ささめく音が聞こえる距離

最初の朱点童子を討つ為にのみ生み出されたという、始祖。そして、その一族……九条の者たち。
それを知ったのは、鬼朱点を討伐したと同時に寿命を迎え力ある氏神とし天界に召された後であった。最初から謀られて組まれた一族の命、歴史、宿命。それに何も感じぬほど、薄っぺらい覚悟で屍を踏み越えてきた訳ではない。種絶と短命の呪いの中で、歩んできたものは、謀であった。そんな無情の一言で終わらす事など、出来やしない。納得しては、始祖や、先代、先々代たちに申し訳が立たない。

――――― それが、天界の連中のやり方サ。

あの皮肉屋の、真の朱点童子の姿が浮かび、の脳裏で笑う。
そうだな、そうだろうとは前々から感じていた。

自分の刻は既に止まった。氏神となった事で、この天界の連中のように二度と死が訪れる事無く、迎えない朝日と終わらない夜の間を生きる事になった。だからこそ、願うのだ。今度こそ、最後まで見届ける。この立場であるからこそ、一族の行方を、呪いの行方を。

「……そういう覚悟も、生きていた頃に感じていれば良かったのかな。まあ、良いか」

は一人呟き、ふうっと溜息を漏らす。
下界とはまるで正反対な、清浄なる澄んだ空気と、白く輝かしい世界。極楽浄土の動植物が彩った天界は、憎らしくなるくらいに美しい。
だがこの世界であっても、派閥争いがあるとは。何とも生々しい。歴史は繰り返す、そういう事だろう。刻が止まったかつて人であった《神々》だからか。
縁側から臨んだ庭園をしばし思いを馳せて眺めた後に、は振り返る。周囲を埋める美しい風景に反し、が与えられた屋敷は下町の一軒家のように簡素な造りである。もともと豪奢なものを好まない彼の性格を考慮した太照天昼子の計らいだ。ある意味では敵でもある昼子からというのも癪に障るが、それとこれは別、感謝はしている。
だが、机の上の文もまた、別の話だ。

「……全く、興味はないと言っているだろうに」

は、長身に纏った白衣と袴の衣装を翻して、机の側に歩み寄る。適当に広げていた文を持ち上げ、躊躇い無く破り真っ二つに破る。
内容は、何度目かになる《誘い》だ。あまり思い出したくもないが内容を簡単に言えば、幾重にも連ねた呪われた一族、九条家の歴代指折りの実力を誇った当主のを手中に納めておきたい誘い。仲間になれ、というものだった。
神は八百万と存在する、同じように様々な一派が存在しているようで天界にやって来て長いとも言えないが全てを把握はしていないものの、絶対なる天界の長の太照天昼子がそれらを抑えているのは理解している。なにせあの女神は、かなりの神々を追放し天界を粛正しているのだから。その中で、隠れてやっているのか否か……どちらにしてもの興味を誘うもので無い。
九条家が、縛り付けられてきた長きに渡る業より解き放った神々も天界へ舞い戻り、かつての革新派も保守派も、さらに加わる九条一派と、この場所も様相を変えてきているのだろう。
何かに加わる、という考えはにないが、少なくとも大切な家族である一族を蔑ろにする気は毛頭無い。ゆえに、何に属するかと言えば九条一派であるのだろう。

上質な紙をわざわざ使うなよ、と独り言を漏らしつつ、破り捨てた文を火鉢へ入れて炭火で燃やす。パチパチ、と微かな音を立てて炎が滲んでいく文を見下ろす傍ら、やる事も無いので生前行っていた鍛錬でも始めようかと思っていると。

「――――― もし、殿。居る?」

澄ました少女の声。聞き覚えのあるそれを、は「ああ」と返事をし、縁側から草履を履いて庭先より向かう。整えられた庭園を横切って、背の低い茂みを分ける。
背を真っ直ぐにし、澄ました面持ちで佇んでいた少女は、に直ぐ様気づき、細い身体を向き直す。
その拍子に揺れた、綺麗に一つに結い上げた髪は、胡桃などの少し濃く、けれど甘やかな茶色をしており、清廉な空気に煌めいた。彼女の名を表す花でもある、蓮の花の飾りもまた、上品に結わえられている。
静かな縹色の瞳は凛とし、上品な着物を纏う彼女そのものを映しているようだった。

「蓮美殿か、いらっしゃい」

――――― 水の女神、八葉院蓮美 ( はちよういん はすみ )。
歴とした天界の女神の一柱であり、と交流のある神の一人だ。
澄ました表情から気品は放たれているものの、容姿から見受けられる愛くるしさなどの類は全くなく、笑みらしいものも僅かとも無い。それが彼女の性分でもあるのだろう、親しい人物以外に見せないと聞く。
も見た事は無いが、美しい女神である事には変わらない。

