貴方のせいにして、良いですか

あの人は、年齢のわりにとても幼い。
幼いというのは容姿のことを指しているのではなく、仕草や口調、声音といったものだ。むしろ容姿は、副官とし鍛えられて屈強とまでいかずとも十分に筋力を得てしなやかで、背丈も飛びぬけて伸びている。顔つきも、二十代半ばほどの精悍な男性らしさがあり、特徴的な紅鳶色の髪と瞳はそれに加わり彼の容姿を一層引きたてる。
一見すると年相応なのだけれど、実際に言葉を交わしてみれば、分かる。

「俺は庶民の出ですから。飾っても似合うことは、あまり無いんですよね」

気さくな対応。良くも悪くも訳隔てない。《副官》という役職名には不釣合いな、じゃっかんの軽さ。均整のとれた顔立ちと身体に、妙に反発するようだった。それもあってか、はなかなかに副官の面々の中でも際立っている。一部では、庶民出身ということもあって未だ目の敵にしている者達もいるが……特に一般兵と女官からの人気は、群を抜いて高い。
璃空の副官である珪斗も「あの人は、妙に食えない性格をしています」と呟いていた。いや、ぼやくと言っても正しいか。それでも珪斗はと親しいのだから、不思議なものだ。
かくいう璃空も、そう思いながらも、と言葉を交わすことを嫌ってはいない。裏表はなく、清々しい性格だからだろう。

年齢のわりに、幼い。
二十代半ばの男性とは、思えないほど。

だからこそ、たびたび不思議に思うのだ。

殿は、何故副官を志したのですか?」

馬のいななきで満ちる馬舎に、璃空の声は澄んで響いた。彼女の真っ白な愛馬を眺めていたは、「主に似て気品漂いますねー」と言っていた口をふと閉ざし、彼女へ向き直る。
猛獣一家の長男という肩書きと呼ばれるようになった家庭環境から、転じて動物の扱いには長けていると、親しくなった現在獣医が不在の時はたびたび様子を見てもらうのだが。璃空の目に映る長身の彼は、副官というより動物好きそうな一般人にやはり見える。
そういった感情が少なからず混ざってしまった眼差しを、は嫌な顔をせず「不思議ですかね?」とおどけてみせた。その緩んだ頬が、妙に似合う。

「まさか俺も、副官に上がるなんてこと起きるとは思いませんでしたけどね」
「志願したことなのでは、ないのですか?」

いななく愛馬をそっとなだめ、璃空は首を傾げる。小柄な容姿と重なって、少女のような仕草にもには見えた。彼は「うーん」と唸り、両腕を組む。
はそのまま「一旦、出ますか」と呟き、軍馬を収める柵から離れ、馬舎の外へと向かった。璃空は頷き、彼の隣をちょこちょこと歩いて進む。
建物から出れば、馬舎など動物達の暮らす建物特有の匂いから開放され、涼しい風が若葉の匂いを含み横切った。

「さっきの話の続きですがね」

しばし考えた後にはそう言った。璃空は「はい」と、彼をぐっと見上げる。普段見ている横顔は、いつになく神妙であったため、一瞬だけドキリと肩を揺らす。
は璃空へ向き直ると、「璃空様を立たせるわけにはいかないので」と近くに転がっていた空箱を重ね、枯れ草を払って、彼女をそこへ誘導する。上品に腰掛けた傍らで、は地べたに座り込み、立てた膝に頬杖をつく。

「璃空様もご存知だとは思いますが、俺は平民からの出身でして。しかも変に有名になってしまった、《猛獣狩り》一家のもんで、最初はこう言ってはアレですが副官どころかこういった人の上に立つ役職を目指していたわけじゃないんです」

の声は笑みを含んでいたが、そっと見下ろした彼の顔は普段の表情とはやや違っていた。

「まあ、下町の視察に来ていた殿に誘われて、こういった武芸を学ぶ機会を与えていただいたわけですが……。大層な理由じゃないんです」

は一呼吸置き、続けた。

「――――猛獣調教なんて、何時死んでもおかしくない家族のためですからね」

璃空は、ハッと息を飲み込んだ。

「なにせ、このご時勢でしょう。いたるところで戦が起き、動物も駆り出される時代です。猛獣調教は需要があるんですよ、酷い話ですが。野に生きる自由な彼らを捕らえて慣らして、人のいざこざに巻き込む。動物好きにはむごい話だ。
それでも、食っていくしかない。庶民はやれることをやって生きていくんです、こういったやんごとなき方々の目指す《戦のない世》によって生まれる《戦の世》で。
だから俺も、まさに庶民根性ですよ」

