笑顔挟んで、また今度

は、驚いて立ち尽くした。取り込んだ洗濯物を入れたカゴを持ち、片付けに倉庫へ向かった帰りのことだった。
空っぽのカゴを脇に抱えて、足早に進む回廊は、傾きほんのりと赤みを帯びた陽射しに照らされていた。たまたま、兵や武将などが各々鍛える場である鍛錬場に通りがかり、何となしに顔を覗かせたのだが、そこで一人静かに双剣を握っている影に目を留めた。
厚手の、灰色がかった白の衣を纏い、顔も同色の布で覆っているその人物は、やや背が小柄であるが後姿からもうかがえる深い静けさがある。梟を思い起こさせる衣装が、妙に似合い、そしてこちらまで穏やかになる空気が滲んでいる。が、この時は、渋い緑色の手袋に覆われた手は、双剣を握っているため、張り詰めた静けさがにも見て取れる。杖を握る手は、不慣れさを全く感じさせないほどにしっくりと馴染んでいるようだ。
顔だけを覗かせて、はついついじっと見てしまった。

( ホウ統様……? )

が、この《蜀》を統べる君主・劉備の膝元である城で奉公をする中、とても良くしてくれる人物の一人だ。
飄々とし掴みどころが無さそうだけれど、《臥龍》と称される軍師・諸葛亮に並び《鳳雛》と呼ばれる彼もまた、三国に名高い名軍師である。

その、才智に秀でた人物が。
剣を、持っている。

偏見かもしれないが、は驚いた。
ホウ統が鍛錬場にいるのも、何だか初めて見る気がする。お茶を淹れたり、書簡を届けたり、それらの時はほとんどホウ統を自室や政務室で見ていたからだろうか。

――――― と、その時。

ホウ統の握った双剣が、無音の空気を裂いた。それに合わせ、衣の裾が翻り、静かにはためく。

はドキリとし、思わず肩を揺らした。

横に払った剣先は、荒々しさはなく、けれど芯の持った軌跡を描いていく。ホウ統の足運びも、水面を歩くように滑らかで、軽やかな音を立て床を踏む。彼の性質を体現した、風に似た流麗な軽やかさ。梟に似た衣服もあって、それこそ本当に舞う猛禽のようだった。
は、すっかり意識を奪われ、ホウ統の剣舞を見つめていた。自分も、武芸を嗜んでいるが、足元にも及ばない。
杖を持ち、相手を翻弄する様も十分に目を奪われていが。剣を持つ姿も……とても、素敵だと思った。空のカゴを抱えたまま、がぽやんとしていると。
ホウ統の操る双剣の切っ先が、ぴたりと止まった。

「誰か、そこに居るのかい?」

特徴的な声音と口調に、は急速に意識を現実に引き戻され、別の意味で肩を揺らした。
ちょ、私、物凄い不審者……!
は、慌てて入り口の影から飛び出すと、その場にカゴを置くと同時に膝をつき、ガバリと頭を下げる両手を組む。

「す、すいません、です。あの、邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「ああ、お前さんかい。別に、怒っちゃあいないよ」

いつもの調子で笑いながら、ホウ統は双剣を下ろす。「そんなとこ居ないで、入っておいでな」は、そろりと顔を上げて、ホウ統の表情をうかがう。布で顔を隠されているため、よく分からないが、まなじりは笑っているようだった。カゴを影に隠すように置いたまま、そっと立ち上がり鍛錬場へ踏み入れる。普段は、お茶だしくらいにしか入らないところのせいか、真ん中を通るのも妙に阻まれるのだが……と思っているを知ってか知らずか、「おいでおいで」と可笑しそうに言うホウ統。

「あの、私が入っても、大丈夫でしょうか……」
「面白い子だね、謙遜する必要はないだろう。お前さん、兵として一応名が上がってるんじゃなかったかね」
「うっ……そ、そうですね」

……女官、兼、緊急時護衛兵。
道場育ちのに興味を持って、あれこれ武器を持たせて試合までやらせた君主・劉備が、すっかり彼女を気に入って与えたけったいな役職名。文字通りに、緊急時には兵として扱われる特異な女官のことである。が、実際そんな者、恐らく三国でもだけである。
それを思えば、まあそうなのだけれど、上司にも当たるホウ統と同じ場に立つというのも、むず痒いものだ。

「お前さん、用事か何かかい?」
「あ、干していた敷布などを倉庫へ置きに。皆様方の寝台の整えさせて頂いたので、戻る途中でした」
「そうかいそうかい、仕事熱心だねぇ」

いつもの口調、だけれど、笑みを含んだ言葉には心臓が飛び出そうな気分だった。

「あの、ホウ統様は、鍛錬の最中だったのでしょうか」
「いんや。たまには身体動かさないと、鈍ってねえ。ほら、最近事務ばかりだろう? いざって時に動けないと、洒落にならないからねえ」
「……合同錬兵や、演習などには、そういえばホウ統様あまり行かれないですね」

