16 アルシェンド騎士団国境支部(1)

 ピチチ、と小鳥のさえりが響く、清々しい白い朝。
 いよいよ訪れた、アルシェンド騎士団国境支部の公開訓練日なる日は、素晴らしい晴天だった。


 今朝は早くに目覚めたは、早々と着替えて支度を整え、日付を確認していた。暦の日付と、アシル手書きのメモ用紙の日付は、ぴたりと合致している。今日で、間違いはない。ちなみにこれは既に起きてから五回くらい行っている。
 にとってこれは、一大イベントだった。
 自国の象徴ともいえるはずの、空を飛翔する竜の姿を僅かすら見ない田舎からやって来て、約半年。この街にやって来たばかりの頃は、まさか騎士団との縁が出来るだなんて思いもしなかった。

(アシルさんは気軽て良いって言ってくれたけど)

 月一、二回で定められているという、一部の施設開放をする――公開訓練日なる日。

 国のため、人々のためにと尽くす騎士の施設に行くのは、当然だが初めての事だ。緊張しない方がおかしい。

 公開訓練ってどんなのか想像つかないけど、でもスカートなんか絶対駄目だよね。粛々として行かなきゃだし、お礼のタルトだってそんなぽんっと出していい代物でもないし。
 そう真面目に考えたの本日の装いは、上はいつもの肩回りゆったりの七分袖の衣服、ただし下はロングスカートではなくパンツを着用している。友人ルシェのようにキリリとした佇まいにならないが、ヒラヒラしたものはないので良しとした。
 そして机の上には、バスケットの中にちょこんと収まっている、フルーツタルトがある。
 お腹をもったりと重くしないよう甘さを落とし、果物の酸味が引き立つよう改良を施したタルトの菓子。テオルグが買ってくれた果物を丁寧に使ったので、見た目の彩りも悪くない。
 アシルはテオルグへ渡すのにちょうど良い日取りだと言っていたが、これは大切な施設にお邪魔させていただくお礼にしよう。あくまで、公開訓練を真面目に見学して、勉強させて頂く心構えで向かおう。
 そう思いながらも、は淡く願ってしまう。テオルグの口に合ったら嬉しいな、と。

(……緊張するけど、ちょっとだけ、楽しみ)

 騎士団の施設に初めて踏み入れる待ち遠しさ、だけではない。
 あの美しい白竜が、目の前を飛ぶのだ。こんなに嬉しい事はない。

 まだ数えるほどしか見た事はないけれど、あの姿は鮮明に脳裏へ焼き付いている。きっと、涼しい白鱗に覆われた躯体は力強く躍動し、立派な大翼を広げて空を羽ばたく。不可触の怜悧な美しさに研ぎ澄まされながら、青い双眸には気高い知性が満ちているだろう。
 よりも格段に大きな竜の姿だが、彼はけして恐ろしい存在ではない。むしろ、尊敬と、憧憬が溢れてくる。

 の中の想像の空ではなく、見上げた先の本物の空を飛ぶ。その背に、騎乗する事を許されたアシルを乗せて。
 物語に出てくる竜騎士のようだと謳われる光景は――一体どれほどなのだろう。

 きっと、想像以上に素敵であるに違いない。人として、竜として、どちらの彼も素晴らしい人物であるという事を短い付き合いの中で知っているから、なおの事そう思うのだ。

 約束の時間が近づき、は最後の確認をし家を出る。一見すると重そうな、けれど実際はゴリラ並みの怪力のおかげで羽根のように軽いバスケットを携え、はブーツの踵を鳴らす。いつものように若草色のリボンで結ったミルクティー色の髪が、涼しい風を受けて揺れた。


◆◇◆


 アシルが言うには、アルシェンド騎士団国境支部の任務とは、名の通り国境を監視する支部であるらしい。
 現在、他国との関係が悪化しているだとか国勢が傾いているだとか、そういった悪い話はも耳にしないものの、万が一の場合に備える任務を課せられているようだ。
 そして現在の国境というのが、街からも窺える雄大な山脈。つまり――。


「見事に! 林道!」

 国境支部へと続く道は、豊かな緑に囲まれていた。ピチピチと響く野鳥の鳴声の、なんと爽やかなことか。
 この地域がそもそも自然に恵まれた場所であるので当然だが、騎士団の施設に向かっている事を思わず忘れてしまいそうになるほどの、牧歌的な道のりだった。自然散策にでも出掛けている気分である。
 道自体は補強整備され、荷車が横に三つ並んでもゆとりのある幅なのだが……。

