始まりはじまり、シンメトリー

合同訓練で顔を合わせて以来、接する機会が増えたと璃空。
かたや、庶民から大出世した猛獣使い……もとい巨大な銀麗虎を駆る副官と。かたや、小柄な身体とおっとりとも言える柔らかい物腰で兵からの人気が高いある意味では有名な武将と。
文字にしてみると意外にも目立つわりに、今まで接点が少なかったことが不思議だ。互いに、名を見聞きはしているだろうが。
ただ、あれからやはりが思う彼女の印象は、最初とあまり変わらず《綺麗な人形》であった。重々、失礼とは承知であるけれど……。

「渡すように」と手渡された書簡を、両手で持って見下ろすは、その璃空のもとへ向かっている最中である。別に彼女に対し嫌悪を抱いているわけではない、むしろ好意に傾いている。彼女に対し蔑みはない、自分自身への淡泊さに肩がすくめられる。ただ、あの小柄な女性は……とにかく分かりづらい。それだけだ。
すれ違う文官や女官などと軽く会釈し交わし、は目的の一室の前に立つ。開け放たれた扉の向こうには、幾つも並ぶ机と書棚が見える。書物の特有な、鼻の奥で籠る匂いがに届く。

「失礼いたします。ですが、璃空様はおられますか」

そう言うと、すぐに柔らかい声で「いますよ、入って下さって結構です」と返ってきた。は踏み込み、均等に並べられた机の方へと進む。すぐに見つけた小柄な女性のもとへ向かうと、今一度礼をし、書簡を差し出す。

「殿からお預かりしてきましたよ」
「ありがとうございます」

璃空は、ふわりと目を細めて笑った。その笑みは、とても将軍とは思えないほどで、これで戦場を駆け回っているのだから人は見た目によらない。ただし、に見える璃空は妙に感情の起伏のない決まった表情だけ。
と言えば、彼女の副官でありの付き合い長い友人兼同僚の珪斗に殺されるのだろう。
そうは思っているが、人柄も物事に対する姿勢も好ましく、人として穏やかであることは理解している。
も笑みを返し、「お疲れ様です」と言った。

「今日は、事務のお仕事ですか」
「先日の戦の、事務処理なのです。おそらく、殿からの書簡もそうでしょう」
「そうですか……あ、お茶でも淹れましょうかね」

璃空の傍らに、空の器が置いてあった。はそっとそれを持つと、茶を淹れるため背を向けた。

「いえ、それくらい私が……」
「良いんですって。こういうことも、副官の仕事ですから。ま、俺が淹れたと珪斗が知ったら、怒り狂いそうですが」

璃空は不思議そうに首を傾げたが、ふわりと笑みを崩さずに「ありがとうございます」と一言こぼし、再び作業に戻る。はそれを肩越しに眺めてから、その一室を一度離れた。
うーん、あれで我が身を犠牲にする戦い方っていうのは、想像も出来ないな。
やはりそんなことを思いながら、は茶を求めて厨房へ向かった。茶ぐらい自分達が、と慌てる女官をなだめながらいつものように淹れた茶を持ち璃空のもとへ戻る。彼女はそれをから受け取りそっと口に含むと、一瞬驚いたように目を見開き、意外そうにを見つめる。「淹れるのお上手ですね」と頬を緩めた彼女を、もふっと笑ってみせた。



――――― それから、時間が過ぎて午後の半ばのこと。
まるで習慣化したように、獣舎担当になった兵たちが泣きついてくるのを目安に、は獣舎へ向かう。周替わりでその世話係が交代するのだが、馬舎とは違い危険が非常に強いことと猛獣だらけという恐怖から、はほぼ毎日呼ばれた。下町どころか国でも珍妙な一家として名高い《猛獣狩り一家》だなんて嬉しく無い名前を持つのが理由だろうが……そういった環境で育った彼にとって、獣舎は自宅の延長のようなものだ。
兵がまともに世話出来ないから、獣舎の係にしてくれと上司に何度も言っているが……受け入れられたことは、ない。
もういっそ足を運ぶ頻度も高いのだから、ここが職場になれば良いのに。

