彼についての一考察

新たに陣地へやって来た、一人の武将。
赤黒い空に、まるで落命するように落ちる焔が鮮やかでありながら残酷な軌跡を描くその下には、大きく構えた武器屋や飯店が肩を並べ、そしてより整備された街道と家屋が点在している。遠呂智の生み出した、混ざり合う不可思議な世界に招かれた人間たちの、希望抱く活動拠点である。煉獄にも似た光景には、およそ似合わないほどの活力溢れる陣地であるが……。
新たにやって来たその人物は、真逆にこの陣地に似合いそうもない。
浮き掘られて、異質な存在感ばかりが目を引かせる事請け合いだ。

は、仲間でもあり上司でもある数多の武将らに混じりながら、後方でこっそりと窺っていたが……耳に届くのは、心底不思議がった、あるいは不気味がった声で「何でアイツが」と口々に囁かれる言葉である。当然、一女官であり一兵士でもあるもそう思っていた。
様々な思惑の混ざり合う視線の集中砲火にも、さして興味がないのかそれとも感じ取ってはいないのか、淡々とした声でその人物は告げた。人間の生活を学ぶように言われた、と。
友好的ではない、かといって嫌悪に満ちている訳ではない……つまりは、を含む人間に関心は抱いていない、という事だろう。

その人物への印象は、容姿からも少なからず影響を受ける。
高々と伸びた身の丈の体躯は、人間の骨格とは異なる細い身体つきをし、腕も身体の三分の二の長さはあると思われるほどだ。そして簡素な武具を纏う足は、鋭い爪が生え、同様に手の爪も鋭利である。極めつけに、灰色の乾いた肌をし、頭を全て覆う兜の向こうで、一つ目の鈍い輝きが放たれている。

異質な出で立ちの将は、人間ではない。だからこそ、人々の視線を集めるのである。
将の名を、百々目鬼。人間の生活を学ぶ為に加わる、新たな陣営の仲間であるが……仲間、と言っても良いのか不可思議な初対面の光景だった。



の仕事はというと、主に陣営内で飯店の手伝いを行ったり、武将たちの身の回りの世話や掃除と……まあ、元の世界でも大して変わらぬポジションである。それは別段、苦でもないし、むしろ武将たちも手伝ってくれたり一女官にも気さくな態度を取ってくれる方々ばかりで、楽しい事であった。
ただ……。

「あの、百々目鬼様」

は、恐る恐ると声をかける。
彼女の目の前で、背を向けていた長身な妖魔の将が、ゆるりと振り返る。人間とは、何処か異なる異質な風貌が、と視線を合わせる。
兜の向こうで瞬いた一つ目の冷たい輝きが、を射抜くようでもあった。度胸に関しては女ながらあると自負しているものの、やはり妖魔の全身に纏う冷ややかさは、ぞくりとする。

「……何だ」

低く、這うような声。感情の抑揚に欠けたそれは、へズドンと落ちてくる。

「あの、お食事が用意出来ましたので……百々目鬼様も、」
「……後で、喰う。放っておけ」

彼は言うや、関心無くそのままの前を横切って行った。
は慌てて頭を下げ、礼をし見送ったが……何とも言えぬ気持ちだけがその場に残された。

「何あれ、イヤーな感じ!」
「わ……?! か、甲斐様」

ニュ、との顔の横から、甲斐姫の顔が現れる。亜麻色の豊かな髪を流す横顔は、美しくそれでいて勇ましさも浮かんでいた。
「もう、甲斐で良いって言ってるのに」と彼女は笑いながら、の肩を気さくに叩いた。

「で、百々目鬼はまた今日も、あんな感じな訳だ」
「そう、なんですよね」
「此処に来てから、ずっとあれしか見てないし。なんか、ねえ」

甲斐姫との溜め息が、重なって虚空へ消える。
もともと、百々目鬼は妖魔という有る意味では敵方での将である為、幾ら人の生活を学ぶよう言われていても一線を引かれても致し方ない。が、線引きがまだ一本だけであれば良いが、境界線の向こうにさらに城塞を造り上げて誰も招き入れようとしない強固な姿勢も伺える。何とも言えない、気分だ。

「親しくなろう、と言うよりは、もうちょっと、こう……」
「分かるわね……ありゃどう見ても、仲良くする気はゼロだもの」

細い肩を竦めた甲斐姫は、の肩を掴むとクルリと方向転換し、押しながら歩き始める。

「ま、とりあえず、あたし達はご飯を食べましょ。がせっかく作ってくれたんだもの、温かい内に食べないと!」
「甲斐様……」
「だーかーら、甲斐で良いって! 敬語も無くて良いんだから」

は笑みを返し、頷いて見せるが……遠ざかる百々目鬼の後ろ姿が、少しだけ気になった。
そういえば、彼は普段何をしているのだろう。戦いの時、参戦はしてくれているが、普段全く姿を見る事が無いが……。
は少し気になりつつも、甲斐姫と共にその場を後にした。
それぞれに食事の時間や好みもあるので、基本料理の準備はしてあるが各々が好きなように持って行くスタイルがこの陣営であったが、やはりこの日も百々目鬼の姿は見当たらなかった。
残された彼の分の昼食を、は少し寂しい思いを噛みしめて、持ち上げた。いつものように、「残すなんてもったいねえ!」と大食漢の張飛などが怒るかもしれないが……。

「妖魔の人には、口に合わないのかな……」

この陣地で女官をさせて貰っている身としては、やはり彼の事もちゃんとお世話するべきであろう。はそんな風に思いながら、食膳をそっと机の隅に寄せると、その小屋から静かに外へと出た。極稀に、食膳が空になっている事もあるが、普段はやはり残される事も多いのだ。誰かに、食べて貰った方が良いだろうか。