「今、大丈夫?」物静かな声で告げた彼女は、を見上げた。
は、どうぞ、と礼をすると、彼女の手を取り恭しく招き入れる。

「似合わないから、しなくて良い」
「……おや、そうか」

見た目はの方が年上であっても、上下関係で言えば蓮美の方が倍である。実力はさておき、が天界に登ってきたのは最近でもあるのだ。
が、蓮美がしなくて良いと言うのであれば、素を見せても良いという事だ。は口調をやや崩して、蓮美を見下ろした。彼女は相変わらずぴくりとも笑わないが、誘導するように取った細い手は、の手のひらに重ねられたままであった。

「で、今日は何用かな」尋ねながら、歩き始める。長い着物を纏う蓮美に合わせて歩調を普段よりも緩めて返ってくるのは、「今日、文が届いたでしょう」という味気ない言葉だった。

「……なんだ、知っていたのか」
「……他の神々様の話を、耳に挟んだだけ」

庭園を抜けて、縁側の前にやって来る。蓮美は其処へ腰掛けると同時に、傍の火鉢に燃える文を見て、小さく溜息をついた。

「これが答え、というのね」
「うん? 返答を聞きに来たのか、もしかして」

は草履を脱ぎ縁側へ上がると、茶の用意を始める。その作業の傍ら、蓮美を見ると、彼女は澄ました横顔を見せて僅かに唇を閉ざす。

「まあ、貴方も昼子一派の女神だったしな。敵の派閥の事は気にかけるか」
「……私は、そんな詰まらない事はしないわ」

少女の声に、怒気が混じる。は「それは済まない」と謝罪をすると、蓮美は身動ぎしつつ着物の裾を整える。

「……天界の派閥争いは、もう興味ないもの。ただ、貴方は私を、退屈させないだろうと思った。それだけ」
「そいつは有り難い限りだ、さ、お茶でもどうぞ」

蓮美はすっと茶器を受け取ると、上品に唇をつけ暖かい茶を飲んだ。
何が違うって、氏神となっても基本的な中身は生前のまま、つまり庶民じみた面の多いとは異なり明らかな品性がある事だ。は、蓮美の隣に座ると、片足を組んで茶を啜る。
絵になるのは、蓮美の方だ。

「……本当のところ」
「ん?」

蓮美の縹色の瞳が、を見つめていた。
眼差しを微かに揺らし、凛とした声が惑うように紡がれる。

「貴方は、九条一族の中からやって来た氏神。人から神となった。どう、思っているの」
「どう、とは」
「……その、貴方たち一族の、事とか……」

珍しく歯切れが悪いが、彼女が言わんとする事は察した。一族の出生の発端である、太照天昼子をどう思っているか。あるいは、今後神々と争うつもりなのか。その辺りだろう。
は筋の浮かんだ自らの首を掻くと、「今は別に、何かしようとは思っちゃいねえよ」と返す。

「俺は氏神となって天界に召し上げられた訳だが、後の事は一族が、子ども達が決めていく。もしもそいつらが、万が一にも神と争うなんて言い出せば、賛成するんだろうけどな」

氏神になったからと言って、心が天界に感化される訳ではない。今もの胸を埋めるのは一族の行く末だ。当主であった時の、責任感に似たものが残っているのである。
思わず声が強くなってしまい、見れば蓮美は僅かに俯いている。
は声音を明るくし、首を緩やかに横へ振った。

「……蓮美殿が案じる必要はない」
「べ、別に、そういう訳でじゃない」

保守派、革新派、九条一派……そういう生々しさをもって聞いた事ではない。蓮美は、声音を強くしたが、の笑みに、つい視線を逸らしてしまう。
空になった茶器を、キュッと握ると、蓮美は視線を外したまま唇を開く。

「……貴方の考えが、知りたかっただけ。私は、保守派も革新派も、興味無いもの」

ただ純粋に、の考えが知りたかった。
さすがに其処までは、取り戻した普段の気丈さが告げる事を許さなかった。だがのさっぱりとした笑みは、まるで全て知っているようでもあって腹立たしい。余計な事まで言ってしまいそうだったので、蓮美は黙りこくったが、隣のは知ってか知らずか、茶を啜って、お代わりを淹れ始めた。

「ま、時間は山ほど出来た。後の事は、後で考えて、今は一族を見守る事にしよう」

なみなみと注がれた茶には、普段よりもまなじり穏やかな蓮美が映った。



やった事はないけど、八葉院蓮美って可愛いよね! という思いから生まれました。神様ラブ。
交神時の台詞を見ると、結構ツンとして無愛想、というのでしょうかね。 でも段々とデレていく様子は、ツンデレ好きにはたまらん。


2012.04.08