 何だか、懐かしい。
 ポテポテと歩む小柄な少女――の頭上には、風に揺れる緑の茂みと、青く澄んだ空が広がる。運ばれてくる香りは清々しく、街中にはない清涼感が溢れていた。人工物の見当たらないその緑の風景は、少し故郷を思い出し、親近感を抱く。
 だが、の隣を歩む少女は、辟易とした様子を隠さないでいる。

「話は聞いてたけど、本当に自然の只中ね! 街からも遠いし、これじゃあよっぽど暇じゃなけりゃ来ないっての!」

 少女の叫びに、辺りから野鳥がバタバタと飛び立つ。
 明るい茶色の髪を丸く束ねた、今日も元気な友人ルシェである。
 ちなみに最初の台詞も、彼女の叫びだ。

「国境支部までは一本道だってアシルさん言ってたけど」
「確か最初に門が見えるって言ってたと思うんだけど」

 街を出て、既に三十分近くは経過していると思われる。
 木々の並ぶ道を進むとルシェの先に、それらしいものは未だ見えない。顔を見合わせ、苦笑いを互いにこぼした。

 急いでも疲れるだけだし、のんびり進もう。告げるルシェは、文句を言うわりには楽しそうに笑っている。何せ自らの兄の、初めて見る職場だ。表向きはの付き添いと言い張っているけれど、口には出さないだけでアシルの姿が見れるのが嬉しいに違いない。はこっそりと微笑んだ。

「でもアシルさん、この道を自分の足だけで走り抜けて行き来してるんだね」
「……なんていうか兄さんって、他人が躊躇うところを普通に突き進んでいくような馬鹿なのよね」
「でも、自慢のお兄様?」

 ルシェは、恥ずかしそうにはにかんだ。屈託のないその仕草は、やはりお日様のように眩しい。

 それからまたしばらくのんびりと道なりに進んでいくと、ようやくそれらしいものが見え始めた。
 それは、物々しく佇む、堅牢な塀と門であった。
 街を彩る明色の煉瓦とは真逆の、厳格な色合い。その先にあるのが、国境を監視し有事の際にはいち早く行動する施設であるという事を、視覚から納得させた。

 アルシェンド騎士団国境支部の入り口に、ようやくとルシェは到着した。
 だが……。

「……本当に今日って公開訓練日ってやつよね」
「う、うん、アシルさんのメモにだって書いてあるし……」

 思わず語尾が小さくなるのは、この雰囲気に押されてしまっているせいだ。
 「全然来てくれて良いから!」とサムズアップを向けた先日のアシルの笑みが、疑わしくなるほどの重さを感じる。
 それでも今更引き返すわけにもいかないので、とルシェは意を決して門に近付く。目の前に佇むそれは高く、また横幅にゆとりがある。白竜姿のテオルグでも難なく通れるだろう。その傍らには、いわゆる門番だろう、青い制服をきっちりと着た騎士が二名佇んでいた。彼らもとルシェに気付いており、鍛えた身体を向き直した。

「ここから先は、アルシェンド騎士団国境支部です。何かご用がありましたか、お嬢様方」

 思わずとルシェは顔を見合わせる。応対はごくごく事務的だ。何の落ち度もない、不快感もない。ただ騎士の目が「どうして此処に」と疑問を浮かべている事に引っかかった。
 あれ、公開訓練日じゃ、なかったのだろうか。

「えっと、今日は公開訓練日とお聞き、しまして……見学を」
「国境支部所属の兄から聞きました。今日は確か、一部の施設を開放する日なんですよね……?」

 とルシェが、揃って同じ方向に小首を傾げると。
 それまでごく事務的に応対してくれた騎士の男性の面持ちが――みるみる驚愕の感情に塗り潰されていった。

「え……? 見学、者……?」

 これでもかと見開かれた男性二人の瞳が、ルシェとを捉える。そうすると伝染するように、達も揃って目を丸くさせるしかない。

 どれほどそうしていたかは定かでない。さほど長くはない時間だったのは確かだ。
 門の前で謎の見つめ合いを続ける達のもとへ、ドドドド、という凄まじい足音が響き渡った。


「――お待ちしておりました妹達よォォォオオオ!!!!」


 堅牢な門の向こう側から、騎士服を着た男性が爆走している。けして薄いとはいえないはずの制服をきっちりと着こなしていながら、まったく抵抗をものともしない見事なフォームだった。

 猛スピードで距離を詰めてくる爆走男を、とルシェはわりと冷静に見つめた。

 公開訓練日の日付を教えた、張本人――国境支部の第一部隊長、アシルその人を。

「うっわあ、何あの笑顔」

 辛辣な実妹の呟きが、の耳にも届いた。




「いやー待ってたよ、ちゃん。なんだルシェも来てくれたのか。うんうん、大歓迎だ二人とも」

 砂煙を上げるほどの爆走を披露しながら、汗一つかいていないアシルは、朗らかに門の向こうで笑っている。一体何処から見ていたのか不明だが、見知った顔が現れて達はほっと安堵をこぼした。