獣舎へ向かうと、人の気配が遠ざかり、静けさが徐々に強まる。城の敷地内にあるとは言え、誰かが足を運ぶことも滅多にないからだろう。お世辞にも整えたとは言いがたい竹林を抜けると、獣の息遣いや特有の匂いが感じ取れるようになり、妙に穏やかな気分になる。慣れ親しんだ、せいだろうか。
とりあえず、何からするか。餌の運搬は係の兵がするようだから、獣舎内の掃除か。あとが順番に外に出して……と手順を思い浮かべていたの前に、獣舎が現れる。
だがこの日は獣舎だけでなく、人の姿も見られた。
は、驚いて足を止める。どう見ても兵ではない。背が低く小柄で、けれど女性らしい輪郭の出ている身体つきで、この後姿は昼前でも見ている。しかし、意外すぎてしばし声をかけられなかった。ようやく声を発したのは、その背中が振り返った時だった。
青みがかった、というのだろうか、漆黒とはまた違うその髪をさらりと揺らして頭を軽く下げたため、もハッとなり礼を返す。

「意外なところで会いましたね、璃空様」

獣舎の前に佇んでいた璃空は、その建物を見上げて笑う。

「一度、見てみたいと思っていました」
「獣舎を?」
「はい」

……珍しいな、獣舎に来たいと思う女性も。
そう思うと同時に、はじゃっかん苦く笑う。興味を抱くのは構わないが……言い方は悪いが、慣れぬものがそうヒョイヒョイと来ると大変なのだが……。

「相手は獣ですよ、あまり無茶はしないで下さいね」
「何故……?」
「人の言い分なんて、獣には通じませんから。ここにいる奴らは人に慣れていますが、それでも牙を持つ獣ですからね」

生意気なことを言うようですが、と付け加えて璃空に言うと、彼女は怒る様子もなく何処か納得したように微笑んでいる。

「さすが、殿自ら引き抜いた、《猛獣狩り一家》のご長男ですね。ですが、大丈夫ですよ。まだ入っていませんので」
「そう、なのですか」
「ええ」

貴方が来てからの方が、良いかと思いました。
柔らかい声音で言われると、意識せずともドキリとした。は普段の笑みで誤魔化し、彼女の隣に並ぶ。自覚している長身と、璃空の小柄さもあって、ものすごい身長差を感じた。

「それは、ありがとうございます……ですが、入るのはあまりお勧めは……」

出来ません、と続くはずだったが、見下ろした璃空は、見るからにしょんぼりしている。
うわ、ちょ、それ反則だろ!
普段は表情が変わらないのに、ふっと浮かぶその僅かに寂しそうな眼差しは……予想外な大打撃をに与えた。年齢は近いはずだが、背丈のせいで少女を苛めたような気分になる。
無言の攻防が続いたが……結局、は痛む良心に負けて、肩を落とした。

「す、少しだけなら……」

――― 璃空の表情が、ふわっと明るさを増す。その眩しさに、「うぐっ」との口から奇妙な声が漏れた。
しかし、わざわざ猛獣のいる場所にやって来るとは、肝が据わっているというか、不思議というか。珪斗は知っているのだろうか、このことを。いやあれのことだ、知っていればに声をかけるかあるいは供をするのだろう。ということは、珪斗は知らない……胃が痛くなりそうだった。
は「何かあると困るので」と璃空へ言い、獣舎へ踏み込む。軍の狼よりも、《あれ》の方が格段に安全だろう。並ぶ幾つもの頑丈な檻を横目に、奥まで進み、一つの檻の前に立ち止まる。他のものと比べ、何倍も大きなそれの中で獣が動いた。の姿を見て、甘えるような重厚な唸り声を漏らし、鉄格子に身体をこすり付ける。
は、その檻の鍵を外して、ガシャンと扉を開けた。



