」

は苦笑いをしていた。けれど、ティガレックスには会った事もないその二人の雄について、何だか分かったような気がした。人間でない自分が追いかけるくらいの彼女だ……同じ種族であれば、まさか放っておく訳があるまいに。
そう思ったら、一層自分が竜であるという事に腹立った。

『……なあ』
「ん?」
『そいつらって、アンタから見てどうなんだ』
「え、どうって?」

首を傾げた仕草に合わせて、から優しい香りが漂った。頭の後ろがぼんやりとし、全身の血が意味もなく熱を帯びる。

「別に、良い人だと思うけど」
『それ以外に』
「えー……それ以外に……?」
『……いや良い、忘れてくれ』

隣で、不思議そうに向ける眼差しが感じられる。だが、それには答えなかった。ムスッと顔は背けたまま、けれど身体はじりじりとに近づいて、べったりと密着する。
彼女はクスクスと笑って、可笑しそうに「変なの」と呟いた。

『……俺、アンタしか興味ないから。分かってると思うけど』
「な、何、急に」
『分かって無さそうだから、もう一回言っただけだ』

俺が、人間であれば。
こんな苛立ちも無くなるのだろうか。

( ……あーあ、馬鹿みてえ )

何で、人間の女なんか惚れちまったんだろうか。ティガレックスは心底思った。
だが、同時に理解もする。彼女が居ないと、満たされない自分が既に存在している、と。

「変なレックスね」

ほら、そうやって笑うだけで、酷く満たされて。
それでいて、物足りなくなってきた。

( ……何て言えば伝わるんだろうかね、俺が欲しいのはお前だっての )

食欲にも近い、欲求。欲しいものは目の前にあるのに、それを手に入れる術がない。

ああ、もう、ともかく。
君がいないと、駄目なのだ。



▲モドル

お題サイト【リライト】様より、【君で変わっていく10のお題】です。

当サイトのMHシリーズのレギュラーから、書いた事の無かったモンスターやちらちら現れるあのモンスターと、色々書いてみました。
普段の小説量に比べれば短いですが、いかがでしたでしょうか。
書いていた私は楽しかったです。こういう短い量で複数お題、というのも良いですね!

今回の相手モンスターたちやキャラの、個人的イメージ補足と一口メモ。

○カルト → 桜色アイルーも今の人間も、大切な存在らしい
○セルギス → 言わずとしれた、大人部門担当
○アグナコトル → 火山の暴れん坊も、夢主の前では形無し
○チャチャブー → 最強の原住民一族、普段は可愛いよきっと
○ヤマツカミ → 今日も浮きながら夢主へのプレゼントに余念がない
○ヒゲツ → いつまでも割り切れない子、その想いはいつか爆発するフラグが……
○影丸 → ブレない現実主義者も、側に来る人が居れば気にもする
○イビルジョー → 食欲と欲情は紙一重な、歪んだ恋
○ミラボレアス → 大昔の恋を今も引きずってる、ピュア部門担当
○ティガレックス → 愛すべき馬鹿

( お題借用:リライト 様 )

2012.10.28