そして世界も、止まればいい

吐き出した白い吐息に、舞い降りてくる雪が重なった。
羽根のように柔らかい、親指の先程度な大きさの雪。純白に染まったお庭に、深々と舞うそれは、手のひらで受け止めるとじんわり消えていく。
その白く清廉な光景は、天界に住む神の居住を彩るのに、無条件な相応しさがある。だがそれを、声に出して褒め称えるような、愚かな讃美は必要ない。音を吸い込んだ静寂こそが、この景観に似合う最たる称賛であるのだ。詩学に秀でていないでも、はっきりと理解する。
けれど、最も美しいと思うのは……その純白の清らかさの中に佇んだ、この女神の横顔なのだろう。

白い陶磁器にも等しい、まっさらな肌。頬に掛かった薄氷色の髪は綺麗に切り揃えられ、髪と同じ色の瞳は感情が乏しくぴくりとも動かぬ頬も赤みは無い。深い群青色の着物に身を包んだ身体は少し背丈が低く、さながらお人形のようだった。
だが、一見冷淡に見えるものの、そのまなじりは静けさに満ちた穏やかさを浮かべている。清廉な白い風景にも負けぬ、細いまっさらな手が雪を受け止める仕草など、無感情とは決して言えない。
……むしろ、この舞い降りる雪華こそが、青の衣装を纏う白銀の女神に静寂をもって従っているのではないか。
柔らかく掠めていく雪の向こう、ひっそりと、けれど凛とした存在感を放つ女神――六ツ花御前を、はしばし見つめた。

寒くも無く、暖かくも無い、天上の世界。この雪の中へ出ようと、決して身体が冷える事は無い。けれど、雪に触れる女神の指先が、妙に凍えて見える。あまりにも、白い肌のせいだろうか。は、雪の積もった庭園の小道を踏み進み、六ツ花の隣へ並んだ。彼女は小柄な背丈の為、長身なの胸元へ、頭の天辺がようやく届くくらいだった。必然的には見下ろす形となり、彼女もまた首を上げてを見上げる形となる。

「どうか、されましたか」

歌うような、知性に満ちた静かな声。
外見年齢は、二十歳前後あるいはそれより低く見えるが、実際のその年齢の若い女性たちに比べれば、六ツ花の上品さは遥かに上回る。女神という長い年月を生きた知性と、強い力を持った者であるがゆえかもしれないが、彼女の静かな気質が表れているのだと思う。
六ツ花の透き通った瞳を見つめ、は告げる。

「いや、なんだ。六ツ花殿のお手は、寒くは無いかと」
「……不思議な事を、仰いますね」

特に驚いた様子もなく、彼女は淡々と呟いた。もちろん表情に、変化はない。
ふわり、ふわり、舞い降りてきた雪を、六ツ花はそっと突いた。

「雪は……私の、一部。それに此処では、温もりも冷たさも、等しく扱われます」

暖かくはないが、冷たくもなく。
腹は減らないが、満たされている事も無く。
それが天上の世界――時が止まった世界の常だ。
も、氏神となって召されてより身をもって学んだ事だが。下界で生きた記憶は一向に褪せない為、いつまでも慣れずに居た。
だから、剥き出しの六ツ花の手が、寒々しく見えるのだろう。

「六ツ花殿」
「はい……?」
「少し、触れてみても良いだろうか」

六ツ花は、微かに瞳を開かせる。が、の声音があまりにも普段通りで、恐らく彼が何の気もなしに言っているのだろうと、彼女は悟る。
少しばかり抱いた落胆は隠しつつ、「構いませんよ」と六ツ花は細い手を両方とも差し出した。
は、それをさっと取る。自らの手のひらに、両手だってすっぽりと収まってしまうような小さな手。男女の違いは、神になっても顕著な差だった。見た目の通りの白さは、健康的な肌色のには眩いばかりで、そして少しだけひやりとした冷たさを感じさせる。

「ほら、やはり冷たい。女人は身体を冷やしてならないと言うだろう、無理をされてはならない」

呪われた一族ながら、大所帯で暮らしてきただ。イツ花も同じ一族の女人も、よくよく言っていた事で、良くも悪くも大雑把でさっぱりした性格の彼は何度も窘められたものである。もっと気を使え、と。
思い出し少し笑みを浮かべ、六ツ花の手を濡らす雪を払う。
その間、六ツ花は口を閉ざしてじっとの手を見つめていた。それを見て、気に触れたかと彼はハッとした。

「申し訳ない、勝手が過ぎただろうか」
「いえ……」
「よく、家の者たちにも言われた。お前はざっくばらんとし過ぎていると」

だが六ツ花は、ゆるりと首を横へ振った。薄氷色の髪が揺れ、雪華のかんざしがシャラリと涼しく音を立てる。淡い光を煌かせた彼女の瞳は、じっとの手を見つめたまま、小さな口をそっと押し開く。

「……貴方の手は、温かいのですね」

お人形のような表情は変わらないが、まなじりは少し驚いている、ように見える。
六ツ花の小さな手を包み込む、の広い手のひら。武器を握り続けてきた為に武骨さが浮き出ており、なめらかな白い六ツ花の手には、少々不釣合いだ。けれど、止まったはずの時に抗うのは、死してなお戦う事を命じられた第三の朱点童子一族の宿命か。
あるはずのない、温かさ。
銀色の景観と、そこへ溶け込む彼女に、春の陽光が差したようだった。
当のは、「そうだろうか」と首を傾げているものの、六ツ花の手を大切げに握り、両手を重ねるようにギュッと包む。

ふわり。
変わらず舞い降りてくる羽根のような淡雪は、小柄な六ツ花と長身なの肩を掠めていく。ほんの少し降り重なった雪を、は払ってやり、軽く背を屈めた。

「冷えたら大変だ、庵の中へ戻ろう。六ツ花殿」

本当に、寒くも何とも無かった。だが、の穏やかな笑みと包み込む大きな手に、六ツ花はそっと頷いた。

「貴方が、そう仰るのなら……」

六ツ花は表情を変えずに居たが、の手を握ったままの指先や、寄りかかった小柄な身体、和らげた声と口元が彼女の心を映し出しているようである。
頑なな強い力はない、けれど触れて離れない手のひらを互いに握り返す二人の間には、静寂が流れた。

確かに、この温もりが冷えてしまったら大変だ。
今この瞬間の、彼と自分のみの暖かい空間が―――――。

今しばらくは、と引き伸ばした彼女の想いを感じ取ったのか、白い空から落ちてくる結晶は光を増した。



六ツ花御前、可愛い。
彼女の趣味が美童趣味というのは私の頭から消えてしまってましたが、六ツ花御前は可愛いと強く言います。

彼女の居住は不明なので捏造ですが、深々と雪が積もる真っ白な庵、そんなイメージがあります。
あと彼女は、絶対小柄で、手も小さいと思う。
異論はいつでも受け付ける。


2012.05.30