「――― 璃空様、コイツで我慢してもらえますか」

念のために、普段はつけない首輪と鎖を装着した《獣》を、獣舎から慎重に出した。真隣にしっかりとつかせ、鎖を強く握る。
外で待っていた璃空は、振り返ると同時に普段になく目を丸くさせ、一瞬固まった。
長身なよりも、何倍もの大きな体躯を持つ、銀色の虎。冴えるように冷たい色の体毛には黒い虎模様が全身を刻み、陽の光を浴びて一層輝いているようだった。しかし通常の虎ではなく、最近巷で村々を襲う野生虎の親玉である《巨大虎》なのだから、その姿の美しさよりも、まず大きさに目がいくだろう。
が獣舎で働きたいと、また《猛獣狩り一家》と呼ばれる由縁、副官に出世した訳などなどが、この巨大虎に関わる。が幼い頃から常軌を逸脱した猛獣だらけの環境において共に過ごし成長した、兄弟のような虎。もうすっかりととは種族を越えた絆で結ばれていて、彼はよくこの虎の背中にまたがっている。戦場も共に向かうほどで、おかげでの猛獣使いスキルは確固たるものとなっている。

とはいえ、目の前の璃空はさすがに見上げたまま動かない。
出してくる獣が、まさか巨大虎とは思っていなかったのだろうか。
他のものよりも遥かに信頼できるし、の前で他人に噛み付いたり粗相をすることはない、が……ちょっと大きすぎたかもしれない。璃空の背丈では、捕食者と獲物のような光景だ。
の手にある鎖が、一層強く握られる。相棒の巨大虎……雪斗は、大人しくの真隣にくっついて、時おり低い唸り声を漏らす。

二人と一匹の頭上に、奇妙な静寂が覆ったが、それを璃空がふと破る。
へ顔を向けると、僅かに声を戸惑わせながらも、「貴方の虎ですよね」と囁く。恐怖はなく、ただ戸惑いだろうか。

「ええ。少なくともコイツは、襲うような真似はしませんから、安心して下さい」

とは言いながらも、何せ初対面。見知らぬ相手だ。雪斗は今のところ、ずいぶん落ち着いている。是非ともこの状態を保っていて欲しいと、は願う。
璃空は、物珍しそうに雪斗を見つめている。その仕草が、普段の取り澄ました静けさとは異なり、しげしげとまるで幼い少女のようで……妙に、可愛かった。

「そういえば、戦の時にはいつもこの子と一緒でしたね」
「ええ、さすがに目立ちましたか」
「ふふ、とても」

は肩をすくめる。
「この子の、名前などあるのですか」璃空の静かな声に、は「雪斗、ですよ」と答えた。彼女は再び見つめると……ゆるりと、右手を差し出した。
は、ハッとなった。雪斗は、ピクリと耳を揺らし、目を細める。璃空の白く細い手をじっと見て、グルグルと重厚な唸り声を漏らす。甘えるのとは異なる質で、僅かにの背が強張る。
まずい、とは握り締めた鎖を思い切り引こうとした。だが……―――――。

雪斗は、顔を僅かに寄せると、璃空の手のひらをスンスンと嗅ぎ、ベロリと舐めた。
璃空の手以上に大きな舌が、数回掠め、引っ込む。

が、鎖を引く手前の体勢で固まっている間、璃空は。

「仲良くして下さいね、雪斗さん」

穏やかな声音で、笑っていた。
それは、が見てきた《人形》のような笑みではなく、少女みたいに嬉しさが表れているものだった。
先ほどの璃空の無防備な行動を上回って、驚いてしまう。彼は口をぽかんと開け、璃空のそれを見つめた。
雪斗はすぐに身を引いて、の身体に頭を擦り付けてしまう。璃空は僅かに寂しそうにしたが、嬉しそうに微笑んでいる。