それもあって、先ほど驚いてしまったのかもしれない。
が呟くと、ホウ統は僅かばかり苦笑いを交えさせ、「大勢との演習は、あまり好きじゃなくてね。一人の方が気楽なんだよ」と返した。
は慌てて、頭を下げる。「余計なことを申しまして、すみません」とペコペコ謝ると、当のホウ統は「よく謝る子だねえ」と笑っている。

「別に良いんだよ。それより、お前さんこれから暇かい?」
「え? 時間なら、幾らでもございますが……何か、させて頂けることがございますか?」

それなら何なりと、とが言うと、ホウ統は「そりゃ良かった」と笑い、ふと背を向けて歩き始める。「あれ?」とが首を傾げ見つめる中、彼は立てかけてあった演習用の、ホウ統の今握る双剣と同じものを取った。
「お前さん、双剣は使えるかい?」唐突に尋ねられ、要領を得ないまま「え、あ、一通り」と呟く。ホウ統は関心しつつ、その双剣を持ち戻ってくると、それを……へ、差し出した。

「……??」
「ほれ、受け取りな」
「え、はい……??」

とりあえず、取ってみる。相変わらず理解していない変な顔のは、双剣とホウ統を見比べ、「何ですか?」と再度尋ねる。
ホウ統は、笑みを一層深め、「見たまんまだよ」と言った。

「手合わせしようじゃないか、せっかくの鍛錬場で、しかも貸切だ。勿体無いだろう?」
「て、てあ、ええ……?! わ、私と、ですか……?!」
「別に、驚くことないだろう。あっしとじゃあ、不満かい? こう見えて、剣も多少扱えるんだよ」
「いえ、そういうことでは……!」

あの、《鳳雛》とうたわれる、ホウ統と。
たかだか下町の道場の娘で、女官の自分が。

あまりに恐れ多く、は言葉にならない変な呻き声ばかりを漏らす。けれどホウ統は、「まあまあ、軽い気持ちでやろうさ」と言っている。
軽い気持ちって、どんな風に……。道場暮らしの頃は、門下生と師範である父母とよく手合わせしていたが、状況が違う。もちろん、国を守るため戦に出る、武芸に長けた方々と実際に手合わせ出来るのは、願ってもないことだとは思っている。家庭的なことに憧れていたではあるが、根っこは武人の血を引く者とし喜んでいるのは否めない。
が、しかし……。

「ど、どんな風に、やれば」
「どんな風って、いつも通りでいいさ」

ほれほれ、と言いながら、ホウ統は双剣を構えてみせる。
そうされては、一女官とし、一武芸を嗜む者とし、礼は見せなければならない。
はひとしきり悩んだ後に一度深呼吸をし、頭を下げる。それから、表情をふっと引き締め、双剣を構える。
その姿を見て、ホウ統は関心した声を漏らした。

「お前さんの話は、よーく聞いてる。かつてある国に仕えた猛将と女傑が、戦から身を引いて建てた道場。その一番手でありながら娘であるさんは、大層な腕っ節で、殿にも気に入られたってね。
あっしは今まで見たことがないからね、一度手合わせしてみたかったんだよ」

ホウ統は笑っていたが、眼差しに光が宿る。

「……さぁて、城の護衛兵に抜擢されたその腕前、見せてもらおうか」

その狙い済ました瞳は、の動きを縫いとめるようだった。父母の眼差しとは異なる、軍略に長けたもの特有のものだろうか……その緊張感が、を包む。
やはり自分は、武将の娘か。敵わないと分かっていても、この瞬間逃げ出すことは、出来ない。
は小さく笑みを浮かべた。

「……精一杯、お相手を務めさせていただきます。ホウ統様」

ホウ統も、にこりと笑みを返す。
次の瞬間には、互いの眼差しが真剣そのものになり、彼らしか居ない鍛錬場に静寂と緊張が流れる。何処かから聞こえる、人の声の余韻が、静かに消えていった時――――― が、先に踏み込んだ。
男にはない、軽やかで素早い踏み込み。しかし、フッと空気を裂き薙ぎ払われた双剣は、受け止めた瞬間に力強さを感じた。鍔競り合った衝撃は、男のホウ統の手にも響くほどである。

「ひょわ、こりゃあ痛いねえ!」
「ありがとうございま、す!」

ヒュッと身を捻り、競り合った刃を弾くように離し、後退する。その仕草からは、舞いを披露するような柔らかさが感じ取れた。もともと、彼女が得意としている多節棍はその動きにも近いのだから、現れても不思議でない。ホウ統は眺め関心したが、同時に理解する。腕を買われた事実、間違いではないようだ、と。
女性らしい身のこなし、けれどその剣は勇ましさもある。
しかし……。

「――――― けど、お前さんの剣は優しすぎる」

ホウ統は、困ったように笑った。そして、再びぶつかった剣先を、するりとそらし、その刃をトンッと背を押すように払った。
また、だ。
は、思わず力を入れた。こちらがどんなに向かっても、まるで風にいなされるように受け流される。が今まで手合わせしてきた中にはないその剣さばきに、すっかり翻弄されている。これが、ホウ統のやり方なのだろう。そしてそれに一向に決め手を与えられない自分との、実力の差か。
つい、の双剣が大ぶりに払われる。その瞬間、飄々としていたホウ統の瞳が、眼光を放つ。