静かに耳を傾ける璃空へと、は斜めに見上げ視線を流す。浮かべたその笑みが、ひどく覚悟を秘めているように映った。

「猛獣調教なんて馬鹿な生計を立てなきゃやってられない家族を、少しでも楽に出来るなら。今も昔も、俺はずっとそれだけ思ってきました」

璃空は、言葉を発することを忘れた。着飾るつもりのない仕草が、良くも悪くも対等な笑みが、この時ばかりはとてつもない多きな意味があるのだと、理解したのだ。
サアア、と風が音を立てる。その静寂は、心地良くも身が引き締まるようだった。
は、ふと普段浮かべる緩んだ笑みを浮かべると、「偉そうですね」とおどけた。そして、「国のため戦っている方々には、失礼ですかね」とも付け加えた。

「とは言え、矛盾もしてます。戦で食ってるのも事実ですから。戦が無くなった後のことも、考えなきゃいけないんですが、今はこれで少しずつ家族の役に立てていると思ってます」

……璃空は、その言葉をただじっと聞く。そして、ごく小さく囁いた。

「……殿は、ご立派ですね」
「そうですか?」
「はい」

璃空は笑みを浮かべたが、その笑みは何処か自嘲的で、そして恥ずかしそうにも見えた。
普段から楽天的で和やかさのある彼が、異なって見える。それはもっと彼の深くを見なかった璃空の落ち度でありそして至らなさだ。いつだったかは覚えてはいないが、顔見知りの同僚などに「人の思いに、鈍感過ぎる」と皮肉られたことがあったが……今なら、何となく分かるかもしれない。

「あの、殿」
「はい?」
「貴方は……その立場から、もっと上を目指すことは、ないのですか」

何故そのような問いが出たのかは、彼女も分からない。は不思議そうにしたが、笑みを変えずいつもの調子で返した。「ありません」きっぱりと、迷い無く。

「自分の手のひらの大きさは、自分で理解してます。俺は自分の手のひら以上のものを、受け止める技量はないので、今の状態で精一杯なんですよ」
「自分の、手のひら……ですか」
「そうです。それに、俺は今の役職でも十分ですから。庶民が副官になれただけ、凄いことでしょう? だから、満足なんです」

は、自らの手のひらを見下ろした。璃空も思わず、すっと背筋を伸ばして手のひらを見下ろしてみた。と比べ小さいが、その広さは……《同じ》ようにも見える。

「璃空様は、何のために戦っているんですか?」

に問いかけられた。それは、深くを推し量ろうという魂胆はなく、ただ純粋な疑問なのだろう。「国も、人も、全て守るため」璃空がそう返しても、彼は小さく笑って「そうですか」と頷くだけであった。

「な、何も言わないのですか」
「ええ? 否定して欲しかったんですか」
「そういうわけでは、ないですが……」

凛とした表情が、僅かに困惑で揺れる。の、特徴的な紅鳶色の髪から覗く瞳は、対照的に真っ直ぐである。

「貴方が目指していることなら、俺は否定できないですし。ただ、そうですね」

は、ふと立ち上がる。衣服についた枯れ草を払い、ぐうっと両腕を上げ背を伸ばした。

「全部全部ってやると、大切なところが無くなっていくものです。それに気をつけて、と及ばせながらご助言させてもらいます」
「選ぶ、ということですか」
「ただの意見です、受け入れるか否かはお任せします。全部欲しがって破滅したヤツなんて、庶民街にも結構いたものですから」

は、肩越しに振り返った。

「目指すあまり、自分を蔑ろにしないで下さいってことですよ。璃空様」
「え?」
「自分の身体を心配して下さい。貴方の身体は、たった一つで、しかも簡単に血が出る生身ですから」

の笑みに、璃空は肩を揺らす。だが、顔を伏せがちに下げ、視線を泳がせる。不意に頼りなく戸惑う姿に、は目を丸くする。

「私など……」
「ん?」
「戦いでしか、価値が生まれない女ですから……」

そう呟くと、は璃空へ歩み寄り、その足元にしゃがみ見上げた。璃空の視線は下がっていたため、その角度だと必然的にの眼差しとバチリッとぶつかった。一瞬身構えてしまったが、柔らかさを増したの笑みがあり、強張りがふっと治まる。

「そんなことはないですよ」
「……何故、はっきりと言えるのですか」

は目を細め、首を傾けた。

「少なくとも、貴方の目の前にいる男はいつも心配してますから」

そう言った彼の声音が、璃空の耳へと甘く響いたような気がして。
彼女は、視線をそらして慣れぬ鼓動に耐えるしか術を持っていなかった。



璃空様大好き。そして夢主も愛す。
夢主夢みたくなってしまいましたが ( 夢主夢って…… ) 書いていた私は

た  の  し  か  っ  た  !

夢主は、よくも悪くも対等な分、自分自身の底を知っていると思います。何処までが出来て、何処までが出来ないか。
璃空様とは対照的ですが、きっと対照的だからこそお互い気がかりなんだと、信じてマス(笑)

2011.03.18