描いては消す面影に恋々

彼と初めて出会ったのは、恐らく彼が幼い頃天界で過ごしていた時だろう。
時が止まった神々にとって、時間の経過というものは気にするものでもなかったが、太照天昼子の計画で生まれた第三の朱点童子一族ともなれば話の種だ。八葉院蓮美とて、革新派の神であり、自らも賛成した朱点童子の行く末は気になるもの。丁度その頃、一族のある男が交神の儀に参り一ヶ月を過ごし下界へ戻った。
それから程なくし、女神のそばには、少年が佇むようになった。白い着物に身を包んだまだ小さな身体は健康的な肌色をし、赤みを帯びた黒髪がよく映える。首筋にかかる程度の短髪で、毛先はざんばらに跳ねていたが、無邪気な子どもには丁度良い。その髪質から戦いの素質に富んでいる事は、蓮美にも分かった。だが、子どもの瞳は深い青を宿し、激しさに反し穏やかな心を表していた。遠くから眺めていた蓮美と、少年の眼差しが交わった時に気付いた事だが、意図せず交わされた視線に蓮美が驚くと、少年はニパッと笑った。無邪気に、毒気を抜く笑顔で。
あの少年が、後に一族当主となってあやかしに身を堕とした神々や、過去の出来事に深い関わりをもった鬼と化した人間たちと戦うなど、思ってもいなかった。


それからもう一度見かけたのは、交神の儀により天界へ上がって来た時であった。
呪いの為に外見の成長は目覚しく顕著で、あの時の少年―――――は立派な青年へと変わっていた。白衣に身を包んだ身体はしなやかに伸び、赤い髪の掛かった首は筋が浮かんでいる。朱点を討つ為に戦う呪われた一族……その一人である、戦いに投じてきた屈強さは、成長した事で開花したらしい。けれど、あの頃蓮美と視線を交わした青い瞳は、穏やかなままだ。隣に並んでいる女神へ礼をし笑う彼の笑みに、あの頃の面影が過ぎる。

だが、彼が女神と共に去っていった時に、懐かしさが急速に消えていくのを覚えた。
彼が此処に居るのは、交神の儀のため。短命の命を、次世代へ繋ぐため。
それを意識した時の蓮美の胸中では、激しいまでに感情が鬩ぎ合った。嫉妬、なのかもしれない。もしくは、羨んだのかもしれない。
が天界にやって来ている間、神々は言っていた。あの男は今頃良い想いをしているのだろうな、と。だが蓮美は、あの女神に代わりたいと思った。
だがそれを、面と向かって女神に言う度胸も無く、せめて彼と一言二言でも言葉を交わす気概も無い。
彼が近くに居る一ヶ月、蓮美は自ら遠のいた。

結局、彼が下界に戻ってからも、一族当主になってからも、彼が短い生を全うして世を去る時も、蓮美はただ天界から見つめるしかなかった。
それは、彼が天界へと氏神となり上がってきた現在も、変わらない。彼の周囲には、一人は必ず神が佇んでいる。女神であれ、男神であれ、それが疚しい意味ではなく日常的なものであるのは蓮美も理解している。が、近付けない彼女にとってその光景は、目を覆いたくなるほどだ。
見かねたのか、同じ水の女神である那由多ノお雫より、励ますように声を掛けられた事がある。

「近付いてみなくちゃ、何も変わらないよ」

彼女も蓮美と同じく、神。死ぬ事もなく、命を紡ぐ事の出来なくなった者。けれど、九条一族と交神の儀を行った事のある女神で、彼女は二度と得る事の無かった《変化》を手に入れた。人の命を慈しむ、感情。彼女に限らず、九条一族に関わった神は、何かしらの変化を手に入れた。
だから、お雫が身に纏う、無数の透き通る水晶を繋ぎ合わせた豪奢な飾りにも負けないほどに、彼女の美貌は以前にも増して輝き穏やかで。
ああ、この人も何て綺麗なのだろうかと、蓮美は思った。
お雫に背を押されても動き出す事の出来ない、言葉を交わしても冷たく澄ました態度しか取れない、そんな自らの愚かしさも結局蓮美には持て余す事しか無いのだった。

それでもは、嫌な顔せず笑みを浮かべる。彼の性格なのだろう。尖った言葉も、彼は難なく受け止めて丸くしてしまう。泥の上でしか咲けない花も、綺麗だと言ってくれる。飾りっけの無い短い言葉が、蓮美にとってどれだけ嬉しかった事か、彼は知らないだろう。
近くにいるけれど、踏み込めない距離。それが、蓮美の劣等感でもある。

「……殿」

そして、彼の前に立てた壁の厚さでもある。
が、あの笑顔の前で、それがあとどれほど持つか自信が無い。今も昔も、彼の隣に並び立ってみたいと淡く願う浅ましさは、侵食するように増していっているのだ。



時には、一族は自らの力を高める為に好意だけでなく交神の儀を行う。
だから、神様の中でも好意を抱く一族の人間と、必ずしも結ばれるとも限らない。
蓮美さんのそんな、口には出さないけどグズグズと消えない嫉妬の話。

蓮美さん、マジ女神。


2012.04.27