「ア、ア、アシル隊長、このお嬢様方は……」
「今、け、け、見学、と……」

 門番として佇んでいた二人の騎士は、猛烈に狼狽えながら、アシルと達を見比べている。よく見れば鍛えた身体はぶるぶると震え、こぼれ落ちた低い声までもブレブレだった。
 アシルは彼らへ視線をやると、ふっと、とびきりの微笑を口元に浮かべた。

「ふ……その通り。アルシェンド騎士団国境支部の、公開訓練見学希望者だ」

 アシルが堂々と告げた――瞬間。

 門番の彼らの面持ちに、晴れやかな笑みが浮かび上がった。
 背景に花が咲き乱れる錯覚が過ぎるほどの、それはそれは目映い笑みだった。

 まったく予想もしていなかった反応に、とルシェの丸い肩がビクリと跳ねる。
 彼らは一糸乱れぬ動作で二人に道を譲ると「ようこそこんな山際へー!」「ささ、ごゆっくりどうぞー!」と、まるでお姫様でも迎えるように仰々しく敬礼した。
 あの、ここは騎士団支部ですよね……?

「ああ、あれは気にしなくて良いよ。じゃあ入る前に、ちょっとだけ身体検査と、あとサインを頼むよ。一応、規則なもんでな。……おいお前ら、イヤらしい手つきで触ったら騎竜の撒き餌にしてやるからな」
「しませんよー!」
「怖いなー!」

 アシルがギラギラと監視する中、とルシェはその場でチェックを受け、差し出された表に名前を順番に書き込んでいく。
 書面に綴られたいかにも女の子らしく丸い文字に、騎士達がこっそりと和んでいる事など、気付くはずもない。
 それらを済ませると、アシルは揚々と頷き目配せする。それを合図にし、堅牢な黒い門が、音を立て左右に割れた。緑の香りを孕む風が厳かに動き、達の髪を揺らしてゆく。そして、奥へと続く道の先で、腕を広げたアシルが出迎えた。

「大変だったろ、ここまで来るの。公開訓練の見学、歓迎するよ。訓練はちょうどこれから始まるんだ」

 時間もぴったりだったらしい。遅れなくて良かったと安心したが、は「あ!」と声を上げた。

「そうだ、アシルさん、これを」

 は慌てて携えていた大きなバスケットを持ち上げる。アシルはそれを見て「ああテオルグにね」と頷いた。しかし、は首を振り「これは皆様にです」と返す。アシルだけでなく、ルシェも不思議そうに表情を変えた。

「え、でも……これは」
「その、あの、見学させていただく、お礼に……」

 やっぱりテオルグ本人にのみ、というのも恥ずかしいので。

「それに、実は、その……とても一人分とは言えないほど大きく作ってしまって。あの、ご迷惑でなかったらお願いします」

 アシルの胸よりも低い位置で、は頭をぺこりと下げる。

「……そっか、うん、分かった。ありがたく支部の奴らで食わせてもらうよ。もちろん、あいつには多めにね」

 恥ずかしそうに染まったはにかみに、何かを言うほどアシルは馬鹿ではない。しかし実妹ルシェからの信頼は今一つのため「兄さん、あんまり余計な事はせず、素直にお願いね」と釘を差されるのであった。

 アシルは甘酸っぱい匂いを放つバスケットを丁寧に受け取ると、改めて空いている手を差し出した。さあ、と見せる彼の大きな手のひらには、歓待の心。ルシェと同じ、お日様のような笑みも見えた。

「さあ入って。ようこそ、国境の防衛の要――アルシェンド騎士団国境支部へ」

 踏み入れた達の視線の先に、広大な敷地と、要塞と言って差し支えない堅牢な建築物が広がった。街の中ではけして見ない、またこれまで見た事のないその風景。不思議な高鳴りが生まれ、そっと踏み出した爪先はゆっくり進む。

 門番の騎士へ振り返り、ぺこりと会釈をする。友好的な笑みと共に向けられた一礼が、達を見送ってくれた。


 ――――しかし、二人は知らない。
 その後、門番の彼らは地に膝をつき、両手を胸の前で組み、天に祈りを捧げるがごとく喜びに震えていた事なんて。



 アシルは一度、建物の中へ猛ダッシュで向かい、そして戻ってきた。訓練は外で行われるので、バスケットを厨房の保冷庫に保管してきたらしい。“食べるな厳禁”のメモ用紙を貼ったから大丈夫だろうと笑うアシルを先頭にし、達はトコトコと足を進める。
 要塞のごとき建造物の外観は、こうして見上げるだけでも十分過ぎる迫力が伝わってくる。
 凄いねえ、と呟かれる声は、きっととルシェ、二人のものだ。
 キョロキョロと周囲を見渡す様子を、肩越しに振り返るアシルは楽しそうに笑っている。