( ! しまッ……! )

――――― ガギィィンッ

鍛錬場に、甲高い剣の悲鳴が上がる。
宙を舞った一本の剣は、床へとゆっくり落ちる。カランカラン、と力を無くし横たわるその剣を視界に入れることなく、はくっと息をのんだ。
剣を離した手は空を掻き。剣を握るもう片方の手は、ホウ統の剣で静かに抑えられ。
白い喉元に突きつけられ、空気が凪ぐ。

「……勝負あり、だねえ」

口元まで覆った布と頭具で、口元は見えない。けれど、その唯一うかがえる瞳とまなじりは、何処か穏やかで、そして笑みを浮かべていた。
自分を嘲笑する笑みではない、温かい笑みだった。
空気が静かに落ち着いていき、の呼吸もまたゆったりと平常を取り戻す。僅かに空白を開け、彼女はふっと瞳を閉じる。

「……まいりました」

決して、相手を叩きのめす狂暴な武ではない。けれど、今の自分ではどうやってこの軍師には敵いっこないだろう。
すとん、と胸に落ちてくる事実は、をむしろ落ち着かせる。剣を握った手をそっと下げると、ホウ統も突きつけた剣を下ろす。
静かに距離を取り互いに礼をすると、は晴れやかに笑った。

「さすがです、ホウ統様。やはり国を守る方というのは、お強いですね」
「あっしも、これでも現役だからねえ。お前さんも十分だろう、なるほど、殿が気に入るわけだい」

ホウ統は相変わらず空気を変えず、「よいしょ」と床に胡坐をかき座った。は佇んだまま見つめ、「先ほどの言葉は、どういう意味ですか?」と尋ねた。

「先ほど、て言うと?」
「私の剣は、優しすぎると……」
「ああ、そうだね。そう言ったねえ」

まあまあ、座ってみなさい。は言われ、その正面にゆっくりと腰を下ろした。

「……文字通りさ、お前さんの剣は優しい」
「それは、」
「ああ、腕っ節は確かに本物さ。それを言ってるんじゃないよ、腕に関しては誇っても良いさ」

褒められているけれど、は表情を変えずじっとホウ統を見た。

「優しいのは性質さ。お前さんの心が出ちまってる。悪い事じゃない、が、この世界にいる以上は『優しい』のはちょいと酷な話かもしれないねえ」
「……ホウ統様の」
「ん?」
「お相手、務まりましたでしょうか? 私は」

……少し、見当違いな言葉だっただろうか。は言った後で後悔したが、ホウ統は「十分すぎるくらいにね」と首を傾げた。

「大勢とやるのより、こういうのが好きだからさ。大体言いだしっぺはあっしさ、だからお前さんが気にすることないよ」

……見透かした言葉。少し背中がむず痒かったが、その後に不意に続くホウ統の声にすぐ止まってしまった。

「優しいのは良い事さ、だから殿は気に入ったんだろうね」
「……?」
「ま、ともあれ、これから机の整理にようやく向かえるよ。ありがとさん」

ホウ統は立ち上がると、厚手の衣を揺らしてに歩み寄る。手袋に覆われた手を差し出すと、目を細めた。

「お立ち、今日は付き合わせちまったねえ」
「い、いえ! そんな、ホウ統様が謝られることでは……」

オロオロとしていると、頭上でホウ統の噛み殺した笑みが聞こえる。伸ばされた手と、ホウ統の顔を見比べ、はそろりと自らの手を伸ばした。気弱さを押しのけるように、ホウ統はかっちりと掴み、身体を引き上げる。その強さに、つい驚いてしまったのはやはり《軍師》という役職にすっかり隠れていたからなのかもしれない。ホウ統が、年を重ねた男性であり、戦場に立つ人物である、ということを。
離れた手に、その感触が残る。はそっと握り締め、剣を片すホウ統に習い彼女も自ら放り投げた剣を拾い上げる。

「お前さんとの手合わせは丁度いいねえ。またやりたいもんさ」
「わ、私でよければ……いつでも、喜んで!」
「くく、何だかんだで、お前さんも将軍の子だねえ」

そう笑ったホウ統につられて、も笑みを深めた。

風のような方、その飄々さに、今日もまた親しみを持ちました。

( けれど、ホウ統様……私なんかより、貴方様の方がずっと優しいでしょうに )

自分のことではなく、のことを話すホウ統の背を、彼女は終始見つめていた。
―――― 胸が温かくなったのは、気のせいでないだろう。



無双6の武器チェンジシステムで発狂したので、カッとなった。
ホウ統様の双剣かっこいいよォォォォ!!
あの格好よさは、是非プレイ画面でお楽しみ下さい。

ホウ統様は、どちらかって言うと自分のことをあまり話はしない印象です。その代わり、人のことをよく見ているような……。それが良くも悪くも、他と一線を画すことに繋がる場合もありそうです。
まあ要約すると、そんなホウ統様にも愛おしいということです。( 聞いてねえ )

2011.08.31