思考を巡らすの頭上で、まるで落命するような、赤い空と黒い曇が、この日も変わらず広がっていた。

遠呂智。

思わず過ぎった、その単語。天を禍々しく穿つように身をくねらせる八匹の大蛇が、同時に鮮明に浮かんでくる。
妖魔との戦いは過酷ではあるが、一日一日を未来の為に生きなければ。
それにはやはり、百々目鬼との壁を払う事も重要だと思うが……。

「……あれ?」

はそこで、思考を止めて、目を丸くした。
焼け爛れた大地に流れる、真逆にも澄んだ小川の真上に掛かる、アーチ状の石橋。その上に、百々目鬼の姿を見つけたのだ。それだけであれば不思議に思わないが、彼はぼうっと、何かを見つめている。一つ目の仄かな眼孔が兜の向こうに見えるものの、それはには気付いていない。
は首を捻りながら、見なかった事にし背を向けたが……いや、此処で思い切って話しかけてみようかとも考え、ぎゅっと勇気を振り絞るように手のひらを握ると、つま先の向きを彼に向き直し歩みを進めた。

百々目鬼との距離が、数メートルほどに詰められたところで、彼がゆるりとへ振り返る。気配には気付いていたが、近付いた事で仕方なく顔を向けた、そんな印象だ。

「あッあの……」

声を掛けたものの、その後の言葉に詰まってしまう。近付いたは良いが、コミュニケーションが取れないようでは意味がない。
そんなを、百々目鬼は嫌悪を込めて見ないものの、興味無さそうなのは変わらなかった。

「お前か……何の、用だ」

……少しだけ、は目を丸くした。あの何にも関心無さそうな百々目鬼が、少なからず自分の顔を覚えていた。それが何とも言えぬ嬉しさにも繋がって、強張った肩がスウッと穏やかに力を抜く。ほんの少し、心に余裕が生まれて、の頬にも自然な笑みが浮かべられる。

「……何か、ご覧になられているようだったので」

百々目鬼は、から視線を逸らすと、再び正面を見る。それを、も追って視線を移した。
其処から見えるのは、何て事はない焼け爛れた大地と、漆黒で塗りつぶされた空、落命の軌跡を残す炎……そして、人々が活気を取り戻してきた証拠でもある、点在する建築物の風景。

「……意味など、無い。見ていただけだ」
「この風景を、ですか?」

微かに、百々目鬼の首が縦に振られたような、気がした。
は、両手を組み指遊びをしながら、「あの」と再び声を掛ける。

「私も、お側で見させて頂いて、良いですか」

今まで何の反応も示さず、興味なさげな印象ばかり受けさせた百々目鬼が、その時明らかな感情を見せた。肩を揺らし、兜の向こうで確かにを見た。
彼はしばらく黙っていたが、「……好きにすればいい」と呟いた。
は表情を明るくさせると、礼をし歩み寄る。鮮やかな水色の女官衣装が、渇いた風に翻り、長身な妖魔の将の隣でふわりと揺れる。
近付いた事で一層感じたが、妖魔という人間とは異なる存在というのは、身体つきや灰色の肌、伸びた腕生え揃った爪から見て取れるように、よりもずっと凶悪である。それを振りかざす相手は、敵軍であるが……彼にとってはかつての仲間である。彼は、その事もどう思っているのだろうか、戦えればそれで良い、そうなのだろうか。
彼の事は、本当によく分からない。憶測ばかりで考えてしまう。

「……変わった、人間だ」
「え?」

不意に百々目鬼が呟いた。は一度思考を打ち止めると、顔を上げて百々目鬼を見上げた。鈍色の兜の向こうで、一つ目の仄かな光が、へと向けられている。

「我の事を気に掛ける、か」
「迷惑でしたか?」
「いや……どうでも良いが」

……嫌がられるのも困るが、どうでも良いのも考えものだ。
何とも言えぬ気分に苛まれただったが、今はそれには深く突っ込まず、百々目鬼の横顔を見上げる。

「……人間は、何故このような世界になっても、生きようとするのか。敗北してもなお、抗おうとするのか。我には、理解出来ぬ」
「……やはり、人間をお恨みですか?」
「恨む……? 我ら妖魔は戦いが全て、戦いに挑んでこその存在よ。恨みなど、毛頭無いわ」

抑揚なく、淡々と告げるせいか、言葉がずしりと重みを増す。

「……人間の営みを学ぶよう、言われたが……訳が分からぬ事ばかりだ。この風景のように」

は押し黙り、彼の言葉に耳を傾けていたが、「だが」と変わらぬ声音で付け加えられた。

「食い物に関しては……悪く、ない」
「え?」

思わず聞き返したが、百々目鬼はそれっきり何も言わなかった。
もしかして……用意した食事は、食べていてくれた?
てっきり、誰かが勝手に平らげたと思っていたのだが、時折食膳が空になっていたのはもしや彼が……。
感情の読みとれない百々目鬼の横顔からは、それも結局憶測でしか無い。ただ、隣に並んで流れる沈黙は……以前より、気まずさは感じなかった。



誰に得があるか。私だ。
そんな百々目鬼夢。……え、百々目鬼は駄目ですか?
探しても何故か見当たらないので、自分で生産。創作とは、常に自給自足の精神である。

こんな感じに、甘いんだかほのぼのなんだか不明かつ微妙な距離感で、書いていこうと思います。
百々目鬼って、一応人間の営みを学ぶよう言いつけられた、んですよね。夢主と一緒に学べば良いよ!
( 戻ってこい )

( お題借用:悪魔とワルツを 様 )

2012.03.18