「国境支部の建物は、アルシェンドの中でも規模は大きい方だ。けど実際にいる所属騎士の数は、確か三十人と少しくらいだったかな」
「意外とそんな人数なんですね」
「だろう? ただアルシェンド騎士団の特徴は、竜と騎者のペア制度。施設内にはその人数分の騎士専用の飛竜の過ごす建物もあるから、大きくもなるんだろうな。他にも、竜の世話係や下働きの人たちもいるし」

 とルシェは、感心して頷くばかりである。

「さて、ちゃんとルシェに見学してもらえる訓練は、屋外が基本だ。種類は二つ、騎士の戦闘訓練と、竜に乗って行う空中訓練。今日は空中訓練を行う」
「兄さんもするの?」
「そりゃあ、これでも部隊長だしな。副隊長テオルグに乗って参加する」

 ルシェは多く言わなかったけれど、嬉しそうに微笑んで、アシルの伸びやかな背を見つめている。自慢の兄の勇姿を見れるのが、やっぱり嬉しいのだろう。

 空中訓練というのが一体どういったものなのか全く想像がつかないけれど、アシルも参加するという事は、テオルグも白竜姿となって参加するという事だ。の表情は、自然と緩んでいた。



 建物をぐるりと迂回するように回って、いよいよとルシェの前には訓練場と呼ばれる、整備した広大な平地が現れた。そこには既に、国境支部所属の騎士達が集まっているようだった。二十人ほどだろうか、結構な人数が揃っているように思う。

「よーっすお待たせー!」

 アシルはそこに、部隊長と思えない気軽な仕草で近づいていった。訓練場に集まっている騎士達の視線が、一斉にアシルへ集中する。
 自分達が見られているわけではないのに、とルシェの肩が思わず跳ねた。

「アシル隊長ー何処行ってたんですか。もう少ししたら訓練開始時刻ですよ」

 全員が怒るでもなく、仕方なさそうに笑った。その中から、一人の騎士が早足に近づいてくる。毅然と背を伸ばし、運ぶ足先にもその鋭さが現れているようだった。アシルとは正反対な雰囲気を放つその騎士は……。

「アシル! 合同訓練間際になっていきなり消えるな!」
「悪かったって。でも直ぐに戻ってきただろ?」
「脳天気は頭の中だけにしとけよ、大体貴様は」

 アシルの正面に、長身の騎士が佇む。すらりと伸びたアシルよりもさらに伸びた背丈で、黒髪を持つ頭が、アシルの上に見えた。
 そして、その人の肌には白鱗、額には四本の角が宿っていた。

「テオルグさん」

「いつもいつも突拍子がない。もっと落ち着いて、こう、どう……を…………?」

 低い声で紡がれる言葉が、次第に弱まっていく。
 真正面に佇んだテオルグの身体は、徐々に斜めに傾き、アシルの背後を覗き見る。
 同じようにも、アシルの背中から顔を覗かせ、小柄な身体を斜めに傾ける。
 ニコニコと笑うアシルを間に挟んだまま、全く高さの異なる二人の視線が交差した。

 テオルグの青い瞳が、を認めるや、徐々に見開かれていく。唖然とするように薄く開いた口元からは、何故、という言葉が聞こえてくるようだった。
 はぺこりと一礼し身体を真っ直ぐに戻すと、アシルの背中から横にずれて、彼の正面に立つ。テオルグは相変わらずとても大きく、目一杯顎を持ち上げないと顔が見えなかった。

「な、なぜ、こ、ここに、嬢が……」

 テオルグの震える声は、先ほどの張りが嘘のように小さく響いた。
 胸の下どころかほぼ腹部の高さにある、ミルクティー色の柔らかい髪を持つ頭。緑色の瞳はおっとりとした丸い形をし、どこもかしこも小柄で華奢な体つきは、騎士団にはおよそ相応しくないほのぼの感。
 アシルに向けた感情が、一瞬の内に吹き飛んだ。

「公開訓練日、なんですよね……? アシルさんから教えていただきました」

 けして邪魔しませんので、ほんの少しだけ見学させて下さい。
 は慎ましい花を咲かせ、ぺこりと一礼した。

 見学……え、見学、だと……?!

 毅然としていたはずのテオルグの身体が、一瞬、ぐらりと揺れた。



お待たせしました。【国境支部公開訓練】スタートです!


2015.08.02