人に慣れているとはいえ気難しい部類に入る雪斗が、初対面相手に気を緩めるのも、驚いたけれど。

「……璃空様も、そのように、笑うのですね」

呆然とするあまり、そんな言葉が無意識の内に漏れていた。
璃空の顔がきょとんとなり、をじいっと見上げる。そこで彼はようやく、己が不躾な上に失礼なことを口にしていたことに気付いて、慌てて両手を組み頭を下げる。「失礼しました!」と繕うが、だいぶ遅い。相手は小柄だけれど、国を武で支える将軍の一人だ……まずい。
けれどそう慌てるを、璃空は楽しそうに見つめていた。クスクスと声を漏らし、細い肩を震わす。

「ふふ、《お人形》のように、見えていたのでしょうか」

――――― するどい。

は、苦く眉をひそめる。もう何でもこい、と身構え覚悟を決めた彼だが、璃空は……お咎めの言葉も何も彼にかけなかった。ただ笑って、の困り果てた表情を楽しんでいるようにも見える。
怒っては、いないのだろうか。彼は顔を上げ、視線でそう尋ねると、璃空は背中に届く黒髪をふわりと揺らし身体の向きを彼へ直す。

「私も思っていましたから」
「は……」
「お互い様です」

そうはどういうことだろう、とは尋ねる。雪斗が甘えてにその強靭かつ巨大な体躯を寄せてくるが、彼は璃空を見下ろす。
璃空は、上品に口元に手の甲を持ち上げ、笑みをこぼす。

「《猛獣狩り一家》の長男、虎にまたがる変わり者……貴方の噂はかねがね。おかげで、私はすっかり貴方のことを『山賊のような身なりの乱暴者』と思っていました」

は、ぽかんとした。璃空は、いくらか笑みが落ち着いたのか、静かに口元を上げる。

「貴方の姿を見かけなくて、よっぽど動物好きな人なのだと。人嫌いなのかとも思って」
「そんな風に、見えます?」
「いいえ」

まるで正反対でした、と彼女は言った。

「それに……とても、美味しかったです」
「何が、でしょうか」
「貴方が淹れて下さった、お茶です。女官には及ばずとも……私よりも上手でした」

は、肩をすくめる。雪斗に繋いだ鎖を握ったまま、彼は片手を上げて首をかいた。

「は、はは……俺の人物像も、凄かったですね。残念ながら、人付き合いは結構得意です」
「そのようですね。ただ……」

璃空は、腰を屈めて雪斗を見つめた。

「似合わない敬語は、少し想像通りですよ」

は「その通りだ」と否定せず、笑って受け入れた。
今一度、璃空を見下ろして、彼はふっと息を吐く。緊張の抜けた様子だった。

「俺が思っている以上に、貴方は不思議な方ですね」
「そう、ですか?」
「ええ」

ふてくされたのか地面に伏せた雪斗を眺め、手のひらの力を緩める。

「ま、でも……」

璃空は、不思議そうに目を細める。
ようやく、出発点に立ったような気分だ。
……とはは言わなかったが、和らいだ紅鳶色の瞳は、穏やかに璃空を見つめていた。
そして、にこりと笑い、「璃空様」と尋ねる。

「これから、宜しくお願いしますよ」

がそう言えば。
彼女はふわりと、整った柔らかな顔に頬笑みを浮かべる。普段見ているもののはず、だが、この時はとても……―――――。

……何だろう、今日は。
《人形》のようだと思っていた人の印象が、ひっくり返って、温かな息苦しさで窒息しそうだった。



そんな感じに、夢主と璃空さんの……フフフ!!
好きすぎていかんです。この二人のために、俺は萌えを燃やし続ける( もう駄目だコイツ )

璃空さんは、ちょっと不思議な感じが漂うのが可愛い。
小柄な女性と、長身な男……良い絵だと思います。

2011.03.04